高校に入り、新しい友達に新しい部活に新しいクラスと胸をときめかせていた俺には黒歴史があった。
今でこそ、イケメンでおしゃれだとか話が面白いと言われるキャラになったが、小学生の時は、ダサいイケてないつまらない男子だった。
中学に入るときに、家を建てるために同じ県の別な学区に引っ越しすることになった。親にも教師にも秘密にしていたいじめから抜け出すことができた。
ちょうど成長期も相まって背がぐんと伸びた。おかげで気にしていた少しばかりぽっちゃり体型から卒業できた。元の顔は悪くなかったせいかおしゃれに気を配っただけで、中学では告白もされ、何人かの女子と付き合っていた。調子に乗っていた中学時代を引きずりながら高校に入学した。
小学校時代のいじめられっこの黒歴史は絶対に秘密だった。
少しばかりの懸念があった。
高校生になると、県内全域から高校に入って来るため、小学校時代の同級生がいるかもしれない。
でも、見た目だけで俺だなんて思うわけないよな。
鏡を見ながら、イケてる俺を確認する。
茶髪ピアスなおしゃれに気を遣う男子がまさかチビデブなガキと同一人物だなんてわからないだろ。
今日もイケイケにワックスで髪を遊ばせてる感じはいじめられっことは程遠いな。
結構イケてるよな、今日の髪型。
鼻歌交じりにクラス発表を見る。
昇降口に同じクラスのメンバーが発表されていた。
中学が一緒の奴はわりといるな。
でも、一瞬にして鼻歌からどん底に落ちる。
名簿の俺の名前の前に一番嫌な名前を見つけてしまった。
まさかな。
同姓同名であってくれ。
東条奏斗。俺を小学生時代にいじめていたグループの主犯格だ。
背は高く、イケメンとか言われて俺とは対照的に人気があった。
足は速く運動神経は抜群で、勉強もできていた。
髪はストレートで艶があり、センター分けをしていて、今時な小学生という印象だった。
性格はすこぶる悪く、誰も逆らえないのをいいことに、ネチネチと嫌がらせをされた。
不登校になりかけたけど、なんとか親を心配させたくないために俺は頑張って登校していた。
家を建てることになり、学区が変わるため、中学校は別の学区になったのは奇跡だった。
天の導きだとあの時ばかりは神様に感謝した。
嫌なことが走馬灯のように俺の頭を駆け抜けた。
もし、あいつがいたら、多分また嫌がらせをしてくるかもしれない。
少し体が硬直した。
想像してみる。
高校生になった東条はどんな風になっているだろう。
多分、少し悪そうな感じで女子に人気がある感じだろう。
顔立ちはクールで表情が乏しい印象。
インテリぶって陰で悪いことをしているだろう。
見た目は、多分少しチャラい感じかな。
中学デビューにあたって俺は良くも悪くも東条一味を手本にしていた。
髪型は東条のグループにいた一番おしゃれな諏訪という同級生を模倣した。
美容師の息子だという諏訪はビジュアルは一番垢抜けていた。
俺自身、勉強もできる方じゃなかったけど、東条みたいに知識があればなんとかなりそうだから勉強も頑張った
ああいう感じになれたらいじめられる側じゃなくて、あのグループに入れたんじゃないかと思い、背伸びしてきた。
おそるおそる教室のドアを開ける。
黒板に座席表が貼られていた。
俺の席は窓側の一番後ろで、その一つ前が東条と同姓同名の人物か。
もしかして、またいじめられるのだろうか。
せっかく高校生になったのに、いじめられてた過去を暴露されるんじゃないだろうか。
正直脅えていた。
後ろから二番目の席を見ると、思っていた派手なタイプの男子ではなく、少し地味で真面目そうな雰囲気の男子が座っていた。多分、同姓同名の別人だろう。少しほっとしていた。
もう二度と出会いたくない。
辛い過去に戻りたくない。
無言で席に着く。
話しかける勇気はなかった。
ふいに聞きなれた声が後ろから聞こえた。
「あれ? 瑠偉じゃね?」
同じ中学で仲の良かった壮一が話しかけてきた。
クラスのカースト上位にいるような奴とは大抵仲がよかった。
ノリで楽しく馬鹿なことをやって、陰キャなモブをいじるのが俺たちのノリだった。
大抵おしゃれに気を配れたり、楽しい会話ができればカースト上位の輪に入ることができた。
俺は変わったんだ。変われたんだ。
呪文のように心の中で唱える。
友瀬瑠偉というのが俺の名前だ。小学生の時も東条と友瀬は名簿の順が近く、席が前後になった。それがいじめられるきっかけでもあった。
知り合いの壮一が同じクラスにいると少し安心するなと思うや否や、前の席の黒髪のストレートの男子がふりむいた。
「友瀬瑠偉くんかぁ。久しぶり」
その目に見覚えがあった。
漆黒の瞳はまっすぐに俺を見つめていた。
いじめの主犯格の東条だった。
あぁ、やっぱりあの東条か。ひどく落胆している自分がいた。
これ以上関わりたくない。
顔を見るだけで吐き気がする。
思わずトイレに駆け込んだ。
あいつだ。間違いない。見た目は落ち着いた優等生風だけど、仮面の下は悪魔の化身だ。
どうしよう。高校をちゃんと卒業できないかもしれない。
入学したばかりなのに、不安がつきまとう。
一瞬過呼吸気味になる。
初日からこんなんで大丈夫かよ。
その後、なんとか気分を落ち着けて教室に戻った。
ホームルームが始まっており、私語をする雰囲気じゃなかったのが救いだ。
休み時間になったら、同じ中学の壮一のところに逃げよう。
でも、俺の黒歴史がバレたら、イケてない写真をばらまかれたら――。
壮一からも相手にされないかもしれない。
中学時代は無双していた俺だったが、やっぱり過去のトラウマや元々の繊細な心はそう簡単に変えられないようだ。
「大丈夫?」
真顔で東条が振り向きながら話しかけてきた。
俺は必死に無視をしていた。
こいつには関わらない。
無視しつづければ、もっと別ないじめる相手を見つけるだろう。
俺がもうターゲットになるはずはない。
なぜなら俺は変わった。
東条なんかよりもずっと今は髪型だっておしゃれにしているし、女子慣れだってしているんだ。
背も俺の方がずいぶん高くなっている。
そう自分に言い聞かせる。
ほとんど担任の話は頭に入ってこなかった。
「瑠偉くん久しぶりだね」
休み時間に普通に話しかけられた。
もしかして改心したのかもしれない。
でも、あいつはそんな奴じゃない。
決して油断はできない。
「誰だっけ?」
覚えてないアピールをする。
「同じ小学校の――」
「俺、壮一に用事あるんだった」
それ以上話されたら正体がバレる。急いで壮一のところへダッシュする。
壮一の近くには同じ中学のギャル系女子の果歩もいて、同じ中学ネタで盛り上がる。
盛り上げる方法は中学時代にだいぶ鍛えた。
だから、会話に詰まることもないし、相手を笑わせるネタもたくさん持っている。
俺には築きあげた仲間がいる。
他のクラスにも俺に従う奴はたくさんいるし、新しいクラスでも俺はイケてる奴になるんだ。
それに比べて今の東条はどうだ?
