乃彩が遼真と結婚して一週間が経った。
百合江の気の病は、やはり妖気によるものだった。あの日、乃彩が百合江に誘われて外に出た際、彼女の身体を支えるふりをして癒しの霊に語りかけた。すると、百合江にまとわりついていたどす黒い空気が、ぱっと晴れていった。間違いなく、彼女は妖気に侵されていたのだ。
妖気は力を持たないものでも、敏感な術師には影響を及ぼすことがある。それは「におい」に似ているかもしれない。普通なら気にならないにおいでも、敏感な人には不快なものだ。それと同じ現象である。
妖気を祓った百合江は、きびきびと動き始めた。
「まだ招待状を送っていないの?」
パーティーまで一か月以上あるとはいえ、準備が遅れていることに百合江は声を上げた。調子を取り戻した彼女は気力に満ち、パーティーの準備状況を把握すると、招待客の対応を一手に引き受けた。
乃彩は昨年のメニューを参考に今年の料理を考えるよう指示され、さらにはパーティー用の服の手配まで任された。遼真が着物を提案したところ、そこだけは百合江に褒められた。今日、授業後にその着物の採寸が予定されている。
乃彩は百合江の本当の性格を知らないが、啓介によると「一年の充電期間を終え、以前よりさらにバイタリティにあふれている」とのこと。げっそりした表情でそう話していた。
乃彩もパーティー準備でさまざまな指示を受けるが、嫌な気はしない。むしろ楽しい。
だが、学校ではいつものように息を潜め、他人と関わらないよう心がけていた。
自席で一人弁当を食べる乃彩に、影が落ちた。
「お姉ちゃん、相談があるの」
声だけで、それが莉乃だとわかった。他の生徒がいる前で、彼女は猫なで声で話しかけてきた。
乃彩は甘い卵焼きを飲み込み、顔を上げた。
「どうしたの?」
「ここでは、ちょっと。ね?」
莉乃はわざとらしく周囲を見回し、困ったふうに首を傾げる。
「莉乃様がわざわざ来てるのに……」
「高慢な姉よね」
「力もないくせに」
そんな声が聞こえるが、乃彩は意に介さず卵焼きをもう一つ食べる。日夏家の卵焼きは格別だ。
「お姉ちゃん、お願い」
両手を合わせて懇願する莉乃の姿は、あざといとしか言いようがない。弁当はまだ半分残っていたが、乃彩は蓋をして立ち上がった。
「ありがと、お姉ちゃん」
莉乃は乃彩の腕にしがみつき、鋭い視線で睨みつけてきた。教室を出て廊下を進むが、莉乃はいつまでも腕を離さない。乃彩が逃げると思っているのだろうか。
「莉乃、逃げないから離しなさい。歩きにくいわ」
「仲の良い姉妹を演じてるだけでしょ?」
「どうせ、体育館の倉庫かその裏に連れてくつもりでしょ?」
「そうね。室内か屋外、好きなほうを選ばせてあげる」
「あなたからしたら、目立たないほうがいいんじゃない?」
腕を組んで歩く二人の前では、人がさっと道を空ける。
「莉乃様よ?」
「無能な姉と一緒だなんて、何かあったのか?」
二人並ぶだけで、周囲の話題になる。乃彩にはそんな声すら鬱陶しい。だが、彼らは莉乃を持ち上げ、好かれようとしている。できれば、莉乃の隣に並びたいとでも思っているのだろう。
結局、乃彩が連れていかれたのは体育館の倉庫だった。
「午後から実技のテストなの。わかってるでしょ?」
莉乃はテスト前に霊力を回復したいらしく、そのために乃彩をこんな人けのない場所に連れ出したのだ。
「普通に授業を受けるだけなら、霊力を使う場面はないでしょう?」
術師としての能力を磨く以外に、一般教科の授業もある。それだけなら霊力を使う必要はないはずだ。
「お姉ちゃん、知らないの?」
莉乃の言葉に、乃彩は怪訝そうに目を細めた。
「最近、魂が多いのよ。学園内にも入り込んでくる。放っておけば、鬼に操られて亡者になるでしょ?」
「まさか……あなた、勝手に魂を浄化しているの?」
魂は亡くなった者の想い。特に亡くなってから四十九日以内は、地上にとどまっていることも多いが、たいていは四十九日を過ぎれば、自ら天へと還っていく。
未練が残って四十九日を超え地上にとどまる魂を強制的に天に送ることも浄化と呼び、迷える魂を浄化させるのも術師の役目。これは残された魂が鬼によって操られ、亡者となるのを防ぐためでもある。
しかし、四十九日以内の魂を強制的に浄化させてはならない。この四十九日は、この世からあの世へと向かうための準備期間ともされているからだ。
