その日、遼真が帰ってきたのは太陽が沈み、夏の夜空にまん丸い月が真上に輝く頃。
「おかえりなさいませ、遼真様」
 パタパタと乃彩が出迎えに行くと、げっそりとした遼真の姿があった。
「お食事は?」
 遅い時間であるため、もしかしたら食べてきたかもしれない。
「頼む」
「奥様、奥様。そういうときは、ご飯にする? お風呂にする? それとも……」
 バシッ! とものすごい音が響いたと思ったら、啓介が「痛いです、遼真様~」と涙目になっている。
「アホなことを乃彩に教えるな。それに、おまえは四十のオッサンか? 古いぞ」
「ひどい! 場を和ませようとしただけなのに……」
 二人のやり取りに乃彩は笑みをこぼし、食堂へ向かう。加代子には先に休んでもらったので、乃彩が手早く準備する。
「別に、おまえがやらなくてもいいのに」
 食事の支度をする乃彩を見て、遼真がぼやく。
「わたくしがやりたかったんです。それに、お話を聞かせてください」
 加代子を下がらせたのは、遼真から話を聞きたかったからだ。
「どれから話すか? まずは妹のことか?」
 遼真は食事をしながらぽつぽつ話し始める。
「おまえを呼び出したのはあの狐だ。乃彩の力が必要だと。俺たちが呼ばれたのは、冬賀一族の術師が憑依されたからだ」
 術師の憑依は大きな問題だ。だから公爵らが呼ばれたのだろう。
「わたくしが呼ばれたのは、莉乃の治癒のためですよね?」
「そうだ」
「莉乃は鬼に襲われたと聞きました。なぜ襲われたか、ご存知ですか?」
「推測だが」と前置きし、遼真は続ける。
 琳の見解では、莉乃が勝手に魂の浄化を行ったことで鬼の逆鱗に触れたらしい。無理やり浄化された魂は異界に送られ、鬼がそれに気づいた。
「なんともない魂が勝手に異界に送られてくる。鬼にとっては迷惑だ」
「それで莉乃が襲われた?」
 だが、乃彩の胸にはもやもやが残る。
「狐はそう考えてる」
 遼真の言い方は相変わらずだ。義父である琳に敬意は微塵もない。
「憑依されていた人たちは?」
 茉依、祐二、雪月子爵、茶月男爵。あの場で四人が亡者に憑依され、鬼の力で操られていた。
「四人とも憑依を解いた。だが、いつどこで憑依されたかはわからない。術師の血を引く者が憑依されるとはな。心の闇を狙われたんだろう」
「わたくしのせいですか?」
 乃彩はテーブルに置いた手に力を込めた。
「なんでそうなる?」
「わたくしが雪月子爵を治癒して、多額のお金を請求したから……」
「金を請求したのはおまえじゃないだろ? おまえの父親だ。力を使って治癒したのに、報酬を求めるのが悪いか? おまえが治癒しなければ、死んでたかもしれないだろ」
 乃彩は瀕死の彼らを救うため呼ばれた。医療術師でも匙を投げた命だった。
「はい……」
「必要な対価だ。だが、そこにはからくりがある」
「からくり?」
「だからおまえの父親は腹黒狐なんだ」
 遼真は一息つき、味噌汁をすする。
「おまえが治癒した雪月と茶月。あいつら、汚い方法で金を稼いでいた」
「汚い方法?」
「雪月はゼネコンと癒着し、談合だ。情報を横流ししてキックバックをもらっていた。官製談合だな」
 術師華族は皇帝を支える国の組織の一部だ。中央議会には公爵四人と侯爵十二人が参加する。
「つまり、春那公爵はおまえを使って雪月の汚い金を回収した」
「あ……」
 感情が渦巻き、言葉が出てこない。
 乃彩はミルクティーのカップに手を伸ばす。手が微かに震えていた。遼真に見守られながら、一口飲む。
「大丈夫です。続けてください」
 ミルクティーが喉を通り、乃彩は言った。
「茶月は違法賭博だ。仲間を引き込んで稼いでいた」
「そのお金を?」
「春那公爵がいくら請求したかは知らんが、雪月と茶月の違法な金は全部回収したらしい」
「そうだったんですね……」
 金儲けのために利用されたと思っていた父親が、実は違った。
「お父様も、最初からそう言ってくれれば……」
 悔しさも悲しさも、恨みすら生まれなかっただろう。