プロのラヴィリニストになるには、年に一度行われている、ラヴィリンスの王が主催する選考会に合格しなければならない。
 毎年、一千人を超えるアマチュアのラヴィリニストたちが選考会にエントリーし、そのほとんどが夢を打ち砕かれていく。それでもまた、一年後には同じように挑戦を繰り返す者が後を絶たないのは、それも全てはプロの恩恵に尽きるの一言に間違いない。
 プロのラヴィリニストになれば、プロ専用のリーグ戦やトーナメント戦に出場することが可能となり、莫大な財産を築くことも夢ではない。更には、その頂点に君臨し、ラヴィリンスの王との対戦に勝利したプロのラヴィリニストには、どんな願いでも一つだけ叶えてもらえる権利が与えられる。目の前にぶら下がった高級感あふれる餌に食いつくのは、《トキの迷宮》を扱うラヴィリニストであれば、プロもアマチュアも関係ない。誰でも同じってわけだ。
「すげえ、まるで魔法の世界だ……」
 アリスの部屋を出た後、オレは外の世界に感嘆した。
 几帳面にも机の上に整頓されたカードの束が、女子の部屋にしては違和感丸出しだと考えていたが、そんなものはちっぽけな違和だってことを実感する。
 一軒家に、アリスは一人で住んでいた。話によると、親父さんは行方不明で、御袋さんの方は幼い頃に病気で亡くなったらしい。親父さんが行方不明になるまでは二人で住んでいたらしいが、今では大きな家に一人ぼっちだ。
「魔法の世界ではなくて、カードが支配する世界よ」
 横から口を挟むのは、つい先ほど仲間になったばかりのアリス=ラヴィニアだ。
 何を今更当たり前のことを言っているのかと、半ばバカにするように溜息を吐きやがった。
「ったく、うるせえ奴だな……いちいち言い直すなってんだ」
「リストオン、《重力(グラビティー)》――」
「すんませんっしたっ」
 ジャンピング土下座ならオレに任せてくれと言わんばかりの速度で、地に額を擦り付ける。
 仮にも世界チャンピオンが、こんな姿をたった一人の女子の前で晒すなんて泣けてくるぜ。
「しかしまあ、此処は本当に面白い世界だな」
「貴方の言う面白いの定義がわたしには理解できないけれど、……そうね、確かに此処は色んなことが出来る世界だと思う」
 アリスは、開かれたリストを眺め、口の端を緩めた。
「なあ、アリス? カードを集めるのって、すっげえ楽しいだろ?」
「それには同意するわ」
 これはオレの個人的な見解って奴だが、地球は勿論、此処においても、今現在TCGで遊んでいる奴らの中で、カードを集めることが嫌いな奴は皆無だと思う。自らが集めたリストを眺めるアリスは、とても楽しそうに見えた。
 因みに俺の場合、ニヤニヤしすぎて警察を呼ばれそうな気がするのが残念だ。
「しかしまあ、アリスの家ってめちゃくちゃでかかったよな」
 今のところ、話題には尽きない。こんなにも面白い状況にいるってのに、言葉に詰まる方が難しいってもんだ。勿論、女子と言葉を交わす際には、地球にいた頃に培ってきたドキドキ感を常に持ち合わせているわけだがな。
「当然よ。だってわたしの父はプロのラヴィリニストなのだもの」
 知れっとした顔で、新たな事実を述べる。
 アリスの父は、プロのラヴィリニストだったのか。
「へえー、ってことは、プロで活躍して大金を稼いでたわけだな」
「それどころか、ラヴィリンスの王への挑戦権を得たわ」
「マジかっ」
 それにはさすがのオレも驚きを隠せない。
 毎年、プロのラヴィリニストになれるのは両手の指の数にも満たないと言われている。そんなにも険しい道を勝ち残ってきたプロのラヴィリニストの中でも、アリスの親父さんは頂点に立っていたってことになる。
「それで、ラヴィリンスの王には勝ったのか?」
「父は《迷宮の王国(ザ・キングダム・オブ・ア・ラヴィリンス)》で最強のラヴィリニストと呼ばれていたわ。たとえ相手がラヴィリンスの王であったとしても、負けるはずがないでしょう?」
 それが必然だ、と満足げな表情で、アリスは言葉を返す。
 その様子から察するに、親父さんのことを心の底から尊敬しているんだろうな。
「願いは? 親父さんは、どんな願いを叶えてもらったんだ」
 とここで、アリスはオレからの問いかけに口ごもる。
 ポーカーフェイスを装っているが、正直言ってアリスは考えていることが顔に出やすい性質(たち)だ。出会ってまだ一時間も経っていないが、そんなことはすぐに理解できた。《トキの迷宮》で対戦する時、相手の顔色を窺い、次に何をするべきか、オレは常に策略を巡らせていた。それが日常にも影響を及ぼしているのは言うまでもないが、そのおかげで、オレは人間観察が得意になっているのかもしれない。
「母を、蘇らせてほしい――」
 ぽつりと、アリスが言葉を漏らす。
 その願いは、心から願うに相応しいものと言えるだろう。しかし、
「……ラヴィリンスの王は、死者を蘇らせることができるのか?」
 尋ねると、アリスは首を振る。問いかけへの返事は、否定だ。
「ラヴィリンスの王は、どんな願いでも叶えることができると言われているわ。たとえそれが死者を蘇らせることだとしても……。けれど、父は別の願いを叶えたの」
 感情を隠そうとしても、表に出る。それがアリスの特徴だ。
 ひどく、悲しそうな顔をしている。アリスの顔を曇らせてしまったようだ。
「……すまん。聞きすぎた」
「別に構わない。……ただ、その代わりに、あとで貴方のことも聞かせて頂戴」
 空気が重くなったのを感じ取ったのか、アリスはかぶりを振る。
 自分が辛いってのに、オレに気を遣うのはお門違いってもんだ。
「とりあえず、父を捜すのは当然だけれど、それよりも前に、わたしはプロになってお金を稼がなくてはならないわ。そうしなければ、あの家を手放さなくてはならなくなるから」
 その言葉に、オレは納得した。沢山の思い出の詰まった、大切な家なんだろう。
 だが、親父さんが行方不明になった以上、アリスがお金を稼がなければならない。シビアなのは、どんな世界でも皆同じってことか。
「んで、選考会が行われる会場まではどれぐらい掛かるんだ」
「既に見えているわ」
 遙か遠くに聳え立つ建物を、アリスは指さした。 
 バベルの塔みたいな螺旋状の建物が、オレとアリスの視界の先にしっかりと映り込んでいる。
「でっけえな、おい」
 毎年、一千人規模の選考会が行われる会場に相応しい、巨大な塔だ。恐らくは、あの中にはオレとアリスのライバルとなりうる奴らがうじゃうじゃといるんだろう。
「《迷宮の王国(ザ・キングダム・オブ・ア・ラヴィリンス)》では、あれが最も巨大な建造物……ラヴィリンスの塔と呼ばれているわ。最上階には、ラヴィリンスの王が住んでいるの」
「なるほど、どおりででかいわけだ」
 建物の形や外の景色などは若干異なるかもしれないが、此処には、地球とは何ら変わらない世界が広がっていた。TCGを軸にして世界が回っているのだとしても、結局のところ、此処で生きている奴らはオレと同じ人間でしかないわけだ。
 そう、たとえ空を飛ぶ人間がいたとしても。
「……なあ、あいつらって……人間か?」
 空を見上げてみれば、びゅんびゅんと勢いよく飛び回る人間があっちにもこっちにもいた。
 背中には翼が生えているみたいだが、まさか天使か悪魔が存在するとでも言うつもりか。
「《飛翔》の効果」
 開いたリストのページを何度か捲っていき、《飛翔》と書かれたカードを見せてくれる。
「これを使えば、一定時間、空を飛ぶことが可能になるの」
 言われて、初めて思い出す。
 そういえば、そんな名前のカードも存在していた。
「此処ではどんなカードでも役に立てるんだな……」
 地球では、《飛翔》や《重力(グラビティー)》、《磔(はりつけ)》などは全く役に立たないカードとして認識されていた。そんなカードをデッキに入れる奴はいないし、仮に入れていた場合、対戦相手から笑われるのがオチだった。
 しかしながら、やはり此処は地球とは異なる世界だ。
 一対一で対戦を行うラヴィリンス形式の他に、リストからカードを選択し、即座に発動可能なロワイヤル形式が確立されている。前者では、デッキに投入する価値が無いと判断されたとしても、後者では非常に価値のあるカードとして脚光を浴びることも可能となる。
「《飛翔》はシングルカードとしての価値が高いから、数を持っていないのが残念ね」
「それが《飛翔》を二十枚以上持っている奴のいう台詞か?」
 アリスのリストには、《飛翔》が二十二枚ストックされていた。
 先ほども感じたことだが、アリスは日常生活で役に立てるようなカードを山ほど持っている。
「これでもまだ少ないわ。選考会に出場するからには、凡庸性のあるカードは何枚あっても困らないもの。手持ちのカードが切れた時が負ける時だと思いなさい」
「そんなもんかね……」
 アリスの助言を右の耳から左の耳へと聞き流しそうになるのを寸でのところで堪えて、オレは自分のリストを開いてみる。よく考えてみれば、オレはまだ自分のリストをゆっくりと眺めることもしていない。どんなカードを所持しているのか、そしてストックは如何程なのか、選考会に臨む前に確認しておく必要があるだろう。
「アリス、リストからカードの検索って可能か?」
 分からないことがあれば、アリスに質問してみる。暫くの間は、これが続くことになる。
「右端を見なさい、ボイスコードが付いているでしょう。それを選択した後に、言葉(キーワード)を紡ぐだけで検索可能だから」
「これを選択してから言葉(キーワード)を紡ぐ、と……」
 手始めに、オレは《飛翔》を検索に掛けてみる。
 言葉(キーワード)を認識し、表示中のリストが変更される。どうやら有り難いことに、オレのリストには該当するカードが存在しているらしい。
「おお、やった。オレも《飛翔》を持ってるみたいだぞ」
 検索結果を、アリスに見せる。
 すると、アリスは言葉を詰まらせた。
「……何故、そんなに持っているの」
「え? ……げっ」
 リストに表示された《飛翔》の所持枚数、九十二枚。アリスが所持する枚数の四倍以上だ。
「な、なんでこんなに持ってんだ……?」
 リストの故障か、と一瞬だけ考えた。
 しかしそれはすぐに間違いであると考え直す。思い当たる節があるからだ。
「……これって、オレが地球で持ってるカードが全てストックされてるってことか」
 不要なカードがあれば専門店に持っていき、買い取りしてもらうことが可能だが、基本的に、オレは自分のカードは売らないで取っておく主義だ。デッキに入らない雑魚カードも、凡庸性のあるカードも、全てストックしている。
 そして、そのストック全てが、リストに移されているとしても不思議ではない。
「トキ、……貴方、何者なの?」
 疑問、そして疑念を言葉にする。
 アリスは、ここにきて改めてオレの存在が謎に包まれていることを悟ったらしい。
「所持中の総カード数が……十万枚って……」
 その声に、オレは視線を彷徨わせる。
 リストの最上部に、ストック中のカードの枚数が表示されていた。その数は十万を超えている。地球では一年以上ずっとカードを集め続けていたわけだから、これぐらいの枚数があっても不思議ではない。
 だが、それが通用するのは、此処ではオレ一人だ。
 初めて此処に来て、オレがこの世界のことを何も知らないでいたように、ちゃんと説明をしなければ理解できないだろう。
「もしかして、プロのラヴィリニストなの?」
「それは違う。オレはただの一般人だ。……まあ、此処では異世界人って言った方が正しいのかもしれないけどよ」
 理解しがたいと言いたげな表情を作り、アリスは次の言葉を待つ。
「まだ、言ってなかったよな? オレは此処とは別の世界……地球ってところから来たんだ」
「ちきゅう?」
 その通りだ、と頷く。
 未だにオレが記憶喪失の変態野郎だと認識しているのかもしれないが、それは間違いだ。残念ながらオレは記憶喪失になんかなっちゃいないし、勿論、変態野郎でもない。エロいことを妄想するのが大好きな、思春期真っ只中の中学二年生なだけだ。
「オレはあの時、地球って星で《トキの迷宮》の大会に出てたんだ。それで、《トキの迷宮》を作り上げた創始者(カード・マスター)とのエキシビジョンを行なっていたんだが、目が覚めたらいつの間にかアリスの部屋にいたんだ……」
 これは、嘘偽りのない真実だ。
 目が覚めた時、オレはアリスの太ももに顔を挟まれていたんだ。……ううむ。
「《トキの迷宮》の創始者(カード・マスター)って……ラヴィリンスの王のこと?」
「違う、オレが住んでいた地球って星で、《トキの迷宮》を生み出した人間のことだ」
 確かに、此処で扱われている《トキの迷宮》とオレが地球で遊んでいた《トキの迷宮》は、どちらも全く同じものだ。しかし、エキシビジョンでオレが実際に戦った創始者(カード・マスター)は、此処ではなく、地球にいた。此処の人間ではないはずだ。
「とにかく、オレは地球で《トキの迷宮》のカードをしこたま貯め込んでたんだよ。それが、何故か全てリストにストックされてるみたいなんだ」
「……その、地球ってところから、此処に来た理由は分からないの?」
 アリスの問いに、オレは両手を上げる。全くもって心当たりがないからな。
「貴方には謎が多すぎるわね……」
 溜息混じりの声を上げ、アリスは自分のリストを眺めている。
 アリスからしてみれば、此処に来たばかりのラヴィリニストとしては初心者丸出しのオレが、アリスよりも多くのカードを所持していることが納得できないのかもしれない。
「まあ、いいわ。今は選考会にエントリーする方が大事だから、それが終わったらゆっくりと話を聞かせてもらうから。そのつもりでいて頂戴」
「あいよ、了解」
 一旦、話は終わった。
 それを機に、アリスはリストからカードを一枚選択する。
「《魔法のじゅうたん》発動」
 瞬間、何もない空間に煌びやかなじゅうたんが姿を現した。
