そう思いながら、私は名刺を取り出し、すがる思いで田辺さんに差し出した。

社名を聞いて、何も反応しないで……。


「……ごめんなさい、申し遅れました。私は月の光出版社に勤めています」

「……っ!」


まるで、化け物を見たかのように神崎マリエの目が見開く。

田辺さんもまさか、私が自分のところのライバル社の人間だとは思っていなかったようで、驚いた表情で私を見た。


「月の光出版って、もしかして、直也の……」


世間は狭いとよく言うけれど、こんな事で狭さを証明したくはなかった。

彼がクズ男ではないという事を証明したかったのに、こんな形で知ってしまうなんて……。

直也……もう、その名前が出た時点で決定的だった。


「そうです。私は辰巳直也さんの部下です」


私の所属する編集部の副編集長、辰巳直也が七海の付き合っていた彼だった……。

まさか、必死に探し求めていた答えが、すぐそばにあっただなんて。

信じられなかった、信じたくなかった。

こんな残酷な真実が待っていただなんて……。

私はノートパソコンの電源を落とし、ケースに戻した。


「……私はあなたたちのした事を絶対に許さない。身勝手でくだらない嘘で七海を死に追いやった事!」

「すみません……本当に……」


この部屋に入ってきた時のような威勢はもうどこにもなく、ただひたすら壊れたオーディオのようにずっと同じ言葉を今にも消えそうなほど小さく細い声で繰り返すばかりだった。


「田辺さん。お時間を取っていただき、ありがとうございました」

「黒澤さん……改めて、桐山さんの家にはうかがいます。その時は必ずご連絡します」

「ありがとうございます。……辛いかもしれませんが、奥様と一度いらしてください。きっと、七海のご両親が喜びます」


そう言った瞬間、涙が落ちた。

これがずっと追っていた真相だなんて、受け入れたくなかった。

どんな結果になったとしても受け止めるって決めたはずだったのに、現実はそんなに甘くなかった。

広がった闇は真相がわかった今でも、晴れそうにない。


「黒澤さん、大丈夫ですか?」

「……ごめんなさい、大丈夫です。……失礼します」


まだ、終わっていない。

涙を拭って、私は田辺さんに頭を下げた。

会議室を出ると、田辺さんが後ろから追ってくる。


「黒澤さん、これから……」

「……はい。これから行ってきます」


私の答えに、田辺さんは唇をかみしめて俯いた。


「……こんな事、何で平気な顔でできるんでしょうね。ただ僕も、桐山さんの苦しみに気付けず、死に追いやってしまった、同罪です」

「そんな事ありません。……七海にこんなに素敵な上司がいて、良かったです。本当にありがとうござました」


エレベーターに乗り込んで私は頭を下げた。