バツ印令嬢の癒し婚

「そうだろうね。だけど、おじさんもおばさんも、次期公爵夫人として期待を寄せていたのは、乃彩。君だよ?」
 修一のその言葉が信じられず、乃彩は目を細くする。今までの両親の態度を振り返っても、どこに期待をされていたのかがまったくわからない。
「わたくしは無能です。両親は、どちらかといえば、わたくしを家から追い出したかったはず。力のない術師は一族の恥ですから」
「表向きはね。だが公爵らは、君を隠して他の術師の目から遠ざけていたと言ったら信じる?」
「信じられるわけがありません」
「そうだよね」
 困ったように息を吐いた修一は、カップに手を伸ばす。褐色の液体の表面が波打った。
 修一が珈琲を飲むのを、乃彩はじっと待った。
「乃彩。君は、君自身が思っているよりも、周囲は君に期待を寄せている。君が十五歳になった頃から、縁談の打診が届くようになったと、おじさんは言っていた。だからその縁談から遠ざけるために、君の力を利用して、無理やり結婚させたとも聞いている」
「修一さんはわたくしの力を知って……?」
「詳しくは知らないよ。治癒能力があってそれが限られた条件下でしか使えないって。それも決して口外してはいけないと、きつく言われた。だけど他の力は使えないというのも知っている。君との結婚については何年も前から考えていたから、おじさんに相談していた。でも、おじさんに言われたんだ。乃彩に求婚するのは、乃彩が高校を卒業してからだって。高校生のうちは勉学に励んでもらいたいから、だそうだよ」
 修一が先ほどから語っている相手は、本当に乃彩の父親のことなのだろうか。
「本来であれば、君は春那一族から相手を捜すべきなんだ。日夏公爵との結婚だなんて、四大公爵の力の均衡が崩れる」
 力の均衡なんて乃彩は知らない。ただ、一族の者同士で結婚するのが多いなと、そう思っていただけ。
「先日の結婚発表は、日夏公爵と春那公爵が手を結んだと思われても仕方のないことなんだ。だけど、おじさん……春那公爵は、乃彩はもう娘じゃないと周囲に言いふらして、日夏公爵家との関係に変わりはないことを伝えていた。まぁ、それをどれだけの人間が鵜呑みにしたかはわからないけれど」
 遼真と勝手に結婚したことで、琳は乃彩を勘当した。親子の縁を切ると言い切ったのだ。
 先日のパーティーでも「娘とは思っていない」と、乃彩の前ではっきりと口にした。
 だが、それには修一が言うような意図があったとしたら――。
「乃彩。日夏公爵と別れてほしい。そして、僕と結婚してくれないか?」
 さまざまな情報が乃彩の頭の中に入り乱れて、すぐに答えを導き出すことができない。
「日夏公爵は、男の僕から見ても、素敵な男性だと思う。君が惹かれるのも仕方ない。だけど、やはり日夏公爵との結婚だけは駄目なんだ」
 そう言った修一の言葉の中には、彼のやさしさが見え隠れする。
 しかし駄目だと言われても、今さら結婚をなかったものにしたくない。
 乃彩は、気持ちを落ち着かせるためにミルクティーを飲もうとしたのに、カップを持つ手が気づかぬうちに震えていた。
 チラリと修一が、乃彩の手元に視線を向ける。
「別に今すぐでなくてもいい。結婚の発表をしたばかりだからね。高校を卒業するまで……一年くらいは待つよ。元からそのつもりだったから。それに、君たちはまだ、結婚式も挙げていないだろ? 式を挙げる前に別れてほしいんだ」
 入籍よりも挙式のほうが、周囲に与える印象は大きい。
 この結婚は、最初から契約結婚。条件をすべて満たしたとき、二人は離婚する。それはわかっているつもりだ。
「わたくしは……」
 一口だけ飲んだミルクティーのカップを戻して言いかけたとき、乃彩の手元に影が落ちた。
「俺の妻を口説くのをやめてもらえないか?」
 背後から、低く深く響く声が耳に届き、乃彩は大きく肩を震わせた。
 振り向くと、遼真が精悍な顔つきで立っている。口元には微かに笑みを浮かべているものの、視線だけは鋭く修一を射貫いていた。
「日夏公爵……」
 動揺した修一の目は、大きく見開かれる。
「遼真様、どうしてここに?」
「どうして? おまえがいつもの時間に帰ってこないから、心配になって迎えに来ただけだ」
 そう言った遼真は、乃彩の隣にどさっと腰をおろした。
「では、俺にも話しの続きを聞かせてもらおうか? 雨水侯爵子息の修一くん」