 驚くべきは、これが宙に浮いているということだ。《魔法のじゅうたん》の名に相応しい代物と言えるだろう。
「さあ、乗って」
 ふわりふわりと浮かんだじゅうたんの上に、アリスは躊躇うことなく足を乗せる。靴を履いたまま、土足で。
「靴は脱がないのか」
「一度きりの消耗品よ、気にしなくていいわ」
 そういうものなのかね。っていうかこんなに便利な物を持っているとは思わなかった。対象者が一人ではない点を考慮すれば、《飛翔》よりも高価な気がしないでもないが、やはり人間というものは自分の背中に翼をくっつけて空を飛びまわる方がお好みのようだな。
「これ、どれぐらいの速度が出るんだ?」
「最大で百キロぐらいかしら」
「よし、歩こう」
 くるりと背を向けるオレの肩を掴み、逃がすまいと力を込める。
「何故、歩くの? これに乗れば五分と掛からずにラヴィリンスの塔に着く」
「お前はこれに乗って一度も転げ落ちることなく目的地にたどり着く自信があるってのか!?」
 時速百キロで飛び回るだなんて、恐ろしすぎて鼻水が止まらなくなるぜ。
 安全ベルトや装置が壊れたジェットコースターに乗るようなものだ。下に落ちないように自分の体を支えるのは自分自身なんだぞ。手で掴むところなんて、じゅうたんの端以外に存在しない。最大速度で一度も放り投げ出されない奴がいたら見てみたいもんだ。
「安心して、三十キロ以上は出さないから」
「……その言葉、信じていいんだろうな?」
「さあ、行くわ」
 返事をしてくれ、アリスさん。
 渋々ながらも魔法のじゅうたんに体を預け、オレはアリスの後ろに片膝をついて座り込んだ。
 両手は、それぞれじゅうたんの端を必死になって掴んでいる。心細さ全開とは、正にこのことか。百パーセントの確率で下に落ちる自信があるってもんだ。
「なあ、背中に抱き着いてもいいか?」
「今此処で《磔(はりつけ)》を発動してみたら、貴方どうなるかしらね」
「それでもオレは抱き着く方を選ぶぞ」
 生死の確率で言えば、まだ《磔(はりつけ)》を喰らった方がマシだ。
 別段、苦労などはしていないが、TCGが大好きなオレのために存在するかのような世界にやって来たってのに、魔法のじゅうたんから転げ落ちて死にましただなんて、情けなくて誰にも話すことができねえ。勿論、本当に死んじまったら話し相手すら存在しないわけだがな。
「……変なところは、絶対に触らないで」
 後ろを振り向き、機嫌の悪さを真正面からぶつけやがる。しかしながらその言葉は、アリスの体に抱き着くのを了承したものと受け取っても構わないはずだ。
「ありがとよ、アリス。因みに変なところって具体的には――」
「転げ落ちなさい。そして無様に死になさい」
「すんませんっした」
 怒った姿も中々にいい、とか心の中で抜かしていると、アリスはオレを無視して何かの操作を始めてしまった。背中越しに覗いてみると、じゅうたんの前方部分に、ボタンのようなものが幾つか備え付けられていた。そのボタンを押してしまえば、今もなお、空を飛び回る天使もどきの奴らみたいに、オレとアリスも空の旅を満喫することができるってわけか。
「手は、ここを掴んで。……それと、絶対に抱き着かないで。……あと、後ろから変なことをしないで。……匂いとか、嗅いだら落とすから」
「注文の多い奴だな、おい」
 絶対にするな、と言われると、逆にしてしまいたくなるのは人間の性(さが)ってもんだ。あとでどんな目に遭わされようとも、少しぐらい匂いを嗅いでみたくなってきたぞ。
「それじゃあ……行くから」
「おう、しゅっぱづあああぁああぁあああああ――――ッ!!」
 オレの返事を待つことなく、アリスは魔法のじゅうたんを一気に加速させる。
 それに伴い、オレは思いっきりアリスの背中に抱き着いた。……いや、だって仕方ないだろ。
 匂いを嗅ぐ余裕なんてものはない。アリスの腰を掴んでおけって言われたけど、んなもんで無事に目的地まで到着できるほど魔法のじゅうたんって奴に乗り慣れてるわけじゃねえ。必死の形相で、オレは振り落とされないように、ただただひたすらにしがみつくしかなかった。

     ※

「――よだれ、背中につけていないでしょうね」
「うるへえ」
 ラヴィリンスの塔に着いたのは、時間にして僅か五分足らずではないかと思われる。魔法のじゅうたんの恐ろしさを目の当たりにして、オレの体内時計が狂ったりしていなければの話だが。恐怖と寒さのダブルパンチをまともに受けて、体の震えが止まらない。
「……お前、三十キロ以上出さないって言ったよな?」
「言った。……けど、約束はしていない」
「てめえっ」
 腰が抜けそうだ。
「でも安心していいわ、百キロ以上は出していないから」
 この世界には制限速度という概念が存在しないのかとお訊ねしたい。道路ならともかくとして、空には法律なんてものは存在しないってのか。
 オレたちの目的地――ラヴィリンスの塔に到着した後、アリスは早々に魔法のじゅうたんから降りてしまう。足ががくがくしているが、やっとの思いで地に足を着くと、地面の感触を前にしてオレは感動した。……ああ、やっぱり地面があるって素晴らしい。
「みっともない」
 四つん這い中のオレを見下ろしながら、きつめの口調で言い捨てる。
 こんな状態にさせてくれたのは何処の何方ですかね、アリスさん。
「畜生が、言いたい放題言いやがって……」
 オレが下りたのを確認すると、魔法のじゅうたんは自動的に消滅した。役目を果たしたカードは、この世界から消えてしまう。それがこの世界における《トキの迷宮》にとっての宿命のようなものだ。できることならば、全てのカードをストックしておきたいけどな。
「……ほら、早く」
 スッと、オレの顔の前に手が差し伸べられる。
 待ちくたびれたのか、それとも周りの奴らに見られるのが恥ずかしいのか、とにかく足の震えが止まらないオレを見かねたアリスが、その優しさを少しばかし与えてくれた構図だ。
「お前の手を舐めろってことか?」
「その瞬間、貴方は地獄を見ることになるわ」
 ボケに対するツッコミが、ちと厳しすぎるのが残念だ。
 しかしながら仲間としての存在は十二分に感じられている。アリスがそばにいるってだけで安心するし、なにより頼もしい。……普通は、オレとアリスの立ち位置は逆なんだけどな。
「ありがとよ」
 アリスの手を握り、ゆっくりと立ち上がる。
 まだ、胸の鼓動は高く波を打ちまくっているわけだが、それでも多少は落ち着いてきた。見知らぬ土地に自分一人放り込まれてしまうよりも、やはり言葉を交わすことのできる相手が一人でも存在するってのは、非常に有り難い。
「……で、此処がラヴィリンスの塔なんだな」
 オレたちを向かい入れるのは、螺旋状に作られた巨大な塔だ。
 此処で、プロのラヴィリニストになるための選考会が行われるのか。
 ふと、横を見やれば、アリスが真剣な面持ちで塔の入口を見つめている。
「アリス、緊張してるのか?」
「していないわ」
 即答してくれてどうもありがとう。だが、普段よりも声のトーンが高かったぞ。
「心配すんな、オレがついてるだろ」
「……貴方、本気で言っているの?」
「どういう意味だよ」
 抗議の声を上げると、アリスは深く長い溜息を吐き出し、何事かを自分に言い聞かせるかのように、小さく頷いてみせる。そして、口元には笑みが浮かび上がっていく。
「そうね、わたしには貴方がいるものね、トキ?」
「お? ……おお、そうだぞ。オレがいるんだぞ」
 素直に、アリスがオレの存在を認めてくれる。
 一人が心細くとも、アリスのそばにはオレがいるんだ。少しぐらいは頼りにしてもらわないと、男子としての面目が立たないってもんだ。
「弾除けぐらいにはなってくれるって信じているから」
「てめえっ、やっぱオレの有難味を理解してねえな、こんちきしょーがっ」
 我先にと、アリスはラヴィリンスの塔の入口へと向かう。その背中を、オレが追いかける。
 軽口を叩き合える仲ってのは、ちっとは打ち解けることができたって証だ。
 それが、オレは嬉しかった。
「――ようこそ、ラヴィリンスの塔へ。選考会へのエントリーですか?」
 とここで、オレとアリスの会話の応酬に入り込む輩が現れた。というよりも、初めからそこに突っ立ってたんだけどな。
「はい。……あと、こっちのみすぼらしい人も」
「泣くぞ」
 アリスと、ラヴィリンスの塔の入口にいた髭を生やしたおっさんも、オレの存在を無視して話を進めていく。せめてさりげなさを匂わせるぐらいのことはしてくれないだろうか。
「それでは、まずはラヴィリンスリングのご提示をお願い致します」
 言われるがまま、アリスは左手の中指に嵌められた赤と黒に染まった指輪を確認させる。
「結構です。では、そちらの……みすぼらしい方も」
「……」
 何気にノリがいい奴だ。だがしかし相手が男ってだけで拒絶反応が起きるのは何故かな。
「はい、ありがとうございます。それでは次に、今回の選考会において使用されるデッキの内訳をこちらの用紙にお書きください」
 簡易テーブルの上に、エントリーシートっぽいものが並べられている。
 これは、オレが地球にいた時に参加していた大会においても、同じことをしていた。
 用紙に記載された内容と異なるデッキを使用したり、マッチ戦において初めからサイドデッキのカードを入れ替えておいたりする輩を見つけ出し、排除するためだ。世の中には姑息な手段を使う奴らがうじゃうじゃといるから、こんな面倒なことをしなくてはならなくなっている。
 ただ、まさか此処でも同じことをする羽目になるとは思いもしなかったけどな。
「カードを使って、一瞬でデッキの内訳を把握することはできないのかよ」
 TCGが支配する便利な世界なんだから、それぐらい朝飯前だと思うんだけどな。
「黙って書きなさい」
 猫被っているわけではないが、アリスは受付のおっさんに逆らうことなく、黙々とペン先を走らせている。オレの隣に並んでいる奴も、選考会への参加組なんだろう。アリスと同じように、デッキの中身を絶賛暴露中だ。
「仕方ねえか、ったく……」
 あまり気が進まないが、エントリーするにはデッキの内訳を記載しなければならない。
 アリスに倣って、オレもペン先を走らせることにした。
「……トキ、それが貴方のデッキなの?」
 デッキの内訳を書き始めると、横からアリスが覗いている。
 他人のデッキに興味津々なのか、随分と顔が近い。
「お前、勝手に覗くんじゃねえよ」
 手で隠し、アリスの覗き見を制する。
 すると、頬をほんの僅かに膨らませ、不機嫌そうに文句を口にしやがった。
「貴方とわたしは味方同士なのだから、デッキの中身ぐらい知っておいても構わないはず」
「ほう、それじゃあオレのデッキを見せる代わりに、アリスのデッキも見せろよ?」
「それは無理。デッキの中身を知られるのはラヴィリニストとして死んだも同然だもの」
 この野郎、屁理屈こねまくりじゃねえか。他人のデッキを見るのはよくて、自分のデッキを見られるのはダメなんて理屈が通ってたまるか。
「なるほどなるほど、つまりデッキの中身をお前に見られても文句の一つも言い返せないオレは、ラヴィリニストとしては死んだも同然の人間ってことか」
「……そうね」
「そうね、じゃねえっ」
「そこの方、お静かに」
 挙句には、受付のおっさんに怒られてしまった。
 貴方のせいで怒られた、と小声で呟くアリスに舌打ちを返し、オレはデッキの内訳を書き上げる。記入し終えた用紙を受付のおっさんに渡すと、中に入るように指示された。
「そう言えばまだ聞いてなかったけどよ、選考会ってどんなことをするんだ」
 地球と同じように、《トキの迷宮》で対戦を繰り返していくのが正解だとは思うが、万が一にも筆記試験のようなものを受けさせられる場合、合格する自信はこれっぽっちもねえ。
 ……いや待て、これはプロのラヴィリニストになるための選考会なんだから、仮に筆記試験が行われる場合、その内容は十中八九《トキの迷宮》に関する問題のはずだ。ということはつまり、オレでも問題を解くことができるってわけだ。
「分からない」
 アリスは、オレの質問に判然としない様子をみせる。
「毎年、選考会の内容は異なるわ。……だから、わたしにも分からない」
「……まあ、試験とか選考会って奴はそんなもんか」
 中身がバレていては、誰もが合格してしまう可能性も否定はできない。これはこれでいいのかもしれないな。他のラヴィリニストたちに比べ、スタート地点が同じってことは案外悪くないもんだ。対等な条件で競い合うことができるからな。
「此処か」
 長ったるい通路を進んでいくと、やがて開けた場所に出る。そこには、オレとアリスと同じ志を持った奴らがわんさかいた。一人ずつ数えていくのがバカらしくなるほどの人数だ。
「こいつら全員、選考会にエントリー済みってわけか」
「そうみたいね」
 緊張しているんだろう。横目にアリスの姿を確認すると、こぶしをギュッと握り締めている。
「バカか、そんなに心配すんなってんだ。此処にいる奴らのほとんどが、今のお前と同じように不安だらけなんだ。だけどお前は他の奴らとは違う。オレがそばにいるだろ?」
 弾除けだろうとなんだろうと、死にさえしなければなんだって構わない。この世界を楽しむことができるなら、幾らでもアリスの手助けをしてやるさ。
 アリスをプロのラヴィリニストにしてやること、それがとりあえずの目標って奴だ。
「……ん」
 今度は、何も言い返さない。本気でプロのラヴィリニストになりたいんだろう。
 その気持ちを持ち続けていれば、此処にいる全てのラヴィリニストに後れを取ることはないはずだ。勿論、オレもアリスの背中をしっかりと追いかけていくつもりだ。
「皆様、本日は第九十二回ラヴィリンス選考会へお越し頂きまして、誠にありがとうございます。わたくしは第一次選考の選考委員を務めます、ポートルッチ=レンゼルマンと申します」
 一かけらほどの不安を取り除くことに成功した直後、会場内に声が響いた。
