今は四時四十三分。明日の今ぐらい、俺は彼女と二人きりで祭りに行ってる。そう考えると心配になる。ちゃんと喋れてるだろうか、いつも通りを演じてれるだろうか。顔は赤くなったら戻らないだろう。やっぱり俺に花火大会を見に行くのは早いかもしれない。
「今日のご飯どうするんだろな」
俺がいろんなことを考えてると兄がそんなことを言い出した。確かにどうしようか。二人は帰ってくるのが遅くなるからご飯は食べて帰るとか言ってたような気がする。そうとなったら作るのは俺と兄の二人分だけ。それなら今からでも作れる。
「「俺がなんか作る、えっ?」」
「兄さん同じこと言わないでよ」
「恒星こそ同じこと言うなよ」
同じタイミングで同じことを言う。兄弟だなって感じて口元が緩んだ。せっかくなので二人で作ろうと言うことになって、冷蔵庫に残っていた具材を使ってなんとかカレーを作ることができた。幸せ、懐かし、暖かみ、いろんな想いが詰まった味がした。
美味しいご飯が胃の中に入って幸せ気分のまま風呂に入り、明日のための眠りについた。
夜が明けたばかりなのにこんなに眩しいことあるか?鳥も蝉も泣いて、車のエンジン音や踏み切りがカンカンなる音が聞こえる。七時ぐらいは通勤の人が多い時間帯でもあるからこのぐらいの賑やかさは当然か。俺もそろそろ起きないとな。
「今何時…?」
時計が指す針は十二時五十七分。まだ十二時五十七分じゃないかって、ん?
十二時五十七分!?いやそんなはずない、何かの見間違いだ。寝ぼけて時計の針も読めなくなったのか。笑えるな。目を擦りもう一度時間を確かめる。十二時五十七分。これはやばいぞ。大大大寝坊をしてしまったようだ。
花火大会当日、あんなに楽しみで待ちきれずにいたのに寝坊することあるか?
焦りと驚きでベットから立ち上がりカーテンとクーラーを切らずにリビングに向かった。ソファーにはのんびりとくつろいでる兄の姿。ドタバタしてきたからか戸を開ける前からこちらを見ていた。
「おはよう。ずいぶん遅かったね。あんなに楽しみにしてそうだったのにもしかして寝坊した?」
「そう、今からじゃもう昼ご飯だよ」
「仕方ないよ。昼ご飯って言っても少し遅いけど、いいんじゃない?俺がご飯用意するから部屋のカーテン閉めてとクーラー切ってきて。切ってないでしょ?音しなかったから分かるよ。バタートーストと目玉焼きベーコンでいい?」
「白ご飯と味噌汁、納豆がいいな。米の方が腹持ちするし」
「了解。ほんの少し大盛りにしとくわ」
何か言った気がしたが、聞こえなかった。クーラー切って、カーテン開けて、ついでに昨日の勉強道具を片付け忘れてたのでそれも片付け、買ってもらった服が入った袋を持ってリビングに戻る。
「準備できてるから、時間はあるしゆっくり食べたら?喉詰まらせるよ」
「じゃあいただきます」
手をパンっと合わせる箸を持つ。目の前には昨日兄が作った味噌汁と納豆、今日はひきわりが切らしてたのか大粒タイプの納豆だ。 なぜか白ご飯はいつになく多い。
「白ご飯、多くない?俺の錯覚?」
「錯覚じゃないよ。俺、さっき大盛りにしとくわって言ったけど、聞こえてないんだよ。バタバタしてたから」
そう言うことね。確かにさっき何か言ってたけど聞こえてなかった。大盛りだから仕方ないのかもしれないけど、多いな。こりゃ、食べるのに時間がかかるぞ。
一口一口きっちり三十回噛み、さっきのバタバタはどこへやら。普通盛りでも時間がかかるのに、大盛りだからもっと時間がかかってしまった。
「もう腹いっぱい。昼にこんな腹いっぱいになったのは久しぶりだ。誰かさんのせいで」
「いいじゃないか。お前は身長の割に肉がついてないんだし、細身だからもっと食べないと駄目だ。男は食べる!」
「食べろって言われても胃袋にも限界があるんだぞ。無理に入れたら俺の場合腹壊すから程よく食べないと駄目なんだ」
「それなら仕方ないか。早めに準備したほうがいいと思うから服も着替えたら?」
さっき持ってきた袋の中から服を取り出し、地面に並べる。真っ黒、白、灰、派手すぎないシンプルな色のティーシャツとこれまたシンプルな黒と白の半ズボン。昨日兄と買いに行き、兄は派手な服を推してきたが普段の俺の性格上おとなしめの色のほうが、と言うことになってそうすることにした。夕方だけど暑いだろうし、歩き回るので半ズボンで動きやすい格好にする。
「どれがいい?俺的にはシンプルに上が白で下が黒の組み合わせがいいと思う」
「兄さんがそう言うなら俺はそれがいいな」
「じゃあこれ着てきて」
案外速攻で決まったので良かった。俺一人だったらこんなに早く決まってないだろう。 そもそもこんな服すら買わずに家にあるダサい服を着て行くはずだった。自分ではダサいと思わないけどオシャレに詳しい人、彼女とかはドン引きするに決まってる。オシャレとか服選びって難しいのかなと脳内にはてなを作りながら脱衣所に向かう。
パジャマを畳んでワゴンに置き、新品の服に手足を通す。上の服は接触冷感付きなのかな。肌に触れるとスースー?ひんやりする。
半ズボンは歩くと擦れ合ってシャカシャカなる、みんながシャカパンっていうのはこのことかな。
風呂場についてる鏡で自分を見る。三百六十度回って全体をチェック。兄のセンスだしなんか自分でもオシャレって思う。シンプルだけど、いい。雰囲気とかだけだけどな。
「兄さーん、これでいい?ってびっくりした!?いつからそこに居たのさ」
「五秒前。クルクル回って全身見てるところぐらいから居た。いいんじゃない?めっちゃオシャレだしかっこいいと思うよ。じゃあ次は髪な。今のままでも全然おかしくはないんだけど、ちょっとワックスとかスプレーしてもっとかっこよくしようか。いい?」
ワックス、スプレー、かっこよくする、このワードは一生俺に関係ない言葉達だと思ってたのに。今兄さんは言ったよな。俺が髪を整えてもいいのか。かっこよくなってみていいのか。そうだ、この世に駄目なものはない。
「兄さんお願い。俺をかっこよくしてくれ」
「兄ちゃんに任せときなさい」
片手で胸あたりをポンっと叩き気合いの意を見せる。ショルダーバッグからスプレー、ワックスを取り出したのにびっくりした。
「それ、兄さん用に持ってきたの?それとも常に持ち歩いてるの?」
「普段の買い物では持ち歩いてるわけじゃないけど、泊まりの時は持ってくるかな」
モテる男は違うな。俺からしたら泊まりに行くだけでオシャレグッズ持っていく?って感じなんだけどな。髪の毛整えるなら水で十分だと思うけど、寝癖も直るし。泊まりに行く時は持ち歩く、それぐらい大事なものなのか。
「恒星、髪質いいな。羨ましいー。俺の髪バサバサって言うか枝毛みたいなのがピンピン出てくるから面倒なんだよね」
「髪質がいいと髪が整えやすいの?」
「俺はそっちのほうがいいと思うけどな。あっ、ワックスってベタベタしてるから髪引っ張ったらごめんな。痛かったら痛いって言って」
「痛いのぐらい我慢できるよ。子供じゃあるまいし」
そうかそうかとコクコク頷きながら、ちょくちょくと俺の髪が整えられていく。さっきまで目が隠れそうなぐらい真っ直ぐだった前髪を額の真ん中より少し右寄りにして分け、ワックスで形を作っていく。ある程度できたらスプレーで固めて手櫛で綺麗にしてもらったら。
「よし、完成。美容師じゃないから上手くはできないけどこんなもんでいいかな?」
手鏡をこちらに向け、自分の姿とご対面。
…これが、俺?本当に俺なのか?そうだとしたら全くの別人じゃないか。服装も髪型も少し違うだけで本当の自分じゃない自分になった気分だ。彼女が見たらびっくりするだろうな。あんなに地味だったのにオシャレして、髪の毛キメて。誰だか分かってもらえないかもしれない。うわー、本当に誰?って鏡に向かってずっと問いかけてる。でも帰ってくるのは自分の姿だけ。
「いい感じだよ。それにめっちゃ興味津々だね。俺が手鏡持ってたのに、無意識だろうね奪い取って自分で持ってるし」
「ごっごめん!無意識だわ。自分じゃなくなったみたいで思わず」
自分のことが好きなやつみたいと勘違いされたら恥ずかしいのでこれ以上は見ないでおこう。貸してもらった手鏡を兄に返し一緒に片付けをする。
「俺一人で片付けるから、テレビ見てていいよ」
「してもらったんだから、兄さんは手、洗ってきなよ。バッグに入れたらいんでしょ?」
「ありがと、じゃあ片付けといて」
よいしょっと立ち上がり洗面所に足を運んで行った。その間にスプレーとワックスの蓋を閉めて周りの汚れを取ってからバッグになおした。
今は二時十二分。あと二時間ちょっと待たないといけない。でもあと二時間したら彼女に会ってるのか。一週間待ち続けてここまで辿り着いた。そう考えると時間が経つのが早いのか遅いのか分かんないな。
「兄さん、少し勉強してくるわ」
「勉強?しなくてもいんじゃない?たった一日しなくたって大丈夫だよ。頭いいんだから今日はオフの日と言うことで勉強するの禁止」
「しなくてもいいのかな?やっぱりしたほうがいいんじゃ…」
「はいはい、心配しなくて大丈夫。兄の言う通りにしときなさい。それで怒られたら俺がどうにかするから」
勉強をしなくてもいい日?そんな日があってもいいのか?勉強に依存してるわけじゃないけど、なんかソワソワって言うかムズムズする。兄さんは、兄さんを信じなさいと言う目で見てくる。圧をかけられているような、勉強をすると言う選択は与えません的な強制的な感情を感じるぞ。逆らったら殺されそうなのでここは潔く従うことにしとこう。
「じゃあ今日はオフにしておこうかな」
「それでよし。じゃあテレビでも見て暇を潰そう。四時前に俺は帰るから」
何見ようかな。アニメとかは興味ないし、スポーツ中継とかもあんまりだな。ニュースでいいか。リモコンを地デジに変えて良さそうなニュースを開く。
「ニュース見るのか?アニメとかじゃなくていいのか?」
「アニメとか見ないからキャラとか分かんないし、そもそも興味ないからニュース派」
「言われてみればぽいわ。ニュース好きそうな顔してる」
「どんな顔だよ、ニュースが好きそうな顔って」
ツッコミがよほど面白かったのか、兄はお腹を抱えて笑ってる。それに釣られて俺も笑う。二人でこんなに笑うのは久しぶりだ。
「あー笑いすぎてお腹痛い。スマホ見よ」
「切り替え早。ちょっと掃除機かけるからうるさくなるよ」
「家事もするのか。へー、料理できる、掃除できる、勉強できる、できる男だな」
「兄さんと比べたらまだまだだよ」
「おんなじぐらいできるよ。なんなら恒星のほうができるかもしれないね」
「そうだったらいいけど」
素っ気ない感じで返事をしたけど、本音を言うと結構嬉しい。兄さんを目指して頑張ってるわけじゃないけど、できないよりはできるほうがいいし、いざとなった時に役に立つかもしれない。
コンセントを限界まで伸ばし、掃除機をかける。せっかく髪を綺麗に整えてもらったので、なるべく汗をかかないよう水に濡らしてパタパタはたくと冷たくなる冷感タオルを事前に用意して首元に巻く。これがあるとないとでは全然違う。
テキパキ働いて三十分ぐらいでかけ終わることができた。夏場の掃除機は息が切れる。
「疲れたー」
「お疲れ様。氷水飲んだほうがいいよ。暑いから熱中症になるよ」
中くらいのコップに水を入れる。いつもなら水道水のみだが、今は生温い水を飲む気分じゃない。贅沢に氷を使ってキンキンに冷えた氷水を飲みたい。氷水を作るとするか。まぁ、作ると言っても氷入れるだけだけどな。 時計の針は三時をギリギリ通過してない、二時五十五分。ついでに軽くおやつを食べてお腹を満たしとこう。彼女の前でお腹がなった時、恥をかくのは自分だからな。
何食べようかな。ポテチとかのスナック菓子は気分じゃない。暑いからさっぱりしたのが食べたい。冷凍庫の中を確認したら二個、レモンシャーベットのアイスが残ってた。兄さんも食べるかな。オシャレさせてもらったお礼として持っていくか。こんなのがお礼になるか分かんないけど。
「兄さんアイスいる?シャーベットアイス」
「おぉー、気がきくね。ちょうど何か食べようかなって思ってたから。少し早いけど食べたら帰るわ。なんか分かんないけど渋滞するかもらしい」
「それなら早めに帰ったほうがいいね」
霜がふりかけたアイスの蓋を開けてスプーンで突く。硬いような柔らかいアイスだ。
小さな氷の粒が入ってて、レモンが酸っぱめだから美味しい。この猛暑が続く夏にぴったりだ。噛むごとに口の中でシャリシャリ音がする。
俺が半分も食べれてないのに対し、隣では美味しかったとお腹をさすりゴミ箱にカップを捨てる兄の姿。