暗い感じでおとなしそうで、友達もいないようだった。
中学時代で俺はあいつを追い越したってことだろ。
でも、あいつのカリスマ性は俺が一番よく知っている。
みんなを統率する能力、知力に長けている。
授業が終わると席が前なのをいいことに話しかけてくる東条。
「懐かしいね。小学校時代の写真を保存してるんだ。見てよ」
スマホを見せられた。
嫌がらせだ。
俺がダサい服に身を包んでいた時代。
髪型も安い近所の床屋で切ってもらっていた時代。
チビでデブなこの時は女子からも人気はなかった。
嫌がらせをされるのだろうか。
この写真を見たらドン引き確定だ。
俺は、あいつと縁を切れないのだろうか。
「そんな写真消せよ」
スマホを強引に奪い消去した。
クラスの全員で撮った写真。
そもそも個人的に東条と俺が写る仲ではないから、そんなに俺が大きく写っているはずもない。
でも、小さく写ったイケてない自分が好きではなかった。
とにかく消去したかった。
こんな黒歴史は存在させてはいけない。
少なくともこの高校で人目に触れさせたくはなかった。
「何も言わないで転校しちゃったから、寂しかったんだけどな」
「はぁ? 何言ってんだよ。おまえと話す義理はないんだよ」
凄んでしまった。はたから見たら、ヤンキーが優等生に絡んでいるように見えたかもしれない。
でも、俺はいじめられた被害者だ。
破られたノート。
隠された上靴。
水をかけられてずぶ濡れになったこと。
陰口、無視、罵倒される日々。
直接の暴力を振るわないから、証拠は残らなかった。
でも、心に傷は残っていた。
「あの時は、ごめん」
「なんのことだかわからないな。おまえのことなんて覚えてねーし」
人気者でみんなに慕われていた東条。
誰からも助けてもらえなかった俺。
正反対の俺たちは水と油だ。
痩せて背が伸びてもかなわない。どんなに着飾ってもかなわない。
やっぱり東条は圧倒的なカリスマ性を感じさせていた。
小学生の時から時間が経ち変わっているのは頭ではわかっている。
東条は想像していたよりも大人しく落ち着いた人間となっていた。
入学式では代表のあいさつをしていたところを見ると主席ってことだろうか。
いわゆる自称進学校に入学したのは意外だった。
東条は県内トップの高校に入学してもおかしくはなかったし、実家がお金持ちなので、私立の付属高校に入学しても違和感はなかった。
なんで、俺が必死で勉強して入学した高校に余裕の一番で入学してるんだよ。
ムカつく奴だな。
すました育ちの良さを持った悪魔。成長しても東条には絶対に裏があるはずだ。絶対に許さない。
授業が始まる前にしか席に座らないように意識していた。
東条を避けるために何とか席を離れるようにしていた。
「これ、受け取って」
札束を渡される。金持ちが金をみせびらかすっていう嫌がらせだろうか。
「いらねーよ。引っ込めろ」
背が伸びて今や東条なんかより俺の方が上から見下ろせる身長になった。
周囲は怪訝そうな俺を見て、俺が東条をいじめているのではないかという空気になった。
真面目な優等生が不良じみた俺に札束を渡すというのは、カツアゲの類にしか見えない。
違う。いじめられているのは俺だ。
教師が来たので、東条は札束を財布にしまった。
もしかしたら、俺にカツアゲされたとか教師にチクって退学させようとしているのかもしれない。
放課後ため息交じりで歩道を歩いていた。高校受験でお世話になった大手塾の先生に街中で再会した。
「久しぶりだね。八木高校はどう? うちの塾にいた東条くんって首席入学だったらしいね」
学校以外でも東条の名前を聞くなんて。
でも、なんで塾の先生が知ってるんだろう。
「東条のことを知ってるんですか?」
「彼はうちの塾生だったから。彼は特進コースにいたんだよ。コースが違うと知らないかな」
俺と同じ塾に通っていただと?
「実は、東条くんが君と小学校で同じクラスだったと聞いていたんだ。友瀬くんはどこの高校に行くのか聞かれてね。仲が良かったって言ってたよ。うちの塾は塾生が目標高校をあえて貼りだしたりするから、それを見て本当に八木高校を受けるのかと確認されてね」
まじか。俺の進学先を調べていじめようとしていたのかもしれない。
最悪だな。
「東条の成績ならここらへんで一番の難関高校でも行けたんじゃないですか?」
「彼なら余裕だったのにな。なぜか八木高校がいいって言われてね。塾側としてはトップの偏差値である高校に行ってほしかったんだけど。なんでかこだわって彼は進路を曲げなかったんだ」
「塾には中一から通っていたんですか?」
「ずっと通っていたよ。特進コースだから授業日は違うし教室も違うから接点はなかったよね」
それを聞いて俺は先生にお辞儀をしつつ、吐き気を催した。
裏路地に逃げ込み過呼吸になる。
情けない。俺は何にも変わってないんだ。
実感する。東条の執拗な俺への執着がやっぱり怖いと思った。
俺のことを探るために塾に通っていたのかもしれない。
そう考えれば考えるほど、どんな暴力を振るわれるのか怖くなる。
体つきも中学時代に運動部で鍛えてだいぶたくましくなったけど、なぜか勝てる気がしなかった。
過去のトラウマが俺を拘束する。
鎖で縛りつけられたような感覚。手足が動かせない感覚。
小学生の時に感じた無力感。
家の前に見たくない人物が立っていた。
東条だ。なんで俺の家を知っているんだ。
ストーカーかよ。
東条が丁寧に頭を下げた。
「ごめん。俺のこと嫌いだよね。でも、謝りたくて」
「大っ嫌いだ」
東条の目はマジだから、冗談で言っているようには思えなかった。
精一杯の虚勢を張る。
まるで弱い犬がきゃんきゃん吠えるみたいに。
所詮俺は弱い犬だ。
「お金で解決できないと思ってるけど、せめてもの償いで受け取ってほしい。足りなければ、もっと出す」
一万円札をこんなに持ってる高校生っていないと思う。
さすが金持ちの息子だ。いけ好かない。
「俺と友達になってくれないか?」
「はぁ? どこのどいつがそういうこと言ってるんだよ。おまえ、どんだけ俺のこといじめたのかわかってるのか」
きっと何か企んでるんだと思った。
こいつには頭脳戦では絶対に勝てない。
「おまえにはたくさんの友達がいただろ。成績もいいんだから、友達なんてできるだろ」
「中学に入ってから、俺には友達がいなかったんだ」
嘘に決まってる。こいつにはいつも取り巻きがいた。
「女子にも人気があったし、男女ともに好かれているリーダーだったよな」
嫌味たっぷりに言葉を浴びせる。
「女子に告白されて、付き合ったことがあった。でも、どうしてもその人を好きになれなかった。俺のことを調べた彼女は真実に辿り着いてしまったんだ」
真実だと? 極悪人だとかそういう真実だろ。
「近くの公園で少し話を聞いてほしい。ずっと無視されるとこっちの気持ちが伝えられないからさ」
近くの公園とは言っても、結構歩く。
歩いている間、十五分程度気まずい空気を吸うのもなんだかなと思えた。
「うち上がってくか? 金の問題じゃないから金は受け取れないけど、話は一応聞いてやる」
あの頃と別人のようにおとなしく従順な東条に対して少し意外な感じがした。
「コーヒーでも入れてやる。これは俺の優しさだから」
「ありがと」
あの頃と変わらない黒髪は艶がありサラサラとしたストーレートで美しく思えた。
女子から見ためだけで人気があるのはわかる。
顔立ちはきれいだし、今はインテリな賢い大人しい高校生という印象を与えている。
ホットコーヒーにミルクと砂糖を添えてかつての天敵をもてなす俺は最高に優しいな。
「瑠偉くんは彼女とかいたの?」
「まぁ何人かはね。今は受験もあったし、フリーだけど」
「実は俺が彼女のことを好きになれないのには理由があったんだ」
「理由って?」
コーヒーを一口飲みながら耳を傾けた。
「俺は男性しか好きになれなかったんだ」
おもわずコーヒーを口から吹き出してしまった。
「最初は女子のことを好きになれると思っていたし、努力もしたけど、結局好きになれなかった。それを彼女が他の人に相談したんだ。男しか好きになれないらしいって。それから、男友達が離れていったんだ」
俺は華やかな中学生活を送っていたのに、こいつは天罰の如く差別された中学時代を送っていたってことか。
「俺と同じ塾に通っていたってこの前塾の先生に言われたんだけど、マジ?」
「君に謝りたいと思って同じ塾を選んだんだ」
「またいじめたいとか思ってたんだろ」
「違うよ。でも、なかなか話しかけるチャンスもなくて、瑠偉くんはいつも友達と一緒だったし、どんどん垢抜けて彼女もいたよね」
怖いな。見てたのかよ。
「俺はもういじめられるつもりもないし、おまえとは縁を切るから友達にはなれないから」
「だったら、俺と付き合ってみない?」
「はぁ?」
なんでいじめていた奴と俺が付き合わなければいけないんだよ。
「男の俺のことを好きじゃないってことはわかってるよ。でも、友達になれないならせめて彼氏にしてほしい」
ちょっと待て。友達より彼氏ってハードル高すぎるだろ。
からかっているのかと思ったが、東条は赤面しながら必死に話していた。
俺はこいつのことを許してはいない。だったら、こいつに最大の悲しみを与えるために付き合ってやるか。こいつは男しか好きになれないことを油断した頃にみんなにばらしてやる。そして、俺のために尽くさせて今までの懺悔をしてもらう。これで俺はトラウマに打ち勝てるかもしれない。
「正直、おまえみたいな奴は全然好みじゃない。だが、付き合ってやってもいいけど」
好きでもない奴にこんなことを言うのは気持ちが悪いな。
でも、これで復讐できる。
俺のために何でもさせて、最後に大嫌いだと言って別れればいい。
「俺なんかでいいの? ありがとう」
笑顔で素直な顔をする。こんな奴だっけ?
