あれから数日が経ち、乃彩は遼真と温泉に来ていた。遼真曰く、新婚旅行らしい。
それまで遼真は事後処理で多忙だったようだ。雪月子爵らが憑依された理由は依然として不明だった。
憑依に理由はない。亡者は身体を奪いやすい人間を狙うだけ。たとえ術師であっても。
廃工場爆破事件も鬼の仕業と結論づけられた。
日夏公爵家のパーティーで感じた妖気、子どもたちに甘茶が振る舞われた件も、鬼の関与が疑われるが、その意図は不明だ。なぜ子どもを狙ったのか――。
温泉宿の駐車場で車を降り、乃彩は思わず伸びをした。真夏の太陽がぎらつくが、緑の香る風が暑さを和らげる。
「静かなところですね」
「山だからな」
遼真が荷物を下ろす。
「チェックインしたら、辺りを歩いてみるか?」
「何かあるんですか?」
「川と滝」
そういえば、露天風呂から滝が見えるらしい。
そのとき、乃彩のスマートフォンが鳴った。友人の少ない乃彩にとって、連絡は家族か遼真くらいだ。だが、遼真は目の前にいる。となると。
「誰だ?」
遼真がすかさず尋ねる。乃彩は慌てて確認する。
「修一さんです。会って話したいと言われていたけど……。」
一連の騒動で返事を忘れていた。
「おまえのスマホ、貸せ」
「え?」
返事する間もなく、遼真にスマートフォンを奪われた。彼はカメラを起動し、乃彩を抱き寄せて写真を撮る。背景は山。
「それを雨水に送れ」
「意味がわかりません」
「いいから送れ。新婚旅行中だと文章も添えろ」
「ですから、意味がわからないんです。修一さんには旅行中だと返事しますけど……。」
乃彩には遼真の意図がさっぱりだった。修一には「旅行中なので帰ったら連絡します」とメッセージを送った。
荷物を部屋に置き、二人は山道を散策し始めた。木々の影が暑さを遮り、葉擦れの音が涼を添える。
少し歩くと、水の激しい音が聞こえた。
「滝のところに虹が見えます」
「悪くないだろ、こういう場所も」
「そうですね。自然の音に耳を傾けるのも、時には必要かもしれません」
大地の息遣いが心地よい。
「そういえば、おまえに聞きたいことがあった」
「はい、なんでしょう?」
自然に囲まれ、今ならどんな大胆なことでも言えそうな気がした。
「高校卒業後、どうするつもりだ? 俺との婚姻は続くが、おまえはおまえの好きなことをすればいい」
「そうですね」と乃彩は答えた。
「大学に進学したいです。教師になって、力を使えない生徒に寄り添いたい」
それは補習の女性教師の言葉がきっかけだった。
――あなたは生きたいように生きればいい。
「なるほど。おまえらしいな。」
遼真が乃彩の頭をくしゃりと撫でた。
「なら、帰ったら受験勉強だな。内部進学でも試験はある。ま、おまえなら大丈夫だろ、奥さん」
遼真の見下ろす顔を、乃彩は眩しそうに目を細めて見つめ返した。
【完】
それまで遼真は事後処理で多忙だったようだ。雪月子爵らが憑依された理由は依然として不明だった。
憑依に理由はない。亡者は身体を奪いやすい人間を狙うだけ。たとえ術師であっても。
廃工場爆破事件も鬼の仕業と結論づけられた。
日夏公爵家のパーティーで感じた妖気、子どもたちに甘茶が振る舞われた件も、鬼の関与が疑われるが、その意図は不明だ。なぜ子どもを狙ったのか――。
温泉宿の駐車場で車を降り、乃彩は思わず伸びをした。真夏の太陽がぎらつくが、緑の香る風が暑さを和らげる。
「静かなところですね」
「山だからな」
遼真が荷物を下ろす。
「チェックインしたら、辺りを歩いてみるか?」
「何かあるんですか?」
「川と滝」
そういえば、露天風呂から滝が見えるらしい。
そのとき、乃彩のスマートフォンが鳴った。友人の少ない乃彩にとって、連絡は家族か遼真くらいだ。だが、遼真は目の前にいる。となると。
「誰だ?」
遼真がすかさず尋ねる。乃彩は慌てて確認する。
「修一さんです。会って話したいと言われていたけど……。」
一連の騒動で返事を忘れていた。
「おまえのスマホ、貸せ」
「え?」
返事する間もなく、遼真にスマートフォンを奪われた。彼はカメラを起動し、乃彩を抱き寄せて写真を撮る。背景は山。
「それを雨水に送れ」
「意味がわかりません」
「いいから送れ。新婚旅行中だと文章も添えろ」
「ですから、意味がわからないんです。修一さんには旅行中だと返事しますけど……。」
乃彩には遼真の意図がさっぱりだった。修一には「旅行中なので帰ったら連絡します」とメッセージを送った。
荷物を部屋に置き、二人は山道を散策し始めた。木々の影が暑さを遮り、葉擦れの音が涼を添える。
少し歩くと、水の激しい音が聞こえた。
「滝のところに虹が見えます」
「悪くないだろ、こういう場所も」
「そうですね。自然の音に耳を傾けるのも、時には必要かもしれません」
大地の息遣いが心地よい。
「そういえば、おまえに聞きたいことがあった」
「はい、なんでしょう?」
自然に囲まれ、今ならどんな大胆なことでも言えそうな気がした。
「高校卒業後、どうするつもりだ? 俺との婚姻は続くが、おまえはおまえの好きなことをすればいい」
「そうですね」と乃彩は答えた。
「大学に進学したいです。教師になって、力を使えない生徒に寄り添いたい」
それは補習の女性教師の言葉がきっかけだった。
――あなたは生きたいように生きればいい。
「なるほど。おまえらしいな。」
遼真が乃彩の頭をくしゃりと撫でた。
「なら、帰ったら受験勉強だな。内部進学でも試験はある。ま、おまえなら大丈夫だろ、奥さん」
遼真の見下ろす顔を、乃彩は眩しそうに目を細めて見つめ返した。
【完】