「おい、アリス。あれって受付のおっさんじゃねえか」
 無数の目が、声の主へと向けられる。天井部の中心に、巨大な電子映像が映し出されていた。
 そこに映る人物、それは選考会の受付をしていたはずのおっさんだ。
「迂闊だったわ。……貴方のせいで、わたしの印象が悪くなっているかもしれない」
「悪かったな、この野郎」
「冗談よ」
 ふいっと視線を逸らし、表情を悟らせない。
 真顔で冗談を言うのは止めて頂きたいものだね。
「それでは早速、第一次選考へと移らせて頂きます。……リストオン、《廃墟の島》発動」
 おっさん――ポートルッチ=レンゼルマンがリストを開き、カードを発動させる。
 すると、会場内の景色が一瞬にして変化してしまった。
「……な、なんだこりゃ? どうなってんだ」
 ほんの数秒前まで、オレはラヴィリンスの塔の内部にいたはずだ。
 それが何故、外にいるんだ。
「フィールド魔法の効果よ、安心しなさい」
 突然の出来事に慌てふためきつつあったオレに、アリスが声を掛けてくる。
 相棒は、どうやら全く驚いてはいないみたいだ。しかしながら不可解な点がある。アリスとオレはすぐそばに並んで立っていたはずなのに、いつの間にか十メートル以上離れていた。
 まさか、瞬間移動でもしたのかと疑いたくなる。
「フィールド魔法だと?」
 それは、オレにとって馴染みのある言葉だ。
 オレが知る《トキの迷宮》には多種多様なカードが存在し、その中でもフィールド全体に効果を齎すフィールド魔法なるものが存在する。世界チャンピオンのオレが知らないわけがない。
 しかし、これはあまりにも干渉が大きすぎる。会場内全てに影響を及ぼすというのか。
 だが、オレが抱いた疑問を、ポートルッチは呆気なくも解消してくれる。
「選考会へ出場するプレイヤーの皆様方、こちらの会場内は、全体がラヴィリンス形式専用となっております。従いまして、フィールド魔法の効果は直径一キロとなります」
 直径一キロ、それがフィールド魔法の効果の範囲だ。
 あまりにも広大なフィールドに、オレは思わず目が眩みそうになった。
「それでは改めまして、ラヴィリンス選考会の第一次選考方法をお伝えいたします」
 オレは、アリスと共に宙に浮かぶ電子映像に目を向ける。
「第一次選考では、プレイヤーの皆様にロワイヤル形式による対戦を行なって頂きます」
 つらつらと、ポートルッチは口を動かしていく。第一次選考の概要は、以下の通りだ。
 フィールド魔法の効果の影響下に置かれた《廃墟の島》において、計千二百二名の出場者たちは、ロワイヤル形式によって対戦を行うことになる。
 エリア内では、他のプレイヤーがエントリーを済ませた際に受け取ったラヴィリンスカードを巡り、奪い合わなければならない。
 自らが持つラヴィリンスカードを含む、計五枚のラヴィリンスカードを手に入れた者は、《廃墟の島》の中心部に待ち構える試験管の許へと向かい、ラヴィリンス形式での対戦を申し込み、その対戦に勝利した出場者のみ、次の選考へと進むことができる。但し、試験管との対戦に敗れた出場者は、その時点で落選となるので、注意が必要となる。また、例外として、自らが持つラヴィリンスカードを奪われたとしても、他のプレイヤーが持つラヴィリンスカードを五枚集めることができれば、選考委員に対戦を申し込むことができる。
「制限時間はありませんが、二次選考へ進むことができるのは先着百名までと致します。それでは出場者の皆様、どうか死に至りませんように――」
 その言葉を合図に、電子映像は消えてなくなった。
 雰囲気が悪くなりそうなことを言いやがって、ちっとは場の空気を和ませろってんだ。
「わたしたち、すぐそばにいて助かったわね。フィールド魔法の効果によって、会場内の空間が広がってしまったみたい」
 言われて、気付いた。
 直径五十メートルもないはずの空間が、フィールド魔法を発動するだけで直径一キロにも広がってしまったんだ。たとえすぐそばに立っていたとしても、フィールド魔法の影響下では距離が離れても何らおかしくはない。
 幸運だったのは、視界に入る位置にアリスがいたってことだ。
「リストオン」
 アリスは、自分のリストを開く。次いで、オレもリストを開いてみた。
「第一次選考は、ロワイヤル形式。つまりは、わたしたち以外の全てのプレイヤーが敵になる」
 勿論、どんな形であれ他のプレイヤーは敵でしかない。だが、たとえそうだとしても、一対一での対戦を行うラヴィリンス形式に比べて危険極まりないのは間違いないはずだ。
「すぐに扱えるカードは手札として持っておきなさい。それから、リストは常に開いておくこと。ほんの一秒足らずの差が生死を別けかねないから」
 リストを開いていれば、言葉(キーワード)を紡ぐだけで発動することが可能だ。しかしながら何らかの形でリストを閉じなければならなくなった時、手札に持つカードが命綱と成りうる。
「……ああ、了解だ」
 生死を別ける戦い、それがラヴィリンス選考会の事実だ。
 当然のことながら、オレはこんなところで死ぬつもりは毛頭ないし、アリスを見捨てるわけもない。互いに、必ず生き残ってみせる。そしてプロのラヴィリニストになるんだ。
「確か、プレイヤーの数は千二百二名だったよな? それで、二次選考に進むことができるのは、先着百名だろ? できるだけ早くラヴィリンスカードを集めた方がよさそうだな」
 苦労してラヴィリンスカードを五枚手に入れたとしても、選考委員に挑むことができなければ意味がない。第一次選考では、時間との戦いになりそうだ。
「トキ、それは間違い」
 だが、アリスは否定する。
「千二百二名のプレイヤーが、五枚のラヴィリンスカードを手に入れると仮定した場合、最高でも二百四十名しか選考委員への挑戦権を得られない。それに加えて、二百四十名全てのプレイヤーが選考委員との対戦に勝利するとも考えられない。相手はプロのラヴィリニストなのだから、三人に一人から五人に一人の割合で勝ち星を拾えるか否か。言い換えれば、それはつまり一次選考の合格者は百名にも満たないことになるわ。……だから、先着百名というのはブラフで、本当の狙いは、焦って我を失うプレイヤーを排除すること」
「……アリス、お前って凄い奴か?」
 ポートルッチの説明を聞き、アリスはあっという間に真実を見抜いてしまっていたようだ。
「貴方の頭が回らないだけ。これぐらいのことは思考を巡らせる手間も掛からないわ」
「饒舌なところもさすがだよ、ったく」
 言い返すことができなくとも、ある意味清々しい気分だ。
「トキ、構えて」
 素直に感嘆していると、アリスの口調が強まった。
 視線の先に映るのは、他のプレイヤーの姿だ。
 どうやら相手もオレたちの存在に気づいたらしい。遠目にリストを開くのを確認する。
「オレたちの近くにいた奴ってところか」
 会場内では、オレとアリスは壁際にいた。他のプレイヤーたちを観察できる位置を陣取るのが一番の目的だったからな。おかげさまで、《廃墟の島》の発動を受けた今現在、オレとアリスの他に、視界に映るプレイヤーは一人しかいない。
「《イカズチ》発動ッ」
 言葉を返すことなく、アリスは瞬時に場を見極める。
 相手がリストからカードを選択するのを視認し、それよりも先にカードを発動させた。
「がっ、……ッ」
 ほんの僅かな差で、アリスが発動した《イカズチ》が天より落とされる。
 相手プレイヤーがリストからカードを発動する間を与えず、遭遇してから五秒足らずでノックアウトしてしまったようだ。瞬殺とは、正にこのことか。
「す、すげえ……、一瞬じゃねえか」
「来なさい。ラヴィリンスカードを取りに行く」
 一枚目のラヴィリンスカードを手に入れることができたってのに、アリスは至って冷静だ。
 この世界で生きてきただけのことはあるのか、ロワイヤル形式への順応速度には目を見張るものがあった。オレも早いところ慣れる必要がありそうだ。そうでなければ、ただの足手まといにしかならないからな。
「これで、先ずは一枚」
 アリスの攻撃を受けたプレイヤーは、《イカズチ》によって気を失っていた。命に別状はなさそうなので、一安心といったところか。首から下げたラヴィリンスカードを奪い取り、アリスは新たな標的を捜すためにリストのページを捲っていく。そして、次に発動するカードを見つけたのか、そっと唇を震わせる。
「《砂漠の天使レイール》召喚」
 その言葉に、オレは驚いた。
「なっ、……魔法カードだけじゃなくて、ユニットカードも召喚できるのか!?」
 周囲に誰もいない状態を確認したアリスは、あろうことか今度はユニットカードの召喚を試みやがった。
 TCG《トキの迷宮》には、三種類のカードが存在し、それらはユニットカード、魔法カード、罠カードに別けられている。これまでにアリスが発動してきたカードは、どれもこれも魔法カードばかりだった。ロワイヤル形式では現実への干渉が当たり前なので、魔法カードの発動を理解するのは容易だ。それに伴い、罠カードであれば発動することも可能であると推測するのは、自然な流れであると言えるだろう。
 しかしだ、アリスは今、ユニットカード《砂漠の天使レイール》の召喚を宣言している。それはつまり、ラヴィリンス形式だけでなく、ロワイヤル形式においても、ユニットカードを扱うことが可能だということだ。
「当然。全てのカードを扱えるのが、この世界の醍醐味。実際に、ユニットカードを従えて、敵を倒していくのが道理よ」
 返事をしながら、目の前に現れる輪っか上の電子映像に視線を向ける。
「あれは、ユニットカードが召喚される際に現れるゲートなの。召喚を宣言したユニットカードは、ゲートから姿を現して、召喚したプレイヤーの命令に従うわ」
 輪っか上のゲートが下から上に動き始め、何も存在していなかったはずの空間に、砂埃を身に纏った天使が姿を見せた。それは、紛れもなく《砂漠の天使レイール》だった。
 アリスの目の前に浮かぶ天使は、カードに描かれていたものと一致している。ユニットカードの召喚を宣言すれば、実物が目の前に姿を見せるってことなのか。
「まだ、教えていなかったけれど、《トキの迷宮》のカードを扱う時に宣言する言葉(キーワード)は、三つ」
 そう言って、アリスはすらすらと説明をしていく。
 一つは、発動。これは魔法カードの名を紡ぎ、それを発動するためのものだ。これまでに何度も経験というか体験してきているので、発動に関してはすぐに理解した。
 二つ目は、セット。こちらは罠カードを発動する際に必要な言葉(キーワード)で、魔法カードとは異なり、手札やリストから瞬時に発動することが不可能ではあるが、一度(ひとたび)セットしてしまえば、相手プレイヤーに知られることなく、いつでも発動することが可能となる。罠カードの名に相応しい、時限爆弾のようなものだと考えればいいだろう。ただ、その際も、魔法カードと同じように、言葉(キーワード)として発動を宣言する必要がある。
 そして最後に、召喚。これはユニットカードを召喚するために必要な言葉(キーワード)だ。ラヴィリンス形式ではコストが必要なカードでさえ、ロワイヤル形式では無条件で使用することが可能であり、その恩恵を最も受けるのが、ユニットカードであることは間違いない。
 ユニットカードの中には、非常に強力な効果や攻撃力を誇るものが腐るほど存在する。しかしながら召喚するためのコストが高かったり条件が厳しかったりするので、カードとしての価値はそれほど高くはない。
 だが、此処では別だ。魔法カードの《飛翔》が高価なカードとして扱われている現状において、それらのカードはロワイヤル形式に限定して、強力かつ無敵の武器へと変貌を遂げる。
 わざわざコストを支払って召喚する必要が無い分、恐らくは此処での価値は《飛翔》と同じように変化しているに違いない。
「わたしが召喚したのは《砂漠の天使レイール》、見ての通り宙を舞うことが可能よ」
 天使の名に相応しく、アリスが召喚した《砂漠の天使レイール》は背に翼を持っていた。
「砂埃が目の毒だな」
「うるさい」
 砂漠の天使の周囲には、小さな砂埃が巻き起こっている。あまり近づきすぎない方がよさそうだ。目や口の中に砂が入って、あわや大惨事になりかねない。
「レイール、他のプレイヤーを見つけたら、ラヴィリンスカードを奪い取ってきなさい」
 早速、命令を口にする。すると《砂漠の天使レイール》は、アリスの言葉を理解したのか、廃墟の彼方へと空を舞っていく。
「……なあ、そんな命令で大丈夫なのか? ユニットカードがラヴィリンスカードを持ってこれるとは到底思えないんだが……」
「心配はいらないわ」
 砂埃を巻き起こしながら遠くへと向かう天使の姿を最後まで確認することなく、アリスは次に使用するカードをリストから探しながら返答する。
「わたしが扱う天使族のカードは、他の種族のユニットカードに比べて、知能が高くて優秀よ」
「……ユニットカードにも頭の良し悪しがあるのかよ」
 勉強が苦手なオレからしてみれば、高い知能を兼ね備えた天使たちが羨ましくなる。
「別に期待はしていないわ。他のプレイヤーたちも、わたしと同じようにユニットカードや魔法カード、そして罠カードを用いて応戦するはずだから」
 ラヴィリンスカードを手に入れて持ち帰ってくれば運が良い。その程度のものらしい。
「《鏡使いの天使ミラージェルス》を召喚」
 先に続いて、新たなユニットカードの名を宣言した。
 ゲートから姿を現した二体目の天使は、巨大な鏡を両手に抱えている。
「《鏡使いの天使ミラージェルス》の効果を発動。――天界の鏡よ、辺りを惑わせ――」
 召喚に伴い、アリスは更に言葉(キーワード)を紡いでいく。
 リストを覗いてみれば、《鏡使いの天使ミラージェルス》と表示されたカードが、青い点滅を繰り返していた。他のカードには同じような現象はなく、《鏡使いの天使ミラージェルス》だけが、何らかの反応を示している。