「早くない?ちゃんと噛んだ?早食いは良くないよ」
「噛んでない、飲み込んだ。思ったより渋滞するらしいからごめんけどもう出るわ」
「そうなんだ。それなら早食いしても仕方ないか」
一旦食べるのを止め、兄のことをお見送りする。外は異常なぐらい暑い。アイスを食べて冷やした身体が芯から熱くなっていくのがわかる。
「デート楽しんでこいよー」
「だからデートじゃないって。花火見にいくだけだから。昨日今日は色々ありがとう。気をつけて帰ってね」
「どういたしまして。俺こそ一日ありがとな。じゃあまた八月ぐらいに帰ってくる」
子供らしけどハイタッチしてから運転席側の窓を閉めて車を発進させた。見えてないだろうけど手を振って、車が角を曲がったところで家に入った。
「少し休憩しよう」
フーッと一息ついてソファーに座る。そうだ、まだアイス食べ終わってないんだ。一段下におりてテレビを見ながらアイスを口に運ぶ。テレビを見てはスプーンを動かす。この作業を数回繰り返し、ようやく食べ切った。
「甘いけど酸っぱかったなぁ。ごちそうさまでした」
キッチンに行って、プラスチックのカップは洗って燃えるゴミと分別して捨てる。スプーンは洗って食器棚に戻す。
時間はあと一時間。兄が帰ったから勉強しても怒られはしないが、今からだとキリが悪くなる。途中で終わって行くのも自分の気が落ち着かないだけなのでテレビでも見よう。
「この時間に入ってるニュースをお伝えします。東京都新宿区で火事が起こりました。今日午前十時四十一分頃黒煙と炎が出てると110番通報がありました。この火事で木造住宅一棟が全焼。火は一時間後にほぼ鎮火しましたが焼け跡から一人の遺体が見つかりました。この家に住む八十代の男性と連絡が取れ通らず、警察は身元の確認と発火原因を調べています。では次のニュースです。あの人気タレントが自殺か…」
亡くなったとか自殺とかよく平気な声で言えるよな。それが仕事だから仕方ないんだけど、俺だったら無理だな。その後も人が亡くなったとか事故が起こったとか悲しいニュースばかり続く。この番組は楽しいとか笑顔になるニュースは取り上げないのかよ。違う番組にしよ。番組表を開いて見たこともないニュース番組を開く。これなら良さそうだ。たまに悲しいのもあるけどさっきのに比べたらマシだ。
でも俺は知らない。まさかこれが最悪の悲劇を招くとは、俺を奈落の底へと落とすなんて思ってもいなかった。
黙々とテレビを見進めて三十分ぐらい経っただろうか。四時を過ぎたところで超速報が入ってきた。ライブって書いてある、てことはことは今起きてるやつなのかな。…しかも俺の住んでる近くじゃないか。
「今超速報が入りました、超速報です。十代と見られる女性が飲酒運動をしていた六十代の男性にはねられる事故が発生、現場は車、人通りの多い交差点で…」
事故が起きた場所、十代の女性、と言うワードが耳に入って取れなかった。画面に映し出されていく光景に全身が震え、思わず立ち上がった。すごく、ものすごく嫌な予感がした。まさかとは思った、絶対、絶対に違うと思った。けど、俺の嫌な予想な的中してしまった。
大きなテレビ画面に映し出されたのは元の形状が分からないぐらい折れ曲がり、部品がバラバラに散乱したピンク色の自転車。タイヤもサドルもペダルもベルも自転車に付いている部品は全て外れ遠くまで跳ね飛ばされ、近くには衝撃が強過ぎて外れてしまったんだろうヘルメット。パステルぽいピンクのヘルメットには数え切れないぐらい傷が入っていた。この自転車、ヘルメットには見覚えがある。絶対に同じものだ。これは、この自転車とヘルメットは、家に送ってあげた時に見たことがある。俺が家に送ったことがある人物は一人しかいない。
事故に遭ったのは彼女だ。
気づいたらテレビを切り、靴を履いて玄関を飛び出していた。
パトカーと救急車のサイレンの音がする。 どこだ、どこだ。…あそこ。あそこにいる、俺の高校の近く。
玄関を出て数秒も経ってないのに汗が滲み出してきた。サンダルのマジックが閉まってないのか、履けてないのか一歩を踏み出すたびに脱げそうになる。それでも俺は走った。とにかく走った。体力はない。でも急がないと間に合わない、彼女の命取りのカウントダウンが始まてる。
心臓がドクドク暴れて、うるさい、耳障りだ。一つ一つの鼓動が今までにないぐらい大きい。
血管が、筋肉が、ギュッと引き締まってるのが分かる。
全身から滝のように流れ出てくる大量の汗を無視し、身体中にまとわりつく暑さを切り裂き、退けた。
あと何メートル、走れば着くだろう。あと何秒、走るのを我慢したら彼女の元にいけるだろう。長い。まだまだ走らないといけない。
目の前に蛇行運転しながら走る自転車。二十歳ぐらいだろうに横に四台で並んで、バカバカしい。どいてくださいなんて声をかけてる暇はない。わずかな隙間を見つけすり抜けようとしたらぶつかりそうになった。
「っ、あぶねーんだよ!どけ!」
「あぁ?なんか文句あんのかよ?調子乗り上がって、ケンカ売ってんのかぁ?」
「うっせぇ!黙ってろ!」
チッと舌打ちをしてから大声で怒鳴った。今の俺は俺じゃない。誰かに操られてる。彼女のことで頭がいっぱいで、それどころじゃないんだ。お前らみたいなイキリとガキに付き合ってる暇はない。
ギロリと睨んだら肩を震わせて反対方向に逃げて行った。少しでも早く彼女の元に行かないと間に合わない。救急車で運ばれたらどこの病院に連れて行かれるか分からない。自分も一緒についていかないと駄目だ。
高校が見えてきた。音も近くなってる。あと少し、あと少し待ってくれ。
鼻呼吸だから取り込める酸素の量が少ない、苦しい。咳込みが止まらない。肺を引き裂くような痛み、喉もカラカラして全身が水を求めている。
でも我慢だ。本当は口を開けながら走ったらいけないと体育で言ってだけど、このままじゃ酸素不足になって俺も死んでしまう。膝に手をつき大きく吸い込んで再び走り出す。足が鉛のように重たい。誰かから足を引っ張られてるみたいだ。グッと力を入れて踏ん張らないと足が前に進んでくれない。
でもこの角を曲がればあの交差点に着く。
角を曲がってすぐ見えたのは周囲に散乱した自転車と跳ねた車の部品と事故を起こした男が警察官と話をしているの。もじもじ、ナヨナヨしている姿にはらわたが煮えたぎる。お前が飲酒運動なんかしなければこんなことにならなかったのに。もし取り返しがつかなかったらどうするんだよ。怒りに操られて危うく殴りかかろうかと思った。それより、彼女はどこだ。 んな方向に首を回し、目に映ったのは灼熱の地面に横たわり出血してるためだろうブルーシートで周りを隠され見えなくなっていく光景。
「輝麗!輝麗!」
俺の喉からこんな大きな声が出るのかと言うぐらいデカい声で彼女の名前を呼ぶ。さっきヤンキーたちに怒鳴った時より大きいと思う。呼ぶよりも叫ぶのほうが近いと思う。
俺の声に反応して警察官、救急隊員、人々の視線がこちらに切り替わる。戸惑いをみせる警察官、鋭い目つきで睨むようにしてみる救急隊員、大勢の視線が、圧が、俺を押し寄せ脅してくる。普段の俺だったら足がすくんで動けないだろう。でも今は関係ない。そんなことでビビってる場合じゃない。一刻も早く彼女の元に行かないと。
もう一度走り出しより彼女の近くに行く。
「これ以上一般の方は入らないでください。この先は通すことができませんので、申し訳ありませんが下がってください」
規制テープを潜り抜け近づこうとしたら一人の若い救急隊員に止められた。
「輝麗!輝麗は大丈夫なんですか!?助かりますか!?教えてください」
「警告します、下がってください。これ以上近づこうとするなら業務執行妨害で警察に訴えますよ」
クソが、訴えるなら訴えろよ、お前の好きにしとけばいい。邪魔なんだよその手が。邪魔だからどいてくれ。ほんの数秒でもいいから彼女の手を握らせてくれ。大丈夫だよ、なんとかなるよって声をかけさせてくれ。
「お願いします。俺を輝麗と一緒に救急車に乗せてください。そうじゃないと駄目なんです。輝麗一人じゃ駄目なんです。お願いします。ここを通させてください」
力を緩めたら膝から崩れ落ちてしまう。必死に踏ん張って立ち、人生で初めて人に向けて頭を下げた。今俺にできることはこれしかない。必死に願うことしかできない。
警察官が来て俺の両脇を抱えようとする。
「待ってください!お願いします。少しだけでもいいので輝麗の近くに行かせてください」
男の反応はない。下を向いてても分かる。話が通じない、頭のおかしい子供だと思って鋭い目つきで見てるんだろう。警察が腕にグッと力を込め俺を引き下げようとする。
もう、駄目なのか。諦めないといけないのか。ここまで辿り着いたのに。これ以上進めないのか。このまま連れていかれる、色んなことでパニックになり、奇声をあげておかしくなりそうだった。諦めかけて顔を上げようとした時、男と口が開いた。
「…分かりました。今回だけは特別に許可します。付き添い人として同乗をお願いします。傷病者の名前とあなたの名前は?」
「山隅恒星です。彼女は美乃鳥輝麗です」
「輝麗さんの状態が悪いので、車内でも声をかけてあげてください。意識が朦朧としていても聴覚は残ります。不安を和らげるためにらあなたの協力が必要です」
「はい、分かりました。ありがとうございます。本当にありがとうございます」
状態が悪いと聞いた時、頭がグラッとしたが同乗できることになったので心臓の鼓動が少しながら落ち着いた気がする。
ストレッチャーに乗せられ、救急車内に運ばれてていく彼女についていく。サイレンが響き渡せながら車が発進する。もっと早く進まないのか。スピードを上げて走れないのかよ。このままじゃ…。
首を横に振る。深刻な状況なのにネガティブに考えてどうするんだ。大丈夫彼女は助かる。きっと大丈夫だ。俺は彼女のために声をかけてあげることしかできないけど…。
横の席に座り彼女の顔を改めて伺う。
ヘルメットをしていたから頭に傷は覆ってないものの、顔や腕、脚には数え切れないほどの傷。血が滲み、赤黒い血が服に染み付いている。地面に叩きつけられたとにできたんだろう、至る所が赤く腫れ上がっている。
救急隊員が次々に彼女に医療機器を付けていく。大量の点滴、太い酸素チューブ、心電図モニター、見たことない機械が沢山ある。なんて痛々しいんだ。どうして彼女がこんな目に遭わないといけないのか。
「傷が痛いよな、苦しいよな。ごめん。本当にごめん。でも大丈夫。きっと大丈夫、助かるから。あと少し辛抱してくれ」
優しく右手を握りながら声をかけた。すごい震えてたけど、俺ができることはこれしかない。
「私達が治療をしている間、そのまま声をかけてください。意識を途切らせたいため、不安を軽減させるためにお願いします」
「…はい」
今は泣きたくても泣いちゃ駄目だ。人前で泣くなんて、家族でもないのに、辛くて泣きたいのは彼女だから我慢しないと。
「あともう少しだから、…死ぬなよ」
ずっと声をかけ続けて五分が経った頃、目的地の看板が見えてきた。…大学医学部附属病院。普通の病院じゃないということはすぐ分かった。よほど状態が悪くないと大学病院なんてところには搬送されないはずだ。
大丈夫。彼女ならきっと意識を取り戻すはずだ。
「輝麗、もうすぐ病院着くよ」
輝麗と名前を呼んだ時、ほんの少しだけ瞼を開けたように見えた。
もう一度声をかけようとした時、救急車が止まった。助席に乗っている人が受話器のようなものを取り俺達に指示を出す。
「到着しました。傷病者の女性は点滴と酸素チューブつけたまま救急治療室に運んで、付き添いのあなた、本当は受付を通らないと中に入ることはできませんが身内ではないとのことなのでそのまま待合室に案内します」
早口すぎて頭に入ってこないが、とりあえず返事をする。
輝麗は病院の裏側から救急治療室というところに連れていかれた。手術中と書かれた蛍光板が赤く光る。今から彼女の手術、命取りが始まる。目を瞑って死神に命を狩られないことを願った。
「こちらでお待ちください。どのくらい時間がかかるかは今のところ検討がついていませんのでそこのところは申し訳ございません」
「輝麗は助かりますか…?助かりますよね」
「…分かりません。内臓を損傷していた場合、一命を取り留めても後遺症が残る可能性が」
「…そう、なんですか」
それでは私はこれでと失礼します、と険しい声をして言い、案内してくれた女性は一礼して立ち去った。
