気がつけば、隣町まで来てしまっていた。すっかり暗くなった道を、まばらな街灯だけが頼りなく照らしている。

 ──これからどうしよう。

 冷静さを取り戻した律希は、とりあえずスマホを取り出してみる。一晩も経てば、SNSの通知の増え方はすっかり衰えてきていた。

 炎上したとは言っても、憂-yu-は所詮有名人でもなんでもない。どうせすぐに飽きられて、忘れられるだろう。少なくとも、便乗して騒いでいるだけの外野はそうなるはずだ。

 けれど、そこにある事実は変わらない。憂-yu-は天ノ啓示とメッセージを交わした。天ノ啓示のせいで蜂喪とぶが炎上した。それらが誰の策略であっても、起きたことはただただ真実として残り続ける。

 KING──正臣のことを思えば思うほど、理解ができない。結局は、憂-yu-の作る音楽が気に入らなくて、炎上させることが目的だったのだろうか。

 あんなやつの気持ちなんか、わかってたまるか。

 ぐつぐつと煮えたぎる怒りをなんとか抑えながら、律希はSNSの通知画面を素早くスクロールする。この動作に意味なんてない。むしろ誹謗中傷が目に入るのだからやらなければいいとすら思うが、時折届くファンからの言葉をどうしても期待してしまっている。

『心配してる』
『父さん』

 通知欄から飛んだDM画面には、そんなメッセージが表示されていた。送信元はKINGだ。

 どんな心境でこんなことを言えるのだろう。律希は思わずこぼれた舌打ちと同時に、KINGのアカウントをブロックした。

 本気で心配していれば父親が自分で直接連絡してくるはずだ。けれどスマホを見る限りその様子はない。

 基本無関心で変に楽観的なあの父親のことだ。どうせ思春期にはよくあることだとでも思っているのだろう。そうだとしてそれに反論するつもりはないが、律希は今まで家出なんかしたことがなかった。

 このまま一晩帰らないつもりなら、ネカフェやカラオケという選択肢もあるのかもしれない。けれど高校生だとバレてしまったら補導されておしまいだ。

 家出ってどうやってすればいいのだろう。今まで真面目に生きてきたのに、それで困ることになるなんて。


 律希が大きなため息をつくと、ちょうどスマホから通知音が鳴った。いい加減に父親が本気で心配しだしたのかと思いながらメッセージアプリを立ち上げたが、予想は外れる。

 今まで稼働する様子のなかったグループチャットが、動き出したようだった。メンバーは、小学生時代の同級生たち。卒業する頃にクラスのリーダー的存在が作ったものだった。

 卒業してすぐの頃は他愛のないやり取りが交わされていたが、中学、高校とみんなの道が別れていくほど、グループの影は薄くなっていった。高校二年生になった今では誰ひとりとしてメッセージを送ったりしなかったのだが、リーダーの宮野がなにかを思い立ったらしい。

『同窓会のお知らせ』

 そんな文言から始まるメッセージの下には、ずらりと詳細が並んでいる。適当に目を通しながら歩いているうちに、いつの間にか公園の前にたどり着いていた。

 とりあえずベンチにでも座ろうかと公園に足を踏み入れた瞬間、奥の方からから下品な笑い声が聞こえてきた。

 遠目に窺うと、いわゆる不良といった感じの、歳は律希と同じくらいに見える少年たちが集まって騒いでいる。彼らを見た瞬間、律希はすぐに(きびす)を返した。

 関わらない方がいい。KINGや正臣のことを除けば、律希の日常は平穏でうまくいっている。それらに影響を及ぼすかもしれない因子は避けられるのなら避けるべきだ。

 その一心で公園から遠ざかろうとしたとき、歩道の先から一人の少年が歩いてくるのが見えた。

 あの集団の仲間だろうか。律希は目をそらしながら少年とすれ違おうとしたが、その瞬間、少年に肩を掴まれた。

 どっと冷や汗が出るのがわかる。しかし振りほどいて逃げる勇気もなく、律希は恐る恐る少年の方へ振り返った。

「律希。やっぱり、律希だよな?」
「……紘斗(ひろと)?」

 律希が怯えていた相手は、かつての同級生だった。紘斗は一度ブリーチをしただけのような黄味の強い金髪で、黒地に金の糸で刺繍されたジャージを身にまとっていた。

 律希が紘斗に最後に会ったのは小学生の時だ。あの頃はいかにも快活そうでサッカー少年といった感じの見た目をしていた。それから実際にサッカーが上手かったことも覚えている。