集団の一番奥で指示出しているイメージしかないから勝手にラスボス扱いしていたんだけどな。
俺は他のいじめている奴ばかりを見ていて、奥にいた東条のことは何も知らないのかもしれない。
知ろうとも思っていなかったのかもしれない。勝手にクラスメイトが東条を持ち上げていた感は否めない。
「というか、本気で俺のこと好きだったりするわけ?」
一応核心に触れてみる。
「好きだよ」
いじめていたリーダーがなんで俺のこと好きなんだよ。おかしいだろ。
「好きになったのはいつから?」
質問しているだけなのに、なんだか恥ずかしくなってくる。
「意識したのは中学に入って、瑠偉くんが引っ越ししていなくなったときかな。その時に寂しさから彼女を作ったんだけど、瑠偉くんの写真をたくさん持っていたのを見られて、性癖がバレたみたい」
「俺の写真持ってたのかよ?」
ドン引き案件だ。
「小学生時代の写真を持ってたんだけど、当然クラスの集合写真とか卒業アルバムに写っている姿しかなかったから、塾で写真を撮っていたんだよ」
「隠し撮りかよ、こわっ」
「風景写真の中に遠くに写っている程度しか撮ってないけど、彼女にこのイケメンは誰って言われて、そこから俺が男を好きだという噂が広がったんだ。取り巻きたちも恋愛対象にされたら気持ち悪いって離れていった」
寂し気な瞳。これは多分、本当の話なんだろう。
イケメンって俺のことか?
やっぱり世間的に見て俺、イケメンの部類になったのか。
にやりと自分を褒める。
「小学生時代も多分、好きだったからいじめていたのかもしれないって思う。だから、本当にごめん」
小学生男子が好きな相手をいじめる典型的な話かよ?
土下座された。
あの日の苦しみが蘇る。
ホースで水をかけられて全身ずぶ濡れになったこと。
ノートを破られていたこと。
東条はこんなに小さかったっけ?
小学生の時は巨大な存在で俺なんかちっぽけだったのに、目の前の東条はずいぶんと小さかった。
「ホースで水をかけたのは、プールで髪を濡れた瑠偉くんがかっこよくて、もう一度見たかったからなんだ。ノートを破ったのは、好きだと書いたけど、恥ずかしくなってすぐに破って立ち去ったんだ。結果的に嫌がらせすることになったけど、本当は別な意図があったんだよ。信じてもらえないよね」
「あの時、チビでデブだった俺に魅力があったとは思えないけどな」
「俺、中身重視タイプだから。いつも一人押し付けられて掃除をしている姿とか、困った人を助けてるところとか、勉強を実は結構がんばっているとか、そういうところが結構いいなと思ってたんだと思う。というか瑠偉くんて顔立ちがきれいだよね。太っても痩せても顔立ちは変わらないよ」
そんなところを見てたのか。面と向かって顔立ちを褒められたのは初めてだ。
「元々いじめられる側にいた瑠偉くんを救うことはできなかった。いつの間にか勉強やスポーツができるだけの俺がクラスのリーダーになってしまっていた。いじめの指示は出してはいなかった。信じてもらえないかもしれないけど、信じてほしい」
結構いい面してるな、東条って。
ずっと目を背けてきた東条と初めてちゃんと対面した。
これは復讐のための交際。
俺が東条を好きになるはずがない。
どん底に突き落とすための作戦だ。
あの時の俺の苦悩を思い知ればいい。
調子が良すぎるんだよ。
今更好きだとか言ってきてリーダー格だったくせに俺のことを助けようともしなかったくせに。
今まで復讐なんて考えてもみなかった。
ずっと会うことなくそのまま生きていければそれでよかった。
でも、もう一度東条が俺の前に現れた。
今の俺はだいぶあの時よりも成長している。
俺ならやれる、ウソの恋愛を通した復讐を。
目の前のクールな印象を持つ東条がまさか俺のことを情熱的に好きだったなんて予想外だ。
人生何があるかはわからないな。
コーヒーを飲み干し、東条は俺のことを見つめる。
一応女性との恋愛経験は複数あるから、俺がリードするか。
クールな印象とは裏腹に、東条は俺の部屋に入りたいと言い出す。
昔からわがままな奴だったから、とりあえず部屋に通した。
「ここが瑠偉くんの部屋かぁ。整理整頓されていて、シンプルな部屋だね」
「あまり物を置かない主義なんだよ」
「ベッドもブルーで統一されていて、いいね。初部屋ってことで、写真撮ろう」
「女子かよ」
スマホを掲げてシャッターを切る。二人が一緒の画面に収まる。結構顔の距離が近いな。
付き合ってるんだっけ。ということは、元カノの写真を見せたら、結構がっくりしたりして。
ちなみに、歴代元カノのプリクラなんだけどさ。
引き出しから、取り出す。
というか罠かもしれない。東条は俺のことを好きだなんて嘘で、またいじめの対象にしようとたくらんでいるだけでは?
プリクラを見た東条は、まじまじとながめる。
「へぇー。こういう人が好みなんだ。結構派手な感じだよね。俺も少し派手にしたほうがいい?」
やっぱりマジな恋愛感情なのかよ。
「初カノはこの子で、その次がこの子で――」
「別に元カノなんて知りたくないし」
面白れぇ。こいつ、マジで嫉妬してる。
じゃあ元カノからのプレゼントを見せびらかしてやるか。
「元カノからもらったものは一応大切に取っているんだよね」
「そうなんだ……」
切ない顔をする。やっぱり俺のこと好きなのか。
「俺からもプレゼントしたいから、もうすぐ瑠偉くんの誕生日だよね」
何気にチェックされてる。こいつ、愛が重いタイプかよ。
「別にいらないよ」
「瑠偉くんは俺のことを好きではないのはわかってるよ。でも、一応付き合ってるわけだし」
好きじゃありませんオーラ出てたかな。
俺が脱いだブレザーを着る東条。
「いつの間にか瑠偉くんは背が伸びたんだね。俺の腕よりずっと長いからぶかぶかだ」
いつの間にか大きくなった体と男らしくなった声と精神力。
いつか東条に勝ってやろうと心の奥底で秘めた思いに気づく。
東条は思いの外嬉しそうな顔をしていた。
ベッドの上で座りながらはずむ姿は恋する女子そのものだった。
東条との交際がスタートした。とはいってもウソの恋愛。ウソ恋だ。
俺と一緒に帰ったり昼飯を食べるだけで純粋に東条は喜んでいた。
毎日のメッセージのやり取りは正直面倒だったが、東条は長い文章をまめに送ってきた。
俺は好きでもないから返事をしないこともあったし、スタンプ程度で済ませていた。
男なんかと付き合うより、いい女と付き合いたいと心底思っていたし、どうやって復讐をしようか日々考えていた。
「やっぱり俺のこと好きになれないかな」
帰り道、明らかに態度に出ていたのか東条は申し訳なさそうに話しかけてきた。
休み時間も壮一とか元同じ中学の同級生といる時間が長かったし、そういう時は無理には東条は輪に入らないようにしているようだった。小学生の時とは対照的に一人で読書をしていることが多い印象だった。
顔立ちがきれいだから女子からは人気がある様子だったけど、興味がない様子であまり仲良くしようとはしていなかった。東条は明らかに人と距離を置くようになった。
きっとこのセリフは休み時間に話をしていた内容を気にしているのだろう。
周囲は一緒にいてもただの友達と思っているだろうし、まさかここに男同士のカップルがいるなんて思ってもいないだろう。