大学病院と言うだけあって沢山人がいる。でも患者が山ほど押しかけて来ても、それ以上に多くの医者がいる。診察をしに受付をする人、それに優しく対応してるつもりなんだろうけど側から見たらピリついてる看護師さん達。ファイルを片手にし胸ポケットにペンを一本持ち慌ただしく駆け回る医師。
向こうは騒がしいのに、こっちは耳をすませても聞こえるのはわずな機械音だけ。立ち上がり歩き回っても靴が床と擦れ合い廊下に響いては寂しく消えていく。
誰もいない静かな廊下の向かい側に彼女はいる。何をされてるのだろうか。麻酔をしてるのは分かってるけど考えるだけで痛々しい。
何かしてあげたい。俺の作ったお菓子で喜ぶぐらいならいくらでも作ってやりたい。手術が終わってもし、意識が戻っているならなんでも言うことを聞いてあげたい。
そっと大きな扉の前に行き、手を当てては戻し、また手を当てる。
「輝麗…」
呼んでも反応が返ってくるはずがないのに何度も彼女の名前を呼んだ。
それでもこのシーンとした中、俺は待つしかできない。ただ祈り続けるしかない。彼女が無事だと言うことを。あの笑顔で戻ってくることを信じるしかない。
「…くん。恒星君?」
今誰かが俺の名前を呼んだ。
振り返ってみると俺の後ろに立っているのは一人の女性。悲しそうな心を痛めた顔をしている。なのに口は微笑ましく笑い、右手には一枚のハンカチを握っている。顔が彼女と似ている。温かそうな、穏やかな人。どうして俺の名前を知ってるんだ。
「あなたが恒星君?」
「そう、です。えっとあなた…は?」
「輝麗の母です。あんなに花火大会花火大会って言って大喜びしてたのに、まさか事故に遭うなんて思ってもなかったわねぇ」
…どうりで残像が重なったわけだ。仕草も見た目も、似ている。と言うかほとんど同じだ。
「急に、電話がかかって来て、誰かと思ったら輝麗からで、もうお祭りに着いたのかな、美味しい食べ物食べて楽しいことしてる報告かなって思ったら、あの子の声じゃなかった。輝麗さんの親御さんであってますかって言われて、この時点で何かがおかしい思ったわ。話を進めて行くごとに…あら、ごめんなさいね、大の大人が泣いちゃって。あまりに突然だったから、今だに事実を受け止め切れてなくてねぇ…」
輝麗のお母さんは堪えていた涙を抑えていた涙を一気に流した。
「事故にあった、意識不明、そんな言葉が頭の中にこびりついて…、最初は嘘ついてるんでしょ、冗談はやめてちょうだいって思ったけど画面越しに聞こえるのは真剣な声。嘘じゃないんだ、社員の誰にも言わないで急いで仕事場から駆け出して来たわ…。家族にも電話して、みんな同じ反応、まさかこんなことになるなんて思ってなかったって」
「輝麗のお母さん、全部俺が悪いんです。俺が行こうなんて言ってなかったらこんなことにならなかったのに。すいません、許してください」
「そんなあなたが悪いわけじゃないわ。だから謝らないで。ほら顔をあげてちょうだい。事故とかね事件にね、いつ巻き込まれるなんて誰にも分からないから、仕方ないなんて言ったらあの子には悪いけどこれも運命なのよ。だから無事だということを一緒に願ってほしい。もしも輝麗が戻って来たらいつも通りのあなたで接してあげてちょうだい」
「本当にすいません」
「大丈夫よ。あの子ならきっと元気な姿で戻ってくるわ」
そうだといいなと思いますって言おうと思ったが悲しみと心痛でそれどころではなかった。自分が悪いのに泣いてしまって、情けないなと思った。なのに輝麗のお母さんは優しく背中をさすってくれて、大丈夫よ大丈夫って慰めてくれる。
「ほら泣き止んで。ティッシュ使う?」
「すいません、一枚もらってもいいですか」
「気にしないで使うだけ使ってちょうだい」
淡い色をしたピンクのポケットティッシュをもらって一枚取った。もういい加減泣き止まないと悪いな。グッと堪えて涙を止め、輝麗のお母さんと一緒に、彼女が無事戻ってくることを祈り続けた。
第五章 涙と笑顔と花火
手術が始まってから一時間が経過しようとした時、蛍光板のランプが消えた。
「お母さん、ランプが消えたと言うことは」
「手術は終わったってことね」
無事か無事じゃないかは分からないけど喜んだ。苦しみと痛々しいことが終わったと思ったら嬉しくて彼女のことを褒めたくて仕方がない。途中から輝麗のお父さん、おじいさんおばあさんも駆けつけて来て、一緒に待った。
大きく頑丈にできている扉がゆっくり開き医師と看護師、彼女が出て来た。
が、彼女は眠っていた。入院する人が寝るベッドのようなもので。
「先生、あの子は大丈夫ですか」
「お母様、輝麗さんは命に別状はありません」
よかったぁと安堵のため息を吐き、安心したような、喜びの涙を流した。輝麗のお父さんもおじいさんもおばあさんも泣いて、何度もよかったと呟く。
その後ろで俺は一人号泣した。
このままもし死んじゃったらどうしよう。二度と会えなくなったらどうしよう。待ち時間はずっとそんなことばかり考えて気が気じゃなかった。
「搬送された時は容態が悪く、危ないかなとも思いましたがヘルメットを着用しており脳を傷つけてなかったこと、跳ねられた時の衝撃が強かったものの内臓が損傷していなかった、この二つが輝麗さんの命を守ったんだと思います。今は全身麻酔で眠っていますがすぐ目覚めると思います。容態が急変する可能性もあり得なくはないので入院はしたほうがいいと思います。それでも大丈夫ですか」
「先生の言う通りにします」
「それではとりあえずご家族の方は入院手続きをするので受付までお願いします。そちらの方はお部屋に案内しますので輝麗さんと一緒にいてあげてください」
お、俺が見守ってていんですか。普通の顔していれないですよ、俺が誘ってこんなことになったのに。ここは断ったほうがいいんじゃないかと思って、後ろから恐る恐る尋ねた。
「輝麗のお母さん、俺なんかが輝麗のこと見守ってていんですか。他のご家族の方と一緒のほうがいいんじゃ…」
「輝麗のことはあなたに任せるわ。そのほうがきっと、あの子も喜ぶだろうから」
「俺のほうが喜ぶ…?どうしてですか」
「それは教えれないわ。あの子との約束だからね」
約束?と聞き返そうとしたけど、横から口出しして話を止まらせているので疑問を抱えたまま後ろに下り、ひとまず話が終わるのを待つ。俺は輝麗と一緒に部屋に行き、輝麗のお母さんは入院手続きをしに受付に行った。他の家族の人達は必要物品を取りに一旦返ってしまった。
看護師さんに案内されたのは他の人と共有しながら使う大部屋ではなく、一人用の部屋。小型テレビと棚、時計が置いてあるだけ。ベッドを窓際に近づけて固定させ転落防止用の柵を張る。
「何か異変を感じたらこのナースコールを鳴らしてください。それでは失礼します」
カラカラカラとドアを横に軽快に滑らせ部屋を出て行った。狭すぎず、広すぎず、ちょうどいい大きさの部屋に二人。
今の時刻は五時四十九分。もう少しで花火の打ち上げが開始する。でも日が完全に沈み切っておらず、眩しい。外に広がるのは魔法がかけられ、目を引くほど美景なマジックアワー。桔梗色、梅紫色、楝色、紫苑色、蜜柑色、柿色、色んな色がグラデーションして空を創っている。どこか儚く、美しく、悲しく、寂しい。なのに、じっと見てると吸い込まれそうだ。この空に花火が重なればどれだけ奇麗だろう。ほんの少し、見なかった隙にまた空の色が変わり、陽の位置が下にずれた気がする。
でも今は夕焼けも、花火もどうでもいい。一刻も早く彼女に目を覚ましてほしい、そして謝りたい、ただそれだけ。
目の前にいる彼女はおとぎ話に出てくる森の美女のようにスヤスヤと眠っている。細長く小さな腕には点滴、顔にも腕にもガーゼや包帯が巻かれている。痛い思いさせてごめん、こんなことになってごめん。痛かったよな、苦しかったよな。本当にごめん…。自分が身代わりになったらよかったのに。なんで、なんで君がこんな酷い目に遭わないといけないのか分からない。
「輝麗、ごめんな。やっぱり俺じゃ駄目だ」
俺は彼女と顔を合わせてはいけない。そう思って席を立ち上がろうとした時、瞼がピクッと動いた。
「輝麗!」
次は掠れた声だけど、うんと言った気がする。麻酔が切れて意識が戻ってきてる…。
「輝麗、大丈夫か。目を覚ましてくれ」
手術が終わって約一時間半後。ずっと見せてほしかった目をようやく開けた。
「輝麗。よかった…死ぬんじゃないかって思ったじゃないじゃないか。怖くて怖くて、どんだけ心配したか…」
「恒星、君?」
「そうだよ。俺のこと分かる?ここどこか分かる?」
「うん、分かるよ、病院の中、でしょ。私ね、恒星君と、花火、見るのが、楽しみで、待ち切れなくて、家をね、少し、早めに出たの。少し早すぎたかな、とも思った、けど、待ち切れなかったの。学校の前の、横断歩道、渡ろうとしたら、周りにいた、人達が、急に叫び出して。本当、一瞬だった。大きい車が、ブレーキかけないで、突っ込んできて、私にぶつかった。向こうが、赤信号なのに。跳ねられる、前から物凄い、スピード、出してたんだと思うよ。思いっきり、飛ばされて、びっくりするぐらい、遠くに飛んで。私の、お気に入りの自転車も、壊れちゃった。ガッシャー、って耳が痛いぐらい、音がしたもん。でもね、不思議と最初は、痛いとか、気分悪いとか、何にも感じなくて、私やばくない、無敵じゃんって、思ったんだ。立ち上がろうとしたら、なんだったけ、あれ。えっと、あ、から始まる、やつ。アドナレリンだ。グァンってなるやつ。やっぱり、無敵じゃ、なかったよ。そのまま倒れちゃった。その後の記憶は、ほとんどないや。ヘルメット、被ってたから、よかったけど、被って、なかったら、あれは、即死だね。いやぁ、びっくりしたね。まさかねぇ、あんなことになるとか、思ってなかったね。心配、かけたよね。ごめんね、せっかく、花火見にいこうって、誘って、くれたのに、私のせいで、行けなく、なっちゃったね。ごめんね…」
「どうして輝麗が謝るんだよ。輝麗は謝る必要なんてないだろ。花火とか、まだ始まったばっかだし。でも、俺が誘わなければ、こんなことにならなかったのに。悪いのは俺だから、謝らないといけない。ごめん、本当にごめん。許してくれるか…?」
「そんな、許すって、恒星君も謝る、必要ないから、謝らないで。それに、誘わなければ、ってことも、言わないで」
「だって、俺のせいでこんなことに」
「誘われた時、嬉しかったもん」
「えっ?うれし、かった?」
「そう、嬉しかった、それに、物凄くね」
「嫌だなぁとか、迷惑だなぁとか、思わなかった?」
「そんなこと、思う、はずないじゃん。だって、私…」
「私…なんだよ。続きはないのかよ」
「それは、秘密だから、言えないよ。あのさ、話、変わるけど、今日の恒星君、いつもと違うね。髪、切ったのかな?ワックス、とか使ってる、でしょ。さっぱりしててかっこいい。私服姿も、かっこいいね。シンプル、だけど、大人っぽい、恒星君に、似合ってて、いいと思う」
「あ、ありがと、な」
「顔、赤いよ。もしかして、照れてる?」
「照れてない」
本当のこと言うと照れてるんですけどね。
好きな人にそんなことを正直に言うわけないじゃないか。この話題を遠ざけるために一つ咳込みをして話を切り替えた。
「傷、痛い?」
「んー、ちょっとだけ。色んな、ところ打ったと思うから。でもさ、傷口が深いこことか、お風呂入る時、しみるよね」
「そこの傷が一番深いね。絶対しみるよ」
「意地悪だなぁ、嘘でも、いいから、しみないって、言ってよ。しみるのが、一番嫌なんだよね」
「それは知らなかった。ごめんごめん」
「それにしても、人生、初点滴、初入院だから、ワクワク、って言うか、ドキドキする。よく、病院のご飯は、味が薄くて、ヘルシーだから、痩せるって、言うけど、どのくらい、薄いのかな。夜の病院って、お化けが、いるとか、言うじゃん。消灯時間すぎて、看護師さん、が、どっか、行ったら、こっそり、抜け出して、みたいな。いっぱい、冒険、する」
「おいおい、抜け出すな、冒険するな。してみたいのは分からなくもないけど、危ないから駄目。おっちょこちょいだから転けたらどうすんの?すでに心痛んでんのに、また怪我したらって考えただけで、ゾッとするわ」
「なにー、私のこと心配してくれてるの?」
「そりゃ心配するだろ、そんだけ大怪我してまた怪我したら」
確かに、と腕をつき、何がおかしいのか分からないけど笑い出した。
やっぱりこの笑顔が好きだな。本当に事故にあったのか分からないぐらい笑ってる。
「私、本当に、事故に遭ったのかな。すごく笑ってるもんね」
