我が家は落ち延びて移り住んできた武士家系らしい。
主君を失い、すべてにおいて生きる気力を失ってしまった父の瞳は日が青空を映すのみ。
流れる雲と同じように、僕の姿さえ追うことはなかった。
そんな家で育った子供はどうなるだろうか?

「いたッ!!」
急に鋭い痛みを感じ、ジクジクと痛覚を主張する肩口を手で押さえ、慌てて周囲を見渡す。
少し離れたところに村の同年代の子供たちがたむろっている事に気がついた。
「やーい、カワザルぅ?」
その内のいっとう背の高いガキ大将が、いつものように僕につけたあだ名をねちっこく口にする。
カワザルとは川猿。
とても臆病な河童のような妖怪のことらしい。
その手には小石がぽーんぽーんと弄ばれており、次に僕に向けて投じられるのを今か今かと待っているようにさえ感じた。
僕は思わずそいつらを睨みつけるも、逆に凄み返されて地面に俯いてしまう。

先の答えがこれだ。
いつも何かから身を守るように背は丸まり、大事なものが零れてしまいそうな不安から握り込んだ手を胸に抱え込み、少しでも外との境界を求めて前髪は目を覆うように伸ばし……まるで御簾のように視界を遮っている。
そこにいるのは、常に何かに怯えるオドオドした典型的ないじめられっ子だった。


そんな地獄のような日常に転機が訪れる。
いつものようにガキ大将と取り巻きに小突き回されていると、同年代と思われる女の子が怒鳴り込んでくる。
「あんた達!たった独りを寄って集って・・・・・・恥ずかしくないの!?」
そういってガキ大将の背中に稲妻のような跳び蹴りをかまし、凜とした清廉さを感じさせる力強い瞳で射貫いた。
「なんだぁ!?」
「親分!こいつ確か最近村に越してきた奴だ!」
「やばいよ……こいつの父親って、戦で大層な人数斬り殺したって噂のお侍様だよ」
「おいっ、お前ら逃げるぞ!」
まさに蜘蛛の子を散らすように、というのはこういう光景なんだろうと唖然と呆けてしまった。

「大丈夫?まったく格好悪いわよねぇー」
女の子は「ぎゃふんと言わせてやらないと駄目よ」とか「私たちも協力しようか?」とか、色々な気遣いの言葉を投げかけてくれたが、僕の耳は右から左へ素通りさせるばかり。
ただただ、女の子のその輝くような笑顔から目が外せなかった。
言いたいことを言い切ってスッキリしたのか、一緒に来ていた友達と思しき子を連れてじゃあねと去って行く。
僕の釘付けになった目は、その後ろ姿にも見送ることしかできなかった。

焦がれるような想いが胸の内に渦巻き、その日から僕の人生は一変する。
あの娘に恥ずかしい様を見せたくない。
あの娘の隣に胸を張って立ちたい。
あの娘の特別になりたい。

どうやらその娘の名前は“ちよ”というらしい。
ちよはいつも村の外れにある大きな楠のところで友達と遊んでいる。
直接声をかける勇気のない僕は、近くの茂みからこっそり会話を盗み聞きするのが精一杯だった。
後ろめたいことだとわかっていたが、それでもちよが理想とする男子の手がかりが欲しくて必死だった。
あるとき、待望の機会が訪れる。

『やっぱり男の子たるもの、駆けっこが速くないと!』
その日から僕は来る日も来る日も野山を駆け回り鍛錬にいそしんだ。
雨の日も、雪の日も。
もう無理だ!許してくれ!とそんな悲鳴が心の中に湧き起こり、足がもつれて大転倒。
傷だらけになったこともあった。
それでも、心に突き動かされた足が止まることはなかった。