休み時間にBLについて壮一がありえないと話し始めた。
姉がBLを好きで読んでいるらしい。
「男同士で抱き合って何が楽しいのか意味不明。腐ったとかいて腐女子っていうんだってよ」
壮一はすぐ誰とでも仲良くなるから、他の中学の奴とも話すようになっていた。
お互い見た目で、こいつとは合いそうだと差別化を図りながら友達となっていく。
今はお互いを探る時期だ。
「腐ってるって自覚してる辺りが腐女子の痛いところだよな」
違う中学の雅也も同調してきた。
今が復讐の時だ。表向き嘘の恋愛をしている俺が男同士つきあうってあり得ないといえば傷ついてくれるだろ。
わざと聞こえるように大きな声を張り上げる。
「男同士付き合うとかマジであり得ねぇ。きもちわりーんだよ」
嫌味な笑い方をする。
俺、結構性格悪いのか。
というかこれは俺が虐げられていたお返しだ。
俺は悪くない。
「俺は男同士の清く正しい恋愛ってのもありだと思ってるよ。休み時間のBLの感想はネタのひとつであの場の空気を読んだだけだし」
一応正当防衛の防御線を張る。
「気持ち悪いって思ってる?」
東条は不安げだ。
「東条はクラスを仕切ってたトップで、いじめに加担していた人間だったと思ってる。許すことはできないけど、付き合ってるんだから、俺たちは恋人同士だろ?」
これは本音だ。俺はいつのまにか目つきと性格の悪い人間になっていたようだった。
「俺のことは奏斗って呼んでよ。許さなくてもいいから、隣にいさせてほしい」
これがかわいい女子だったら最高なのに。
なんで俺がこんな奴とラブラブになってるんだよ。
ウソ恋も適当にしないと、新しい彼女作るタイミング逃しちまうな。
「そうだ。今度合コンに誘われててさ。付き合いだから、遊びに行ってくる。一応付き合ってるわけだし、秘密にはしたくないかなって」
俺は本来嘘がつけない性格だから、秘密で合コンに行くのは気が引けた。
そこで、いい子がいたらすぐに別れよう。そう思っていた。
「すみません。ちょっといいですか」
かわいい女子に声をかけられる。
「俺に用?」
「いえ、東条くんにお話があって」
東条を呼び出す女子。これは、告白か。少し離れたところで聞き耳を立てる。
「私、東条君のことが好きです。入学式の時にひとめぼれしました」
東条相変わらずモテるな。顔も頭もいいからな。
さすが俺の恋人だ。って勝手に俺が喜んでどうする。
「少し、考えさせて」
東条の返答に疑問が沸いた。
俺と付き合っているはずなのに、なぜ断らないのだろう。
「断らないのかよ。あんなに好きだとか言ってたくせに」
「愛が重い自覚があるから。もし、仮の恋人がいたら、瑠偉くんは少し気が楽になるかもしれないって思ったから保留にした。男同士なんて気持ち悪いっていうのが本音だと思うし」
「愛が重い自覚があるならもう少し軽くしてくれないか」
今まで付き合ったどんな女よりも重いとは感じていた。
でも、こいつを苦しめるためにあえて付き合う選択をしていた。
「カモフラージュのためにあの人と付き合ってもいいよ。俺の興味が少しは分散したほうが瑠偉くんは楽じゃない?」
そんなとき、クラクションが大きく響いた。
ぼーっとして突っ立っている俺に向かって車が視界に入ってきた。
俺、死ぬのか?
足が地面にくっついたみたいに動かない。
とっさの時に足は簡単には動かないらしい。
目だけが見開いた状態でただ俺は道路に立っていた。
そんな時、東条が全身で俺を助けてくれた。
俺は運よく車にぶつかることなく横におされる形となった。
身を挺した東条は、倒れていた。
こんな時どうしたらいいんだ。
救急車だ。
俺は急いでスマホを探すが見つからない。
通行人がすぐに救急車を呼んでくれた。
この恩は一生忘れない。
救急車のサイレンの音が耳に入る。
何もできない俺は、ただ付添人として同乗した。
東条が俺を庇って死んでしまうかもしれない。
もし無事でも体に後遺症が残るかもしれない。
体が硬直する。
頭もよくて人気もある東条がなんで俺なんかを好きになって、庇ったんだろう。
俺はそんなに価値がある人間じゃない。
復讐のためにただ付き合うと適当に嘘を言っただけだ。
本気なんかじゃなかった。
しばらく目を覚まさない東条は病院で様々な検査を受けていた。
家族に連絡をしたが、なかなか連絡がつかないようだった。
俺は家族に何と言えばいいのだろう。
俺のせいだ。
その日は警察から事情聴取をされ、自宅に返された。
あの日から、毎日俺は病院に通っている。
目を覚ましたのは次の日だった。
記憶はしっかりしていたし、骨折していて、リハビリが必要だと言われた。
もしかしたら、足に後遺症が残るかもしれないと言われた。
頭を打っていたので心配だったが、他の部分に影響はなさそうだった。
「もし、足に後遺症が出たらごめんな。俺、何もしてあげられなかったから」
「運転手の不注意らしいから、ちゃんと警察の方に任せておけば大丈夫だろ」
「そういえば、告白してきた女子が面会に来たけど、断っておいた。嘘の気持ちで付き合ったら申し訳ないから」
嘘の気持ちか。最初は俺も嘘の気持ちで付き合うことにしたんだっけ。
身を挺して守ってくれたことで、特別な感謝のような想いが芽生えたのは確かだった。
「このケガは名誉の負傷だよ。瑠偉くんを守った証だから」
「奏斗……」
「ようやく下の名前で呼んでくれたんだな」
奏斗の美しい漆黒の瞳が少しばかり笑った。
こんな時でも優しい表情をできるのは凄い。
「これは俺が背負わなければいけない罪の証でもあるんだと思う。俺はいじめていた側の人間だから」
「あの時、本当に辛かったんだ。学校に行くのが辛くて、誰にも相談できなくて」
本音が湧き上がる。声が震える。
「あの時、いじめがあるのに黙認していた俺に責任がある。好きな人にこんなに辛い思いをさせるなんて俺はダメな人間だ」
「奏斗はいい奴だよ。俺の命を躊躇なく救ってくれた。いつも長文のメッセージを考えて送ってくれるのは本当に想ってくれているからなんだよな」
「重い愛でごめん」
「なんで謝るんだよ。この前告白を断らなかった時、なんでだよって思ってる自分がいた。多分、嫉妬だな。俺がいるのに告白断れよって」
「嘘、本当にそう思ってくれてたんだ?」
奏斗が嬉しそうに目頭を熱くした。
「一緒にリハビリ頑張ろう。俺、サポートするから」
手を強く握る。
「ウソから始まる恋愛なんてありえないって思ってた」
奏斗は俺が本気で恋愛する気がないって気づいていたんだ。
「ウソ恋だと割り切ってたから」
彼は分かった上で、重い愛を俺に与えていたんだな。
「俺は男同士の恋愛はかっこいいって思えるよ。こんなに命かけてくれる奴、普通いないだろ」
「心臓がドキドキして、なんか恥ずかしい」
布団の中へ顔を隠す奏斗。
よく見ると仕草も全部かわいいんだよな。
愛しいまなざしで俺よりも小さな奏斗を見つめる。
「俺が奏斗の足になるから。動けるようになるまで支えたい」
珍しく普段表情を変えない奏斗が恥ずかしそうに笑う。
「いつから俺のこと好きだった?」
奏斗が恥ずかしそうに聞いてくる。
改めて考えてみる。
事故の時?