「俺も今、全くおんなじこと思ったよ」
二人で笑った。彼女はお腹を抱えて笑うことはできないけど、笑った。俺の悲痛が飛んでいくぐらい、笑わせてくれた。
「もう、暗くなってきたね。さっきは、マジックワワーが、綺麗だったのに。写真撮りたかったな」
「スマホさえあれば写真なんていくらでも撮ってやれるんだけどな。父さんに誕生日プレゼントとしてスマホ買ってもらおっかな。それにアドナレリンはアドレナリンだし、マジックワワーじゃなくて、マジックアワーな」
「あれ?私、間違えちゃった?」
「うん。間違えちゃってたよ」
「本当?あっ、外見て!花火花火!ここからでも見えるよ!すごいすごい!今の!」
病室から見えたのは一輪の華。暗く明るい空に、光り輝く。彼女の瞳に映った華は開花しては、一瞬で命尽きた、それでもまた一輪、また一輪と次々に咲き誇り空を埋め尽くす。
「花火が見えて嬉しいのも、すごいのも分かるけど、急に座らないで点滴とかしてるから取れたら大変なことになるよ。身体もびっくりするし」
「ごめんね、身体。でもね綺麗だから少し座ってもいいかな?うん、ありがと」
「身体と話したの?」
「話した!そしたら少しだけならいいよだって!」
「よかったね。ほら今の、すっごい綺麗だったのに。見てなかったの?」
「もー!もっと早く言ってよ!」
頬を餅のようにぷくーっと膨らませて軽く叩かれた。
「安静にしとかないと看護師さん呼ぶよ?」
「静かに見ます」
完璧には上げれてなかったものの、ピシッと敬礼をする。初めて花火を見るかのように瞳をキラキラさせて見上げる彼女。
もう半分ぐらいは上がっただろうか。
あと少しで終わってしまう。そう考えると寂しいような、悲しい気持ちになってしまう。
花火が見終わるぐらいに看護師が来るだろう。面会時間を過ぎたら明日は一定の時間入れてもらえない。入れたとしても輝麗の家族が入れかもしれない。
そうなったら伝えれるのは今だけ。
「…輝麗」
「どうしたの?」
「好きです。俺と、付き合ってください」
「私も」
たった一言だった。とても短い返事だった。
でもその四文字が俺は返してほしいものだった。心の中でも花咲いた。
「今日は、色んな意味で記念日だよ。みんなに、報告しなきゃ。あっ、今の形、ハートみたいだった」
「俺たちのこと祝ってくれてるのかもよ」
「わー、嬉しい。花火にもありがとうって言わないといけない」
ふふふと片手を口元に当て、温容な表情を見せる。
花火も綺麗だけど、輝麗のほうが綺麗だよ。そう言おうしたけど照れ臭くなってやめた。
誰もいないことを確認し、薄緑色のカーテンを閉める。
そして静かな病室で、フィナーレに俺は彼女にキスをした。
エピローグ
夏が来ない年はない。花火がない夏はない。
俺はそう思う。夏、花火と言ったらあのことを連想する。あの時は大変だったな。
ちなみに今から、花火を見に行くつもりだ。河川敷である花火大会に行くのに彼女を迎えに行っている。
付き合って一、二、三年半ぐらい。今はお互い違う大学に通っている。輝麗は保育関係の大学に、俺は医療の大学に通っている。高校三年生、大学に行くか行かないか、迷っていたけど父さんや母さん、兄さんに先生、彼女からも大学に行かないなんて勿体無いと言われ行くことにした。俺の学力だったらいいとこに行けるはずだと言われたのはそこそこ嬉しかった。
お互いの夢に向かって、いっときの間話せなかったから会うのは久しぶりだ。同じ都市に大学はあるけど正反対の場所にあるのでしょっちゅう会うのは厳しい。
だからお互いの都合が合う今日、花火を見に行こうとは誘ったのだ。俺からね。
河川敷最寄りの駅に集合と言うことで着いたけど、彼女がどこにいるか分からない。時間もちょっと遅れたけど、場所は合ってるはずだ。
あんなことがあったからまた事故に巻き込まれたんじゃ…。そう思ってすぐさまスマホを取り出し電話を開く。
一コール、ニコール、三コール…!
「もしもし?恒星君?」
「着いたんだけどどこにいるてか着いてる?また事故に巻き込まれたんじゃないかって心配になって」
「着いてるよ。あっ!見つけたかも。そのまま前向いて」
言われるがままに前を向いてみると、奥の方に手を振っている彼女を見つけた。
「あー、いたいた。全然気が付かなかった」
「じゃあ私一歩も動かないで待ってるから恒星君が来てー」
「なんで俺が行くんだよ。別にいいけどさ」
「嘘嘘!私も行くから。よーいどん!」
「えっ?」
目の前から猛スピードで走ってくる彼女。
リードを離された子犬みたいに全速力で走って来て俺に飛びついた。
「痛ってーな。急に飛びついて来たから一瞬山姥かと思ったわ。俺殺されてないよね?」
「まぁ、なんで失礼な男なの!もう花火一緒に見に行かない」
目尻に涙を浮かばせ、花火会場と反対方向に歩いていく。
待って、そんなつもりで言ったんじゃないのに。せっかく花火大会にまた行けるって楽しみにしてたのに。焦って彼女の後を追いかける。
「待って待って!本当にごめん。傷ついたよね?輝麗は山姥なんかじゃないよ。可愛いから。優しいし、可愛いし、殺人なんて言葉はお似合いないし、さっきの言葉は取り消すから、もう一度チャンスをください」
ただの溺愛男みたいで恥ずかしいけど、彼女に許してもらうにはこうするしかない。顔を見てみると輝麗はクスクス笑ってた。
「へっ?」
物凄く間抜けな顔をしていると思う。自分でも分かる。
「どう言うこと?笑、ってるの?えっと…傷ついたの?傷ついてないの?」
「ドッキリでしたー!意地悪だから懲らしめようと思ってね。全部演技だから。あー恒星君必死過ぎて面白かった。可愛いとか優しいとか。嬉しいなぁ、あんまり言ってもらえないんだもん…。今日も記念日かな?」
なんだよ、そう言うことか。まんまとやられてしまった。これは俺の負けだな。
「はいはい、十分懲らしめられました。じゃあ許してもらえたと言うことで、花火大会いきましょうよ。輝麗さん」
「そうだね。こんなことしてたら始まっちゃうよね。また可愛いって言ってよね?」
「分かったよ、言うから二の腕つまむのやめてくれない?痛いんだけど」
「あっごめん!多分、つまむの癖なんだよね。どうでもいいか、行こっ!」
変な奴だ、つまむのが癖って独特な癖だな、と脳の半分はそう思ってもう半分では、サイコパスだけどギャップ萌えということで可愛いなと思った。
「わー、人多そうだね。迷子になりそう」
「それは困る。ほら、手。繋いどこ」
「いいの?ありがと!」
小さな手が俺の手に重なる。昔から手の大きさは変わってないな。そう言おうと思ったけどまた怒られそうだな、これ以上彼女の機嫌を損ねたくないので言わないでおこう。
「向こう人居なさそう!あっち行こうよ!」
「本当だ。穴場だよ、花火もちょうど見えそうだしって腕引っ張り過ぎ」
俺の言うことは聞こえてないみたいだ。繋いでいた手を離して手首をちぎれそうなぐらい引っ張っる。前へと進んで行き、大勢の人混みをかぎ分けて、あっという間に波を抜けた。
「めっちゃ俺の腕引っ張ってたよ。引っ張りすぎって言ったのに聞こえてなかったし」
「聞こえてたけどそれどころじゃなかったの。早くしないと花火が始まっちゃからね!」
再び手を繋ぎ河川敷の草むらに座り込む。
そう言えばレジャーシート持って来たんだった。
「これ敷いとこうよ。下草だから、せっかくの可愛い服が汚れちゃうのは嫌でしょ?」
「気がきくねー!じゃあ遠慮なく座らせてもらおうかな。しかも私が好きなピンクだ!」
そう。絶対ピンクいいかと思ってピンクにしたんだよ。いい反応を見せてもらった。
少し自分ははみ出てしまったけど、彼女には内緒にしておく。
「始まったよ!事故にあった時より大きいし綺麗に見える!場所がいいのもあるかも」
「そうだね。こっからだと目の前に見えるもんね。人が全くいないし、いいとこ見つけたね」
「でしょー?感謝してよね」
「毎日してるよ。ほら、見ようよ」
夏の夜空に舞い上がる花火を数分間、喋らず見つめる。
土星みたいな花火。菊みたいな花火。牡丹みたいな花火。ハートの形をした花火。数百個が一斉に飛び上がり空を彩る。
昼がやって来たかのように明るくなっては静粛な夜に戻って。
「綺麗だな」
「うん」
「でもあと少しで終わるな」
「恒星君!」
「何?」
「大好き!」
「ふーん。ありがとう」
「恒星君は私のこと好きじゃないの?」
「好きに決まってるじゃん」
「じゃあ最初っからそう言ってよ」
「好きだよ」
「急に言わないでよ!照れちゃうじゃん!」
「言ってって言ったり言わないでって言ったりどっちなんだよ」
「言っていいよ」
「はいはい」
側から見たらただのバカップルだなと思う。そう思われても俺は気にしない。好きなのは事実なんだから。それを誰がどう言おうと俺は彼女に好きと言い続ける。人間はいつ、どんなことが起こるか分からない。
あの時もっと、こう言えばよかったなって後悔しないように今伝える。
でももうあんな目には遭わせないから。一人にさせないから。
彼女に寄り添い、腕を肩に回す。
まだ花火は終わってない。フィナーレを迎えてないのに彼女が俺にキスをして来た。
一瞬何が起こったのか分からなかったけど彼女の頬が赤くなっていくのを見て理解した。「キスしたの?珍しいね」
「本当はフィナーレにしようと思ったけど」
「けどの続きは?」
「やっぱりなんでもない!」
そっぽを向かれた。今回は俺は悪くないぞ。
「まぁいいや」
「何がよ!?何にもよくないよ!」
「落ち着いて、落ち着いて。花火見ないなら帰ろうよ」
「帰りたくない!」
そう言って花火に目を移した。単純と言うか素直と言うか。扱いやすい性格も昔から変わりない。でもその分、すぐ傷ついてしまうから注意も欠かせない、大変な彼女だ。
「もうすぐ終わるのかなぁ。急に花火がいっぱい上がって来た」
「かもね」
もう終わるのかぁと肩をガックリ落として、ため息をつく彼女。ここを離れたくないのか俺の袖を掴んで前もって帰るのを阻止しようとする。
最後は今年打ち上がる花火の中でも最大級の大きさ、四尺玉が打ち上がりますと朗々とした声でアナウンズが流れた。
一つの小さな光が空高く舞い上がり消えた。
大きな音と共に大きな華が夜空を照らした。
大きいだけあって枯れ落ちるのも遅い。目を輝かせながら花火を見ている彼女に、あの時と同じようにキスをする。
「私、いつか恒星君と苗字をお揃いにするのが夢だなぁ」
「…それって俺と結婚したいってこと?」
「…うん!」
いつか、な。君が俺でいいと言うなら。
花びらが少しずつ散り落ちていく。
また来年、見れたらいいな。
花火が終わってしまう。切ないような寂しいような思いがまだあるけど彼女が楽しかったと喜んでる姿を見れば連れて来てよかったなと思う。
「まだ帰りたくないな」
「せっかくだし、屋台行く?」
「本当に!?やったー!まず、りんご飴食べて!焼きそば、たこ焼きでもいいなぁ!その後は金魚すくいして、クレープも食べる!」
「好きなだけ食べていいよ。お金なら気にしないで。この日のためにバイト頑張ったから」
「恒星君の奢り?もっと嬉しいよー!」
俺の手を取り屋台のある方向に歩く。色んな食べ物の名前を挙げて俺に照れた笑顔を向けた。
また大学もバイトも頑張って、もっと楽しい場所に連れて行ってあげたい。
来年も花火を見たい。
そのために明日も生きよう。
君がこの世界に存在する限りは。
「今日のご飯どうするんだろな」
俺がいろんなことを考えてると兄がそんなことを言い出した。確かにどうしようか。二人は帰ってくるのが遅くなるからご飯は食べて帰るとか言ってたような気がする。そうとなったら作るのは俺と兄の二人分だけ。それなら今からでも作れる。
「「俺がなんか作る、えっ?」」
「兄さん同じこと言わないでよ」
「恒星こそ同じこと言うなよ」
同じタイミングで同じことを言う。兄弟だなって感じて口元が緩んだ。せっかくなので二人で作ろうと言うことになって、冷蔵庫に残っていた具材を使ってなんとかカレーを作ることができた。幸せ、懐かし、暖かみ、いろんな想いが詰まった味がした。
美味しいご飯が胃の中に入って幸せ気分のまま風呂に入り、明日のための眠りについた。
夜が明けたばかりなのにこんなに眩しいことあるか?鳥も蝉も泣いて、車のエンジン音や踏み切りがカンカンなる音が聞こえる。七時ぐらいは通勤の人が多い時間帯でもあるからこのぐらいの賑やかさは当然か。俺もそろそろ起きないとな。
「今何時…?」
時計が指す針は十二時五十七分。まだ十二時五十七分じゃないかって、ん?
