今、あたしが居る【ラビリンス】と瓜二つのこの世界……ここで、あたしはまだ魔法を見たことがない。
【ラビリンス】の世界では散々見てきたし、あたし自身も数え切れないほどの魔法を発動してきた。それこそ魔物や魔族、NPCやプレイヤー相手に……ほんとに、色々やっていた。

 でも、ここが【ラビリンス】ではなくて【ラビリンス】に似た現実世界だとするならば、それは非常に好奇心をくすぐるものであり、同時に恐ろしくもある。

【ラビリンス】にも存在する闇魔法【隷属】。それがこの世界にもあるとしたら、その対象になるのは絶対に避けなくてはならない。
 しかし現状、あたしにはそれを拒否することができない。

 仮に今、あたしがここで【隷属】を拒んだとしたら、結局はアンかドゥのどちらかがレミーゼと主従契約を結び、拷問の対象となるだけだ。
 当然のことながら、そのルートは潰しておきたい。

 理由は明白。あたしの目の届かないところでレミーゼが二人を拷問したとしても、一切対処できないからだ。

 だったら、今ここであたしが魔法を使って抵抗するのはどうだろうか?

 その答えも、ノーだ。
 これはあたしの予想でしかないけど、恐らくこの牢は光魔法【封印/魔力/永続】が発動中だ。

【封印/魔力/永続】の対象として牢の中が指定されている場合、外からは魔法を使うことができても、牢の中に居るあたしは【封印】の影響下に置かれているので、魔力を消費することができない。

 だから、たとえあたしが魔法を使えたとしても、【封印/魔力/永続】の影響下では、抵抗もままならないのが現状だ。

 それならば、魔法を使えないと思われていた方が、後々優位に動くことができるだろう。

 ただ、あたしはまだ、この世界で魔法を使えるか否か、一度も試していない。

 元々あたしが使用していたプレイヤーキャラクターならともかく、今のあたしは三姉妹の末っ子のトロアだ。
 この体で、PCのあたしと同じように魔法を使えるのか……まだ分からない。

 アンの話によると、三姉妹は魔法が使えない。
 それが事実だとすれば、トロアの体を借りた状態のあたしも魔法を使うことができないだろう。

 それにここで抵抗して、レミーゼの機嫌を損ねてしまったら、三人仲良く始末されないとも限らない。
 そうなってしまっては、いったい何のためにアンを引き留めたのか。

 ではどうすればいい?
 ここは大人しくレミーゼに従う素振りを見せるのが無難なのかもしれない。

「ふふ、それではよろしいかしら?」

 思考を巡らせるだけの猶予はない。
 もちろん、逃げる場所もない。

「怖がる必要はないわ。だって、すぐに終わるもの」

 優しく声をかけるレミーゼが、杖先を軽く振って唇を動かす。

「――【隷属/許可】発動。……さあ、トロアさん。【隷属】化の許可をしてちょうだい」

 闇魔法【隷属】には、幾つか種類がある。レミーゼが発動したのは対象相手に許可を求めるもので、互いに了承の上で初めて発動成功となる。
 他には、対象相手の許可を取らず、強制的に隷属化するものなどがある。

 レミーゼは、どちらも発動することができるだけの魔力と腕前を持ち合わせているはずだ。でも、敢えて前者を選択した。

 隷属対象のあたしの許可を得ることで、事が公になったとしても批判を浴びることが少なくなるのを見越してのことだろう。
 その用意周到なやり口は、聖女とは名ばかりだ。

「……許可します」

 断っても時間が無駄に過ぎるだけなので、あたしはレミーゼの問いかけに頷く。
 そして闇魔法【隷属/許可】をかけられた。

「――ッ、……っ」

 これが……この感覚が、【隷属】状態……。
 この感覚は【ラビリンス】の【隷属】状態とは全くの別物だ。

 現状態を言葉で言い表すのは難しいけど、敢えて表現するならば、あたしの中の何かが変わった……変化した。そんな感じだ。

 自分の意志で動くことができず、まるで人形になったような感覚が残っている。

「……はい、これでおしまい。よく頑張ったわね」

 杖を仕舞い、レミーゼが口角を上げた。その表情はどことなく不気味で、楽しそうに見える。それは決して気のせいではないはずだ。

「トロアさんの【隷属】化も終えたことですし、そろそろ参りましょう。……よろしいかしら?」
「はい、レミーゼ様」

 この台詞は、あたしの意志ではない。勝手に……口が動いて声を発したのだ。
 これが本物の【隷属】の効果……。恐ろしい、自由が一切ない。

 あたしの大好きなVRMMO【ラビリンス】とは根底から異なっている。
 言うなれば、生ける屍状態だ。

 牢の鍵を開けた監守が、あたしの腕を掴んで引っ張り出す。

「いっ」
「自由になれるんだ、これぐらい我慢しろ!」

 この監守は、レミーゼが拷問好きなことを知っているのだろうか。
 もし知らないのであれば、あとでコッソリと教えてあげたい。レミーゼに心酔した様子の監守の顔が、どのように変わるのか見ものだ。

「あっ、……あの!」

 鉄格子をくぐり、あたしはレミーゼの背について牢をあとにする。
 何も言わずに従うあたしの姿を見たからか、アンが思わず声を上げた。

「……わ、私たちも! やっぱり私たちも一緒に連れて行ってください!」

 レミーゼの笑った顔が、アンには怖く映ったに違いない。
 このままでは、あたしと二度と会うことができないかもしれない。そんな不安に駆られたのだろう。

 でも、レミーゼは笑みを顔に張り付けたまま、首を横に振る。

「……ごめんなさいね。貴女も……もう一人の子も、すぐに迎えに来るから……ね?」

 それ以上、レミーゼは二人の声を聞かない。
 どうせ応えるつもりがないのだから、する必要がないと思っている。

 ……でも、それでいい。あたし一人で構わない。
 もし、あたしについてきたら、アンとドゥの二人も酷い目に遭うかもしれない。だからこのままでいい。

 自分の意志で話せない今、アンとドゥに別れの言葉をかけることができないのが、唯一の心残りだった。

 それからあたしは、レミーゼの背中を追いかけ、薄暗い中、一段ずつ階段を上っていく。
 行き先は恐らく、レミーゼの屋敷――通称、拷問屋敷……。

 レミーゼの奴隷と化して、今更ながらに思うことは、ただ一つ。

 どうか、この選択が間違いではありませんように……。