いや、小学生の時、初めて出会ったときにその容姿とカリスマ性に惹かれていたことを思い出す。
手の届かない自分とは別な人種だと思っていた。
ずっと奏斗の友達になりたくて憧れていた。
友達というよりも、奏斗の一番大事な人になってみたいと思ってた。
ウソ恋じゃなくて本気の恋をしていたことを思い出す。
「秘密」
恥ずかしくなった俺はそう答える。
「知りたいから教えてよ」
奏斗はいちいち俺の髪に触れてくる。
奏斗の指も声も全部抱きしめたいほど好きだって気づいたけど、まだ俺は事実を言葉にできないでいた。照れくさくて本音は言葉にできない。なんて不器用なんだろう。
ずっと奏斗の隣にいたい。今の俺の気持ちは、ただそれだけだ。
病室の窓からは優しい光がカーテン越しに俺たちを照らしていた。
外は新緑の季節。
俺たちのことを優し気な木漏れ日がそっと見守っていた。
今でこそ、イケメンでおしゃれだとか話が面白いと言われるキャラになったが、小学生の時は、ダサいイケてないつまらない男子だった。
中学に入るときに、家を建てるために同じ県の別な学区に引っ越しすることになった。親にも教師にも秘密にしていたいじめから抜け出すことができた。
ちょうど成長期も相まって背がぐんと伸びた。おかげで気にしていた少しばかりぽっちゃり体型から卒業できた。元の顔は悪くなかったせいかおしゃれに気を配っただけで、中学では告白もされ、何人かの女子と付き合っていた。調子に乗っていた中学時代を引きずりながら高校に入学した。
小学校時代のいじめられっこの黒歴史は絶対に秘密だった。
少しばかりの懸念があった。
高校生になると、県内全域から高校に入って来るため、小学校時代の同級生がいるかもしれない。
でも、見た目だけで俺だなんて思うわけないよな。
鏡を見ながら、イケてる俺を確認する。
茶髪ピアスなおしゃれに気を遣う男子がまさかチビデブなガキと同一人物だなんてわからないだろ。
今日もイケイケにワックスで髪を遊ばせてる感じはいじめられっことは程遠いな。
結構イケてるよな、今日の髪型。
鼻歌交じりにクラス発表を見る。
昇降口に同じクラスのメンバーが発表されていた。
中学が一緒の奴はわりといるな。
でも、一瞬にして鼻歌からどん底に落ちる。
名簿の俺の名前の前に一番嫌な名前を見つけてしまった。
まさかな。
同姓同名であってくれ。
東条奏斗。俺を小学生時代にいじめていたグループの主犯格だ。
背は高く、イケメンとか言われて俺とは対照的に人気があった。
足は速く運動神経は抜群で、勉強もできていた。
髪はストレートで艶があり、センター分けをしていて、今時な小学生という印象だった。
性格はすこぶる悪く、誰も逆らえないのをいいことに、ネチネチと嫌がらせをされた。
不登校になりかけたけど、なんとか親を心配させたくないために俺は頑張って登校していた。
家を建てることになり、学区が変わるため、中学校は別の学区になったのは奇跡だった。
天の導きだとあの時ばかりは神様に感謝した。
嫌なことが走馬灯のように俺の頭を駆け抜けた。
もし、あいつがいたら、多分また嫌がらせをしてくるかもしれない。
少し体が硬直した。
想像してみる。
高校生になった東条はどんな風になっているだろう。
多分、少し悪そうな感じで女子に人気がある感じだろう。
顔立ちはクールで表情が乏しい印象。
インテリぶって陰で悪いことをしているだろう。
見た目は、多分少しチャラい感じかな。
中学デビューにあたって俺は良くも悪くも東条一味を手本にしていた。
髪型は東条のグループにいた一番おしゃれな諏訪という同級生を模倣した。
美容師の息子だという諏訪はビジュアルは一番垢抜けていた。
俺自身、勉強もできる方じゃなかったけど、東条みたいに知識があればなんとかなりそうだから勉強も頑張った
ああいう感じになれたらいじめられる側じゃなくて、あのグループに入れたんじゃないかと思い、背伸びしてきた。
おそるおそる教室のドアを開ける。
黒板に座席表が貼られていた。
俺の席は窓側の一番後ろで、その一つ前が東条と同姓同名の人物か。
もしかして、またいじめられるのだろうか。
せっかく高校生になったのに、いじめられてた過去を暴露されるんじゃないだろうか。
正直脅えていた。
後ろから二番目の席を見ると、思っていた派手なタイプの男子ではなく、少し地味で真面目そうな雰囲気の男子が座っていた。多分、同姓同名の別人だろう。少しほっとしていた。
もう二度と出会いたくない。
辛い過去に戻りたくない。
無言で席に着く。
話しかける勇気はなかった。
ふいに聞きなれた声が後ろから聞こえた。
「あれ? 瑠偉じゃね?」
同じ中学で仲の良かった壮一が話しかけてきた。
クラスのカースト上位にいるような奴とは大抵仲がよかった。
ノリで楽しく馬鹿なことをやって、陰キャなモブをいじるのが俺たちのノリだった。
大抵おしゃれに気を配れたり、楽しい会話ができればカースト上位の輪に入ることができた。
俺は変わったんだ。変われたんだ。
呪文のように心の中で唱える。
友瀬瑠偉というのが俺の名前だ。小学生の時も東条と友瀬は名簿の順が近く、席が前後になった。それがいじめられるきっかけでもあった。
知り合いの壮一が同じクラスにいると少し安心するなと思うや否や、前の席の黒髪のストレートの男子がふりむいた。
「友瀬瑠偉くんかぁ。久しぶり」
その目に見覚えがあった。
漆黒の瞳はまっすぐに俺を見つめていた。
いじめの主犯格の東条だった。
あぁ、やっぱりあの東条か。ひどく落胆している自分がいた。
これ以上関わりたくない。
顔を見るだけで吐き気がする。
思わずトイレに駆け込んだ。
あいつだ。間違いない。見た目は落ち着いた優等生風だけど、仮面の下は悪魔の化身だ。
どうしよう。高校をちゃんと卒業できないかもしれない。
入学したばかりなのに、不安がつきまとう。
一瞬過呼吸気味になる。
初日からこんなんで大丈夫かよ。
その後、なんとか気分を落ち着けて教室に戻った。
ホームルームが始まっており、私語をする雰囲気じゃなかったのが救いだ。
休み時間になったら、同じ中学の壮一のところに逃げよう。
でも、俺の黒歴史がバレたら、イケてない写真をばらまかれたら――。
壮一からも相手にされないかもしれない。
中学時代は無双していた俺だったが、やっぱり過去のトラウマや元々の繊細な心はそう簡単に変えられないようだ。
「大丈夫?」
真顔で東条が振り向きながら話しかけてきた。
俺は必死に無視をしていた。
こいつには関わらない。
無視しつづければ、もっと別ないじめる相手を見つけるだろう。
俺がもうターゲットになるはずはない。
なぜなら俺は変わった。
東条なんかよりもずっと今は髪型だっておしゃれにしているし、女子慣れだってしているんだ。
背も俺の方がずいぶん高くなっている。
そう自分に言い聞かせる。
ほとんど担任の話は頭に入ってこなかった。
「瑠偉くん久しぶりだね」
休み時間に普通に話しかけられた。
もしかして改心したのかもしれない。
でも、あいつはそんな奴じゃない。
決して油断はできない。
「誰だっけ?」
覚えてないアピールをする。
「同じ小学校の――」
「俺、壮一に用事あるんだった」
それ以上話されたら正体がバレる。急いで壮一のところへダッシュする。
壮一の近くには同じ中学のギャル系女子の果歩もいて、同じ中学ネタで盛り上がる。
盛り上げる方法は中学時代にだいぶ鍛えた。
だから、会話に詰まることもないし、相手を笑わせるネタもたくさん持っている。
俺には築きあげた仲間がいる。
他のクラスにも俺に従う奴はたくさんいるし、新しいクラスでも俺はイケてる奴になるんだ。
それに比べて今の東条はどうだ?
