啓介が運転する車で自宅に戻るものの、隣に座る乃彩はどこか一点を見つめたままだった。
車内には微かに現代音楽が流れているが、これは啓介の趣味だ。キーンとした高音の不協和音が響いたところで、車は停止する。
「どうした?」
「工事をしているようですね。片側交互通行」
別に急いでいるわけではない。ただ、先ほどからずっと黙している乃彩が気になるだけ。
何か声をかけようとはしたが、何を言ったらいいかがわからなかった。
遼真だって、いつ、どうやって、乃彩が学園から連れ去られたのかなどを聞きたかった。それがわかれば、次の対策が打てるからだ。
しかし、それを今、聞いてはいけないような気がしている。だから何を言ったらいいのかがわからない。
「奥様。冷たいものでも食べていきませんか?」
対向車が行きすぎるのを待っている間、啓介がいきなり口を開いた。
「だって、あそこ。暑かったですよね?」
ただでさえ汗が吹き出す季節だというのに、日中の気温のあがる時間帯に、乃彩は走って逃げていたわけだ。
彼女を抱きとめた遼真でさえも、その身体が熱いとは思っていた。
「かき氷が食いたい。南屋に寄れ」
「ええ? 僕、奥様に聞いたんですけど」
「おまえの主は誰だ? 黙って従え」
はいはい、と啓介が肩をすくめてから、アクセルをゆっくりと踏んだ。
南屋は老舗の菓子屋である。創業百年の目前にし、土蔵造りの趣のある建物が特徴的だ。それでも入り口は大きなガラス扉になっていて、立ち寄りやすい雰囲気を醸し出す。
隣の駐車場に車を停めてみたものの、乃彩はなかなか降りようとしない。
「こんなくそ暑い中、車の中にいてみろ」
遼真がそう言ったところで、彼女も渋々と車から降りた。口数も少なく、見るからに気落ちしている。それを少しでも晴らしたくて、南屋に連れてきたのだ。
店の前に立ち、重いガラス扉を押し開く。その瞬間、ひんやりとした冷気が頬に触れ心地よい。
「いらっしゃいませ。あら、遼真くん。久しぶりね」
老舗和菓子店だった南屋だが、洋菓子を扱うようになったのはここ数年のこと。製菓学校を卒業し、他の店で修行していた娘が戻ってきたからだと聞いている。その娘だって遼真よりも十歳近く年上。
よく百合江と足を運んでいたため、すっかりと顔なじみとなり、遼真に対しても砕けた話し方をする。
「百合江さんは? あら、乃彩さん。今日は生大福、品切れてしまって……」
乃彩はばつの悪そうな顔をする。
「今日は、生大福じゃない。かき氷を二つ……三つか?」
啓介に視線を向ければ、彼は嬉しそうにうんうんと頷いている。
「もちろん。遼真様のおごりですよね!」
子犬のようにじゃれつく啓介は、年上の女性から受けがよい。
「ちっ。仕方ない……乃彩、どの味がいいんだ?」
突然、話を振られた乃彩は、ピクッと身体を震わせる。だが、それに気づかぬふりをして遼真は言葉を続ける。
「イチゴ、抹茶、マンゴー、どれがいいんだ?」
「乃彩さんなら、抹茶がいいと思うけれど?」
南屋の娘店員と乃彩は、すっかりと顔なじみのようだ。
「では、抹茶をお願いします……」
消え入りそうな語尾で、彼女はなんとかそう答えた。
「啓介はイチゴだろ?」
「そうです。さすが遼真様。僕のことをよくわかっていらっしゃる」
遼真はほんの少し悩んでから、イチゴにした。
イートインスペースで、かき氷がくるのを待つ。
「乃彩、ここにはよく来るのか?」
「あ、はい……おばあさまと、大福を……」
そうだろうなとは思っていたが、乃彩も百合江もそのことを決して話そうとはしなかった。まるで、二人だけの秘密だとでも言うかのように、遼真が探りを入れても誤魔化していたのだ。
「かき氷は食べたことないのか?」
「そうですね……いつもおばあさまとは、生大福をいただいております」
「もしかして、それが俺に知られるのが嫌で、車から降りようとしなかった……とかではないよな?」
また身体を震わせた乃彩の姿を見れば、図星だったようだ。
「お待たせしました」
書き氷が三つ、テーブルの上に並ぶ。それらは子どもの顔ほどの大きさがあり、驚いた乃彩は目を瞬いた。
「いやぁ、今日は暑かったですね」
啓介がサクリサクリとかき氷を食べ始めたため、乃彩も黙ってスプーンを動かし始める。
彼女が何を考え、何を思っているかなんて、まったくわからない。
だが、どこか感情をくすぶらせているのは確かだ。それでもこうやって食で涼を求めることができているのだから、しばらくすれば彼女から話を切り出してくれるかもしれない。
「はぁ……美味しいです。っていうか、あそこ。本当に暑かったですよね」
「そりゃそうだろ。今は使われていない場所だ。空調なんて効いているわけがない」
「ですが……事務所のようなところは、そうでもありませんでした」