十二時五十七分!?いやそんなはずない、何かの見間違いだ。寝ぼけて時計の針も読めなくなったのか。笑えるな。目を擦りもう一度時間を確かめる。十二時五十七分。これはやばいぞ。大大大寝坊をしてしまったようだ。
花火大会当日、あんなに楽しみで待ちきれずにいたのに寝坊することあるか?
焦りと驚きでベットから立ち上がりカーテンとクーラーを切らずにリビングに向かった。ソファーにはのんびりとくつろいでる兄の姿。ドタバタしてきたからか戸を開ける前からこちらを見ていた。
「おはよう。ずいぶん遅かったね。あんなに楽しみにしてそうだったのにもしかして寝坊した?」
「そう、今からじゃもう昼ご飯だよ」
「仕方ないよ。昼ご飯って言っても少し遅いけど、いいんじゃない?俺がご飯用意するから部屋のカーテン閉めてとクーラー切ってきて。切ってないでしょ?音しなかったから分かるよ。バタートーストと目玉焼きベーコンでいい?」
「白ご飯と味噌汁、納豆がいいな。米の方が腹持ちするし」
「了解。ほんの少し大盛りにしとくわ」
何か言った気がしたが、聞こえなかった。クーラー切って、カーテン開けて、ついでに昨日の勉強道具を片付け忘れてたのでそれも片付け、買ってもらった服が入った袋を持ってリビングに戻る。
「準備できてるから、時間はあるしゆっくり食べたら?喉詰まらせるよ」
「じゃあいただきます」
手をパンっと合わせる箸を持つ。目の前には昨日兄が作った味噌汁と納豆、今日はひきわりが切らしてたのか大粒タイプの納豆だ。 なぜか白ご飯はいつになく多い。
「白ご飯、多くない?俺の錯覚?」
「錯覚じゃないよ。俺、さっき大盛りにしとくわって言ったけど、聞こえてないんだよ。バタバタしてたから」
そう言うことね。確かにさっき何か言ってたけど聞こえてなかった。大盛りだから仕方ないのかもしれないけど、多いな。こりゃ、食べるのに時間がかかるぞ。
一口一口きっちり三十回噛み、さっきのバタバタはどこへやら。普通盛りでも時間がかかるのに、大盛りだからもっと時間がかかってしまった。
「もう腹いっぱい。昼にこんな腹いっぱいになったのは久しぶりだ。誰かさんのせいで」
「いいじゃないか。お前は身長の割に肉がついてないんだし、細身だからもっと食べないと駄目だ。男は食べる!」
「食べろって言われても胃袋にも限界があるんだぞ。無理に入れたら俺の場合腹壊すから程よく食べないと駄目なんだ」
「それなら仕方ないか。早めに準備したほうがいいと思うから服も着替えたら?」
さっき持ってきた袋の中から服を取り出し、地面に並べる。真っ黒、白、灰、派手すぎないシンプルな色のティーシャツとこれまたシンプルな黒と白の半ズボン。昨日兄と買いに行き、兄は派手な服を推してきたが普段の俺の性格上おとなしめの色のほうが、と言うことになってそうすることにした。夕方だけど暑いだろうし、歩き回るので半ズボンで動きやすい格好にする。
「どれがいい?俺的にはシンプルに上が白で下が黒の組み合わせがいいと思う」
「兄さんがそう言うなら俺はそれがいいな」
「じゃあこれ着てきて」
案外速攻で決まったので良かった。俺一人だったらこんなに早く決まってないだろう。 そもそもこんな服すら買わずに家にあるダサい服を着て行くはずだった。自分ではダサいと思わないけどオシャレに詳しい人、彼女とかはドン引きするに決まってる。オシャレとか服選びって難しいのかなと脳内にはてなを作りながら脱衣所に向かう。
パジャマを畳んでワゴンに置き、新品の服に手足を通す。上の服は接触冷感付きなのかな。肌に触れるとスースー?ひんやりする。
半ズボンは歩くと擦れ合ってシャカシャカなる、みんながシャカパンっていうのはこのことかな。
風呂場についてる鏡で自分を見る。三百六十度回って全体をチェック。兄のセンスだしなんか自分でもオシャレって思う。シンプルだけど、いい。雰囲気とかだけだけどな。
「兄さーん、これでいい?ってびっくりした!?いつからそこに居たのさ」
「五秒前。クルクル回って全身見てるところぐらいから居た。いいんじゃない?めっちゃオシャレだしかっこいいと思うよ。じゃあ次は髪な。今のままでも全然おかしくはないんだけど、ちょっとワックスとかスプレーしてもっとかっこよくしようか。いい?」
ワックス、スプレー、かっこよくする、このワードは一生俺に関係ない言葉達だと思ってたのに。今兄さんは言ったよな。俺が髪を整えてもいいのか。かっこよくなってみていいのか。そうだ、この世に駄目なものはない。
「兄さんお願い。俺をかっこよくしてくれ」
「兄ちゃんに任せときなさい」
片手で胸あたりをポンっと叩き気合いの意を見せる。ショルダーバッグからスプレー、ワックスを取り出したのにびっくりした。
「それ、兄さん用に持ってきたの?それとも常に持ち歩いてるの?」
「普段の買い物では持ち歩いてるわけじゃないけど、泊まりの時は持ってくるかな」
モテる男は違うな。俺からしたら泊まりに行くだけでオシャレグッズ持っていく?って感じなんだけどな。髪の毛整えるなら水で十分だと思うけど、寝癖も直るし。泊まりに行く時は持ち歩く、それぐらい大事なものなのか。
「恒星、髪質いいな。羨ましいー。俺の髪バサバサって言うか枝毛みたいなのがピンピン出てくるから面倒なんだよね」
「髪質がいいと髪が整えやすいの?」
「俺はそっちのほうがいいと思うけどな。あっ、ワックスってベタベタしてるから髪引っ張ったらごめんな。痛かったら痛いって言って」
「痛いのぐらい我慢できるよ。子供じゃあるまいし」
そうかそうかとコクコク頷きながら、ちょくちょくと俺の髪が整えられていく。さっきまで目が隠れそうなぐらい真っ直ぐだった前髪を額の真ん中より少し右寄りにして分け、ワックスで形を作っていく。ある程度できたらスプレーで固めて手櫛で綺麗にしてもらったら。
「よし、完成。美容師じゃないから上手くはできないけどこんなもんでいいかな?」
手鏡をこちらに向け、自分の姿とご対面。
…これが、俺?本当に俺なのか?そうだとしたら全くの別人じゃないか。服装も髪型も少し違うだけで本当の自分じゃない自分になった気分だ。彼女が見たらびっくりするだろうな。あんなに地味だったのにオシャレして、髪の毛キメて。誰だか分かってもらえないかもしれない。うわー、本当に誰?って鏡に向かってずっと問いかけてる。でも帰ってくるのは自分の姿だけ。
「いい感じだよ。それにめっちゃ興味津々だね。俺が手鏡持ってたのに、無意識だろうね奪い取って自分で持ってるし」
「ごっごめん!無意識だわ。自分じゃなくなったみたいで思わず」
自分のことが好きなやつみたいと勘違いされたら恥ずかしいのでこれ以上は見ないでおこう。貸してもらった手鏡を兄に返し一緒に片付けをする。
「俺一人で片付けるから、テレビ見てていいよ」
「してもらったんだから、兄さんは手、洗ってきなよ。バッグに入れたらいんでしょ?」
「ありがと、じゃあ片付けといて」
よいしょっと立ち上がり洗面所に足を運んで行った。その間にスプレーとワックスの蓋を閉めて周りの汚れを取ってからバッグになおした。
今は二時十二分。あと二時間ちょっと待たないといけない。でもあと二時間したら彼女に会ってるのか。一週間待ち続けてここまで辿り着いた。そう考えると時間が経つのが早いのか遅いのか分かんないな。
「兄さん、少し勉強してくるわ」
「勉強?しなくてもいんじゃない?たった一日しなくたって大丈夫だよ。頭いいんだから今日はオフの日と言うことで勉強するの禁止」
「しなくてもいいのかな?やっぱりしたほうがいいんじゃ…」
「はいはい、心配しなくて大丈夫。兄の言う通りにしときなさい。それで怒られたら俺がどうにかするから」
勉強をしなくてもいい日?そんな日があってもいいのか?勉強に依存してるわけじゃないけど、なんかソワソワって言うかムズムズする。兄さんは、兄さんを信じなさいと言う目で見てくる。圧をかけられているような、勉強をすると言う選択は与えません的な強制的な感情を感じるぞ。逆らったら殺されそうなのでここは潔く従うことにしとこう。
「じゃあ今日はオフにしておこうかな」
「それでよし。じゃあテレビでも見て暇を潰そう。四時前に俺は帰るから」
何見ようかな。アニメとかは興味ないし、スポーツ中継とかもあんまりだな。ニュースでいいか。リモコンを地デジに変えて良さそうなニュースを開く。
「ニュース見るのか?アニメとかじゃなくていいのか?」
「アニメとか見ないからキャラとか分かんないし、そもそも興味ないからニュース派」
「言われてみればぽいわ。ニュース好きそうな顔してる」
「どんな顔だよ、ニュースが好きそうな顔って」
ツッコミがよほど面白かったのか、兄はお腹を抱えて笑ってる。それに釣られて俺も笑う。二人でこんなに笑うのは久しぶりだ。
「あー笑いすぎてお腹痛い。スマホ見よ」
「切り替え早。ちょっと掃除機かけるからうるさくなるよ」
「家事もするのか。へー、料理できる、掃除できる、勉強できる、できる男だな」
「兄さんと比べたらまだまだだよ」
「おんなじぐらいできるよ。なんなら恒星のほうができるかもしれないね」
「そうだったらいいけど」
素っ気ない感じで返事をしたけど、本音を言うと結構嬉しい。兄さんを目指して頑張ってるわけじゃないけど、できないよりはできるほうがいいし、いざとなった時に役に立つかもしれない。
コンセントを限界まで伸ばし、掃除機をかける。せっかく髪を綺麗に整えてもらったので、なるべく汗をかかないよう水に濡らしてパタパタはたくと冷たくなる冷感タオルを事前に用意して首元に巻く。これがあるとないとでは全然違う。
テキパキ働いて三十分ぐらいでかけ終わることができた。夏場の掃除機は息が切れる。
「疲れたー」
「お疲れ様。氷水飲んだほうがいいよ。暑いから熱中症になるよ」
中くらいのコップに水を入れる。いつもなら水道水のみだが、今は生温い水を飲む気分じゃない。贅沢に氷を使ってキンキンに冷えた氷水を飲みたい。氷水を作るとするか。まぁ、作ると言っても氷入れるだけだけどな。 時計の針は三時をギリギリ通過してない、二時五十五分。ついでに軽くおやつを食べてお腹を満たしとこう。彼女の前でお腹がなった時、恥をかくのは自分だからな。
何食べようかな。ポテチとかのスナック菓子は気分じゃない。暑いからさっぱりしたのが食べたい。冷凍庫の中を確認したら二個、レモンシャーベットのアイスが残ってた。兄さんも食べるかな。オシャレさせてもらったお礼として持っていくか。こんなのがお礼になるか分かんないけど。
「兄さんアイスいる?シャーベットアイス」
「おぉー、気がきくね。ちょうど何か食べようかなって思ってたから。少し早いけど食べたら帰るわ。なんか分かんないけど渋滞するかもらしい」
「それなら早めに帰ったほうがいいね」
霜がふりかけたアイスの蓋を開けてスプーンで突く。硬いような柔らかいアイスだ。
小さな氷の粒が入ってて、レモンが酸っぱめだから美味しい。この猛暑が続く夏にぴったりだ。噛むごとに口の中でシャリシャリ音がする。
俺が半分も食べれてないのに対し、隣では美味しかったとお腹をさすりゴミ箱にカップを捨てる兄の姿。
「早くない?ちゃんと噛んだ?早食いは良くないよ」
「噛んでない、飲み込んだ。思ったより渋滞するらしいからごめんけどもう出るわ」
「そうなんだ。それなら早食いしても仕方ないか」
一旦食べるのを止め、兄のことをお見送りする。外は異常なぐらい暑い。アイスを食べて冷やした身体が芯から熱くなっていくのがわかる。
「デート楽しんでこいよー」
「だからデートじゃないって。花火見にいくだけだから。昨日今日は色々ありがとう。気をつけて帰ってね」
「どういたしまして。俺こそ一日ありがとな。じゃあまた八月ぐらいに帰ってくる」
子供らしけどハイタッチしてから運転席側の窓を閉めて車を発進させた。見えてないだろうけど手を振って、車が角を曲がったところで家に入った。