暗い感じでおとなしそうで、友達もいないようだった。
中学時代で俺はあいつを追い越したってことだろ。
でも、あいつのカリスマ性は俺が一番よく知っている。
みんなを統率する能力、知力に長けている。
授業が終わると席が前なのをいいことに話しかけてくる東条。
「懐かしいね。小学校時代の写真を保存してるんだ。見てよ」
スマホを見せられた。
嫌がらせだ。
俺がダサい服に身を包んでいた時代。
髪型も安い近所の床屋で切ってもらっていた時代。
チビでデブなこの時は女子からも人気はなかった。
嫌がらせをされるのだろうか。
この写真を見たらドン引き確定だ。
俺は、あいつと縁を切れないのだろうか。
「そんな写真消せよ」
スマホを強引に奪い消去した。
クラスの全員で撮った写真。
そもそも個人的に東条と俺が写る仲ではないから、そんなに俺が大きく写っているはずもない。
でも、小さく写ったイケてない自分が好きではなかった。
とにかく消去したかった。
こんな黒歴史は存在させてはいけない。
少なくともこの高校で人目に触れさせたくはなかった。
「何も言わないで転校しちゃったから、寂しかったんだけどな」
「はぁ? 何言ってんだよ。おまえと話す義理はないんだよ」
凄んでしまった。はたから見たら、ヤンキーが優等生に絡んでいるように見えたかもしれない。
でも、俺はいじめられた被害者だ。
破られたノート。
隠された上靴。
水をかけられてずぶ濡れになったこと。
陰口、無視、罵倒される日々。
直接の暴力を振るわないから、証拠は残らなかった。
でも、心に傷は残っていた。
「あの時は、ごめん」
「なんのことだかわからないな。おまえのことなんて覚えてねーし」
人気者でみんなに慕われていた東条。
誰からも助けてもらえなかった俺。
正反対の俺たちは水と油だ。
痩せて背が伸びてもかなわない。どんなに着飾ってもかなわない。
やっぱり東条は圧倒的なカリスマ性を感じさせていた。
小学生の時から時間が経ち変わっているのは頭ではわかっている。
東条は想像していたよりも大人しく落ち着いた人間となっていた。
入学式では代表のあいさつをしていたところを見ると主席ってことだろうか。
いわゆる自称進学校に入学したのは意外だった。
東条は県内トップの高校に入学してもおかしくはなかったし、実家がお金持ちなので、私立の付属高校に入学しても違和感はなかった。
なんで、俺が必死で勉強して入学した高校に余裕の一番で入学してるんだよ。
ムカつく奴だな。
すました育ちの良さを持った悪魔。成長しても東条には絶対に裏があるはずだ。絶対に許さない。
授業が始まる前にしか席に座らないように意識していた。
東条を避けるために何とか席を離れるようにしていた。
「これ、受け取って」
札束を渡される。金持ちが金をみせびらかすっていう嫌がらせだろうか。
「いらねーよ。引っ込めろ」
背が伸びて今や東条なんかより俺の方が上から見下ろせる身長になった。
周囲は怪訝そうな俺を見て、俺が東条をいじめているのではないかという空気になった。
真面目な優等生が不良じみた俺に札束を渡すというのは、カツアゲの類にしか見えない。
違う。いじめられているのは俺だ。
教師が来たので、東条は札束を財布にしまった。
もしかしたら、俺にカツアゲされたとか教師にチクって退学させようとしているのかもしれない。
放課後ため息交じりで歩道を歩いていた。高校受験でお世話になった大手塾の先生に街中で再会した。
「久しぶりだね。八木高校はどう? うちの塾にいた東条くんって首席入学だったらしいね」
学校以外でも東条の名前を聞くなんて。
でも、なんで塾の先生が知ってるんだろう。
「東条のことを知ってるんですか?」
「彼はうちの塾生だったから。彼は特進コースにいたんだよ。コースが違うと知らないかな」
俺と同じ塾に通っていただと?
「実は、東条くんが君と小学校で同じクラスだったと聞いていたんだ。友瀬くんはどこの高校に行くのか聞かれてね。仲が良かったって言ってたよ。うちの塾は塾生が目標高校をあえて貼りだしたりするから、それを見て本当に八木高校を受けるのかと確認されてね」
まじか。俺の進学先を調べていじめようとしていたのかもしれない。
最悪だな。
「東条の成績ならここらへんで一番の難関高校でも行けたんじゃないですか?」
「彼なら余裕だったのにな。なぜか八木高校がいいって言われてね。塾側としてはトップの偏差値である高校に行ってほしかったんだけど。なんでかこだわって彼は進路を曲げなかったんだ」
「塾には中一から通っていたんですか?」
「ずっと通っていたよ。特進コースだから授業日は違うし教室も違うから接点はなかったよね」
それを聞いて俺は先生にお辞儀をしつつ、吐き気を催した。
裏路地に逃げ込み過呼吸になる。
情けない。俺は何にも変わってないんだ。
実感する。東条の執拗な俺への執着がやっぱり怖いと思った。
俺のことを探るために塾に通っていたのかもしれない。
そう考えれば考えるほど、どんな暴力を振るわれるのか怖くなる。
体つきも中学時代に運動部で鍛えてだいぶたくましくなったけど、なぜか勝てる気がしなかった。
過去のトラウマが俺を拘束する。
鎖で縛りつけられたような感覚。手足が動かせない感覚。
小学生の時に感じた無力感。
家の前に見たくない人物が立っていた。
東条だ。なんで俺の家を知っているんだ。
ストーカーかよ。
東条が丁寧に頭を下げた。
「ごめん。俺のこと嫌いだよね。でも、謝りたくて」
「大っ嫌いだ」
東条の目はマジだから、冗談で言っているようには思えなかった。
精一杯の虚勢を張る。
まるで弱い犬がきゃんきゃん吠えるみたいに。
所詮俺は弱い犬だ。
「お金で解決できないと思ってるけど、せめてもの償いで受け取ってほしい。足りなければ、もっと出す」
一万円札をこんなに持ってる高校生っていないと思う。
さすが金持ちの息子だ。いけ好かない。
「俺と友達になってくれないか?」
「はぁ? どこのどいつがそういうこと言ってるんだよ。おまえ、どんだけ俺のこといじめたのかわかってるのか」
きっと何か企んでるんだと思った。
こいつには頭脳戦では絶対に勝てない。
「おまえにはたくさんの友達がいただろ。成績もいいんだから、友達なんてできるだろ」
「中学に入ってから、俺には友達がいなかったんだ」
嘘に決まってる。こいつにはいつも取り巻きがいた。
「女子にも人気があったし、男女ともに好かれているリーダーだったよな」
嫌味たっぷりに言葉を浴びせる。
「女子に告白されて、付き合ったことがあった。でも、どうしてもその人を好きになれなかった。俺のことを調べた彼女は真実に辿り着いてしまったんだ」
真実だと? 極悪人だとかそういう真実だろ。
「近くの公園で少し話を聞いてほしい。ずっと無視されるとこっちの気持ちが伝えられないからさ」
近くの公園とは言っても、結構歩く。
歩いている間、十五分程度気まずい空気を吸うのもなんだかなと思えた。
「うち上がってくか? 金の問題じゃないから金は受け取れないけど、話は一応聞いてやる」
あの頃と別人のようにおとなしく従順な東条に対して少し意外な感じがした。
「コーヒーでも入れてやる。これは俺の優しさだから」
「ありがと」
あの頃と変わらない黒髪は艶がありサラサラとしたストーレートで美しく思えた。
女子から見ためだけで人気があるのはわかる。
顔立ちはきれいだし、今はインテリな賢い大人しい高校生という印象を与えている。
ホットコーヒーにミルクと砂糖を添えてかつての天敵をもてなす俺は最高に優しいな。
「瑠偉くんは彼女とかいたの?」
「まぁ何人かはね。今は受験もあったし、フリーだけど」
「実は俺が彼女のことを好きになれないのには理由があったんだ」
「理由って?」
コーヒーを一口飲みながら耳を傾けた。
「俺は男性しか好きになれなかったんだ」
おもわずコーヒーを口から吹き出してしまった。
「最初は女子のことを好きになれると思っていたし、努力もしたけど、結局好きになれなかった。それを彼女が他の人に相談したんだ。男しか好きになれないらしいって。それから、男友達が離れていったんだ」
俺は華やかな中学生活を送っていたのに、こいつは天罰の如く差別された中学時代を送っていたってことか。
「俺と同じ塾に通っていたってこの前塾の先生に言われたんだけど、マジ?」
「君に謝りたいと思って同じ塾を選んだんだ」
「またいじめたいとか思ってたんだろ」
「違うよ。でも、なかなか話しかけるチャンスもなくて、瑠偉くんはいつも友達と一緒だったし、どんどん垢抜けて彼女もいたよね」
怖いな。見てたのかよ。
「俺はもういじめられるつもりもないし、おまえとは縁を切るから友達にはなれないから」
「だったら、俺と付き合ってみない?」
「はぁ?」
なんでいじめていた奴と俺が付き合わなければいけないんだよ。
「男の俺のことを好きじゃないってことはわかってるよ。でも、友達になれないならせめて彼氏にしてほしい」
ちょっと待て。友達より彼氏ってハードル高すぎるだろ。
からかっているのかと思ったが、東条は赤面しながら必死に話していた。
俺はこいつのことを許してはいない。だったら、こいつに最大の悲しみを与えるために付き合ってやるか。こいつは男しか好きになれないことを油断した頃にみんなにばらしてやる。そして、俺のために尽くさせて今までの懺悔をしてもらう。これで俺はトラウマに打ち勝てるかもしれない。
「正直、おまえみたいな奴は全然好みじゃない。だが、付き合ってやってもいいけど」
好きでもない奴にこんなことを言うのは気持ちが悪いな。
でも、これで復讐できる。
俺のために何でもさせて、最後に大嫌いだと言って別れればいい。
「俺なんかでいいの? ありがとう」
笑顔で素直な顔をする。こんな奴だっけ?