 少なくとも見た目は、昔と今とでは相当変わってしまったようだ。律希は目の前の不良少年が紘斗だと気づけた自分を褒めたいくらいだった。

「そうだよ、紘斗だよ。よくわかったな。律希、一人で何してんの。こんなとこで」

 何をしているのか、はこっちのセリフだと思った。世の不良たちは夜な夜な公園なんかで集って一体何をしているのだろう。そう思いはしたものの律希はすぐに、今の自分と同じかもしれない、ということに気がついた。

 居場所がない。だから仕方なく、時間や年齢に縛られず誰に止められるわけでもない公園に来る。もしかしたら、そんなのも彼らにとってこんなところに集まる理由のひとつかもしれない。

「あぁ、いや、ちょっと……」

 家出、と言うのはどこか気恥ずかしくて、律希は言いよどむ。視線を泳がせたとき、紘斗の手元にあるコンビニの袋に目が留まった。

「……それ、って」

 律希はつい疑問を溢しそうになって、慌てて口をつぐむ。しかし紘斗には律希の疑問が伝わってしまったようで、紘斗はばつが悪そうに口を開いた。

「あぁ、先輩のバイト先でさ」

 それを聞いた律希は、入手経路ではなく使用用途の方がどちらかというと問題だと思った。とはいえこの件に深掘りする気もないため、曖昧に笑うことで話題を終わらせる。

 紘斗は袋からタバコの箱を取り出して、ジャージのズボンのポケットに押し込む。それから、袋に残った炭酸の缶ジュースを一本、律希に差し出した。

「はい、口止め料」
「いや、そんなの、いいって」
「冗談だよ。やるよ、普通に。せっかくだし、ちょっと話そうぜ」
「あー……」

 公園の方へ促すような視線を送る紘斗に、律希は不良の集団を見つめることで返した。それで何かを察したのか、紘斗は律希の肩に手を置いた。

「あれ、俺の知り合いだから。別に変に絡んできたりしないから大丈夫。行こ」

 律希が尻込みしている一番の原因を排除されると、誘いを断る理由が見つからなくなってしまう。

 半ば強引な誘いに、やむなく律希は紘斗の後ろを歩いていく。やがて紘斗は公園の入口近くのブランコに座って、律希も(なら)うように隣のそれに腰を下ろした。

「いやー、久々だよな、ほんと」

 紘斗がそう言ったとき、遠くの集団から野次が飛んだ。

「紘斗、誰それ?」
「おとなしそうなお友達じゃん!」

 無駄に大声で笑う集団に、律希は一体何がそんなに可笑しいのかと疑問に思う。しかし群れというのは気が大きくなるものだということを学校生活でよく学んだのを思い出した。

 それにしても、あれは紘斗のいう変な絡み(・・・・)には該当しないのだろうか。

「昔の同級生だよ、ほっとけ! あいつらいちいちうるせぇなぁ……ごめん律希。で、何してるんだっけ。家出?」

 唐突に図星を突かれて、うまい言い訳や隠す理由も思いつかない律希は、うなずきながら口を開く。

「まぁ、そんなとこかな」
「へー、なんか意外。律希って結構適当そうに見えて、でも実は真面目で、けど本当はそんな感じなんだ? ……まぁ何でもいいけどさ」

 律希は紘斗からそんなふうに思われていたことを初めて知った。どうやらはっきりしない印象を持たれているらしい。

 流れるようにポケットからタバコの箱を取り出す紘斗の手つきを、律希は思わず凝視してしまった。紘斗はそれに気づいたのか、すぐにタバコをポケットに引っ込める。

「わり。今はやめとく」
「あ、あぁ、ごめん、気遣わせちゃって」
「いや、俺から誘ったし」

 律希はどことなく、息苦しさを感じていた。

 小学生の頃は、休み時間や放課後に、一緒に遊ぶことも多かったのに。けれど今はきっとお互い全然違う日常を送っていて、価値観や何もかもがあの頃とは違うのだろうということが嫌でもわかる。

