日野さんは立ち上がると、オジイたちが座っているのとは反対側の壁際に置かれた棚から人数分の歌集を取り出してきて僕たちに配った。日野さんにとっては毎度のことという様子だった。
歌集は手作りのもので、表紙にはオジイやのむら荘の建物、それにハイビスカスやブーゲンビリアの写真が載っていた。
「じゃあ、まずは1ページ。やっぱり『安里屋ユンタ』からかな。奈々ちゃん、よろしく」
オジイが声を掛けると奈々さんは立ち上がり、後方のテレビの台の下から三線のケースを持ってきた。再び席に座り直すとケースから三線を取り出し、右手の人差し指に三線の演奏に使う爪の様な道具をつけた。それから、左手で糸を巻きながら、自分の耳だけで音を合わせていった。ごく何気ない仕草なのに、僕にはそれがとても美しいもののように感じられた。
奈々さんが歌おうとしている「安里屋ユンタ」は、かつて竹富に住んでいたクヤマという絶世の美女の歌だということはガイドブックを読んで知っていた。
「じゃあ、始めます」
奈々さんがイントロを弾き始めた。その瞬間に鳥肌が立った。初めて聴く生の三線の音は僕の心に波を立てた。しかし、それはまだ、ただの細波に過ぎなかった。イントロに続く奈々さんの歌声が響き始めた時、僕は津波のような大波に飲まれ一瞬息が止まった。
糸を押さえる左手と、それを弾く右手の動きが艶やかだった。僕の目は歌う奈々さんの姿に釘付けになっていた。まるで伝説のクヤマがそこにいるような気がした。僕が呆けているうちに歌は終わってしまった。他の人たちが拍手をした時、僕はやっと我に返った。