集団の一番奥で指示出しているイメージしかないから勝手にラスボス扱いしていたんだけどな。
俺は他のいじめている奴ばかりを見ていて、奥にいた東条のことは何も知らないのかもしれない。
知ろうとも思っていなかったのかもしれない。勝手にクラスメイトが東条を持ち上げていた感は否めない。
「というか、本気で俺のこと好きだったりするわけ?」
一応核心に触れてみる。
「好きだよ」
いじめていたリーダーがなんで俺のこと好きなんだよ。おかしいだろ。
「好きになったのはいつから?」
質問しているだけなのに、なんだか恥ずかしくなってくる。
「意識したのは中学に入って、瑠偉くんが引っ越ししていなくなったときかな。その時に寂しさから彼女を作ったんだけど、瑠偉くんの写真をたくさん持っていたのを見られて、性癖がバレたみたい」
「俺の写真持ってたのかよ?」
ドン引き案件だ。
「小学生時代の写真を持ってたんだけど、当然クラスの集合写真とか卒業アルバムに写っている姿しかなかったから、塾で写真を撮っていたんだよ」
「隠し撮りかよ、こわっ」
「風景写真の中に遠くに写っている程度しか撮ってないけど、彼女にこのイケメンは誰って言われて、そこから俺が男を好きだという噂が広がったんだ。取り巻きたちも恋愛対象にされたら気持ち悪いって離れていった」
寂し気な瞳。これは多分、本当の話なんだろう。
イケメンって俺のことか?
やっぱり世間的に見て俺、イケメンの部類になったのか。
にやりと自分を褒める。
「小学生時代も多分、好きだったからいじめていたのかもしれないって思う。だから、本当にごめん」
小学生男子が好きな相手をいじめる典型的な話かよ?
土下座された。
あの日の苦しみが蘇る。
ホースで水をかけられて全身ずぶ濡れになったこと。
ノートを破られていたこと。
東条はこんなに小さかったっけ?
小学生の時は巨大な存在で俺なんかちっぽけだったのに、目の前の東条はずいぶんと小さかった。
「ホースで水をかけたのは、プールで髪を濡れた瑠偉くんがかっこよくて、もう一度見たかったからなんだ。ノートを破ったのは、好きだと書いたけど、恥ずかしくなってすぐに破って立ち去ったんだ。結果的に嫌がらせすることになったけど、本当は別な意図があったんだよ。信じてもらえないよね」
「あの時、チビでデブだった俺に魅力があったとは思えないけどな」
「俺、中身重視タイプだから。いつも一人押し付けられて掃除をしている姿とか、困った人を助けてるところとか、勉強を実は結構がんばっているとか、そういうところが結構いいなと思ってたんだと思う。というか瑠偉くんて顔立ちがきれいだよね。太っても痩せても顔立ちは変わらないよ」
そんなところを見てたのか。面と向かって顔立ちを褒められたのは初めてだ。
「元々いじめられる側にいた瑠偉くんを救うことはできなかった。いつの間にか勉強やスポーツができるだけの俺がクラスのリーダーになってしまっていた。いじめの指示は出してはいなかった。信じてもらえないかもしれないけど、信じてほしい」
結構いい面してるな、東条って。
ずっと目を背けてきた東条と初めてちゃんと対面した。
これは復讐のための交際。
俺が東条を好きになるはずがない。
どん底に突き落とすための作戦だ。
あの時の俺の苦悩を思い知ればいい。
調子が良すぎるんだよ。
今更好きだとか言ってきてリーダー格だったくせに俺のことを助けようともしなかったくせに。
今まで復讐なんて考えてもみなかった。
ずっと会うことなくそのまま生きていければそれでよかった。
でも、もう一度東条が俺の前に現れた。
今の俺はだいぶあの時よりも成長している。
俺ならやれる、ウソの恋愛を通した復讐を。
目の前のクールな印象を持つ東条がまさか俺のことを情熱的に好きだったなんて予想外だ。
人生何があるかはわからないな。
コーヒーを飲み干し、東条は俺のことを見つめる。
一応女性との恋愛経験は複数あるから、俺がリードするか。
クールな印象とは裏腹に、東条は俺の部屋に入りたいと言い出す。
昔からわがままな奴だったから、とりあえず部屋に通した。
「ここが瑠偉くんの部屋かぁ。整理整頓されていて、シンプルな部屋だね」
「あまり物を置かない主義なんだよ」
「ベッドもブルーで統一されていて、いいね。初部屋ってことで、写真撮ろう」
「女子かよ」
スマホを掲げてシャッターを切る。二人が一緒の画面に収まる。結構顔の距離が近いな。
付き合ってるんだっけ。ということは、元カノの写真を見せたら、結構がっくりしたりして。
ちなみに、歴代元カノのプリクラなんだけどさ。
引き出しから、取り出す。
というか罠かもしれない。東条は俺のことを好きだなんて嘘で、またいじめの対象にしようとたくらんでいるだけでは?
プリクラを見た東条は、まじまじとながめる。
「へぇー。こういう人が好みなんだ。結構派手な感じだよね。俺も少し派手にしたほうがいい?」
やっぱりマジな恋愛感情なのかよ。
「初カノはこの子で、その次がこの子で――」
「別に元カノなんて知りたくないし」
面白れぇ。こいつ、マジで嫉妬してる。
じゃあ元カノからのプレゼントを見せびらかしてやるか。
「元カノからもらったものは一応大切に取っているんだよね」
「そうなんだ……」
切ない顔をする。やっぱり俺のこと好きなのか。
「俺からもプレゼントしたいから、もうすぐ瑠偉くんの誕生日だよね」
何気にチェックされてる。こいつ、愛が重いタイプかよ。
「別にいらないよ」
「瑠偉くんは俺のことを好きではないのはわかってるよ。でも、一応付き合ってるわけだし」
好きじゃありませんオーラ出てたかな。
俺が脱いだブレザーを着る東条。
「いつの間にか瑠偉くんは背が伸びたんだね。俺の腕よりずっと長いからぶかぶかだ」
いつの間にか大きくなった体と男らしくなった声と精神力。
いつか東条に勝ってやろうと心の奥底で秘めた思いに気づく。
東条は思いの外嬉しそうな顔をしていた。
ベッドの上で座りながらはずむ姿は恋する女子そのものだった。
東条との交際がスタートした。とはいってもウソの恋愛。ウソ恋だ。
俺と一緒に帰ったり昼飯を食べるだけで純粋に東条は喜んでいた。
毎日のメッセージのやり取りは正直面倒だったが、東条は長い文章をまめに送ってきた。
俺は好きでもないから返事をしないこともあったし、スタンプ程度で済ませていた。
男なんかと付き合うより、いい女と付き合いたいと心底思っていたし、どうやって復讐をしようか日々考えていた。
「やっぱり俺のこと好きになれないかな」
帰り道、明らかに態度に出ていたのか東条は申し訳なさそうに話しかけてきた。
休み時間も壮一とか元同じ中学の同級生といる時間が長かったし、そういう時は無理には東条は輪に入らないようにしているようだった。小学生の時とは対照的に一人で読書をしていることが多い印象だった。
顔立ちがきれいだから女子からは人気がある様子だったけど、興味がない様子であまり仲良くしようとはしていなかった。東条は明らかに人と距離を置くようになった。
きっとこのセリフは休み時間に話をしていた内容を気にしているのだろう。
周囲は一緒にいてもただの友達と思っているだろうし、まさかここに男同士のカップルがいるなんて思ってもいないだろう。
休み時間にBLについて壮一がありえないと話し始めた。
姉がBLを好きで読んでいるらしい。
「男同士で抱き合って何が楽しいのか意味不明。腐ったとかいて腐女子っていうんだってよ」
壮一はすぐ誰とでも仲良くなるから、他の中学の奴とも話すようになっていた。
お互い見た目で、こいつとは合いそうだと差別化を図りながら友達となっていく。