百合江の気の病は、やはり妖気によるものだった。あの日、乃彩が百合江に誘われて外に出た際、彼女の身体を支えるふりをして癒しの霊に語りかけた。すると、百合江にまとわりついていたどす黒い空気が、ぱっと晴れていった。間違いなく、彼女は妖気に侵されていたのだ。
妖気は力を持たないものでも、敏感な術師には影響を及ぼすことがある。それは「におい」に似ているかもしれない。普通なら気にならないにおいでも、敏感な人には不快なものだ。それと同じ現象である。
妖気を祓った百合江は、きびきびと動き始めた。
「まだ招待状を送っていないの?」
パーティーまで一か月以上あるとはいえ、準備が遅れていることに百合江は声を上げた。調子を取り戻した彼女は気力に満ち、パーティーの準備状況を把握すると、招待客の対応を一手に引き受けた。
乃彩は昨年のメニューを参考に今年の料理を考えるよう指示され、さらにはパーティー用の服の手配まで任された。遼真が着物を提案したところ、そこだけは百合江に褒められた。今日、授業後にその着物の採寸が予定されている。
乃彩は百合江の本当の性格を知らないが、啓介によると「一年の充電期間を終え、以前よりさらにバイタリティにあふれている」とのこと。げっそりした表情でそう話していた。
乃彩もパーティー準備でさまざまな指示を受けるが、嫌な気はしない。むしろ楽しい。
だが、学校ではいつものように息を潜め、他人と関わらないよう心がけていた。
自席で一人弁当を食べる乃彩に、影が落ちた。
「お姉ちゃん、相談があるの」
声だけで、それが莉乃だとわかった。他の生徒がいる前で、彼女は猫なで声で話しかけてきた。
乃彩は甘い卵焼きを飲み込み、顔を上げた。
「どうしたの?」
「ここでは、ちょっと。ね?」
莉乃はわざとらしく周囲を見回し、困ったふうに首を傾げる。
「莉乃様がわざわざ来てるのに……」
「高慢な姉よね」
「力もないくせに」
そんな声が聞こえるが、乃彩は意に介さず卵焼きをもう一つ食べる。日夏家の卵焼きは格別だ。
「お姉ちゃん、お願い」
両手を合わせて懇願する莉乃の姿は、あざといとしか言いようがない。弁当はまだ半分残っていたが、乃彩は蓋をして立ち上がった。
「ありがと、お姉ちゃん」
莉乃は乃彩の腕にしがみつき、鋭い視線で睨みつけてきた。教室を出て廊下を進むが、莉乃はいつまでも腕を離さない。乃彩が逃げると思っているのだろうか。
「莉乃、逃げないから離しなさい。歩きにくいわ」
「仲の良い姉妹を演じてるだけでしょ?」
「どうせ、体育館の倉庫かその裏に連れてくつもりでしょ?」
「そうね。室内か屋外、好きなほうを選ばせてあげる」
「あなたからしたら、目立たないほうがいいんじゃない?」
腕を組んで歩く二人の前では、人がさっと道を空ける。
「莉乃様よ?」
「無能な姉と一緒だなんて、何かあったのか?」
二人並ぶだけで、周囲の話題になる。乃彩にはそんな声すら鬱陶しい。だが、彼らは莉乃を持ち上げ、好かれようとしている。できれば、莉乃の隣に並びたいとでも思っているのだろう。
結局、乃彩が連れていかれたのは体育館の倉庫だった。
「午後から実技のテストなの。わかってるでしょ?」
莉乃はテスト前に霊力を回復したいらしく、そのために乃彩をこんな人けのない場所に連れ出したのだ。
「普通に授業を受けるだけなら、霊力を使う場面はないでしょう?」
術師としての能力を磨く以外に、一般教科の授業もある。それだけなら霊力を使う必要はないはずだ。
「お姉ちゃん、知らないの?」
莉乃の言葉に、乃彩は怪訝そうに目を細めた。
「最近、魂が多いのよ。学園内にも入り込んでくる。放っておけば、鬼に操られて亡者になるでしょ?」
「まさか……あなた、勝手に魂を浄化しているの?」
魂は亡くなった者の想い。特に亡くなってから四十九日以内は、地上にとどまっていることも多いが、たいていは四十九日を過ぎれば、自ら天へと還っていく。
未練が残って四十九日を超え地上にとどまる魂を強制的に天に送ることも浄化と呼び、迷える魂を浄化させるのも術師の役目。これは残された魂が鬼によって操られ、亡者となるのを防ぐためでもある。
しかし、四十九日以内の魂を強制的に浄化させてはならない。この四十九日は、この世からあの世へと向かうための準備期間ともされているからだ。