「少し休憩しよう」
フーッと一息ついてソファーに座る。そうだ、まだアイス食べ終わってないんだ。一段下におりてテレビを見ながらアイスを口に運ぶ。テレビを見てはスプーンを動かす。この作業を数回繰り返し、ようやく食べ切った。
「甘いけど酸っぱかったなぁ。ごちそうさまでした」
キッチンに行って、プラスチックのカップは洗って燃えるゴミと分別して捨てる。スプーンは洗って食器棚に戻す。
時間はあと一時間。兄が帰ったから勉強しても怒られはしないが、今からだとキリが悪くなる。途中で終わって行くのも自分の気が落ち着かないだけなのでテレビでも見よう。
「この時間に入ってるニュースをお伝えします。東京都新宿区で火事が起こりました。今日午前十時四十一分頃黒煙と炎が出てると110番通報がありました。この火事で木造住宅一棟が全焼。火は一時間後にほぼ鎮火しましたが焼け跡から一人の遺体が見つかりました。この家に住む八十代の男性と連絡が取れ通らず、警察は身元の確認と発火原因を調べています。では次のニュースです。あの人気タレントが自殺か…」
亡くなったとか自殺とかよく平気な声で言えるよな。それが仕事だから仕方ないんだけど、俺だったら無理だな。その後も人が亡くなったとか事故が起こったとか悲しいニュースばかり続く。この番組は楽しいとか笑顔になるニュースは取り上げないのかよ。違う番組にしよ。番組表を開いて見たこともないニュース番組を開く。これなら良さそうだ。たまに悲しいのもあるけどさっきのに比べたらマシだ。
でも俺は知らない。まさかこれが最悪の悲劇を招くとは、俺を奈落の底へと落とすなんて思ってもいなかった。
黙々とテレビを見進めて三十分ぐらい経っただろうか。四時を過ぎたところで超速報が入ってきた。ライブって書いてある、てことはことは今起きてるやつなのかな。…しかも俺の住んでる近くじゃないか。
「今超速報が入りました、超速報です。十代と見られる女性が飲酒運動をしていた六十代の男性にはねられる事故が発生、現場は車、人通りの多い交差点で…」
事故が起きた場所、十代の女性、と言うワードが耳に入って取れなかった。画面に映し出されていく光景に全身が震え、思わず立ち上がった。すごく、ものすごく嫌な予感がした。まさかとは思った、絶対、絶対に違うと思った。けど、俺の嫌な予想な的中してしまった。
大きなテレビ画面に映し出されたのは元の形状が分からないぐらい折れ曲がり、部品がバラバラに散乱したピンク色の自転車。タイヤもサドルもペダルもベルも自転車に付いている部品は全て外れ遠くまで跳ね飛ばされ、近くには衝撃が強過ぎて外れてしまったんだろうヘルメット。パステルぽいピンクのヘルメットには数え切れないぐらい傷が入っていた。この自転車、ヘルメットには見覚えがある。絶対に同じものだ。これは、この自転車とヘルメットは、家に送ってあげた時に見たことがある。俺が家に送ったことがある人物は一人しかいない。
事故に遭ったのは彼女だ。
気づいたらテレビを切り、靴を履いて玄関を飛び出していた。
パトカーと救急車のサイレンの音がする。 どこだ、どこだ。…あそこ。あそこにいる、俺の高校の近く。
玄関を出て数秒も経ってないのに汗が滲み出してきた。サンダルのマジックが閉まってないのか、履けてないのか一歩を踏み出すたびに脱げそうになる。それでも俺は走った。とにかく走った。体力はない。でも急がないと間に合わない、彼女の命取りのカウントダウンが始まてる。
心臓がドクドク暴れて、うるさい、耳障りだ。一つ一つの鼓動が今までにないぐらい大きい。
血管が、筋肉が、ギュッと引き締まってるのが分かる。
全身から滝のように流れ出てくる大量の汗を無視し、身体中にまとわりつく暑さを切り裂き、退けた。
あと何メートル、走れば着くだろう。あと何秒、走るのを我慢したら彼女の元にいけるだろう。長い。まだまだ走らないといけない。
目の前に蛇行運転しながら走る自転車。二十歳ぐらいだろうに横に四台で並んで、バカバカしい。どいてくださいなんて声をかけてる暇はない。わずかな隙間を見つけすり抜けようとしたらぶつかりそうになった。
「っ、あぶねーんだよ!どけ!」
「あぁ?なんか文句あんのかよ?調子乗り上がって、ケンカ売ってんのかぁ?」
「うっせぇ!黙ってろ!」
チッと舌打ちをしてから大声で怒鳴った。今の俺は俺じゃない。誰かに操られてる。彼女のことで頭がいっぱいで、それどころじゃないんだ。お前らみたいなイキリとガキに付き合ってる暇はない。
ギロリと睨んだら肩を震わせて反対方向に逃げて行った。少しでも早く彼女の元に行かないと間に合わない。救急車で運ばれたらどこの病院に連れて行かれるか分からない。自分も一緒についていかないと駄目だ。
高校が見えてきた。音も近くなってる。あと少し、あと少し待ってくれ。
鼻呼吸だから取り込める酸素の量が少ない、苦しい。咳込みが止まらない。肺を引き裂くような痛み、喉もカラカラして全身が水を求めている。
でも我慢だ。本当は口を開けながら走ったらいけないと体育で言ってだけど、このままじゃ酸素不足になって俺も死んでしまう。膝に手をつき大きく吸い込んで再び走り出す。足が鉛のように重たい。誰かから足を引っ張られてるみたいだ。グッと力を入れて踏ん張らないと足が前に進んでくれない。
でもこの角を曲がればあの交差点に着く。
角を曲がってすぐ見えたのは周囲に散乱した自転車と跳ねた車の部品と事故を起こした男が警察官と話をしているの。もじもじ、ナヨナヨしている姿にはらわたが煮えたぎる。お前が飲酒運動なんかしなければこんなことにならなかったのに。もし取り返しがつかなかったらどうするんだよ。怒りに操られて危うく殴りかかろうかと思った。それより、彼女はどこだ。 んな方向に首を回し、目に映ったのは灼熱の地面に横たわり出血してるためだろうブルーシートで周りを隠され見えなくなっていく光景。
「輝麗!輝麗!」
俺の喉からこんな大きな声が出るのかと言うぐらいデカい声で彼女の名前を呼ぶ。さっきヤンキーたちに怒鳴った時より大きいと思う。呼ぶよりも叫ぶのほうが近いと思う。
俺の声に反応して警察官、救急隊員、人々の視線がこちらに切り替わる。戸惑いをみせる警察官、鋭い目つきで睨むようにしてみる救急隊員、大勢の視線が、圧が、俺を押し寄せ脅してくる。普段の俺だったら足がすくんで動けないだろう。でも今は関係ない。そんなことでビビってる場合じゃない。一刻も早く彼女の元に行かないと。
もう一度走り出しより彼女の近くに行く。
「これ以上一般の方は入らないでください。この先は通すことができませんので、申し訳ありませんが下がってください」
規制テープを潜り抜け近づこうとしたら一人の若い救急隊員に止められた。
「輝麗!輝麗は大丈夫なんですか!?助かりますか!?教えてください」
「警告します、下がってください。これ以上近づこうとするなら業務執行妨害で警察に訴えますよ」
クソが、訴えるなら訴えろよ、お前の好きにしとけばいい。邪魔なんだよその手が。邪魔だからどいてくれ。ほんの数秒でもいいから彼女の手を握らせてくれ。大丈夫だよ、なんとかなるよって声をかけさせてくれ。
「お願いします。俺を輝麗と一緒に救急車に乗せてください。そうじゃないと駄目なんです。輝麗一人じゃ駄目なんです。お願いします。ここを通させてください」
力を緩めたら膝から崩れ落ちてしまう。必死に踏ん張って立ち、人生で初めて人に向けて頭を下げた。今俺にできることはこれしかない。必死に願うことしかできない。
警察官が来て俺の両脇を抱えようとする。
「待ってください!お願いします。少しだけでもいいので輝麗の近くに行かせてください」
男の反応はない。下を向いてても分かる。話が通じない、頭のおかしい子供だと思って鋭い目つきで見てるんだろう。警察が腕にグッと力を込め俺を引き下げようとする。
もう、駄目なのか。諦めないといけないのか。ここまで辿り着いたのに。これ以上進めないのか。このまま連れていかれる、色んなことでパニックになり、奇声をあげておかしくなりそうだった。諦めかけて顔を上げようとした時、男と口が開いた。
「…分かりました。今回だけは特別に許可します。付き添い人として同乗をお願いします。傷病者の名前とあなたの名前は?」
「山隅恒星です。彼女は美乃鳥輝麗です」
「輝麗さんの状態が悪いので、車内でも声をかけてあげてください。意識が朦朧としていても聴覚は残ります。不安を和らげるためにらあなたの協力が必要です」
「はい、分かりました。ありがとうございます。本当にありがとうございます」
状態が悪いと聞いた時、頭がグラッとしたが同乗できることになったので心臓の鼓動が少しながら落ち着いた気がする。
ストレッチャーに乗せられ、救急車内に運ばれてていく彼女についていく。サイレンが響き渡せながら車が発進する。もっと早く進まないのか。スピードを上げて走れないのかよ。このままじゃ…。
首を横に振る。深刻な状況なのにネガティブに考えてどうするんだ。大丈夫彼女は助かる。きっと大丈夫だ。俺は彼女のために声をかけてあげることしかできないけど…。
横の席に座り彼女の顔を改めて伺う。
ヘルメットをしていたから頭に傷は覆ってないものの、顔や腕、脚には数え切れないほどの傷。血が滲み、赤黒い血が服に染み付いている。地面に叩きつけられたとにできたんだろう、至る所が赤く腫れ上がっている。
救急隊員が次々に彼女に医療機器を付けていく。大量の点滴、太い酸素チューブ、心電図モニター、見たことない機械が沢山ある。なんて痛々しいんだ。どうして彼女がこんな目に遭わないといけないのか。
「傷が痛いよな、苦しいよな。ごめん。本当にごめん。でも大丈夫。きっと大丈夫、助かるから。あと少し辛抱してくれ」
優しく右手を握りながら声をかけた。すごい震えてたけど、俺ができることはこれしかない。
「私達が治療をしている間、そのまま声をかけてください。意識を途切らせたいため、不安を軽減させるためにお願いします」
「…はい」
今は泣きたくても泣いちゃ駄目だ。人前で泣くなんて、家族でもないのに、辛くて泣きたいのは彼女だから我慢しないと。
「あともう少しだから、…死ぬなよ」
ずっと声をかけ続けて五分が経った頃、目的地の看板が見えてきた。…大学医学部附属病院。普通の病院じゃないということはすぐ分かった。よほど状態が悪くないと大学病院なんてところには搬送されないはずだ。
大丈夫。彼女ならきっと意識を取り戻すはずだ。
「輝麗、もうすぐ病院着くよ」
輝麗と名前を呼んだ時、ほんの少しだけ瞼を開けたように見えた。
もう一度声をかけようとした時、救急車が止まった。助席に乗っている人が受話器のようなものを取り俺達に指示を出す。
「到着しました。傷病者の女性は点滴と酸素チューブつけたまま救急治療室に運んで、付き添いのあなた、本当は受付を通らないと中に入ることはできませんが身内ではないとのことなのでそのまま待合室に案内します」
早口すぎて頭に入ってこないが、とりあえず返事をする。
輝麗は病院の裏側から救急治療室というところに連れていかれた。手術中と書かれた蛍光板が赤く光る。今から彼女の手術、命取りが始まる。目を瞑って死神に命を狩られないことを願った。
「こちらでお待ちください。どのくらい時間がかかるかは今のところ検討がついていませんのでそこのところは申し訳ございません」
「輝麗は助かりますか…?助かりますよね」
「…分かりません。内臓を損傷していた場合、一命を取り留めても後遺症が残る可能性が」
「…そう、なんですか」
それでは私はこれでと失礼します、と険しい声をして言い、案内してくれた女性は一礼して立ち去った。
大学病院と言うだけあって沢山人がいる。でも患者が山ほど押しかけて来ても、それ以上に多くの医者がいる。診察をしに受付をする人、それに優しく対応してるつもりなんだろうけど側から見たらピリついてる看護師さん達。ファイルを片手にし胸ポケットにペンを一本持ち慌ただしく駆け回る医師。
