嫌な夢を見た。
それは、あたしが迷宮研究所の部員に刺される夢だった。
「……無いんだよね」
これは地下牢で目覚めたときにも確認したことだけど、トロアとして転生したことが分かった今、傷跡が残っていないことに疑問はない。
そう言えば、あのときβテスターのアカウントのパスコードを音声入力したんだっけ。
でも結局のところ、ログイン状態の移動なんてできなかったんだよね。
あたしの場合、たまたま死の間際に【ラビリンス】のことを考えていたからトロアに転生できたのかもしれないけど、部員たちが信じていた噂は、ただの噂だったのだろう。
でも、その噂……いったい誰が何のために流したのだろうか。
「……うるさいな」
それにしてもうるさい。
屋敷の外があまりにも騒がしくて、あたしは夢から覚めていた。
昨日、ここで目覚めたときと同じように、今日もまた玄関の扉を叩く音が響く。
「テイリー? ちょっと静かにしなさいよ!」
延々と扉を叩き続けるので、苛々しながらもあたしは扉を開ける。
と、そこに立っていたのはレバスチャンだった。
「おぉ、お嬢様、やはりこちらに居られましたか」
「な、なに? どうしたのよ、そんなに顔をしかめて……」
息を切らしたレバスチャンは、あたしの顔を見て安堵したのか、深呼吸をする。
というか、今気付いたけど……まだ明日にはなっていなかったらしい。空を見上げれば、暗闇の中にぽつぽつと星が輝いているのが見える。
「旦那様はご一緒ですかな?」
「え? お、お父様が? ……あたし一人だけど、どうかしたの?」
「そうでございますか……実はこの時間になっても旦那様の姿が見えず、どこに行ってしまわれたのかと思いまして……」
「それって、その……行方不明ってことかしら」
「そうなりますな」
額の汗をハンカチで拭きつつ、レバスチャンは困ったような表情を作る。
その原因を作ったのは、間違いなくこのあたしだ。
「旦那様がどちらに居られるか、ご存じありませんか?」
「いや、あたしは……ちょっと分からないわね」
「左様ですか……」
もちろん、言えるわけがない。
この屋敷の地下室で、娘のレミーゼと二人、仲良く息絶えていますだなんてね。
「ううむ、では致し方ありませんが……お嬢様に旦那様の代わりを務めていただきます」
「お父様の代わりを? それ、何の話よ」
「聖地巡礼です」
「……まさか、フレアが来るのって……今日なの?」
「そのまさかですな」
レバスチャンの話によると、どうやら今宵、王国から聖女フレア・レ・コールベルがローテルハルク領を訪ねに来るらしい。
王国領土の聖地巡礼をすることが決まり、その手始めに選ばれたのが、隣接領のローテルハルクだった。
そこまでは知っている。
でもまさか、今日のうちに顔を見せに来るとは思いもしなかった。
何度でも言うけど、ローテルハルク領と王国は目と鼻の先の関係で、徒歩で半日あれば行き来できる距離だ。故に、時間がない。
「お嬢様が件の聖女とお会いしたくないのは存じておりますが、どうか少しの辛抱を……」
「辛抱ねえ」
苦虫を噛んで潰したような顔のまま、レバスチャンが頭を下げる。
さて、どうしたものだろうか。
レバスチャンは、レミーゼがフレアのことを敵対視しているのを知っている。
でも、今ここにいるレミーゼは偽者で、中身はあたしだ。元プレイヤーなので、立ち位置的にはフレア側ということになる。
つまり、わざわざ争いたいとか、これっぽっちも思っていない。
「話は分かったわ。すぐに用意を済ませるから、外で待っててちょうだい」
とにかく、いつまでも玄関で顔を合わせているわけにはいかないので、二つ返事で了承する。レミーゼとしての仕事が一つ増えてしまったけど、仕方あるまい。
これはレミーゼに成り済ましたあたしにしかできないことだ。
ローテルハルク領の未来のためにも、最後まで責任をもって成り済まそう。
「さあ、行きましょう」
支度を整えて、玄関を出る。
すると、レバスチャンが顔をしかめた。
「お嬢様……もしやまだ、体を清めておりませぬか?」
「あっ」
言われて気付いた。
今日も一日忙しすぎたので、結局お風呂に入ることができなかった。だから臭いが気になったのだろう。
あたしとレバスチャンとの間に、沈黙が流れる。
耐え切れなくなったあたしは、視線を逸らしながらも返事をする。
「……まずは、お風呂に入ることにするわ」