今はお互いを探る時期だ。
「腐ってるって自覚してる辺りが腐女子の痛いところだよな」
違う中学の雅也も同調してきた。
今が復讐の時だ。表向き嘘の恋愛をしている俺が男同士つきあうってあり得ないといえば傷ついてくれるだろ。
わざと聞こえるように大きな声を張り上げる。
「男同士付き合うとかマジであり得ねぇ。きもちわりーんだよ」
嫌味な笑い方をする。
俺、結構性格悪いのか。
というかこれは俺が虐げられていたお返しだ。
俺は悪くない。
「俺は男同士の清く正しい恋愛ってのもありだと思ってるよ。休み時間のBLの感想はネタのひとつであの場の空気を読んだだけだし」
一応正当防衛の防御線を張る。
「気持ち悪いって思ってる?」
東条は不安げだ。
「東条はクラスを仕切ってたトップで、いじめに加担していた人間だったと思ってる。許すことはできないけど、付き合ってるんだから、俺たちは恋人同士だろ?」
これは本音だ。俺はいつのまにか目つきと性格の悪い人間になっていたようだった。
「俺のことは奏斗って呼んでよ。許さなくてもいいから、隣にいさせてほしい」
これがかわいい女子だったら最高なのに。
なんで俺がこんな奴とラブラブになってるんだよ。
ウソ恋も適当にしないと、新しい彼女作るタイミング逃しちまうな。
「そうだ。今度合コンに誘われててさ。付き合いだから、遊びに行ってくる。一応付き合ってるわけだし、秘密にはしたくないかなって」
俺は本来嘘がつけない性格だから、秘密で合コンに行くのは気が引けた。
そこで、いい子がいたらすぐに別れよう。そう思っていた。
「すみません。ちょっといいですか」
かわいい女子に声をかけられる。
「俺に用?」
「いえ、東条くんにお話があって」
東条を呼び出す女子。これは、告白か。少し離れたところで聞き耳を立てる。
「私、東条君のことが好きです。入学式の時にひとめぼれしました」
東条相変わらずモテるな。顔も頭もいいからな。
さすが俺の恋人だ。って勝手に俺が喜んでどうする。
「少し、考えさせて」
東条の返答に疑問が沸いた。
俺と付き合っているはずなのに、なぜ断らないのだろう。
「断らないのかよ。あんなに好きだとか言ってたくせに」
「愛が重い自覚があるから。もし、仮の恋人がいたら、瑠偉くんは少し気が楽になるかもしれないって思ったから保留にした。男同士なんて気持ち悪いっていうのが本音だと思うし」
「愛が重い自覚があるならもう少し軽くしてくれないか」
今まで付き合ったどんな女よりも重いとは感じていた。
でも、こいつを苦しめるためにあえて付き合う選択をしていた。
「カモフラージュのためにあの人と付き合ってもいいよ。俺の興味が少しは分散したほうが瑠偉くんは楽じゃない?」
そんなとき、クラクションが大きく響いた。
ぼーっとして突っ立っている俺に向かって車が視界に入ってきた。
俺、死ぬのか?
足が地面にくっついたみたいに動かない。
とっさの時に足は簡単には動かないらしい。
目だけが見開いた状態でただ俺は道路に立っていた。
そんな時、東条が全身で俺を助けてくれた。
俺は運よく車にぶつかることなく横におされる形となった。
身を挺した東条は、倒れていた。
こんな時どうしたらいいんだ。
救急車だ。
俺は急いでスマホを探すが見つからない。
通行人がすぐに救急車を呼んでくれた。
この恩は一生忘れない。
救急車のサイレンの音が耳に入る。
何もできない俺は、ただ付添人として同乗した。
東条が俺を庇って死んでしまうかもしれない。
もし無事でも体に後遺症が残るかもしれない。
体が硬直する。
頭もよくて人気もある東条がなんで俺なんかを好きになって、庇ったんだろう。
俺はそんなに価値がある人間じゃない。
復讐のためにただ付き合うと適当に嘘を言っただけだ。
本気なんかじゃなかった。
しばらく目を覚まさない東条は病院で様々な検査を受けていた。
家族に連絡をしたが、なかなか連絡がつかないようだった。
俺は家族に何と言えばいいのだろう。
俺のせいだ。
その日は警察から事情聴取をされ、自宅に返された。
あの日から、毎日俺は病院に通っている。
目を覚ましたのは次の日だった。
記憶はしっかりしていたし、骨折していて、リハビリが必要だと言われた。
もしかしたら、足に後遺症が残るかもしれないと言われた。
頭を打っていたので心配だったが、他の部分に影響はなさそうだった。
「もし、足に後遺症が出たらごめんな。俺、何もしてあげられなかったから」
「運転手の不注意らしいから、ちゃんと警察の方に任せておけば大丈夫だろ」
「そういえば、告白してきた女子が面会に来たけど、断っておいた。嘘の気持ちで付き合ったら申し訳ないから」
嘘の気持ちか。最初は俺も嘘の気持ちで付き合うことにしたんだっけ。
身を挺して守ってくれたことで、特別な感謝のような想いが芽生えたのは確かだった。
「このケガは名誉の負傷だよ。瑠偉くんを守った証だから」
「奏斗……」
「ようやく下の名前で呼んでくれたんだな」
奏斗の美しい漆黒の瞳が少しばかり笑った。
こんな時でも優しい表情をできるのは凄い。
「これは俺が背負わなければいけない罪の証でもあるんだと思う。俺はいじめていた側の人間だから」
「あの時、本当に辛かったんだ。学校に行くのが辛くて、誰にも相談できなくて」
本音が湧き上がる。声が震える。
「あの時、いじめがあるのに黙認していた俺に責任がある。好きな人にこんなに辛い思いをさせるなんて俺はダメな人間だ」
「奏斗はいい奴だよ。俺の命を躊躇なく救ってくれた。いつも長文のメッセージを考えて送ってくれるのは本当に想ってくれているからなんだよな」
「重い愛でごめん」
「なんで謝るんだよ。この前告白を断らなかった時、なんでだよって思ってる自分がいた。多分、嫉妬だな。俺がいるのに告白断れよって」
「嘘、本当にそう思ってくれてたんだ?」
奏斗が嬉しそうに目頭を熱くした。
「一緒にリハビリ頑張ろう。俺、サポートするから」
手を強く握る。
「ウソから始まる恋愛なんてありえないって思ってた」
奏斗は俺が本気で恋愛する気がないって気づいていたんだ。
「ウソ恋だと割り切ってたから」
彼は分かった上で、重い愛を俺に与えていたんだな。
「俺は男同士の恋愛はかっこいいって思えるよ。こんなに命かけてくれる奴、普通いないだろ」
「心臓がドキドキして、なんか恥ずかしい」
布団の中へ顔を隠す奏斗。
よく見ると仕草も全部かわいいんだよな。
愛しいまなざしで俺よりも小さな奏斗を見つめる。
「俺が奏斗の足になるから。動けるようになるまで支えたい」
珍しく普段表情を変えない奏斗が恥ずかしそうに笑う。
「いつから俺のこと好きだった?」
奏斗が恥ずかしそうに聞いてくる。
改めて考えてみる。
事故の時?
いや、小学生の時、初めて出会ったときにその容姿とカリスマ性に惹かれていたことを思い出す。
手の届かない自分とは別な人種だと思っていた。
ずっと奏斗の友達になりたくて憧れていた。
友達というよりも、奏斗の一番大事な人になってみたいと思ってた。
ウソ恋じゃなくて本気の恋をしていたことを思い出す。
「秘密」
恥ずかしくなった俺はそう答える。
「知りたいから教えてよ」
奏斗はいちいち俺の髪に触れてくる。
奏斗の指も声も全部抱きしめたいほど好きだって気づいたけど、まだ俺は事実を言葉にできないでいた。照れくさくて本音は言葉にできない。なんて不器用なんだろう。
ずっと奏斗の隣にいたい。今の俺の気持ちは、ただそれだけだ。
病室の窓からは優しい光がカーテン越しに俺たちを照らしていた。
外は新緑の季節。
俺たちのことを優し気な木漏れ日がそっと見守っていた。