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勢いと興味によって乃彩と結婚して五日が経った。もう五日なのか、まだ五日なのかもわからないが、彼女はこの家に馴染んでいる。
「なんだ? 緊張しているのか?」
遼真は一歩遅れてついてくる乃彩に声をかけた。
祖母の百合江に改めて結婚の報告をするため、二人は離れに向かっていた。
乃彩はマキシ丈の花柄のワンピースを着ており、その顔つきと立ち居振る舞いからも良家のお嬢様という雰囲気を醸し出している。この気配すら自然と放っていることに、本人は気づいていない。
「そうですね。緊張しているかもしれません」
黙っているとツンとすましていて、声もかけづらいように見える彼女だが、話を始めるとそうでもない。会話は続くし、ひねった受け答えすらしてくる。
「何も緊張する必要はない」
「そう言われましても、日夏家の嫁として認めていただけるのか不安なんです」
「おまえなら大丈夫だと言ってるだろ? 俺が信用できないのか?」
「そういうわけではないのですが……」
そして時折見せる、このようなしおらしい姿。
そうやって乃彩を励ましながら渡り廊下を歩いていると、百合江の部屋の前に着いた。
扉をノックすれば、穏やかな声が返ってくる。
「遼真です。ご機嫌はいかがですか? おばあさま」
「まぁまぁ、遼真さん。今日は先生も啓介くんもいらしているの」
百合江の肩越しに俊介と啓介の姿が見えた。先に、彼女の様子を確認していたのだろう。祖母が普段いる部屋は洋間だ。離れには他にも和室や水回りなど一通りの部屋が揃っている。
いつも彼女がこの部屋にいるのは、開放的な窓から庭が見えるから。大きな椅子を窓際に置き、それに座って揺られながら外を眺めているのが祖母の日常でもあった。
「そうですか。今日は、おばあさまに紹介したい方がおりまして」
「それでわざわざ来てくれたのね。さあさ、どうぞ。乃彩さんもどうぞ、遠慮せずに」
百合江は乃彩の名前を覚えていた。
その事実に驚いているのは俊介だ。
一年ほど前から、百合江は記憶の混濁と幻聴、幻覚などに悩まされるようになっていた。長年連れ添った伴侶を失った悲しみから、そうなったのではないかというのが、俊介の診断結果である。また、彼女の霊力にも乱れがある、と。
「遼真様」
乃彩が遼真の上着の裾をつつっと引っ張り、小声で呼び止めた。それは百合江に聞こえぬようにという配慮なのだろう。
「なんだ?」
「あの。こう言っては失礼かもしれませんが……この部屋は、妖気に満ちています。大奥様の幻聴や幻覚というのは、この部屋の妖気のせいかと思うのですが」
「ちょっと待て」
乃彩は切れ長の目で真っすぐに遼真を見つめてくる。
「俺は何も感じない。とにかく、まずはおばあさまに挨拶を」
はい、と乃彩は顎を引いた。
「大奥様、改めてご挨拶させてください。このたび遼真様の妻となりました乃彩と申します」
「まぁ、大奥様だなんて。そんな他人行儀な」
百合江の機嫌はすこぶるよい。
「では、わたくしもおばあさまとお呼びしてもよろしいですか?」
乃彩が真顔で尋ねれば百合江はにこやかに微笑んでいる。
「ええ、もちろん。さぁどうぞ、お座りになって」
乃彩は悩んだのか、遼真に視線を向けてきた。先ほどの彼女の話は気になるものの、この状況では聞くに聞けない。
先に遼真がソファに座ると、乃彩も同じように腰をおろした。横目で彼女を見やると、その視線に気づいたのか小さく頷く。
遼真の目から見ても百合江の調子はよさそうだ。だが、いつもであれば、ふとした瞬間に豹変する。その前兆を見逃さないためにも、俊介らには側にいてもらったほうがいい。
「啓介くん。お茶の用意を頼んでもよろしいかしら?」
「もちろんです。いつもの大福も用意してありますよ」
「おばあさま。俺と乃彩でやりますよ。彼女はここに来るのもはじめてですから、案内もかねてよろしいですか?」
遼真が割って入ると、百合江はニコニコとした笑みを浮かべ、遼真と乃彩を交互に見つめる。
「まぁまぁ、仲がよろしいこと。ではお願いしますね」
座ったばかりであるが、遼真は立ち上がる。それにならって乃彩も慌てたように腰を上げた。
「乃彩、案内しよう」
「はい、ありがとうございます」
「大奥様。遼真様は奥様にベタ惚れなんですよ」