「気になるの?」
「当然だ。オレが知らないことは全て教えてくれ」
 オレの視線に気づき、アリスが問いかけてくる。もったいぶらずに早いところ説明してもらいたいものだ。だらだらしている間に、敵に攻撃されたら一たまりもないからな。
「リストに表示されている召喚中のユニットが、青い点滅によって反応している時、それはユニットが持つ効果を発動できるサインなの。今回の場合、《鏡使いの天使ミラージェルス》は召喚すると同時に効果を発動可能なユニットだから、わたしはそれを実行に移したまで」
 言い終わり、アリスは《鏡使いの天使ミラージェルス》の効果が及ぼす影響に満足する。
《鏡使いの天使ミラージェルス》が手にしていた巨大な鏡が光を放ち、辺り一面を照らし出していた。だが、それは単なる視覚効果でしかない。
「《鏡使いの天使ミラージェルス》の鏡は、対象となるプレイヤー一人を中心に、半径五メートル以内の空間を、光の屈折によって透明にすることが可能なの」
 ということはつまり、《鏡使いの天使ミラージェルス》の効果によって、アリスを中心にした半径五メートル内にいるだけで、敵の目を欺くことが可能だというわけだ。
 ロワイヤル形式において、非常に便利な効果であると言えるだろう。
「トキ、貴方もユニットカードを召喚しておきなさい」
 確かに、アリスの言うとおりにしておいた方が利口だ。
 一見、敵など見当たりそうにない《廃墟の島》ではあるが、此処は第一次選考の会場だ。
 いつ何時、他のプレイヤーやユニットが襲い掛かってくるともしれない状況であると言えるだろう。そう考えると、手数は多い方がいい。
「そうだな、それじゃあ……こいつらにするか」
 リストを捲り、有望そうなユニットカードを選定していく。
 幾つかをリストアップし、リストの一ページ目に移動する。
「《ネジマキシ》を召喚」
 先ずは、一枚。オレが召喚したのは《ネジマキシ》という名のユニットカードだ。
 小さな騎士の姿形を成し、その背中にはネジがくっ付いている。
「随分と可愛らしいユニットだけれど、役に立つの?」
「残念ながらオレのデッキには入らねえんだけどよ、こいつは凡庸性の高いユニットだ。恐らくはロワイヤル形式でも活躍してくれるはずだぜ」
 ユニットカードには、魔法カードや罠カードのように特殊な効果を持つ者が数え切れないほど存在する。その中でも、こいつはオレのお気に入りだ。デッキには投入できないとはいえ、専門店のストレージ漁りで発掘しては無限回収していたからな。単純に、絵柄も好みだ。
「あと、もう一体は……こいつにするか。《操り人形》を召喚だ」
 最初に呼び出した《ネジマキシ》に続けて、今度は《操り人形》を召喚する。
《操り人形》は、デッキに三枚投入済みのカードだが、地球では別段レアなカードってわけではなかったから、余りは山ほどある。今此処で召喚しても構わないだろう。
「……気味が悪いユニットね」
「オレの趣味だ、気にするな」
 露骨に嫌そうな顔をしてみせるアリスをよそに、オレは《ネジマキシ》と《操り人形》を交互に確認し、満足気な表情を浮かべてみせた。
 オレが好きなユニットカードが、目の前に具現化しているんだ。感動せずにはいられない。
《ネジマキシ》と比べて、《操り人形》には所々にグロテスクな部分が見受けられる。目玉が飛び出し、腕が折れた人形に糸を付け、後ろから操る不気味な黒ずくめの人物が《操り人形》の本体だ。こいつにも特殊な効果が備わっているから、きっと役立つはずだ。
「すげえな、やっぱこの世界は最高だ……」
「浸っている余裕はないわ」
 顎で促され、遠くを視認する。
 今現在、オレとアリスがいる場所は、《廃墟の島》の最も先端に位置するところだ。死に絶えた珊瑚によって作られた浜辺が、第一次選考のスタート地点だ。方角は未だに不明だが、一か所を壁とすることができるため、敵が近づいて来ればすぐに発見することができる。そのおかげで、一人目の敵が現れた際に、瞬時に対応することができた。
 だが、逆に狙われやすいのも事実だ。
「誰か知らねえが、ユニットで攻めてきやがったな……」
 ほんの少し歩いたところには、鬱蒼(うっそう)と生い茂る森林が立ちはだかり、更にその先に見え隠れするのは、人の気配を感じさせない廃墟の数々だ。中心部では、既に他のプレイヤー同士がラヴィリンスカードを奪い合っているに違いない。そして、中心部から外に出てきた奴らの中で、オレとアリスの姿を見つけた奴がいるらしい。森の奥からオレたちの姿を捉え、標的としたプレイヤーが、中型のユニット一体を嗾(けしか)けてきたってわけだ。
「《鏡使いの天使ミラージェルス》の効果を発動するのが遅かったみたい」
 ふう、と小さく溜息を吐き、リストを捲る。
「《透き通る防御壁》発動」
 守りを固めるべく、アリスが魔法カードを発動させる。
 アリスが発動したのは《透き通る防御壁》と言って、透明な壁を生み出す魔法カードだ。
「一度しか攻撃を防げないから、所詮は気休めでしかないわ。……気を抜かないで、トキ」
「むしろ気を抜く瞬間があれば教えてほしいぐらいだ」
 ニヤリと笑みを浮かべ、アリスに言葉を返す。
 一度の攻撃によって破壊されるのが難点ではあるが、それ自体は透明な壁であるため、相手には視認することができないのが利点となる。更に言えば、《鏡使いの天使ミラージェルス》の効果によって透明人間になったオレとアリスには、正に打って付けの防御策となるだろう。
「……あれ、一人で倒してみせて」
 実践は初めてでしょう、と付け加え、迫り来る敵を瞳に映し込む。
「アリス、お前があれの相手をしたくないだけだろ?」
「否定はしないわ。……だって、嫌だもの」
 今度ばかりは正直な奴め。
 もそりもそりと地を這って近づいてくるユニットは、見た目からして恐らくは巨大ミミズのようなものだろう。進行速度は遅いが、その大きさは中型ユニットに相応しく、全長三メートルを優に超えていた。
「……しかし、あれを召喚したプレイヤーってのはバカなのか」
 実際に触れたりするのは断固拒否の姿勢を貫きたいところだが、しかしながら敵を倒すために召喚するユニットとしては、どこからどう見ても選定ミスだ。
「《ネジマキシ》、奴を殺(や)れ」
 透明な壁の外に陣取る《ネジマキシ》に、指示を出す。
 風貌からして、それほど頭が悪そうには見えない《ネジマキシ》だが、それはそれ、オレがお気に入りのユニットなんだから用心するに越したことはない。単純明快な指令を与えるだけに止(とど)めてみた。対象となる相手がプレイヤーでなければ、命令の仕方はこれで十分だ。
 緩慢な動作を繰り返し、前方へと進行し続ける巨大ミミズの許へ走り出した《ネジマキシ》は、見る見るうちに距離を縮めていく。五メートルにも満たない状況になると、背に携えた長剣を勢いよく引き抜き、巨大ミミズの胴体を真っ二つに切り裂いてしまった。
「早いな。っていうか呆気ねえ」
 致命傷を負った巨大ミミズは、電子的な点滅を発し始めたかと思えば、数秒後には跡形もなく消え去ってしまった。《ネジマキシ》の攻撃を受け、敗北したってことだろう。
「背中のネジ、邪魔にはならなかったみたいね」
 遠目にだが、《ネジマキシ》と巨大ミミズの戦闘シーンを黙視していたアリスは、長剣を引き抜く際に背中のネジにぶつからないか否かを気にしていた様子だ。
 反論させてもらうが、たとえオレが扱うユニットだとしても、《ネジマキシ》はそこまで間抜けではない。オレと比べてみたら一目瞭然だ。自分で言ってて悲しくなるのが残念だがな。
「召喚したユニットは倒されるまでは具現化したままなんだな」
「ええ」
 長剣を左右に振り抜き、汚れを落としたのを確認し、《ネジマキシ》はその場から一歩も動かなくなってしまった。一々命令をこなす度にプレイヤーの許への帰還を許してしまえば、他のプレイヤーに位置情報を提供することになるので、これは非常に有り難い。《トキの迷宮》では、些細なことが命取りと成りうるからな。
「此処にいても、《ネジマキシ》に新しい命令をすることって可能か?」
「当然。あの場所に姿形を成した《ネジマキシ》がいるとしても、それは電子映像でしかないの。貴方のリストに表示された《ネジマキシ》のカードが本体なのだから、《ネジマキシ》が倒されていない限り、何度でも指示を出すことができるわ」
 なるほど、言われてみれば確かに、これまでにアリスが発動してきた魔法カードとは異なり、ロワイヤル形式で召喚したユニットカードは未だにリストへの表示を行ったままだ。
 倒されるか、それともオレが解除を命じるか。そうしなければ、いつまでもオレの命令を聞き続けるってわけだ。
「リストを閉じた場合はどうなる」
「消えない」
 それを聞いて安心した。リストを閉じた瞬間に、これまでに召喚してきたユニットカードが全て消え去ってしまっては勿体ないからな。
「で、どうするんだ?」
 巨大ミミズは倒したが、プレイヤー自身は森の奥に健在だ。本体を叩かないことには、いつまで経っても埒(らち)が明かない。待ちの一手は苦手なんだ。
「勿論、倒すわ。《透き通る防御壁》の効果は、わたしを中心にして半径五メートルを維持してくれるから、此処から動いても問題ない」
 それは同時に、オレが《透き通る防御壁》の恩恵に預かるには、常にアリスのそばにいなければならないってことだ。対象となるのはアリスの半径五メートル内であり、その空間から一歩でも外に出てしまえば、オレは《透き通る防御壁》の中に入ることができなくなる。そう考えてみると、中々に都合の良い魔法カードは存在しないものだ。
 一度(ひとたび)、戦闘が始まってしまえば、半径五メートル内を維持することは難しい。二人が固まって行動していれば、他のプレイヤーからしてみれば格好の的だ。むしろ、オレはアリスのそばを離れていた方がいいだろう。すぐに手を貸せる位置にいれば、不測の事態に陥っても対処がしやすいからな。
「アリス、オレは外に出る。……敵の攻撃はオレが受けるから、後ろからサポートしてくれ」
 言うや否や、オレは《透き通る防御壁》の範囲から外れた。
 今現在、オレとアリスが召喚中のユニットは、《ネジマキシ》、《操り人形》、そして《鏡使いの天使ミラージェルス》の三体だ。先のことを想定するならば、数をもっと増やした方が優位に立つことができるだろう。
「《怒り狂いの人狼》召喚」
 オレは、三体目となるユニットを召喚し、その姿を見上げた。
 全長三メートルほどの人狼は、全身が毛むくじゃらの風貌をしている。口の端からは涎を垂らし、今にも襲い掛からんとする獰猛な目つきと、唸り声を上げている。召喚しておいて言うべきことではないだろうが、こいつはオレの命令をちゃんと聞くのかな。
「……それ、わたしに飛び掛からないでしょうね?」
 返答に困るのは、こいつの名前が《怒り狂いの人狼》だからか。
 目で訴え、そしてオレはその訴えから視線を逸らす。
「あと二、三体は召喚しておくか……。《暗闇に生まれし影》召喚ッ、……ん?」
 四体目のユニットの召喚を宣言するが、リストには何の反応もない。
 ゲートが出現することもなく、オレはただその場に立ち尽くしている。
「無理。ロワイヤル形式では、一度に扱えるユニットカードの数は三枚までと決まっているの」
 困惑するオレに助け舟を出したのは、言わずもがなアリスだ。
 オレが召喚したユニットをそれぞれ指さして、数を再確認させる。
「三体までか、なるほどな……」
 それもある意味当然と言えるだろう。
 一度に何体でも召喚することが可能であれば、数が多い方が断然有利だ。手持ちのユニットが少ないプレイヤーは、苦戦を強いられるはずだからな。しかし、三体以上のユニットを召喚することが出来なければ、それなりに善戦することも不可能ではない。無法地帯と思われていたロワイヤル形式の中でも、ルールは存在しているってことか。
「新たなユニットを召喚したい時は、召喚中のユニット一体を選択して、解除しなさい」
「あいよ」
 四体目のお披露目は御預けのようだが、それならそれでオレにはまだやるべきことがある。
「《操り人形》の効果を発動だ」
 現在、オレが召喚している三体のユニットは、リストの一ページ目に表示されている。その中で、《操り人形》だけが青い点滅を繰り返していた。効果の発動が可能である証だ。
「《糸の切れた人形》を特殊召喚する」
 言葉(キーワード)に呼応し、《操り人形》が糸を繰(く)る。すると黒ずくめの人物の胴体から、小さな人形が姿を現した。それは《操り人形》による支配から解き放たれ、糸が切れている。《操り人形》には、一ターンに一度、《糸の切れた人形》を特殊召喚する効果が備わっていた。ロワイヤル形式においてターン制度が存在しないため、時間の経過に伴い許可が下りることになるが、オレは試しに《糸の切れた人形》を特殊召喚してみた。
「これなら、四体目を召喚することも可能だろ」
《透き通る防御壁》に守られ、《鏡使いの天使ミラージェルス》の効果によって透明となったアリスに向けて、オレは声を掛けてみた。
「貴方にしては有効な手段ね」
 何処からともなく、アリスの声が聞こえてきた。姿を見ることは叶わないが、アリスは確かに此処にいる。オレのすぐそばに潜んでいるんだ。
「《気紛れな天使ルイエ》召喚」
 特殊召喚をしてみせたオレに負けずと、アリスが言葉(キーワード)を紡いでいく。
 ゲートが出現し、片方の手にコインを持った天使が姿を見せる。
「……《砂漠の天使レイール》は倒されていないみたい」
 オレと同じように、アリスも三体のユニットを召喚し終えた。
《砂漠の天使レイール》、《鏡使いの天使ミラージェルス》、《気紛れな天使ルイエ》の三体だ。
「お前って、天使族が好きなのか」
 ふと、思ったことを口にしてみた。すると、アリスは素直に返事をしてみせる。
「わたしも天使のようになりたい」