向こうは騒がしいのに、こっちは耳をすませても聞こえるのはわずな機械音だけ。立ち上がり歩き回っても靴が床と擦れ合い廊下に響いては寂しく消えていく。
誰もいない静かな廊下の向かい側に彼女はいる。何をされてるのだろうか。麻酔をしてるのは分かってるけど考えるだけで痛々しい。
何かしてあげたい。俺の作ったお菓子で喜ぶぐらいならいくらでも作ってやりたい。手術が終わってもし、意識が戻っているならなんでも言うことを聞いてあげたい。
そっと大きな扉の前に行き、手を当てては戻し、また手を当てる。
「輝麗…」
呼んでも反応が返ってくるはずがないのに何度も彼女の名前を呼んだ。
それでもこのシーンとした中、俺は待つしかできない。ただ祈り続けるしかない。彼女が無事だと言うことを。あの笑顔で戻ってくることを信じるしかない。
「…くん。恒星君?」
今誰かが俺の名前を呼んだ。
振り返ってみると俺の後ろに立っているのは一人の女性。悲しそうな心を痛めた顔をしている。なのに口は微笑ましく笑い、右手には一枚のハンカチを握っている。顔が彼女と似ている。温かそうな、穏やかな人。どうして俺の名前を知ってるんだ。
「あなたが恒星君?」
「そう、です。えっとあなた…は?」
「輝麗の母です。あんなに花火大会花火大会って言って大喜びしてたのに、まさか事故に遭うなんて思ってもなかったわねぇ」
…どうりで残像が重なったわけだ。仕草も見た目も、似ている。と言うかほとんど同じだ。
「急に、電話がかかって来て、誰かと思ったら輝麗からで、もうお祭りに着いたのかな、美味しい食べ物食べて楽しいことしてる報告かなって思ったら、あの子の声じゃなかった。輝麗さんの親御さんであってますかって言われて、この時点で何かがおかしい思ったわ。話を進めて行くごとに…あら、ごめんなさいね、大の大人が泣いちゃって。あまりに突然だったから、今だに事実を受け止め切れてなくてねぇ…」
輝麗のお母さんは堪えていた涙を抑えていた涙を一気に流した。
「事故にあった、意識不明、そんな言葉が頭の中にこびりついて…、最初は嘘ついてるんでしょ、冗談はやめてちょうだいって思ったけど画面越しに聞こえるのは真剣な声。嘘じゃないんだ、社員の誰にも言わないで急いで仕事場から駆け出して来たわ…。家族にも電話して、みんな同じ反応、まさかこんなことになるなんて思ってなかったって」
「輝麗のお母さん、全部俺が悪いんです。俺が行こうなんて言ってなかったらこんなことにならなかったのに。すいません、許してください」
「そんなあなたが悪いわけじゃないわ。だから謝らないで。ほら顔をあげてちょうだい。事故とかね事件にね、いつ巻き込まれるなんて誰にも分からないから、仕方ないなんて言ったらあの子には悪いけどこれも運命なのよ。だから無事だということを一緒に願ってほしい。もしも輝麗が戻って来たらいつも通りのあなたで接してあげてちょうだい」
「本当にすいません」
「大丈夫よ。あの子ならきっと元気な姿で戻ってくるわ」
そうだといいなと思いますって言おうと思ったが悲しみと心痛でそれどころではなかった。自分が悪いのに泣いてしまって、情けないなと思った。なのに輝麗のお母さんは優しく背中をさすってくれて、大丈夫よ大丈夫って慰めてくれる。
「ほら泣き止んで。ティッシュ使う?」
「すいません、一枚もらってもいいですか」
「気にしないで使うだけ使ってちょうだい」
淡い色をしたピンクのポケットティッシュをもらって一枚取った。もういい加減泣き止まないと悪いな。グッと堪えて涙を止め、輝麗のお母さんと一緒に、彼女が無事戻ってくることを祈り続けた。
第五章 涙と笑顔と花火
手術が始まってから一時間が経過しようとした時、蛍光板のランプが消えた。
「お母さん、ランプが消えたと言うことは」
「手術は終わったってことね」
無事か無事じゃないかは分からないけど喜んだ。苦しみと痛々しいことが終わったと思ったら嬉しくて彼女のことを褒めたくて仕方がない。途中から輝麗のお父さん、おじいさんおばあさんも駆けつけて来て、一緒に待った。
大きく頑丈にできている扉がゆっくり開き医師と看護師、彼女が出て来た。
が、彼女は眠っていた。入院する人が寝るベッドのようなもので。
「先生、あの子は大丈夫ですか」
「お母様、輝麗さんは命に別状はありません」
よかったぁと安堵のため息を吐き、安心したような、喜びの涙を流した。輝麗のお父さんもおじいさんもおばあさんも泣いて、何度もよかったと呟く。
その後ろで俺は一人号泣した。
このままもし死んじゃったらどうしよう。二度と会えなくなったらどうしよう。待ち時間はずっとそんなことばかり考えて気が気じゃなかった。
「搬送された時は容態が悪く、危ないかなとも思いましたがヘルメットを着用しており脳を傷つけてなかったこと、跳ねられた時の衝撃が強かったものの内臓が損傷していなかった、この二つが輝麗さんの命を守ったんだと思います。今は全身麻酔で眠っていますがすぐ目覚めると思います。容態が急変する可能性もあり得なくはないので入院はしたほうがいいと思います。それでも大丈夫ですか」
「先生の言う通りにします」
「それではとりあえずご家族の方は入院手続きをするので受付までお願いします。そちらの方はお部屋に案内しますので輝麗さんと一緒にいてあげてください」
お、俺が見守ってていんですか。普通の顔していれないですよ、俺が誘ってこんなことになったのに。ここは断ったほうがいいんじゃないかと思って、後ろから恐る恐る尋ねた。
「輝麗のお母さん、俺なんかが輝麗のこと見守ってていんですか。他のご家族の方と一緒のほうがいいんじゃ…」
「輝麗のことはあなたに任せるわ。そのほうがきっと、あの子も喜ぶだろうから」
「俺のほうが喜ぶ…?どうしてですか」
「それは教えれないわ。あの子との約束だからね」
約束?と聞き返そうとしたけど、横から口出しして話を止まらせているので疑問を抱えたまま後ろに下り、ひとまず話が終わるのを待つ。俺は輝麗と一緒に部屋に行き、輝麗のお母さんは入院手続きをしに受付に行った。他の家族の人達は必要物品を取りに一旦返ってしまった。
看護師さんに案内されたのは他の人と共有しながら使う大部屋ではなく、一人用の部屋。小型テレビと棚、時計が置いてあるだけ。ベッドを窓際に近づけて固定させ転落防止用の柵を張る。
「何か異変を感じたらこのナースコールを鳴らしてください。それでは失礼します」
カラカラカラとドアを横に軽快に滑らせ部屋を出て行った。狭すぎず、広すぎず、ちょうどいい大きさの部屋に二人。
今の時刻は五時四十九分。もう少しで花火の打ち上げが開始する。でも日が完全に沈み切っておらず、眩しい。外に広がるのは魔法がかけられ、目を引くほど美景なマジックアワー。桔梗色、梅紫色、楝色、紫苑色、蜜柑色、柿色、色んな色がグラデーションして空を創っている。どこか儚く、美しく、悲しく、寂しい。なのに、じっと見てると吸い込まれそうだ。この空に花火が重なればどれだけ奇麗だろう。ほんの少し、見なかった隙にまた空の色が変わり、陽の位置が下にずれた気がする。
でも今は夕焼けも、花火もどうでもいい。一刻も早く彼女に目を覚ましてほしい、そして謝りたい、ただそれだけ。
目の前にいる彼女はおとぎ話に出てくる森の美女のようにスヤスヤと眠っている。細長く小さな腕には点滴、顔にも腕にもガーゼや包帯が巻かれている。痛い思いさせてごめん、こんなことになってごめん。痛かったよな、苦しかったよな。本当にごめん…。自分が身代わりになったらよかったのに。なんで、なんで君がこんな酷い目に遭わないといけないのか分からない。
「輝麗、ごめんな。やっぱり俺じゃ駄目だ」
俺は彼女と顔を合わせてはいけない。そう思って席を立ち上がろうとした時、瞼がピクッと動いた。
「輝麗!」
次は掠れた声だけど、うんと言った気がする。麻酔が切れて意識が戻ってきてる…。
「輝麗、大丈夫か。目を覚ましてくれ」
手術が終わって約一時間半後。ずっと見せてほしかった目をようやく開けた。
「輝麗。よかった…死ぬんじゃないかって思ったじゃないじゃないか。怖くて怖くて、どんだけ心配したか…」
「恒星、君?」
「そうだよ。俺のこと分かる?ここどこか分かる?」
「うん、分かるよ、病院の中、でしょ。私ね、恒星君と、花火、見るのが、楽しみで、待ち切れなくて、家をね、少し、早めに出たの。少し早すぎたかな、とも思った、けど、待ち切れなかったの。学校の前の、横断歩道、渡ろうとしたら、周りにいた、人達が、急に叫び出して。本当、一瞬だった。大きい車が、ブレーキかけないで、突っ込んできて、私にぶつかった。向こうが、赤信号なのに。跳ねられる、前から物凄い、スピード、出してたんだと思うよ。思いっきり、飛ばされて、びっくりするぐらい、遠くに飛んで。私の、お気に入りの自転車も、壊れちゃった。ガッシャー、って耳が痛いぐらい、音がしたもん。でもね、不思議と最初は、痛いとか、気分悪いとか、何にも感じなくて、私やばくない、無敵じゃんって、思ったんだ。立ち上がろうとしたら、なんだったけ、あれ。えっと、あ、から始まる、やつ。アドナレリンだ。グァンってなるやつ。やっぱり、無敵じゃ、なかったよ。そのまま倒れちゃった。その後の記憶は、ほとんどないや。ヘルメット、被ってたから、よかったけど、被って、なかったら、あれは、即死だね。いやぁ、びっくりしたね。まさかねぇ、あんなことになるとか、思ってなかったね。心配、かけたよね。ごめんね、せっかく、花火見にいこうって、誘って、くれたのに、私のせいで、行けなく、なっちゃったね。ごめんね…」
「どうして輝麗が謝るんだよ。輝麗は謝る必要なんてないだろ。花火とか、まだ始まったばっかだし。でも、俺が誘わなければ、こんなことにならなかったのに。悪いのは俺だから、謝らないといけない。ごめん、本当にごめん。許してくれるか…?」
「そんな、許すって、恒星君も謝る、必要ないから、謝らないで。それに、誘わなければ、ってことも、言わないで」
「だって、俺のせいでこんなことに」
「誘われた時、嬉しかったもん」
「えっ?うれし、かった?」
「そう、嬉しかった、それに、物凄くね」
「嫌だなぁとか、迷惑だなぁとか、思わなかった?」
「そんなこと、思う、はずないじゃん。だって、私…」
「私…なんだよ。続きはないのかよ」
「それは、秘密だから、言えないよ。あのさ、話、変わるけど、今日の恒星君、いつもと違うね。髪、切ったのかな?ワックス、とか使ってる、でしょ。さっぱりしててかっこいい。私服姿も、かっこいいね。シンプル、だけど、大人っぽい、恒星君に、似合ってて、いいと思う」
「あ、ありがと、な」
「顔、赤いよ。もしかして、照れてる?」
「照れてない」
本当のこと言うと照れてるんですけどね。
好きな人にそんなことを正直に言うわけないじゃないか。この話題を遠ざけるために一つ咳込みをして話を切り替えた。
「傷、痛い?」
「んー、ちょっとだけ。色んな、ところ打ったと思うから。でもさ、傷口が深いこことか、お風呂入る時、しみるよね」
「そこの傷が一番深いね。絶対しみるよ」
「意地悪だなぁ、嘘でも、いいから、しみないって、言ってよ。しみるのが、一番嫌なんだよね」
「それは知らなかった。ごめんごめん」
「それにしても、人生、初点滴、初入院だから、ワクワク、って言うか、ドキドキする。よく、病院のご飯は、味が薄くて、ヘルシーだから、痩せるって、言うけど、どのくらい、薄いのかな。夜の病院って、お化けが、いるとか、言うじゃん。消灯時間すぎて、看護師さん、が、どっか、行ったら、こっそり、抜け出して、みたいな。いっぱい、冒険、する」