 それでも、今、偶然とはいえ二人の道が交わった。心海のように運命なんてたいそうなものを信じているわけではないが、律希はなんとなく、こういう機会は大切にするべきかもしれないと思った。

「……紘斗、グループチャット見た? 宮野が送った、同窓会のやつ」
「あぁ、さっき来たやつな。見たよ」
「紘斗は行くの?」

 律希が言うと、紘斗は何ともいえない苦い顔をする。

「……やめとく、かも」
「あー、そうなんだ」

 深入りはしない。したってきっといいことよりも、何かに巻き込まれたりして後悔する方が多いだろう。律希はそう思ったはずなのに、どういうわけか頭に浮かんだ疑問を口から溢そうとしていた。

 きっと心海のせいだ。運命の話なんかするからだ。それにエスパーって実はうつるのかもしれない。

 律希には、ある予感があった。いま訊かなければ、きっと紘斗はその胸中に抱えたものを教えてくれないだろう。そして、たまたま交わっただけの二人は、また離れて二度と会うこともないだろう。そんな予感だ。

 たとえそうだとしても、別に構わないはずなのに。紘斗はただの昔の友だちで、どうしても繋ぎ止めたい関係性なんかではないはずだ。それなのに何故か、再びの別れの予感が、とてもいやなもののように思えた。

「なんか、あるの?」

 律希が訊ねたことに驚いたように、紘斗は言葉を詰まらせる。見かねた律希は、再び口を開いた。

「紘斗って、こういうの行きそうなイメージだったから。だから、どうしたのかなって……ごめん。言いたくないこと訊いたかな」
「あ、いや、律希がそういうの訊いてくるの、珍しいと思ったんだよ」
「え、そう?」
「だってお前、なんか他人に興味なさそうだったじゃん。流されるまま、なんでも受け入れます、みたいな。あ、けなしてるわけじゃないからな。俺はむしろ、お前のことかっこいいって思ってたよ」

 他人に興味がなさそう。確か心海にも同じことを言われた。実際、そうであるという自覚はあるが、それがこんなにも周りにバレているとは思わなかった。

 うまくやっているつもりでも、立ち回りがまだ甘いのかもしれない。そんな反省をしつつ、律希にはどこか嬉しいような気持ちもあった。

 本当の自分のことをわかってくれている人がいる。そこまで言うと勘違いになるかもしれないが、それでも、それと似た気持ちがあるのは確かだった。

「律希はなんか芯はあるっていうか、決めるところは決めるっていうか、そういう時はハッキリしてたからさ。昔、なんか女子──木村だっけ。あいつが上級生とモメた時に味方してやったりしてたよな」

 言われてみれば、そんなこともあったかもしれない。律希からすると、多分その頃はその頃でうまい立ち回りを考えていただけのような気もするけれど。

「だから、いい奴って思ってたよ、俺。他人に興味なくても、優しい奴なんだなって。そしたらさっき、俺のこと訊いてくるからさ、あー律希も昔より他人に興味持つようになったのかって。って言っても、会うの何年ぶりって感じだよな。そりゃ変わりもするか」

 正直なところ、律希は紘斗にそこまでの興味があるわけではない。ただ、この縁をすぐには切らないでおこうという気まぐれで、会話を繋いでみただけだ。
 
「……まあ、興味がなければ訊いたりしないよ」
「だから、律希も変わったんだなって」
「そうかな。紘斗も自分が変わったと思うの?」
「そりゃあ、まぁ。見ての通り。……律希、俺みたいな奴の話きいてくれる気あんの」
「あるよ、もちろん」
「そう。……そうか。ま、大したことじゃないんだけど」