「……ほ、ほお、……そっか」
 真顔か否かは不明だが、至って真面目な口調で話しているということは、どうやら冗談ではないらしい。アリスの可愛らしい一面を見れたことに、オレは内心ほくそ笑む。
「……ッ、悪い?」
 が、オレの口元がにやけていることに気づいてしまったようだ。
 見えないところから怒気を含んだ声が投げかけられる。自分が天使になりたいだなんて、柄にもないことを言ってしまったとでも思っているんだろう。
「悪くないさ」
 そんなアリスに向けて、はっきりと返事をしてやる。
 相変わらず姿は見えないが、空気が和らいだような気がした。
「それなら、……許す」
 ひょっとして、今のアリスは照れているんだろうか。《透き通る防御壁》と《鏡使いの天使ミラージェルス》の効果の範囲から抜け出してしまったことが、今更ながらに悔やまれる。
 仕方がないが、アリスの照れた顔を見るのは次の機会にしよう。
「さて、ぼちぼち敵を狩りに行くか」
 制限時間は無制限だが、もし仮にオレとアリスが五つずつラヴィリンスカードを手に入れる前に他のプレイヤーたちが全滅、または選考委員との対戦を済ませてしまえば、その時は自動的に第一次選考での落選が決まる。不完全燃焼のまま終わってしまうのだけは避けておきたい。
「援護を頼む」
「任せなさい」
 声を交わし、けれども視線を合わせることなく、オレは森林地帯へ向けて走り始めた。
 アリスが召喚したユニットは上空を舞い、オレが召喚したユニットは地を駆けていく。透明人間になっているとはいえ、アリスの回りにユニットが待機していれば、そこにプレイヤーが潜んでいることを宣言しているようなものだ。これにより、オレの周囲を固めるユニットの総数は、実に六体にも上(のぼ)る。他のプレイヤーからしてみれば、異常な事態とも思えるだろう。
「――ッ、四人か」
 森の中へ足を踏み入れると、呆気なく他のプレイヤーを発見した。
 戦闘中のプレイヤーが一組、そして木の上から様子を窺っているプレイヤーが二名の、計四名のラヴィリニストを視界に捉える。
「《鏡使いの天使ミラージェルス》、攻撃」
 声が、何処からか聞こえた。上手く森の中に隠れているようだ。
「《糸の切れた人形》、木に登って奴を叩き落とせっ、《操り人形》はもう片方の奴を、そして《怒り狂いの人狼》は奴らに突っ込めっ」
 即座に、指令を出す。
 木の上の二名は、戦闘中の奴らの様子を窺っていたので、ユニットを召喚していない。だとすれば、比較的攻撃力の低い人形たちでも倒すことは不可能ではない。ましてや、足場の不安定な木の上だ。後手後手に回るのは目に見えている。
 問題は、絶賛戦闘中の一組だ。彼らは互いにユニットを召喚し、攻撃と守備を万遍なく行っている。その間に割って入るには、攻撃力と共に、場を支配し得るだけの存在感を示すユニットを嗾(けしか)ける以外にない。
 従って、オレは《怒り狂いの人狼》に命令を下し、奴らの意表を突くことにした。
「ちっ、新手かっ!?」
 初めに、《怒り狂いの人狼》の姿を視界に捉え、すぐさまオレの存在を確認する。
 片方のプレイヤーが、ユニット一体こちらへ向け防御の姿勢を取るが、既に遅い。《怒り狂いの人狼》はバネのある脚力で思いっきり地を踏み、宙へと舞う。そこに姿を見せた、新たなユニットは、アリスが召喚した《鏡使いの天使ミラージェルス》だ。
《怒り狂いの人狼》の両足を掴み、宙で回転して勢いをつけ、砲弾の如く投げ落とす。まさか互いのユニット同士が協力して攻撃を行うとは思ってもみなかった。それも、ただのユニットではなく、命令に従うか不安だった《怒り狂いの人狼》が協力したわけだから、驚いた。
 宙から襲い掛かってきた《怒り狂いの人狼》の強打を浴び、僅か一撃でノックアウトだ。それに伴い、オレはリストを開いたままのプレイヤーの許へ行き、首に掛けたラヴィリンスカードを手に入れる。
「貴様ッ、俺の獲物を奪いやが――がっ」
 戦闘を行っていた、もう片方のプレイヤーが、召喚中の全てのユニットをオレに向けて解き放とうとするが、寸でのところで切り返す。《気紛れな天使ルイエ》が、自らの効果を発動したようだ。
「残念だが、お前は一定時間動くことができない。ルイエの気紛れにやられたんだからな」
 棒立ちとなったユニット三体の間を抜け、指一つ動かせなくなったプレイヤーに向けて言い放つ。これはアリスが操る《気紛れな天使ルイエ》の効果で、一ターンに一度コイントスを行ない、表が出た場合、対象のプレイヤー一人のメインフェイズをスキップすることができる。
 今回、気紛れに表が出て、このプレイヤーは身動きが取れなくなったんだ。
「お前のラヴィリンスカードも頂くぜ」
「くそっ、待て、俺はまだお前と戦ってすらいないんだぞっ」
 声を聞くだけ時間の無駄だ。ロワイヤル形式では、如何に効率よく敵を倒していくのか、その手腕が問われる。オレとの戦いにおいて、既に負けた奴の言葉に耳を傾けている暇はない。
「あとは、二人か」
 すっくと立ち上がり、後ろを振り返る。
 木の上に姿を隠すのは、二人ではなく一人になっていた。先ほど、《怒り狂いの人狼》に空中から手を貸した《鏡使いの天使ミラージェルス》の姿が、地に降りていた。その横にいるのは《操り人形》と、木の上に隠れていたプレイヤーだ。さすがに、《操り人形》と《鏡使いの天使ミラージェルス》の二体から同時に攻撃を仕掛けられたら成す術もないか。
 更に、残る一人は《糸の切れた人形》を追いやることが出来ずにおたおたしていた。プロのラヴィリニストになりたくて選考会にエントリーしているんだから、もう少し歯ごたえのある奴らがいるかと思ったが、案外そうでもなかった。
 新たな獲物を欲した《怒り狂いの人狼》が勢いよく木に登っていき、《糸の切れた人形》もろ共、地面に叩き落としてくれやがる。ダメージが蓄積し、《糸の切れた人形》の姿が消滅したのは想定外だがな。
「《蔓の侵食》を発動ッ、」
 リストから魔法カードを選び出し、対象に向けて発動する。《怒り狂いの人狼》に成す術もないプレイヤーのそばに蔓が伸びていき、あっという間に縛り付けてしまった。もう片方のプレイヤーは既に気絶しているみたいだから、特に魔法カードを発動する必要はないだろう。
「ラヴィリンスカード、頂くぜ」
 身動きが取れないまま、オレを睨み付けている。はっきり言うが、むしろ感謝してほしいものだ。オレがその気になれば、《怒り狂いの人狼》に命令し、瀕死にまで追い込むことができるわけだからな。勿論、オレはそんなことをするつもりはない。TCGが支配する世界において、たとえこれが生死を懸けた戦いなんだとしても、オレにとっては《トキの迷宮》という名のTCGにしか過ぎない。カードで、人を殺めることなんてできないに決まってる。
「お疲れ、トキ」
「ん? ……おう、お前もな、アリス?」
 声が、何もない空間から耳元へ届けられる。オレのそばにアリスが隠れているんだろう。
「《鏡使いの天使ミラージェルス》がいたおかげで、スムーズに事を運ぶことができたぞ」
 もう一人、気絶している方のプレイヤーの許へ歩み寄り、ラヴィリンスカードを奪い取る。
 これによって、オレとアリスが他のプレイヤーから手に入れたラヴィリンスカードの総数は五枚になった。二人のラヴィリンスカードを数に加えれば、計七枚となる。そして、あと三枚のラヴィリンスカードを手に入れるだけで、二人揃って選考委員に挑むことが可能だ。
「これ、お前が持っておけ」
 三枚のラヴィリンスカードを手に、虚空へ向けて差し出した。
「……貴方は?」
「万が一のためだ。たとえオレがやられちまったとしても、これさえ持っておけばお前は二次選考に進めるかもしれないだろ」
 どうせなら、早い段階から選考委員に挑戦しても構わない。これまでに対峙してきた他のプレイヤーたちを見ていると、明らかに戦い慣れしていない奴らばかりだ。一対一のラヴィリンス形式ではないとはいえ、この世界に来てから半日も経たないオレに負けるってのは如何なものか。まあ、そのおかげでラヴィリンスカードをわんさか手に入れることができたんだがな。
「それが理由なら、わたしはまだ必要ないわ」
 だが、アリスはラヴィリンスカードの受け取りを拒否した。
「トキ、貴方とわたしは仲間と言ったはず。……だから、二人で揃って合格するの」
 明確な目的を持つのは、アリスだ。しかしながら一人で合格することを拒み、オレと共にプロのラヴィリニストになるつもりのようだ。そんな悠長に構えていて大丈夫なのかと思ったが、仮にアリスの身に危険が迫ったとしても、それならそれでオレが守ればいいだけだ。
「……ったく、既に頭が上がらなくなっていやがるな」
 オレには、プロのラヴィリニストになりたい理由がない。ラヴィリンスの王に挑戦し、願いを一つ叶えてもらうとしても、特に思い描くものはないからな。地球に帰りたいだなんて、誰が思うもんか。此処は、オレが大好きな《トキの迷宮》が軸となった世界だ。こんなに素晴らしいところから逃げ出したいだなんて、これっぽっちも考えられない。
「次の標的を捜すぞ、アリス」
 照れ隠しに、視線を逸らしてみる。しかし残念なことにアリスが何処にいるのか分からない今、逸らした先にアリスの顔がある可能性も否定できない。つまりオレには、隠れる場所はないってことだ。
「ええ、それなら中心部へ行きましょう」
「中心部に?」
 此処、《廃墟の島》では、外側から内部に掛けて三つの層に別れている。
 外側が島の端となり、珊瑚に包まれた砂浜が視界に広がっていた。その先が、今現在オレとアリスが彷徨う森林地帯だ。木々の隙間から薄っすらと陽が差し込む程度であるため、周囲に警戒をしつつ、行動する必要があるだろう。
 そして、三層の中心部に位置するのが、廃墟の群れだ。
「廃墟の群れの、何処で選考委員が待ち受けているのか、知っておいた方がいい」
「ふーん、なるほどね」
 そうは言うが、実のところは違うだろう。
 オレとアリスは、既に七枚のラヴィリンスカードを入手している。どちらか一方であれば、選考委員に挑戦することも可能だ。
 選考委員の姿を確認し、いつでも好きな時に対戦を申し込むことができる位置を確保しておきたいというのは、規定枚数のラヴィリンスカードを持つ全てのプレイヤーに当て嵌まる。それが心理的に焦りを生み出し、心を焦らしているんだろう。
 まだまだ、アリスも完璧ってわけではなさそうだ。
「よし、んじゃあ中心部に行ってみ――」
「トキッ!!」
 瞬刻、背中に衝撃が奔る。
 誰かが、オレの背中を手加減なく蹴り飛ばしたかのようだった。
「ぐっ、……はっ」
 地に伏し、咳き込んだ。
 なんだ、何が起こったんだ。
「――ッ、アリス!?」
 眩んだ瞳に何度か瞬きを繰り返し、衝撃を与えられた方を振り返る。
 見れば、先ほどまでオレが突っ立っていたところに、リストを開いたアリスの姿があった。
「お前、姿が見えてるぞっ」
「当り前。攻撃を喰らってしまったの」
 言われて、オレはアリスの視線の先に映る闇を目の当たりにする。
「な、なんだありゃ……」
 ただでさえ視界の悪い空間に、更なる闇を呼び寄せたかのように、そこだけが真っ暗な闇と化していた。何が潜んでいるのか、己の目で確かめることができない。それが恐怖となり、胸の奥に不確かな不安を生み出していく。
「トキ、ユニットを召喚しなさい」
「……げっ」
 ユニットの姿が見当たらない。ついさっきまで、そこにいたはずなのに、何処にもいない。
「まさか、やられたのか……!?」
 目の前の敵を倒すことに成功し、油断をしていたのは事実だが、まさかあの僅かな間に、オレとアリスが操る全てのユニットがやられるだなんて、誰が予想できたか。
「わたしたちは嵌められた」
 言うや否や、アリスはリストを捲り魔法カードを一枚選択する。
「《木の葉の舞》発動ッ」
 言葉(キーワード)を紡ぎ、木々がざわめき始める。
 幾つもの木の葉が解き放たれ、オレとアリスを中心にして渦を巻く。一つ一つが意思を持ち、列を成す。鋭い切れ味のカードへと変貌を遂げ、闇へ向けて一斉に解き放たれる。それは一分の狂いもなく、闇のど真ん中を貫いた。
「無駄な足掻きだ。既に罠カードを発動している」
「――ッ」
 同時に、闇の奥から声が響いた。アリスが《鏡使いの天使ミラージェルス》の効果によって透明人間になっていたように、そこには確かに闇の潜む不確かな存在がいた。
 闇を貫いたはずの木の葉は、どす黒い粒子となって四散する。闇を攻略する手段とはならなかったようだ。闇の中の人物が発動したというカードは、魔法カードではなく罠カードだ。一対一ではないロワイヤル形式ではどのような効果になるかは不明だが、恐らくは闇に干渉するものを無効化する力が備わっているとみて、間違いないだろう。
 現に、アリスが発動した《木の葉の舞》が、闇によって効力を失っている。
「ここら一帯は罠カード――《暗闇の幻惑》によって支配されている。つまりは貴様らが何を企もうとも、俺様の敵ではないということだ」
「……ちっ、《暗闇の幻惑》か……、通りで何もできないわけだ」
 奴の台詞に、舌打ちで返す。《暗闇の幻惑》の影響下にあるため、《木の葉の舞》が無効化されていたらしい。横を見やれば、アリスが下唇を噛み締めている。
「くそっ、《鉄壁の巨人兵》召喚ッ」
 三体のユニットを一瞬にして失ったとはいえ、目の前の敵に敗北したわけではない。
 オレは新たなユニットカードの名を紡ぎ出し、ゲートを作り上げる。
「罠カード――《フィールド規制》を発動しますわ」
 すると、またもや闇の中から声が聞こえた。今度は別の声だ。
「……あ、あれ? なんで召喚できねえんだっ!?」
 焦りが、次第に大きくなっていく。
 オレは今、リストから《鉄壁の巨人兵》を選択し、召喚したはずだ。言葉(キーワード)に反応し、ゲートが姿を現したはずなんだ。それなのに何故、ユニットがいないんだ。