「おいおい、抜け出すな、冒険するな。してみたいのは分からなくもないけど、危ないから駄目。おっちょこちょいだから転けたらどうすんの?すでに心痛んでんのに、また怪我したらって考えただけで、ゾッとするわ」
「なにー、私のこと心配してくれてるの?」
「そりゃ心配するだろ、そんだけ大怪我してまた怪我したら」
確かに、と腕をつき、何がおかしいのか分からないけど笑い出した。
やっぱりこの笑顔が好きだな。本当に事故にあったのか分からないぐらい笑ってる。
「私、本当に、事故に遭ったのかな。すごく笑ってるもんね」
「俺も今、全くおんなじこと思ったよ」
二人で笑った。彼女はお腹を抱えて笑うことはできないけど、笑った。俺の悲痛が飛んでいくぐらい、笑わせてくれた。
「もう、暗くなってきたね。さっきは、マジックワワーが、綺麗だったのに。写真撮りたかったな」
「スマホさえあれば写真なんていくらでも撮ってやれるんだけどな。父さんに誕生日プレゼントとしてスマホ買ってもらおっかな。それにアドナレリンはアドレナリンだし、マジックワワーじゃなくて、マジックアワーな」
「あれ?私、間違えちゃった?」
「うん。間違えちゃってたよ」
「本当?あっ、外見て!花火花火!ここからでも見えるよ!すごいすごい!今の!」
病室から見えたのは一輪の華。暗く明るい空に、光り輝く。彼女の瞳に映った華は開花しては、一瞬で命尽きた、それでもまた一輪、また一輪と次々に咲き誇り空を埋め尽くす。
「花火が見えて嬉しいのも、すごいのも分かるけど、急に座らないで点滴とかしてるから取れたら大変なことになるよ。身体もびっくりするし」
「ごめんね、身体。でもね綺麗だから少し座ってもいいかな?うん、ありがと」
「身体と話したの?」
「話した!そしたら少しだけならいいよだって!」
「よかったね。ほら今の、すっごい綺麗だったのに。見てなかったの?」
「もー!もっと早く言ってよ!」
頬を餅のようにぷくーっと膨らませて軽く叩かれた。
「安静にしとかないと看護師さん呼ぶよ?」
「静かに見ます」
完璧には上げれてなかったものの、ピシッと敬礼をする。初めて花火を見るかのように瞳をキラキラさせて見上げる彼女。
もう半分ぐらいは上がっただろうか。
あと少しで終わってしまう。そう考えると寂しいような、悲しい気持ちになってしまう。
花火が見終わるぐらいに看護師が来るだろう。面会時間を過ぎたら明日は一定の時間入れてもらえない。入れたとしても輝麗の家族が入れかもしれない。
そうなったら伝えれるのは今だけ。
「…輝麗」
「どうしたの?」
「好きです。俺と、付き合ってください」
「私も」
たった一言だった。とても短い返事だった。
でもその四文字が俺は返してほしいものだった。心の中でも花咲いた。
「今日は、色んな意味で記念日だよ。みんなに、報告しなきゃ。あっ、今の形、ハートみたいだった」
「俺たちのこと祝ってくれてるのかもよ」
「わー、嬉しい。花火にもありがとうって言わないといけない」
ふふふと片手を口元に当て、温容な表情を見せる。
花火も綺麗だけど、輝麗のほうが綺麗だよ。そう言おうしたけど照れ臭くなってやめた。
誰もいないことを確認し、薄緑色のカーテンを閉める。
そして静かな病室で、フィナーレに俺は彼女にキスをした。
エピローグ
夏が来ない年はない。花火がない夏はない。
俺はそう思う。夏、花火と言ったらあのことを連想する。あの時は大変だったな。
ちなみに今から、花火を見に行くつもりだ。河川敷である花火大会に行くのに彼女を迎えに行っている。
付き合って一、二、三年半ぐらい。今はお互い違う大学に通っている。輝麗は保育関係の大学に、俺は医療の大学に通っている。高校三年生、大学に行くか行かないか、迷っていたけど父さんや母さん、兄さんに先生、彼女からも大学に行かないなんて勿体無いと言われ行くことにした。俺の学力だったらいいとこに行けるはずだと言われたのはそこそこ嬉しかった。
お互いの夢に向かって、いっときの間話せなかったから会うのは久しぶりだ。同じ都市に大学はあるけど正反対の場所にあるのでしょっちゅう会うのは厳しい。
だからお互いの都合が合う今日、花火を見に行こうとは誘ったのだ。俺からね。
河川敷最寄りの駅に集合と言うことで着いたけど、彼女がどこにいるか分からない。時間もちょっと遅れたけど、場所は合ってるはずだ。
あんなことがあったからまた事故に巻き込まれたんじゃ…。そう思ってすぐさまスマホを取り出し電話を開く。
一コール、ニコール、三コール…!
「もしもし?恒星君?」
「着いたんだけどどこにいるてか着いてる?また事故に巻き込まれたんじゃないかって心配になって」
「着いてるよ。あっ!見つけたかも。そのまま前向いて」
言われるがままに前を向いてみると、奥の方に手を振っている彼女を見つけた。
「あー、いたいた。全然気が付かなかった」
「じゃあ私一歩も動かないで待ってるから恒星君が来てー」
「なんで俺が行くんだよ。別にいいけどさ」
「嘘嘘!私も行くから。よーいどん!」
「えっ?」
目の前から猛スピードで走ってくる彼女。
リードを離された子犬みたいに全速力で走って来て俺に飛びついた。
「痛ってーな。急に飛びついて来たから一瞬山姥かと思ったわ。俺殺されてないよね?」
「まぁ、なんで失礼な男なの!もう花火一緒に見に行かない」
目尻に涙を浮かばせ、花火会場と反対方向に歩いていく。
待って、そんなつもりで言ったんじゃないのに。せっかく花火大会にまた行けるって楽しみにしてたのに。焦って彼女の後を追いかける。
「待って待って!本当にごめん。傷ついたよね?輝麗は山姥なんかじゃないよ。可愛いから。優しいし、可愛いし、殺人なんて言葉はお似合いないし、さっきの言葉は取り消すから、もう一度チャンスをください」
ただの溺愛男みたいで恥ずかしいけど、彼女に許してもらうにはこうするしかない。顔を見てみると輝麗はクスクス笑ってた。
「へっ?」
物凄く間抜けな顔をしていると思う。自分でも分かる。
「どう言うこと?笑、ってるの?えっと…傷ついたの?傷ついてないの?」
「ドッキリでしたー!意地悪だから懲らしめようと思ってね。全部演技だから。あー恒星君必死過ぎて面白かった。可愛いとか優しいとか。嬉しいなぁ、あんまり言ってもらえないんだもん…。今日も記念日かな?」
なんだよ、そう言うことか。まんまとやられてしまった。これは俺の負けだな。
「はいはい、十分懲らしめられました。じゃあ許してもらえたと言うことで、花火大会いきましょうよ。輝麗さん」
「そうだね。こんなことしてたら始まっちゃうよね。また可愛いって言ってよね?」
「分かったよ、言うから二の腕つまむのやめてくれない?痛いんだけど」
「あっごめん!多分、つまむの癖なんだよね。どうでもいいか、行こっ!」
変な奴だ、つまむのが癖って独特な癖だな、と脳の半分はそう思ってもう半分では、サイコパスだけどギャップ萌えということで可愛いなと思った。
「わー、人多そうだね。迷子になりそう」
「それは困る。ほら、手。繋いどこ」
「いいの?ありがと!」
小さな手が俺の手に重なる。昔から手の大きさは変わってないな。そう言おうと思ったけどまた怒られそうだな、これ以上彼女の機嫌を損ねたくないので言わないでおこう。
「向こう人居なさそう!あっち行こうよ!」
「本当だ。穴場だよ、花火もちょうど見えそうだしって腕引っ張り過ぎ」
俺の言うことは聞こえてないみたいだ。繋いでいた手を離して手首をちぎれそうなぐらい引っ張っる。前へと進んで行き、大勢の人混みをかぎ分けて、あっという間に波を抜けた。
「めっちゃ俺の腕引っ張ってたよ。引っ張りすぎって言ったのに聞こえてなかったし」
「聞こえてたけどそれどころじゃなかったの。早くしないと花火が始まっちゃからね!」
再び手を繋ぎ河川敷の草むらに座り込む。
そう言えばレジャーシート持って来たんだった。
「これ敷いとこうよ。下草だから、せっかくの可愛い服が汚れちゃうのは嫌でしょ?」
「気がきくねー!じゃあ遠慮なく座らせてもらおうかな。しかも私が好きなピンクだ!」
そう。絶対ピンクいいかと思ってピンクにしたんだよ。いい反応を見せてもらった。
少し自分ははみ出てしまったけど、彼女には内緒にしておく。
「始まったよ!事故にあった時より大きいし綺麗に見える!場所がいいのもあるかも」
「そうだね。こっからだと目の前に見えるもんね。人が全くいないし、いいとこ見つけたね」
「でしょー?感謝してよね」
「毎日してるよ。ほら、見ようよ」
夏の夜空に舞い上がる花火を数分間、喋らず見つめる。
土星みたいな花火。菊みたいな花火。牡丹みたいな花火。ハートの形をした花火。数百個が一斉に飛び上がり空を彩る。
昼がやって来たかのように明るくなっては静粛な夜に戻って。
「綺麗だな」
「うん」
「でもあと少しで終わるな」
「恒星君!」
「何?」
「大好き!」
「ふーん。ありがとう」
「恒星君は私のこと好きじゃないの?」
「好きに決まってるじゃん」
「じゃあ最初っからそう言ってよ」
「好きだよ」
「急に言わないでよ!照れちゃうじゃん!」
「言ってって言ったり言わないでって言ったりどっちなんだよ」
「言っていいよ」
「はいはい」
側から見たらただのバカップルだなと思う。そう思われても俺は気にしない。好きなのは事実なんだから。それを誰がどう言おうと俺は彼女に好きと言い続ける。人間はいつ、どんなことが起こるか分からない。
あの時もっと、こう言えばよかったなって後悔しないように今伝える。
でももうあんな目には遭わせないから。一人にさせないから。
彼女に寄り添い、腕を肩に回す。
まだ花火は終わってない。フィナーレを迎えてないのに彼女が俺にキスをして来た。
一瞬何が起こったのか分からなかったけど彼女の頬が赤くなっていくのを見て理解した。「キスしたの?珍しいね」
「本当はフィナーレにしようと思ったけど」
「けどの続きは?」
「やっぱりなんでもない!」
そっぽを向かれた。今回は俺は悪くないぞ。
「まぁいいや」
「何がよ!?何にもよくないよ!」
「落ち着いて、落ち着いて。花火見ないなら帰ろうよ」
「帰りたくない!」
そう言って花火に目を移した。単純と言うか素直と言うか。扱いやすい性格も昔から変わりない。でもその分、すぐ傷ついてしまうから注意も欠かせない、大変な彼女だ。
「もうすぐ終わるのかなぁ。急に花火がいっぱい上がって来た」
「かもね」
もう終わるのかぁと肩をガックリ落として、ため息をつく彼女。ここを離れたくないのか俺の袖を掴んで前もって帰るのを阻止しようとする。
最後は今年打ち上がる花火の中でも最大級の大きさ、四尺玉が打ち上がりますと朗々とした声でアナウンズが流れた。
一つの小さな光が空高く舞い上がり消えた。
大きな音と共に大きな華が夜空を照らした。
大きいだけあって枯れ落ちるのも遅い。目を輝かせながら花火を見ている彼女に、あの時と同じようにキスをする。
「私、いつか恒星君と苗字をお揃いにするのが夢だなぁ」
「…それって俺と結婚したいってこと?」
「…うん!」
いつか、な。君が俺でいいと言うなら。
花びらが少しずつ散り落ちていく。
また来年、見れたらいいな。
花火が終わってしまう。切ないような寂しいような思いがまだあるけど彼女が楽しかったと喜んでる姿を見れば連れて来てよかったなと思う。
「まだ帰りたくないな」
「せっかくだし、屋台行く?」
「本当に!?やったー!まず、りんご飴食べて!焼きそば、たこ焼きでもいいなぁ!その後は金魚すくいして、クレープも食べる!」
「好きなだけ食べていいよ。お金なら気にしないで。この日のためにバイト頑張ったから」
「恒星君の奢り?もっと嬉しいよー!」
俺の手を取り屋台のある方向に歩く。色んな食べ物の名前を挙げて俺に照れた笑顔を向けた。
また大学もバイトも頑張って、もっと楽しい場所に連れて行ってあげたい。
来年も花火を見たい。
そのために明日も生きよう。
君がこの世界に存在する限りは。