乃彩の言葉にさすがの啓介も手を止めた。
車内には微かに現代音楽が流れているが、これは啓介の趣味だ。キーンとした高音の不協和音が響いたところで、車は停止する。
「どうした?」
「工事をしているようですね。片側交互通行」
別に急いでいるわけではない。ただ、先ほどからずっと黙している乃彩が気になるだけ。
何か声をかけようとはしたが、何を言ったらいいかがわからなかった。
遼真だって、いつ、どうやって、乃彩が学園から連れ去られたのかなどを聞きたかった。それがわかれば、次の対策が打てるからだ。
しかし、それを今、聞いてはいけないような気がしている。だから何を言ったらいいのかがわからない。
「奥様。冷たいものでも食べていきませんか?」
対向車が行きすぎるのを待っている間、啓介がいきなり口を開いた。
「だって、あそこ。暑かったですよね?」
ただでさえ汗が吹き出す季節だというのに、日中の気温のあがる時間帯に、乃彩は走って逃げていたわけだ。
彼女を抱きとめた遼真でさえも、その身体が熱いとは思っていた。
「かき氷が食いたい。南屋に寄れ」
「ええ? 僕、奥様に聞いたんですけど」
「おまえの主は誰だ? 黙って従え」
はいはい、と啓介が肩をすくめてから、アクセルをゆっくりと踏んだ。
南屋は老舗の菓子屋である。創業百年の目前にし、土蔵造りの趣のある建物が特徴的だ。それでも入り口は大きなガラス扉になっていて、立ち寄りやすい雰囲気を醸し出す。
隣の駐車場に車を停めてみたものの、乃彩はなかなか降りようとしない。
「こんなくそ暑い中、車の中にいてみろ」
遼真がそう言ったところで、彼女も渋々と車から降りた。口数も少なく、見るからに気落ちしている。それを少しでも晴らしたくて、南屋に連れてきたのだ。
店の前に立ち、重いガラス扉を押し開く。その瞬間、ひんやりとした冷気が頬に触れ心地よい。
「いらっしゃいませ。あら、遼真くん。久しぶりね」
老舗和菓子店だった南屋だが、洋菓子を扱うようになったのはここ数年のこと。製菓学校を卒業し、他の店で修行していた娘が戻ってきたからだと聞いている。その娘だって遼真よりも十歳近く年上。
よく百合江と足を運んでいたため、すっかりと顔なじみとなり、遼真に対しても砕けた話し方をする。
「百合江さんは? あら、乃彩さん。今日は生大福、品切れてしまって……」
乃彩はばつの悪そうな顔をする。
「今日は、生大福じゃない。かき氷を二つ……三つか?」
啓介に視線を向ければ、彼は嬉しそうにうんうんと頷いている。
「もちろん。遼真様のおごりですよね!」
子犬のようにじゃれつく啓介は、年上の女性から受けがよい。
「ちっ。仕方ない……乃彩、どの味がいいんだ?」
突然、話を振られた乃彩は、ピクッと身体を震わせる。だが、それに気づかぬふりをして遼真は言葉を続ける。
「イチゴ、抹茶、マンゴー、どれがいいんだ?」
「乃彩さんなら、抹茶がいいと思うけれど?」
南屋の娘店員と乃彩は、すっかりと顔なじみのようだ。
「では、抹茶をお願いします……」
消え入りそうな語尾で、彼女はなんとかそう答えた。
「啓介はイチゴだろ?」
「そうです。さすが遼真様。僕のことをよくわかっていらっしゃる」
遼真はほんの少し悩んでから、イチゴにした。
イートインスペースで、かき氷がくるのを待つ。
「乃彩、ここにはよく来るのか?」
「あ、はい……おばあさまと、大福を……」
そうだろうなとは思っていたが、乃彩も百合江もそのことを決して話そうとはしなかった。まるで、二人だけの秘密だとでも言うかのように、遼真が探りを入れても誤魔化していたのだ。
「かき氷は食べたことないのか?」
「そうですね……いつもおばあさまとは、生大福をいただいております」
「もしかして、それが俺に知られるのが嫌で、車から降りようとしなかった……とかではないよな?」
また身体を震わせた乃彩の姿を見れば、図星だったようだ。
「お待たせしました」
書き氷が三つ、テーブルの上に並ぶ。それらは子どもの顔ほどの大きさがあり、驚いた乃彩は目を瞬いた。
「いやぁ、今日は暑かったですね」
啓介がサクリサクリとかき氷を食べ始めたため、乃彩も黙ってスプーンを動かし始める。
彼女が何を考え、何を思っているかなんて、まったくわからない。
だが、どこか感情をくすぶらせているのは確かだ。それでもこうやって食で涼を求めることができているのだから、しばらくすれば彼女から話を切り出してくれるかもしれない。
「はぁ……美味しいです。っていうか、あそこ。本当に暑かったですよね」
「そりゃそうだろ。今は使われていない場所だ。空調なんて効いているわけがない」
「ですが……事務所のようなところは、そうでもありませんでした」
乃彩の言葉にさすがの啓介も手を止めた。