 その答えは、今さっき紡がれた言葉(キーワード)に隠されている。
「《フィールド規制》の効果か、くそったれっ」
 いつの間にか、オレは罠カードの対象となっていたらしい。
 オレがユニットカードの召喚を試みた時、奴は《フィールド規制》を発動していた。
《フィールド規制》の効果は、全てのプレイヤーが召喚するユニットの総数が三体以上になると、新たに召喚することが不可能となるものだ。オレがユニットカードを召喚できないということは、此処には既に奴らのユニットカードが三体召喚されていることになる。
「《天使の輝き》を発動」
 そこに、アリスの助けが形となって届けられる《天使の輝き》によって、闇に支配されていた空間に天よりの輝きが放たれた。
「見つけた」
 罠カード《暗闇の幻惑》の効果によって闇の力を得ていた人物は、《天使の輝き》の前に姿を曝し出した。そこにいたのは、真っ黒なローブに身を包み込んだ、男女二名のプレイヤーだ。
 どうやら、奴らもチームプレイをしているらしい。此処に来て初めて、強敵と言える存在に出会ってしまったようだ。
「男の方が《暗闇の幻惑》を発動し、女の方が《フィールド規制》を使いやがったな」
 暗闇の中に潜んでいたのは、プレイヤーだけではない。奴らが召喚したユニットの姿も確認できる。グロテスクな姿形をしたユニットが一体、美しい人魚が一体、計三体だ。
「貴様らにとって、戦況は圧倒的に不利だ。しかしながら悪く思うなよ?」
 これも運命だと思え、と言い捨て、男のプレイヤーがユニットに指示を出す。
 命を受け、《天使の輝き》を浴びたユニットが攻撃を仕掛けてきた。闇の力を失い、動きが鈍くなっているのか、はたまた初めから動きが遅いユニットなのかは不明だが、ユニットの動きを、正確に目で追うことができる。だがしかし、オレは目の前の敵ではなく、上空を見上げていた。そう、そこにはまだ影が差している。大きな翼を背に携え、自由に空を舞う影が。
「《砂漠の天使レイール》、奴らに攻撃――ッ」
「何ッ!?」
 突如、上空から襲い掛かる天使の影に、男の動きが少しばかし鈍った。
 それを見逃すことなく、《砂漠の天使レイール》は胸元に手を伸ばしたかと思えば、あっという間にラヴィリンスカードを奪い取ってしまった。
「気付け、バカ野郎共ッ、《フィールド規制》の効果が発動してるってのに、何故お前らは二体のユニットしか召喚できていないっ」
 それは、アリスが召喚したユニットが、まだ倒されていなかったからだ。
 二体しか召喚できないことに、奴らも一抹の不安を感じ取ってはいたはずだ。しかしオレとアリスが戦うところを見ていたとすれば、それは同時に召喚権を限界まで使用しているのではないかと錯覚していてもおかしくはない。何故ならば、オレは《操り人形》の効果によって、《糸の切れた人形》を特殊召喚していた。二人が操るユニットは、計六体。図らずとも、奴らをミスリードすることに成功したってわけだ。
「口を動かす暇があるのなら、魔法を唱えなさい」
 オレのそばに近づき、アリスはリストから《薄っぺらな雲》を発動させる。
 光の差し込んだ空間に、紙切れの様な雲が無数に出現し始めた。
「煙幕のようなものだから、時間稼ぎにしかならないわ」
「それで十分だ」
 ニヤリと笑みを零し、オレはリストを捲っていく。やがて、お目当てのカードを見つけた。
 言い終わると、アリスは人魚型のユニットの方に視線を向け、更に魔法カードを発動する。
 女のプレイヤーは、アリスと一対一で戦うことを決めたらしい。《砂漠の天使レイール》の襲撃に魔法カードで応戦しつつ、自らが召喚したユニットに命令をしていた。っていうか人魚型のユニットが丘の上で動くことができるんだろうか。二人の戦いを見学してみたいものだが、残念ながらオレには別の使命がある。
「お前が、オレの相手か」
《薄っぺらな雲》に惑わされるユニットの後ろに、男のプレイヤーが控えている。
 オレの相手は、こいつだ。
「……貴様、名は?」
 偉そうな言い方で、質問を口にする。
「お前が先に名乗ったら、教えてやるよ」
 嘘だ。相手の名前を聞いても、こんな奴に名前を教えてたまるもんか。
「ふん、それなら死ね」
 憮然とした表情で言い捨て、男はリストに目を通していく。新たに何かを仕掛けてくるつもりかもしれないが、そうはさせない。今度はこっちが先手に回らせてもらうぞ。
 幸いなことに《薄っぺらな雲》によって発生した目晦ましのおかげで、敵のユニットがオレの姿を再認識するまでに時間が掛かったようだ。今更、オレの姿を発見し、改めて攻撃を仕掛けてくる。
「《速度上昇》発動ッ、そして――」
 だが、遅い。圧倒的に遅すぎるぜ。
 魔法カード《速度上昇》により、オレの動きが格段に上昇する。グロテスクなユニットの攻撃を難なく避け去り、攻撃モーションを視認した。
 アリスが発動した《天使の輝き》と、オレが自分自身を対象に使用した《速度上昇》の効果によって、相手の動きがスローモーションのように見えなくもない。攻撃パターンが二種類しかないのか、同じモーションをひたすらに繰り返しながら襲い掛かってくる。
「――《闇を従えし衣》を発動する」
 闇には闇を、それがオレの考えだ。
《闇を従えし衣》は、対象となるプレイヤー一人に、闇に対する耐性を付加するものだ。アリスの機転により奴らが身に纏う闇は姿を消し去ってはいるが、今度はオレが闇を従える番だ。
「ふっ、――ッ」
 攻撃の手が、あまりにも遅すぎる。勿論、仮に攻撃を受けたとしても、ダメージを受けることはないだろう。それが今のオレだからな。
 闇の衣を羽織ると、途端にオレの体が真っ暗な闇へと変化する。これが《闇を従えし衣》の真骨頂だ。《速度上昇》によってユニットにも勝る足を手に入れ、そして《闇を従えし衣》の効果で、攻撃の手に錯覚を覚えさせることが可能となる。闇と一体化しているようなものだ。
 ユニットを召喚することができないのであれば、オレ自身が強くなればいい。
「《妖刀ヌキサシ》発動ッ、――これで終いだっ」
 人間が、ユニットを倒すには、まだ一つ足りない。それは攻撃手段だ。
 オレが使用する三つ目の魔法カードは、通常は対象のユニット一体に装備させるものだが、ロワイヤル形式では対象をプレイヤー自身にすることが可能となっているらしい。
 オレは《妖刀ヌキサシ》を発動し、妖怪の力を含んだ刀をゲートから引っ張り出す。それと同じくして、縦に一閃振り抜いた。
「ッ、貴様……」
 僅か一撃、《妖刀ヌキサシ》を手にしたことによって、オレはユニットにも勝る力を得た。
「ほら、どうした。ご自慢のユニットが消えちまったぞ?」
 男が召喚したユニットを真っ二つに切り裂き、四散に成功する。
 これで、ユニットの枠が一つ空いた。
「改めて、《鉄壁の巨人兵》を召喚だっ」
 今度こそ、制限されずに召喚することが可能だ。オレは《鉄壁の巨人兵》の名を紡ぎ、ゲートより呼び出した。姿形はその名に相応しく、全長十メートルはあろうかという大きさだ。
 だが、この瞬間を黙ってみているほど、男は間抜けではなかったようだ。
「くくっ、バカめが! 貴様が新たなユニットを召喚するのを待っていたぞ! 俺様は罠カード《一時(ひととき)の略奪》を発動する!」
「なにっ!?」
 まだ、奴は罠カードを伏せていたのか。
「《一時(ひととき)の略奪》の効果により、貴様が支配する唯一のユニットカードのコントロールを奪い、俺様の手によって支配することが可能となるっ」
 ゲートから姿を現した《鉄壁の巨人兵》は、オレの声に耳を傾けることもなく、自らの足で男の許へと歩み寄っていく。《一時(ひととき)の略奪》は、相手プレイヤー一人のフィールド上にユニットカードが存在せず、その状態から新たなユニットカードを一体召喚した時に発動することが可能な罠カードだ。オレが召喚したユニット《鉄壁の巨人兵》のコントロールを奪い取るという、何とも恐ろしい効力を持っている。
「くっ、オレのユニットが……」
「貴様のではなく、俺様のユニットだ。くくくっ」
 すぐさま、男は《鉄壁の巨人兵》に指示を出す。単純明快な、オレを殺せ、という指示だ。
 どうやらこいつは、人を殺すということに何の躊躇いもない精神の持ち主のようだな。
「ふざけやがって、オレはこんなところで死ぬほど脇役じゃねえんだよっ」
 ロワイヤル形式は初心者とはいえ、仮にもオレは《トキの迷宮》の世界チャンピオンだ。
 こんなところで呆気なく死んでたまるものか。
「貴様が脇役か否かは、貴様が決めることではない――ッ」
 攻撃の手を緩めず、男はリストから魔法カードを発動する。《鉄壁の巨人兵》の全身が闇に包み込まれていく。どうやら奴は闇の力を付加したらしい。《天使の輝き》によって一度は闇を掻き消されたが、あれが奴の戦い方なんだろう。
「闇対闇か、上等だぜ」
 攻撃の手段を変えないのは、こちらとしては非常に有り難いね。何故ならば、《闇を従えし衣》を身に纏ったオレに、闇の力は通用しないからだ。それを奴に教えてやろうじゃないか。
 思いっきり地を駆けて、オレは《妖刀ヌキサシ》を手に《鉄壁の巨人兵》へと斬りかかる。
 しかし、鉄壁を名乗るだけのことはあり、防御が固い。《妖刀ヌキサシ》の刃が通らない。
「畜生が、なんでオレはこいつを召喚しちまったんだ……っ」
 動作は、それほど速くはない。《速度上昇》によってユニット以上の足を手に入れたオレからしてみれば、《鉄壁の巨人兵》の攻撃は当たらなければ脅威とは言えないと実感できるほどだ。しかしながらこちらの攻撃でも大したダメージを与えられないとなると、長期戦を覚悟しなければならないだろう。
 奴は新たな魔法カードを使用し、自らを守るかの如く泥に塗れた傀儡(くぐつ)を何体も召喚し始めている。《フィールド規制》の効果を受けていないところを察するに、魔法カードによる特殊召喚の類に違いない。
「ふむ、このままでは殺しのスパイスが足りないようだな? ならば、このカードはどうだ、《人殺しの弾丸》を発動ッ」
 奴は、守りを固めるだけでなく、更にもう一枚、魔法カードを発動する。
「ッ、ぐはっ」
 何処からともなく、弾丸が撃ち込まれてきた。まずは、右足に。体がよろけ、次いで《鉄壁の巨人兵》の渾身の一撃が横っ腹に炸裂し、大木に背中を打ちつけた。
「くくくっ、あと三発だ。死を恐怖するがいい」
 台詞に耳を傾ける間に、今度は左足を貫通する。
「――ッ、い……っ」
 声にならない悲鳴を上げ、オレは一歩も動けなくなってしまった。
《人殺しの弾丸》は、計四発の弾丸をフィールド上に存在する四体のユニットに向けてぶっ放す魔法カードだが、此処ではプレイヤーを対象にすることが可能のようだ。《妖刀ヌキサシ》をオレが装備しているように、奴もまた同じことをしてみせたんだ。
「はあっ、……くっ」
 血が、止まらない。それでも敵は待ってくれない。
 大股で距離を詰める《鉄壁の巨人兵》の姿を確認し、オレは霞みがかった視界にリストを映し込む。まだ、終わらない。こんなところで死んでたまるもんか。
「オレは……っ、《ダメージ転換》を……発動だっ」
 意志を持ち、言葉(キーワード)を紡ぐ。
 たったそれだけのことで、劣勢を立て直すことが可能となる。
 それこそが、この世界における《トキの迷宮》の、最高に面白いところであると言えるだろう。ロワイヤル形式では、それが如実になっている。
「貴様、何を――」
 最後まで言い切ることはできなかった。
 何故ならば、奴の両足には、血が滲み始めていたからな。
「うぐぁあああっ、なんだこれはっ、何故俺様が――」
「《ダメージ転換》の効果だ、間抜けめ」
 言って、オレは《鉄壁の巨人兵》の攻撃をあっさりと躱(かわ)してみせる。
《ダメージ転換》は、このターンの間に自分が受けた全てのダメージを、対象のプレイヤー一人に移し替えることが可能な魔法カードだ。つまりは、奴がオレを殺すために発動した《人殺しの弾丸》の効果は、オレの体へのダメージを通過して、奴自身に戻っていくってわけだ。
 勿論、オレが受けたダメージは《人殺しの弾丸》だけではない。《鉄壁の巨人兵》の一撃をモロに喰らっちまったからな。全身に激痛が走り、思うように体が動かなかった。しかしそれも全て、奴に転換されている。
「そ、そん……なっ、……き、貴様ぁあああっ」
「おいおい、喋る余裕なんてないだろ? ダメージはまだ終わらないんだぜ」
 ほんの僅かな覚悟を胸に、オレは両手に力を込める。
 それに反応するかのように、三発目の弾丸が左手に撃ち込まれた。
「ぐっ、……どうだ、痛いか? これがお前の使った人殺しのカードだ」
 たとえ全てのダメージを転換することができると言っても、それはあくまでオレの体を経由すればの話だ。仮に、オレが奴の攻撃によって一撃で死した場合、ダメージを転換する間もなく、十四年間という短い人生に幕を下ろす羽目になるだろう。
 だからこそ、オレは奴の攻撃に耐えた上で、ダメージを移し替えなければならない。
 嬲(なぶ)り殺すのがお好みなのか、一瞬で蹴りを着けるカードを使用しなかったのが奴の敗因だ。
「これが最後だ。……ッ」
 左手に、見えないところから恐怖が形となって現れる。弾丸による攻撃を受け、オレは苦痛に顔を歪めた。しかしそれもすぐに治まってしまい、見れば全てのダメージを移し替えられた敵が、地に悶えていた。
「ここまでか、次はオレのターンだな」
 時間が経過していく。ラヴィリンス形式に換算すると、《人殺しの弾丸》の効果が終わりを迎えた時に、奴のターンは終了しているとみて間違いない。
 ターンが入れ替わり、《ダメージ転換》は効力を失う。リストから消滅したのが証拠だ。
「俺様……が、これで終わると……思うなっ、《行き過ぎた拘束》はつ……どうっ」
「なにっ」
 土に塗れ、四肢を思うように動かせない状態で、奴はリストから新たなカードを発動してみせる。それは《行き過ぎた拘束》のカードだ。
