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 遼真にとって、(たちばな)啓介(けいすけ)は秘書であり運転手であり親友のような存在だ。その啓介が運転する車の後部座席に、遼真は乃彩と並んで座っている。
 乃彩は遼真の左手を両手で包み込み、ふにふにと揉んでいる。まるでツボを押すような手つき。
 春那乃彩と名乗る彼女の制服は、遼真が数年前まで通っていた宝暦学園のものだ。それだけで彼女がしっかりした身分の持ち主であることがわかる。
 立ち居振る舞いや容姿からも、相当な家柄と推測できた。さらに、遼真の妖力に気づいたことから、彼女が強い霊力を持つことも明らかだった。
 突然腕を掴まれ、力強い眼差しで「結婚していただけませんか?」と言われたときは、勧誘かナンパ、あるいは詐欺かと疑った。
 しかし、乃彩は遼真が日夏公爵家の当主だと知らなかったようだ。術師協会の集まりに顔を出すのは成人になってからで、未成年は出入りできない。
 遼真が公爵位を継いだのは大学卒業後の約一年前。継承の儀に乃彩がいるはずもなく、遼真の名前は知っていても顔は知らないというのも自然なことだろう。
 協会に所属しなければ、術師同士が顔を合わせる機会は少ない。
 それでも、彼女が「結婚」を口にした理由だけがわからなかった。
 真剣に遼真の手を揉む乃彩をじっと見つめるが、彼女は視線に気づかず、手を動かし続ける。
 艶やかな黒髪が真っすぐに伸び、頬にいくつかかかる様子は大人びている。
「……いつまで俺の手を触っているつもりだ?」
「申し訳ありません。解呪を試みているのですが、うまくいかなくて……」
「解呪? 俺が呪いを受けていると言ったな?」
 乃彩はこくりと頷く。
「俺の呪いは霊力の弱い者には気づけない。解呪も難しい」
「日夏公爵家の当主を呪う相手とは……それに、妖力も強い?」
 乃彩は遼真の手をさわさわと触りながら目を細め、呪いの根源である妖力を探っているように見えた。
 「……この妖力」
 遼真が言葉の先を奪う。
「ああ、悪鬼のものじゃない。そいつらの親玉、鬼の呪いだ。だから解呪はできない」
 乃彩は唇を噛み、思案する。
「この呪いは公爵様の霊力に複雑に絡みついています。このままでは霊力が妖力に呑まれるでしょう」
「ああ、そうだろうな」
「わかっていたのですか?」
「まあな」
 遼真は生まれたときからこの妖力に侵されている。
 母親は産後の混乱と息子の将来を案じ、遼真を生かすか悩んだという。それでも祖父が「生かす」と決めたおかげで今がある。
 遼真は妖力を体内に抑え込み、家族の助けで生きてきた。
 母親は遼真が三歳のときに季節性の感冒で亡くなり、遼真は祖父母の養子となった。
 祖父は妖力を抑える力強い支えだった。だが、一年半前に祖父が亡くなり、遼真は自身の霊力だけで妖力を抑えてきた。
 しかし、その限界が近づいていることを自覚していた。
 そんなとき、春那公爵の娘である乃彩と出会った。