 それから一呼吸置いて、紘斗は話し始めた。

「兄貴が死のうとしたんだよね」

 予想外の重みがあった紘斗の台詞にどう反応するべきかわからず、律希は言葉に詰まる。

 頭の片隅で、紘斗の兄は確か正臣の同級生で、不良のリーダーのような存在であったということを思い出していた。

「結局生きてるんだけどさ。まぁそれはどうでもよくて……いや、どうでもはよくねぇけど──とにかくその原因が、宮野の姉貴となんかあったらしいんだ。それも同窓会で」

 つまり紘斗は、宮野と顔を合わせづらいということなのだろうか。

 それにしても、律希の方からは深掘りしにくい話題だ。兄が死のうとしたという言い方は、そのまま受けとれば自殺未遂という捉え方になる。

「宮野に、会いたくないってこと?」
「いや、そういうわけじゃねぇけど……むしろ会うべきではあると思ってる。俺、宮野に言いたいことあるから。でも合わせる顔がねえっていうか……」
「……言いたいことって?」
「まぁ、なんかその、謝罪、みたいな。兄貴が死のうとしたって言ったけど……あいつ、被害者ぶってるだけなんだ。そんなんじゃねぇのに。兄貴が悪いんだよ、本当は」

 紘斗が言葉に詰まりながら話す様子は、打ち明けるべきかどうかを躊躇っているように思えた。

「……俺、紘斗の兄ちゃんたちに何があったのかはわからないけどさ、紘斗が宮野に言いたいことがあるなら、ちょうどいい機会だったんじゃないの? わざわざ呼び出して二人で会うより、同窓会って理由があるなら気が楽じゃん」
「まぁ、そりゃあそうだけど……てか、律希は? 行くの?」

 律希は一瞬、沈黙した。本当は同窓会なんて気分じゃない。けれど、ここで言うべきなのは本音ではないと思った。

「行くよ。だから紘斗も一緒に行こうよ」
「……じゃあ、行く」

 きっと、これでよかったんだ。同窓会に行くのは本望ではないけれど、これが運命というものなのかもしれない。

 心海の言う通り、運命という言葉は便利だと思った。すべてをそのせいにするのは、気が楽だ。

「あとさ、律希──」

 紘斗が言いかけたとき、誰かが自転車に乗って公園に入ってきた。それに気づくと同時に紘斗が「やべ」と小声で言って、律希の腕を掴んで遠くの出入口に走る。

「な、なに、急にどうしたの?」
「あれ、補導。俺、まだあいつら中にいるし様子見に行くから、律希はこのまま行けよ。また同窓会でな。捕まるなよ、家出少年」

 律希を公園の外へ連れ出すと、紘斗は仲間たちのためなのか来た道を戻っていってしまった。補導ということは、自転車に乗っていたのは警察官だったのだろう。

 補導されて家に帰されました──なんてことになったら、初めての家出は大失敗にも程がある。律希は紘斗の言葉に甘えて、公園を後にした。


 律希はまた、あてもなく彷徨(さまよ)い歩く。ふいに頭によぎったのは、母親のことだった。ここの最寄り駅からなら、母親の実家近くの駅への終電はまだあるだろう。

 口うるさい母親だが、鬼ではない。勉強の息抜きとでも言えば許してくれるはずだ。

 律希は母親の実家に身を寄せることを決めた。すると、頭の中でKINGが律希に臆病者と吐き捨てた。

 結局自分は、何者にもなりきれないのかもしれない。ありのままでは普通でいられないくせに、わざと道を踏み外すのは恐ろしくて、自分の行き先をちゃんと見据えることもできない。

 あんなに嫌っていた正臣は、ツミであり、KINGだった。どちらにしてもきっと彼らは、やるべきことを理解して、やりたいようにやっていたのだ。律希とは違う。

 律希は正臣がうらやましくなって、けれどすぐに、そんな感情を覚えた自分に嫌気がさした。一体、自分は今まで何を見ていたのだろう。正臣の、ツミの、KINGの何を知っているのだろう。

 答えの出ない問いを抱えたまま、人もまばらな電車の椅子に座り、不規則な揺れにからだを預ける。窓から見える小さな灯りは、ひとつひとつが人々の営みの証だった。