 瞬間、《人殺しの弾丸》と同じように、見えないところから鉄の鎖が姿を現し、オレの体を拘束していく。
「……くそっ、動けねえっ」
 この状況は、非常にまずい。
 奴は重傷とはいえ、未だに《鉄壁の巨人兵》のコントロールを得ている。このままでは、オレは無抵抗に攻撃を受け続けなければならない。《闇を従えし衣》で闇への耐性は付加されているが、物理攻撃には対処できない。早く、対抗手段を考えるんだ。しかし、
「――ッ!?」
 奴の全身が、光に包み込まれていく。闇を引き剥がし、光を受け入れている。
 かと思えば、あれほどまでに苦痛に顔を歪めていたはずなのに、まるで何ともなかったかのように、すっくと立ち上がってしまう。
「《ホーリーストーン》か、さすがに値が張るだけのことはある。……くくっ」
 追撃を受けることのない奴は、回復手段を取ることが容易だ。重傷であれ、奴は緊張することなく、リストからお目当てのカードを発動させたってわけだ。
 奴が発動した魔法カード――《ホーリーストーン》は、対象のプレイヤー一人のライフポイントを20点回復することが可能だ。《ホーリーストーン》の効力を自らに与えることで、奴は傷ついた体を癒してしまった。
「貴様如きに《ホーリーストーン》を使うことになるとはな。この代償は高くつくぞ?」
 唾を吐き、殺気をぶつけてくる。
 だが、奴の言葉に耳を傾けるよりも先に、目の前の敵をどうにかする必要がある。
「――《暗闇からの解放》発動ッ」
 両腕を上げ、捻りを加えて振り下ろす《鉄壁の巨人兵》を目前に、オレは《暗闇からの解放》を発動させた。これにより、オレの体を縛り付けていた鉄の鎖が消滅し、手足が自由となる。それと同時に、《闇を従えし衣》が効力を失った。しかしまだ、オレには《速度上昇》の効果が継続されている。《鉄壁の巨人兵》の攻撃を避けるのは容易いことだ。
「貴様、まだ……俺様に歯向かうつもりか」
「お互い様だろ、間抜け」
 オレが発動した《暗闇からの解放》は、今現在オレが装備中の闇と名の付いた魔法カードを破壊する代わりに、対象となる魔法カードの効果を打ち消すことが可能だ。オレは《暗闇からの解放》によって《闇を従えし衣》を破壊し、《行き過ぎた拘束》を打ち消したってことだ。
「……あと、そいつもそろそろオレの許に帰りたがっているみたいだぜ?」
 目を向けて、《鉄壁の巨人兵》の姿を確認してみる。《一時(ひととき)の略奪》の効果が切れたのか、全身をぐらぐらと揺らめかせ、ゆっくりとオレのそばへ歩み寄ってきた。
「ちぃ、役に立たない糞がっ」
 歯を噛み締め、奴は苛立ちを露わにする。
《一時(ひととき)の略奪》は確かに、恐ろしい魔法カードだ。しかしコントロールを奪う効果がいつまでも続くわけではない。終わりは、必ず訪れる。オレと奴の戦いに決着が存在するようにな。
「さあ、形勢逆転だ」
「……ふ、バカめ。本当にそう思っているのか?」
 意地悪い笑みを作り上げ、意思のある言葉(キーワード)を叫んだ。
「《仕組まれた爆弾》を発動ッ、対象は貴様のユニットだっ」
 このまま一気にケリを着けたいところだが、奴はリストから新たな魔法カードを選択し、発動する。それは《仕組まれた爆弾》という名のカードだ。
「この魔法カードは、今までの物とは一味も二味も違うっ、味わう暇もなく死に至るがいいっ」
「――くっ、これは……ッ」
 オレは、奴が発動した魔法カードの効力を知っている。《トキの迷宮》の世界チャンピオンになるには、全てのカードのテキストを暗記する程度のことは当たり前にやってのけていたからな。現に、第一回大会において、オレとの対戦を行なってきた奴らは、どいつもこいつも《トキの迷宮》のスペシャリストと呼ぶに相応しい腕と知識を兼ね備えていた。世界大会で勝ち上がるためには、それ相応の労力が必要ってことだ。勿論、オレにとっては《トキの迷宮》で遊ぶ時間を満喫していただけなんだがな。
 そして、だからこそオレは全てのカードの存在を熟知し、奴が使用した《仕組まれた爆弾》の効果に対し、背筋が凍りそうになった。
 《仕組まれた爆弾》は、対象のユニット一体に装備する魔法カードであり、装備したターンの終了時に、爆弾を解き放つものだ。それによって、《仕組まれた爆弾》を装備されたユニットは破壊されてしまい、更には破壊されたユニットを操るプレイヤーに対し、そのユニットの攻撃力分のダメージを与えることができる。
 ロワイヤル形式では、ターン制度が存在しない。それ故、時間との戦いとなる。そんな中で《仕組まれた爆弾》を装備されてしまえば、そう簡単には対処方法を思いつくことができない。
「ちぃっ、くそったれが……」
 手早くリストを捲り、《仕組まれた爆弾》に対応可能なカードを選び始める。奴が発動したカードの効果は一瞬にして思い出すことに成功したが、こういう時に限って思考が回らない。
「――これだ、《武装解除》発動ッ!!」
 全ての装備カードを捨て札に置くカードを、リストから発動する。
 だが、ほんの僅かなタイミングで後れを取り、《鉄壁の巨人兵》に装備された《仕組まれた爆弾》が怪しげな閃光を放つ。
「死ね、そして後悔するがいい。冥土でな」
 奴の声が聞こえた時、既に《鉄壁の巨人兵》の巨体は粉砕していた。
 どれほど攻撃力が高かろうと、魔法カードへの耐性が備わっていないのであれば、《トキの迷宮》では呆気なく倒されてしまうのが道理だ。それがオレの操るユニットに適用されただけのことだが、此処では唯一の失敗が命取りとなる。
 つまりは、《仕組まれた爆弾》の追撃が始まったってことだ。
「ま、まずいっ、……ぐっ、があああっ」
 逃げる場所は、何処にもない。《仕組まれた爆弾》が解き放たれた今、オレは奴の狙いから対象を変更する術を持っていない。《鉄壁の巨人兵》が四散した次の瞬間には、全身に激痛が奔る。それは《人殺しの弾丸》に勝るとも劣らない痛みだ。
《鉄壁の巨人兵》の攻撃力は30だ。ラヴィリンス形式のようにオレのライフポイントが数値化されているとすれば、一気に30点ものダメージを受けたことになる。《ダメージ転換》を使用したことによって、先のダメージは一切無くなっていたが、たとえそうだとしても、肉体的に傷つけられ、そして精神的に苦痛を感じてしまう。
 これが、ロワイヤル形式の本当の顔だ。死を受け入れなければ、敵を倒すことは困難だろう。
「……ほう、しぶとい奴め、まだ生きていたか」
 その場に倒れ込み、オレは右の頬に冷たい土の感触を覚えた。此処は空想の世界ではなく、確かに現実の世界だ。それならば、オレは死ぬわけにはいかない。絶対に生きてみせる。
「あ、たりまえ……だっ、こんなところ、で……、負けて……たまるかっ」
 全身の力を足に集め、激痛に耐えながらも立ち上がる。
 通常、プレイヤー一人に与えられるライフポイントは100点だ。しかしそれは一対一で行われるラヴィリンス形式に限定される。
 ロワイヤル形式では、それぞれのプレイヤーが持ちうる精神力の面が大きな役割を担い、ライフポイントの総量に変化を齎していた。数値化すると、誰ものライフポイントが100点であることは間違いないが、しかしそれは全てのプレイヤーが100点のダメージを受けなければ死に至らないだけであって、実際には10点のダメージを受けるだけで肉体的にも精神的にも限界を訴える者も多々存在するだろう。
 オレが《仕組まれた爆弾》によって30点のダメージを受けてしまい、残りのライフポイントが70点も残っていたとしても、実際にはすぐそばに死が這い寄っていることになる。
 しかし、だからこそオレは、肉体的には限界を訴えているとしても、精神的には絶対に降参なんてしてたまるもんかと言ってやりたい。
「オレを、殺したいんなら……、最後まで、全力で……かかって、こいよ……っ」
 息が荒い。呼吸をするのも困難だ。
 それでも、オレの瞳には諦めを見ることはできない。それは奴にとって不快でしかないだろう。だが、それがオレの狙いだ。
「……意地汚く生きる鼠は、綺麗さっぱり排除してやろう。――《死神の襲来》を発動ッ」
 奴は、オレとの戦いにおける最後のカードをリストから選択する。
 恐らくは、これでオレが死に至るはずと考えているだろう。そしてそれは間違いではない。
 ここで、オレが何も抵抗しなければ、すぐに死を体験することができたはずだ。
「《死神の襲来》の効力は、貴様が受けたダメージの量に比例して、更なる苦痛を与えるぞっ」
 陽の光が届きにくい空間に、死神という名の新たな闇を呼び寄せる。それは真っ黒な鎌を手に携え、ゆらりゆらりと宙を漂い、近づいてきた。
 奴が発動した《死神の襲来》は、既にダメージを受けているプレイヤー一人を対象に、更なる追撃を与える魔法カードだ。オレが直前に10点のダメージを受けているのであれば、同じように10点のダメージを与え、20点のダメージであれば、同じく20点分のライフポイントを奪い去ってしまう。これは地球でオレがプレイしてきた《トキの迷宮》に存在するカードの中でも、残忍性を存分に発揮可能なものであると認識されている。効力の及ぶ範囲があまりにも大きすぎるため、それに見合ったコストを必要とし、それと同時に、発動する際においても様々な制限を科せられている。
 だが、これは一対一のラヴィリンス形式ではない。それぞれのカードが必要とするコストを支払うこともなく、カードを発動することが可能となったロワイヤル形式だ。
 つまりは、地球では実際にデッキへの投入を試みるプレイヤーが皆無であったはずが、この世界を一つのくくりとしてしまえば、奴が発動した《死神の襲来》は、ロワイヤル形式のために存在するかのようなカードとなる。
 正に、切り札と呼ぶに相応しいカードだ。
「これで終いだ、くくっ」
 現実に、終わりを迎えようとしている。それを奴は肌で実感し、ほんの僅かに浮かれていたのかもしれない。
「――お前がな?」
 そう、それが奴にとっての終焉だった。
「《死に際の逆転劇》――発動――ッ」
 襲い来る死神の姿を両目に捉え、それでもなお、オレは最後まで諦めない。
 敗北を意識した瞬間、そいつは負けているからだ。
「ッ!? き、貴様……ッ」
 また、敗北ではなく、奴が勝利を意識した瞬間、それも既に敗北のビジョンが見えている。
 死神の鎌に右手を狩り取られてしまい、闇の中へと持っていかれてしまう間際、オレは予めセットしておいた罠カードの発動を宣言した。
 ずっと、この機会を窺っていたんだ。けれども使うタイミングが中々に訪れなかったから、今になってようやく発動することができた。
《死に際の逆転劇》、それは自分のライフポイントが半分以下になった時に発動可能な、誘発型の罠カードだ。現在、オレには70点のライフポイントがあり、それに加え、死神の鎌に右手を持っていかれたことによって、更に30点のダメージを受けている。
 手を伸ばせば、死を掴み取れる場所へと向かいつつある中、オレは残りのライフポイントが40点となり、自らの死を覚悟した上で、《死に際の逆転劇》を発動する。
「……な、何故……ッ、死なないっ!? 貴様は、確かに……右手を失ったはずだっ!!」
 驚愕に目を見開きながら、奴は疑問を口にする。しかしながら、次に続く言葉を紡ぐことができずに、その場に膝を付いてしまった。
「あ……あ、がっ、……なん、だ……これは……ッ!?」
「《死に際の逆転劇》――それは、オレとお前の立場を逆転させる罠カードだ」
 トリガーとなるのは、オレのライフポイントの数値の他に、莫大な量のコストだ。
 それを糧に、《死に際の逆転劇》は、オレと奴の現状とライフポイントを入れ替えてしまう。
「お前の死神は、オレの右手を確かに持っていくことに成功したさ。……だが、それは全て始まりでしかない。オレが攻撃を受けた時、お前は既に死神の攻撃を受けていた」
 奴の右手が、無い。
 闇の中に持っていかれてしまい、もはや取り返すことは不可能だ。その事実は、奴自身が誰よりも理解しているはずだ。
 死神の鎌というのは不思議なもので、切り口から血が溢れ出すようなことはなかった。恐らくは、肉体的なダメージを与えるのではなく、精神的なものを対象とする攻撃手段なんだろう。
 痛覚が無いのが、奴にとっては不幸中の幸いか。
「俺様の腕がっ、うあぁあああ――ッ!!」
 まさか、自分が死神の手に掛かるとは思ってもみなかったんだろう。狂気に満ちた表情を作り上げ、半狂乱といった様子だ。たかがTCGだが、されどTCGだ。特にこの世界において、《トキの迷宮》は全ての軸となっている。それらの効果によって右腕を失った奴は、果たしてこれから先、元通りの腕を手にすることはできるのか否か。……恐らくは、不可能だろう。
「……死なないだけ、有り難く思え」
 ぽつりと呟き、オレはリストから魔法カードを選択する。奴の動きを封じるために、アリスがオレに使用した《重力(グラビティー)》を発動するつもりだった。しかし、
「――《岐路への巻き戻し》、発動」
「えっ」
 第三者の声が、森の奥から聞こえた。
 それは、聞き覚えのある声だ。聞き間違いでなければ、奴と行動を共にしていた女の声だ。
「……あ」
 声が漏れる。息を吐くと同じくして、オレは目の前の光景を疑った。
 奴の腕が、闇の中から姿を現していくではないか。また、連動するかの如く、消えたはずの死神が舞い戻ってきた。
「くすくす……、おバカな殿方、油断大敵ですわよ?」
 声の主――奴のパートナーたる女性は、氷の鎧に身を包み込んでいる。
 だが、そんなことはどうでもいい。オレには、知らなければならないことが一つあるんだ。
「……お前、アリスをどうした……?」
 この女の相手をしていたはずの、アリスの姿が何処にも見当たらない。
 まさか、アリスに限ってそんなことはないとは思うが、この女に後れを取ったというのか。
「仲間想いなのは素敵よぉ、でもそれが命取りになるかもしれないですわ。……ねぇ?」
