「そろそろ帰りましょうか」
 奈々さんは再び懐中電灯のスイッチを入れると来た道を引き返した。僕も黙ってそれに続いた。
 桟橋の袂から短い坂を上ると人の世に帰って来たような気がした。お墓の脇を通り過ぎた辺りで奈々さんが立ち止まった。
「純君、懐中電灯消してみて」
 奈々さんに言われた通りにすると途端に闇が再び濃くなった。
「草むらの中を見てごらんなさい」
 僕は道の脇に寄って草むらに目を凝らした。そこでは、よく注意して見ないと気づかないくらい小さな白い光がいくつか点滅を繰り返していた。
「見えた?蛍」
「はい、僕、初めて見ました。でも蛍って、もっと大きいものかと思っていました。それに飛ばないんですね」
「私も飛ぶのは見たことないわ。じゃあ、戻りましょうか」
 道の先方に向き直って奈々さんが懐中電灯のスイッチを入れようとした時だった。右側の草むらから一匹の蛍が飛び立った。蛍はどこか危なげな動きで道を横切ると道路の左側に消えていった。
「飛んだね」
 奈々さんがつぶやいた。
「はい、飛びました」
「私、初めて見たわ」
「僕も、なんか、感動しました」
 蛍が飛ぶのを見た。世の中で起こっている様々なことと比べれば、取るに足りない些細な出来事だったが、それを奈々さんと一緒に見ることができたことが僕はすごく嬉しかった。小さな秘密を奈々さんと共有できたような気がした。