息を整える余裕などない。
【変身】の効果でレミーゼの姿に変わったあと、あたしは急いで地下室の階段を駆け上って扉を開ける。

 すると、自分で判断して屋敷に入ってきたのだろう。
 テイリーが今にも地下室へ続く扉のノブを掴もうとするところだった。

「っ、うあっ」
「レミーゼ様! ご無事でしたか!」

 勢い余って、テイリーにぶつかってしまう。
 でもそのまま抱きかかえられたので、倒れずに済んだ。

「っ」

 というか、近い。顔が近いってば!
 推しがこんな距離にいるなんて……って、この状況で考えることじゃない。冷静になれ!

「ぶ、無事って……何のことよ?」
「先ほど、物凄い音が屋敷の外まで聞こえました! あの奴隷がレミーゼ様に何かしたのかと思いまして……!」

 あの奴隷というのは、あたしのことだろう。
 テイリーの予想は大当たりだ。

 でも、それを認めるわけにはいかない。
 地下室に横たわる本物のレミーゼを見られたら、一巻の終わりだ。

「し、心配しなくてもいいわ。ちょっと、ほら、魔法を使っただけだから」
「魔法を……? しかし、あの奴隷は【隷属】化していましたよね? それなのに、他の魔法を使わなければならないような事態に陥ったということですか?」

 いやいや、どれだけ鋭いんですか、テイリーさん!
 まるで現場を見ていたかのような発言ですよ!

 テイリーは、視線をあたしの顔から横にずらし、地下室に続く階段へと向けた。
 ダメだ、そっちに意識を向けてはいけない。

「ち、違う! 違うから! あれよほら、魔力椅子! あれって魔力を供給しなくちゃ動かないじゃない? 魔力を注げば注ぐほど、あの奴隷が苦しむもんだから、ついつい拷問に力が入っちゃってね、だからその、我慢できなくなって【稲妻】を使ってしまったのよ……」
「【稲妻】を!? 地下室で使ったんですか!? あんな狭い空間で【稲妻】を使うなんて……もしレミーゼ様の身に何かあればどうするんですか!」

 どうするもこうするも、実際に使われたのだから仕方あるまい。
 もちろん、そんなことは口が裂けても言えないけど。

「だ、だって使ってみたかったから……」
「はぁ……。とにかく、レミーゼ様がご無事で何よりです」

 呆れたような表情で、テイリーがため息混じりの声を上げる。
 どうにか納得してもらえたようで一安心だ。

 でもごめんなさい、貴方の主は無事ではありません。今、地下室にいます……。

「ですがレミーゼ様、地下室での魔法は禁止だと口を酸っぱくして言いましたよね? もし、この行為が発覚した場合、さすがのレミーゼ様もただでは済みませんよ?」
「ええ、分かっているわ……次からは気を付けるから、許してちょうだい」
「ゆ、……許す? レミーゼ様が……?」

 ヤバい。今のはマズかったかも。
 テイリーの反応を見るに、レミーゼは自分の非を認めて頭を下げたりしない性格なのかもしれない。

 あたしは、【ラビリンス】のレミーゼのことは知っている。でも、そのレミーゼの設定はそれほど多いわけではなく、あくまでも序盤のボスキャラに過ぎないものだった。

 そしてあたしは、この世界のレミーゼについては何も知らない。ついさっき本人の口から聞いたことぐらいだ。

 どちらも同じに見えるかもしれないけど、この世界のレミーゼには【ラビリンス】の設定で語られることのなかった部分が多すぎる。

 だからもっと完璧に成り済ますためにも、レミーゼのことを深く理解する必要がある。

「ねえ、もういいかしら? あたしまだお楽しみの最中なんだけど」
「っ、これは失礼しました! それでは俺は屋敷の警備に戻ります」

 一礼し、踵を返すテイリーだが、何事かを言い忘れたのだろう。
 再び振り返ると、あたしと目を合わせる。

「もう一つだけ、お訊ねしてもよろしいですか?」
「な、なによ? まだ小言を口にするつもり?」

 お願いだからさっさと戻ってください。
 心臓に悪いです。

「いえ、あの……」

 一旦、視線を逸らし、けれどもまたあたしを見る。
 言うべきか悩んでいるのかな。

「……何故、レミーゼ様が奴隷の服を着ているのかと思いまして」
「っ」

 しまった。そうだった。
 今のあたしは、トロアが着ていた奴隷服のままだ。

 固有魔法【変身】で変えることができるのは、姿形のみ。残念ながら服装まで変えることはできない。慌てていたせいで、その点まで気が回らなかった。

 これは完璧なミスだ。
 どうしよう? どう答えればいい?

「……う、えっと、……これは、アレよ! アレ! 奴隷の真似!」
「奴隷の……真似ですか?」
「ええ、そう! ほらっ、奴隷を拷問するためには、奴隷の気持ちを理解しないと面白くないじゃない? だ、だから! 奴隷の恰好をしてみたの!」

 実に苦しい言い訳だ。
 こんな嘘に騙されるほどテイリーは間抜けではないだろう。

「……なるほど! さすがはレミーゼ様です!」

 間抜けだった!
 あたしの推しはあっさり信じてしまった!
 何がなるほどなのか今すぐお訊ねしたい!

「分かったなら、さっさと出て行きなさい!」
「畏まりました! では!」

 しっしと追い払うと、テイリーは屋敷の玄関方面へと向かい……またもやこちらを振り返った。

「もう一つ、よろしいですか?」
「今度はなに!!」

 これ以上何も聞かないでください!
 あたしのライフはもうゼロよ!

「いつものレミーゼ様も素敵ですが、その……奴隷の服を着たレミーゼ様も、なかなか……」
「今すぐ出てけっ! この間抜けっ!!」
「失礼しました!」

 あたしの怒声を聞いて、テイリーは一目散に屋敷の外へと出て行った。

「……はあっ、はあ、……もう、何なのあれは……」

 推しに奴隷服姿を褒められるだなんて、これなんて羞恥プレイ?
 恥ずかしすぎて顔が真っ赤だよ。

 ……でもこれで、一先ず乗り切ることができた。
 とは言っても、テイリーは目と鼻の先に居るわけだけど。

「……バレなくて、よかった……」

 ホッと一息吐く。とにかく疲れた。
 レミーゼに拷問されて、成り済まして、嘘を吐いて……。

 安心したのだろう。
 あたしはその場にへたり込んでしまった。

 このまま、レミーゼに成り済ましたままで居るのは、精神的によろしくない……。
 でも、安全を確保するには、暫くの間はレミーゼの姿で行動した方がいいだろう。

 これからどうすべきか……。

「……眠い」

 というか、疲れすぎた。
 今日は初めてのことばかりで、休む暇もなかった。

「ベッド……」

 よたよたと足を動かし、部屋を移動する。視界に映るのは、凄く綺麗なベッドが一つ。
 ここは確か、レミーゼの寝室だ……。

「あたしも今は……レミーゼ……」

 だからいいよね。
 このベッドで休んでも誰にも文句は言わせない。

 とかなんとか自分の頭の中で言い訳をしつつ、もう限界だったので、倒れ込むようにベッドへと横になる。

「ふ、……ふかふか」

 気持ち良すぎる……。
 なにこれ? こんなベッドがこの世に存在してもいいの? あたしの住んでたアパートにはベッドすらなかったんですけど……。薄っぺらいせんべい布団だったんですけど……。

「……もう、……寝る」

 考えるのは止めよう。
 人間、眠気には勝てない。

 そしてあたしは、そのまま眠りに落ちてしまうのだった。