 空中から、死神が襲い掛かる。一度目は奪い損ねた右腕を、今度こそは闇へと葬り去るために、再び舞い戻ってきやがった。
「……くっ、畜生め」
 過敏に反応し、その場から退避する。《速度上昇》の効力のおかげで、死神の鎌から腕を守ることができた。しかしそれは一撃目を躱(かわ)しただけであり、追撃を仕掛けるためにオレの姿を追いかけ回してくる。
「さぁて、……無様な恰好ね、インハーリット?」
 ホーミング機能を兼ね備えた死神から逃げ回りながら、オレはリストを捲って対抗手段を探し始める。女のプレイヤーが発動した《岐路への巻き戻し》は、一ターン前の状態へと時間を戻すことができる究極の魔法カードだ。その強力無比な効力により、地球では禁止カードに指定されている。それはつまり、こちらの世界では超が付くほどの高額カードとなっているはずだ。奴のパートナーは、それをリストにストックし、このタイミングで発動させやがった。
「ちぃ、余計なお世話だ、ルノール……。あいつは俺様一人で殺せる相手だ」
 互いの名を呼び合い、奴らは体制を整える。
 このままでは、まずい。形勢が二転三転していく。オレ一人では奴らに歯向かうのは困難だ。
「――《戸惑いの靄(もや)》発動ッ」
 リストから魔法カードを一枚選び出し、オレは言葉(キーワード)を紡いでみせた。
 意志に呼応するかのように、ただでさえ薄暗い森の中に、白い靄を生み出していく。
「あら、あらあらぁ、目晦ましですの? ……うふふ、そんなことで逃げ切れるとは思わないでくださらないかしらぁ? ――ほら、《太陽の恵み》を発動しますものぉ」
 オレが《戸惑いの靄(もや)》で視界をコントロールしたかと思えば、ルノールと呼ばれた女がすぐさま対処を施す。《太陽の恵み》の効果によって、木々の隙間からほんの少しだけ差し込んでいたはずの陽の輝きが、突如勢いを増していく。やがて、薄闇と白い靄を掻き消してしまい、森の中から太陽の眩しさを実感できるほどにまで明るくなる。
「これで、貴方の姿は丸裸ですわ」
 現状を楽しむかのように、ルノールが辺りを見回す。奴らの視線の先には、死神に追われ続けるオレの姿が映っているに違いない。延々と襲い来る死神は、ユニットカードではない。ただの魔法カードだ。物理的な対処手段は皆無と言えるだろう。つまりは、魔法カードには魔法カードや罠カードで対抗する必要がある。しかし、それを待つ必要もない。目晦ましが利かないのであれば、プレイヤー自身を直接叩けばいいだけだ。
「お前を先に――倒すっ」
 未だ精神的な疲労を隠せないインハーリットの許へ向けて、オレは方向転換する。《妖刀ヌキサシ》があれば、戦闘不能にすることも可能だからな。
「くふっ、学習能力がないのかしらねぇ? このわたくしが貴方の企むような浅知恵に引っかかるとでもお思いですの?」
 死神から、インハーリットへと標的を変えるオレに対し、ルノールは罠カードを発動させた。
「《一時停止》を発動ですわぁ」
「――ッ、なっ、動けない……ッ!?」
 ルノールは、《一時停止》を発動し、オレの動きを一ターンの間に限り、停止させることに成功する。このカードも、元々はユニットを対象とする罠カードだが、やはり此処ではプレイヤーへの発動も可能なようだ。
「死神にぃ、今度こそ狩り取られなさぁい?」
 くすくすと厭らしげな笑みを浮かべ、ルノールは身動きの取れなくなったオレに別れの言葉を告げる。《速度上昇》の効果を一定時間とはいえ無効にし、更には死神が迫り来る状況だ。
 もはやオレには逃げ場が残されていない。対処可能なカードをリストから発動しようとも考えたが、間に合わない。あとほんの僅かなタイミングで、死神の鎌がオレの腕を持っていく。
 そんな瞬間に、オレは自然と宙を仰いだ。
 何故ならば、そこには天使の影が差していたからだ。
「《闇の浄化》を発動、――死神よ、消え去れ――」
 アリスの言葉(キーワード)に、死神が反応を示す。寸でのところで鎌の動きが止まり、死神は真っ黒な煙と化して姿を消していく。そして、宙からオレの姿を捉え、アリスが急降下してくる。
「――アリスッ!!」
 名を、呼んだ。思いっきり叫んだ。
 天使の翼を背に携え、アリスはオレの手をしっかりと掴み取る。そのまま、奴らから距離を取るために急上昇をしてみせる。
「バカ、危ない時は逃げなさい! 一度でも死んでしまえば、それで全てが終わってしまうということを貴方は理解しているの!?」
 怒の感情を惜しげもなく前面に出しまくり、オレを叱りつける。こんなアリスは初めて見る。
「し、仕方ねえだろっ、だってお前の姿はねえし、敵は二人になって退くに退けない状況だったわけだし……」
 どうやらアリスは《飛翔》を発動し、空を舞ってきたようだ。
 しかし今の今まで何処に行っていたのか。
「わたしなら、大丈夫。貴方のすぐそばに……目の前にいるわ」
 高鳴る胸の鼓動を鎮めるように、アリスはオレの目を見つめる。
「……あの女に、わたしは《強制退場》を使われてしまったの」
《強制退場》、その魔法カードの名を聞いて、オレはまたもや耳を疑う。《岐路への巻き戻し》と同じように、《強制退場》もまた禁止カードの一つだ。その効果は恐ろしく、相手フィールド上に存在するユニットカード全てをゲームから除外することが可能だ。
 ルノールは、《強制退場》によって、アリスを一対一の対戦から除外してしまった。しかし幸いなことに、これはラヴィリンス形式ではない。たとえゲームから除外されてしまったとしても、それがユニットではなくプレイヤー自身であれば、その場から姿を消してしまうだけとなり、再び対峙することも可能だということだ。
「すぐに貴方の許に駆けつけるために、《飛翔》を発動したわ」
 一対二で戦わなければならないオレを助けるために、アリスは大事にとっておいた《飛翔》を使ってしまったらしい。これは大きな借りを作ってしまった。
「ありがとよ、お礼はキスでいいか?」
「死になさい」
 オレに死んでほしいのかほしくないのか、よく分からない奴め。
 だが、アリスらしいといえばらしいか。
「……さて、どうやって奴らを倒すかな」
 上空から、インハーリットとルノールの姿を確認する。オレたちに追撃を行うよりも、まずはインハーリットのライフポイントを回復させることを優先しているようだ。ルノールが魔法カードを使用し、インハーリットの全身が淡い輝きを示している。
「倒す意味はないわ。だって、《砂漠の天使レイール》が規定枚数を集めてくれたもの」
「えっ、ホントかよ!?」
 アリスのすぐそばに、《砂漠の天使レイール》が砂埃を上げながら舞っていた。
 その手には、ラヴィリンスカードが三枚掴まれている。
「いつの間に……」
「先に一枚、他のプレイヤーから手に入れていたみたい。それから、下にいるプレイヤーと交錯した時に、あと二枚も」
 確かに、《砂漠の天使レイール》はインハーリットが首に掛けておいたラヴィリンスカードを奪い去っていた。その瞬間は、オレもこの目で見たから間違いない。そして、どうやらその前にもう一枚、入手することに成功していたようだ。
「ってことは、合計十枚のラヴィリンスカードを手に入れたのか?」
「そうなるわ」
 まさか、既に選考委員への挑戦権を得ているとは思いもしなかった。奴らと戦うことに必死で、オレは全く気付いていなかったってことか。
「《強制退場》を使われたのは幸運だったわ。態勢を整え直すことができたから」
 一対二の状況に陥ったとしても、それを上手く利用し、アリスはオレを救出した。
 そして、残るは選考委員への対戦を申し込むだけだ。
「んじゃあ、あいつらは無視で」
「異論はないわ」
 互いに、小さく頷き合う。
 下を見やれば、奴らは二人してぎゃあぎゃあ文句を言い合っているようだ。できることなら、そのまま永遠に喧嘩していてくれると助かる。死を覚悟するほどの実力の持ち主であることに間違いはないからな。強敵は少ない方がいい。
「――ッ、ちょ、ちょっと貴方たちっ、わたくしたちを置いて何処に行くつもりですの!? 勝負はまだ終わっていませんことよっ」
 宙を舞い、その場を去るオレとアリスに気づいたのか、ルノールの声が響く。しかしながらその声に返事をするつもりはない。あのまま最後まで戦っていれば、最悪負けていたかもしれないが、奴らからラヴィリンスカードを二枚奪い取ることはできた。勝負には負けたが、ゲームの内容では勝ったも同然だ。
 それから暫くの間、天使の翼を得たアリスに掴まれたまま、オレは《廃墟の島》の中心部へと空を舞い続けた。

     ※

 第一次選考、後半戦。それはラヴィリンス形式による一対一の勝負だ。
《廃墟の島》の中心部に潜み、選考会への出場者を待ち受ける選考委員を見つけ出し、倒さなければならない。一度でも負けてしまえば、即失格。この年のラヴィリンス選考会では落選となってしまう。それ故、選考委員との対戦を前に、デッキの回り具合を確認する必要がある。
 エントリーした時点で、デッキの調整は不可能なので、自分が組み上げた五十枚のカードを信じて、前に進むしかない。
「……で、どうするつもりだ」
 インハーリットとルノールとの対戦から、結構な時間が過ぎてしまった。
《廃墟の島》の内部は、枝分かれした道が多々存在し、迷路のようになっていたわけだが、実際にはそれが原因ではない。前へと進めない理由は、アレが立ち塞がっているからだ。
 今、オレとアリスの視界の先に見えているのは、三つの扉だった。全ての扉の先に待ち受けているのは、例外なく選考委員たちだ。千二百二名ものプレイヤーが選考会に臨んでいるわけだから、たった一人の選考委員が相手では捌く時間が圧倒的に足りない。従って、第一次選考の後半戦において挑戦可能な選考委員は、ポートルッチ・レンゼルマンを含めた三名となる。
 だが、その三つの扉の前に、他のプレイヤーが仁王像の如く立ち塞がっていた。
「見たところ、アレが他のプレイヤーを排除しているみたいね」
 つまらない人間のすることだわ、と付け加えて、アリスは頬を膨らませる。
「おらぁっ、他に誰も挑んでくる奴はいねえのかっ」
 アリス曰く、アレは、自らが召喚した三体のユニットを壁にして息巻いていた。
 一介のプレイヤーが扉の前に立ち、他のプレイヤーの行く手を阻んでいる。奴の狙いは、選考委員への挑戦を試みる全てのプレイヤーを倒してしまうことだろう。第二次選考に進むことができた者がアレ一人であれば、アレの合格はほぼ確定だと考えているに違いない。無謀と言うに相応しい行為だが、実際問題として、数名のプレイヤーがアレに倒されていた。
「……あんまり強そうには見えないんだがな」
 地の利を得たのが、唯一の長所か。
 建物内ということもあって、扉への道は一つしかない。そこで他のプレイヤーを待ち構えるに容易なユニットを召喚し、常に臨戦態勢へと入っていた。
「アレに挑んだ他のプレイヤーが、アレよりもバカだったに過ぎないわ。仮にもラヴィリンスカードを五枚集めたプレイヤーが、現状を打破できないだなんて情けない」
 ずけずけと本音を言いまくる奴だな。しかしまあ、オレもアリスとは同意見だ。
 あんなバカな状態がいつまでも続くわけがない。選考会にエントリーしたプレイヤーの中には、お前よりも強い奴がわんさかいるってことを一から教えてやらなくちゃならないようだ。
「リストオン、《通路拡張》発動――」
 言うが早いか、アリスはリストから魔法カードを発動させた。
《通路拡張》は、一本道であったはずの通路の幅を、見る見るうちに押し広げていく。万全の態勢を期するためにアレが整えた空間は、あっという間に崩壊する。
「なっ、なんだ!? 誰の仕業だ、ごらぁっ!!」
 四つ角を作り上げ、口の悪い台詞を吐きまくるアレに向けて、オレは溜息混じりの声を上げる。プレイヤー狩りなんてしないで、とっとと選考委員に挑戦しておけばよかったのにな。
「《眠り玉》発動。……ほらよっと」
 慌てふためくアレに向けて、《眠り玉》を転がしていく。規則正しく並べられたユニットの足元を通り抜け、アレの前でピタリと止まると、真っ二つに割れてしまった。
「お、おおおっ、なん……だ、これ……は……」
 割れた《眠り玉》の中から、真っ白な煙が溢れ出していく。その煙を吸い込んだアレは、口を動かしながらも瞼を閉じ、やがてその場に倒れ込んでしまった。
 なんとまあ呆気ない終わり方だ。アレにやられたプレイヤーの存在ってなんだったのかね。
「通れるわ」
 プレイヤーが意識を失うと、召喚中のユニットは消滅してしまうらしい。つい先ほどまで、アレの壁として活躍していたのか否か分からなかったユニットの姿は何処にも見当たらない。
「……せめて、他のプレイヤーに報復されないようにな」
 夢の世界を満喫中のプレイヤーの横を通り抜け、オレは扉の前へ立つ。
 今現在、どうやらオレとアリスの他に、周囲にプレイヤーの姿はないようだ。現状から察するに、此処は以外にも見つけにくい場所のようだな。機転を利かせたアリスが、迷路攻略のカギとなる魔法カードを発動したおかげで、呆気なく辿り着いたのかもしれない。
 三つの扉の内、一つは鍵が掛かっていた。それはつまり、前に入室したプレイヤーとの対戦が終わりを迎えていないということになる。となると、残る扉は二つだ。
「アリス、二次選考で会おう」
「当然よ」
 当たり前のことを言うな、と目で訴え、アリスは扉を開けて中に入ってしまった。
「……さて、オレも気合入れていくか」
 負けずと、ドアノブに手を掛けた。
 そして、オレはゆっくりと扉を開ける。四次元への入口を意識した作りなのか、光り輝いた壁がお出迎えしてくれた。その壁に、手を触れてみる。すると、指先が壁に触れずに向こう側へと擦り抜けてしまった。此処を、くぐってこいということか。
「必ず、勝つ」
 決意を胸に、オレは扉の向こう側へと足を踏み入れた。