バツ印令嬢の癒し婚

 パーティーの片づけを終え、帰宅したのは夜九時を過ぎた頃だった。
 着物に締め付けられていた乃彩は、帯を解くだけで解放感に浸る。加代子に手伝ってもらい着物を脱ぎ、簡素なワンピースに着替えた。
「奥様、お腹が空いていませんか? 食堂に軽食を用意しています」
 加代子に言われると、不思議とお腹が鳴る。
「ありがとう」
 乃彩は加代子に案内され、食堂へ向かった。そこには遼真の姿もあった。
「おまえも食べるのか? ああいう場では、ホスト側は食事に手を出せないからな」
「はい。ただ、わたくしの場合は、着物の締めつけが……」
「ずいぶん雰囲気が変わったな」
 遼真はグラスを傾け、ワインでも飲んでいるようだ。
「奥様、何を飲まれますか?」
 加代子の声に、乃彩は即答する。
「温かいミルクティーをお願いします」
 テーブルには小さなロールパン、クラッカー、果物などが並んでいた。
「今日は疲れただろう? 食べたら早く寝ろ」
 遼真の言葉は、夜更かしする子どもを叱るような口調だ。
「でも、遼真様の治癒が先ですよ」
 会場の雰囲気は良くなかった。誰かが妖気を放ち、会場を満たそうとする意図が明らかだった。
 きっと昨年も似たような空気で、百合江が妖気にまとわりつかれていたに違いない。
 今年も同じ懸念があったが、乃彩が素早く妖気を祓った。
 温かいミルクティーが目の前に置かれる。
「加代子さんも、早くお休みくださいね」
「お気遣いありがとうございます」
 加代子は柔らかな笑みを浮かべ、立ち去った。新婚夫婦を気遣い、二人きりにするつもりらしい。
「そういえば、子どもたちの件、よく気づいたな。助かった」
「いえ、偶然です。聡美さんのテーブルに行かなければ、気づきませんでした」
「その偶然も、必要な能力だ」
 遼真は目を細め、クラッカーを口にした。彼も会場ではほとんど食事をとっていなかった。
「聡美さんのおかげです。麦茶を青いスカーフの給仕が持ってきたことを覚えていてくれたから、気づけました」
「スカーフの色で給仕の役割を決めるなんて、よく思いついたな。ばあさんはそんなことしない」
「はい。春那家主催のパーティーでは、母がよく……」
 彩音が言っていた。お酒の入った場では、よからぬことを考える者がいる。酒が信頼できるところから提供されたか見極める必要がある、と。
「一見、男性が青、女性が赤という先入観を利用しました。犯人は給仕の格好で私たちを欺こうとしたけど、スカーフを見落としたようです」
「俺もおまえから聞かなければ、スカーフの意味に気づかなかった。だが、それで被害が広がる前に防げた」
「はい」
 白磁のカップに口をつけると、紅茶の香ばしさとミルクのまろやかな味わいが広がる。空腹の胃に温かい液体が染みわたった。
 一息ついて、乃彩は続ける。
「会場で妖気を感じていました。昨年のおばあさまのこともあったので。ただ、子どもを狙うとは思いませんでした」
 パーティーに参加するのは未就学児。そんな子を狙うのは卑劣だ。
「だから、麦茶と偽って甘茶を飲ませようとしたんだろう。甘茶は昔から飲まれているが、過去に子どもが中毒を起こした例がある。症状は嘔吐や吐き気で、早ければ三十分以内に現れるが、数日で回復し重症化しない。パーティーを騒がせるには最適な演出だ。だが、おまえが早く気づいたおかげで、他の子どもに症状は出ていない」
 啓介がすぐ動いてくれたため、他の子どもたちはまだ甘茶を飲んでいなかった。ジュースがあれば、子どもはそちらを好む。お茶は一口で顔を背け、またジュースに戻る。幼児用のジュースは味が濃くないが、それでも十分だ。
 念のため、甘茶を飲んだ可能性のある子どもたちは俊介に診てもらった。結果、中毒症状は出ていない。
「どうやら、日夏に恥をかかせたい者がいるようだな」
 遼真の言葉に、乃彩は答えなかったが、同じ考えだった。
「ところで、聞きたいことがある。」
「はい?」
「あの男は、誰だ?」