内緒話にもなっていない啓介の声が、後方から聞こえた。
勢いと興味によって乃彩と結婚して五日が経った。もう五日なのか、まだ五日なのかもわからないが、彼女はこの家に馴染んでいる。
「なんだ? 緊張しているのか?」
遼真は一歩遅れてついてくる乃彩に声をかけた。
祖母の百合江に改めて結婚の報告をするため、二人は離れに向かっていた。
乃彩はマキシ丈の花柄のワンピースを着ており、その顔つきと立ち居振る舞いからも良家のお嬢様という雰囲気を醸し出している。この気配すら自然と放っていることに、本人は気づいていない。
「そうですね。緊張しているかもしれません」
黙っているとツンとすましていて、声もかけづらいように見える彼女だが、話を始めるとそうでもない。会話は続くし、ひねった受け答えすらしてくる。
「何も緊張する必要はない」
「そう言われましても、日夏家の嫁として認めていただけるのか不安なんです」
「おまえなら大丈夫だと言ってるだろ? 俺が信用できないのか?」
「そういうわけではないのですが……」
そして時折見せる、このようなしおらしい姿。
そうやって乃彩を励ましながら渡り廊下を歩いていると、百合江の部屋の前に着いた。
扉をノックすれば、穏やかな声が返ってくる。
「遼真です。ご機嫌はいかがですか? おばあさま」
「まぁまぁ、遼真さん。今日は先生も啓介くんもいらしているの」
百合江の肩越しに俊介と啓介の姿が見えた。先に、彼女の様子を確認していたのだろう。祖母が普段いる部屋は洋間だ。離れには他にも和室や水回りなど一通りの部屋が揃っている。
いつも彼女がこの部屋にいるのは、開放的な窓から庭が見えるから。大きな椅子を窓際に置き、それに座って揺られながら外を眺めているのが祖母の日常でもあった。
「そうですか。今日は、おばあさまに紹介したい方がおりまして」
「それでわざわざ来てくれたのね。さあさ、どうぞ。乃彩さんもどうぞ、遠慮せずに」
百合江は乃彩の名前を覚えていた。
その事実に驚いているのは俊介だ。
一年ほど前から、百合江は記憶の混濁と幻聴、幻覚などに悩まされるようになっていた。長年連れ添った伴侶を失った悲しみから、そうなったのではないかというのが、俊介の診断結果である。また、彼女の霊力にも乱れがある、と。
「遼真様」
乃彩が遼真の上着の裾をつつっと引っ張り、小声で呼び止めた。それは百合江に聞こえぬようにという配慮なのだろう。
「なんだ?」
「あの。こう言っては失礼かもしれませんが……この部屋は、妖気に満ちています。大奥様の幻聴や幻覚というのは、この部屋の妖気のせいかと思うのですが」
「ちょっと待て」
乃彩は切れ長の目で真っすぐに遼真を見つめてくる。
「俺は何も感じない。とにかく、まずはおばあさまに挨拶を」
はい、と乃彩は顎を引いた。
「大奥様、改めてご挨拶させてください。このたび遼真様の妻となりました乃彩と申します」
「まぁ、大奥様だなんて。そんな他人行儀な」
百合江の機嫌はすこぶるよい。
「では、わたくしもおばあさまとお呼びしてもよろしいですか?」
乃彩が真顔で尋ねれば百合江はにこやかに微笑んでいる。
「ええ、もちろん。さぁどうぞ、お座りになって」
乃彩は悩んだのか、遼真に視線を向けてきた。先ほどの彼女の話は気になるものの、この状況では聞くに聞けない。
先に遼真がソファに座ると、乃彩も同じように腰をおろした。横目で彼女を見やると、その視線に気づいたのか小さく頷く。
遼真の目から見ても百合江の調子はよさそうだ。だが、いつもであれば、ふとした瞬間に豹変する。その前兆を見逃さないためにも、俊介らには側にいてもらったほうがいい。
「啓介くん。お茶の用意を頼んでもよろしいかしら?」
「もちろんです。いつもの大福も用意してありますよ」
「おばあさま。俺と乃彩でやりますよ。彼女はここに来るのもはじめてですから、案内もかねてよろしいですか?」
遼真が割って入ると、百合江はニコニコとした笑みを浮かべ、遼真と乃彩を交互に見つめる。
「まぁまぁ、仲がよろしいこと。ではお願いしますね」
座ったばかりであるが、遼真は立ち上がる。それにならって乃彩も慌てたように腰を上げた。
「乃彩、案内しよう」
「はい、ありがとうございます」
「大奥様。遼真様は奥様にベタ惚れなんですよ」
内緒話にもなっていない啓介の声が、後方から聞こえた。