それは、あたしが迷宮研究所の部員に刺される夢だった。
「……無いんだよね」
これは地下牢で目覚めたときにも確認したことだけど、トロアとして転生したことが分かった今、傷跡が残っていないことに疑問はない。
そう言えば、あのときβテスターのアカウントのパスコードを音声入力したんだっけ。
でも結局のところ、ログイン状態の移動なんてできなかったんだよね。
あたしの場合、たまたま死の間際に【ラビリンス】のことを考えていたからトロアに転生できたのかもしれないけど、部員たちが信じていた噂は、ただの噂だったのだろう。
でも、その噂……いったい誰が何のために流したのだろうか。
「……うるさいな」
それにしてもうるさい。
屋敷の外があまりにも騒がしくて、あたしは夢から覚めていた。
昨日、ここで目覚めたときと同じように、今日もまた玄関の扉を叩く音が響く。
「テイリー? ちょっと静かにしなさいよ!」
延々と扉を叩き続けるので、苛々しながらもあたしは扉を開ける。
と、そこに立っていたのはレバスチャンだった。
「おぉ、お嬢様、やはりこちらに居られましたか」
「な、なに? どうしたのよ、そんなに顔をしかめて……」
息を切らしたレバスチャンは、あたしの顔を見て安堵したのか、深呼吸をする。
というか、今気付いたけど……まだ明日にはなっていなかったらしい。空を見上げれば、暗闇の中にぽつぽつと星が輝いているのが見える。
「旦那様はご一緒ですかな?」
「え? お、お父様が? ……あたし一人だけど、どうかしたの?」
「そうでございますか……実はこの時間になっても旦那様の姿が見えず、どこに行ってしまわれたのかと思いまして……」
「それって、その……行方不明ってことかしら」
「そうなりますな」
額の汗をハンカチで拭きつつ、レバスチャンは困ったような表情を作る。
その原因を作ったのは、間違いなくこのあたしだ。
「旦那様がどちらに居られるか、ご存じありませんか?」
「いや、あたしは……ちょっと分からないわね」
「左様ですか……」
もちろん、言えるわけがない。
この屋敷の地下室で、娘のレミーゼと二人、仲良く息絶えていますだなんてね。
「ううむ、では致し方ありませんが……お嬢様に旦那様の代わりを務めていただきます」
「お父様の代わりを? それ、何の話よ」
「聖地巡礼です」
「……まさか、フレアが来るのって……今日なの?」
「そのまさかですな」
レバスチャンの話によると、どうやら今宵、王国から聖女フレア・レ・コールベルがローテルハルク領を訪ねに来るらしい。
王国領土の聖地巡礼をすることが決まり、その手始めに選ばれたのが、隣接領のローテルハルクだった。
そこまでは知っている。
でもまさか、今日のうちに顔を見せに来るとは思いもしなかった。
何度でも言うけど、ローテルハルク領と王国は目と鼻の先の関係で、徒歩で半日あれば行き来できる距離だ。故に、時間がない。
「お嬢様が件の聖女とお会いしたくないのは存じておりますが、どうか少しの辛抱を……」
「辛抱ねえ」
苦虫を噛んで潰したような顔のまま、レバスチャンが頭を下げる。
さて、どうしたものだろうか。
レバスチャンは、レミーゼがフレアのことを敵対視しているのを知っている。
でも、今ここにいるレミーゼは偽者で、中身はあたしだ。元プレイヤーなので、立ち位置的にはフレア側ということになる。
つまり、わざわざ争いたいとか、これっぽっちも思っていない。
「話は分かったわ。すぐに用意を済ませるから、外で待っててちょうだい」
とにかく、いつまでも玄関で顔を合わせているわけにはいかないので、二つ返事で了承する。レミーゼとしての仕事が一つ増えてしまったけど、仕方あるまい。
これはレミーゼに成り済ましたあたしにしかできないことだ。
ローテルハルク領の未来のためにも、最後まで責任をもって成り済まそう。
「さあ、行きましょう」
支度を整えて、玄関を出る。
すると、レバスチャンが顔をしかめた。
「お嬢様……もしやまだ、体を清めておりませぬか?」
「あっ」
言われて気付いた。
今日も一日忙しすぎたので、結局お風呂に入ることができなかった。だから臭いが気になったのだろう。
あたしとレバスチャンとの間に、沈黙が流れる。
耐え切れなくなったあたしは、視線を逸らしながらも返事をする。
「……まずは、お風呂に入ることにするわ」