骨は無事にくっつき、俺の脇の下から松葉杖は消えた。
 ギプスも取れて、完治までもう少しという段階に入ったけど、ずっと使っていなかった足は思ったように言うことを聞いてくれなかった。
 ひと回り細くなってしまった片足が何とも情けない。頑張って歩くしかないけど、完全回復にはまだ程遠かった。
 つばさは今日は部活でいない。だから俺は手すりに掴まりながら、そろそろと階段を下りていた。
 背後から、拓が心配そうに声を掛ける。

「無理しないでよー? また骨折とか笑い事じゃないからね」
「縁起でもないこと言うなよ」
「つばさがいる日にチャレンジしたらいいのに」

 拓も俺も、あんまり体格はよくない。ひと言で表せばヒョロいから、俺が落ちそうになったら間違いなく助けた拓も落ちる。
 つばさは背も高いし細く見えるけどしっかり筋肉が付いているので、俺の落下防止には適任だった。
 ――だけど。

「んー、でもさ。松葉杖取れたし、頼りっ放しもいい加減悪いし」
「まあ分かるけどさ。怪我だけはしないでよ。折角快気祝いに花火大会行くんだからさー」
「任せろって! 俺だって楽しみだもん、絶対行く!」

 少し前、一軍たちが花火大会について騒いでいたのを聞いたのだ。その時つばさはいなかったけど、如月さんはやっぱり俺を睨んでいた。……それってそういうことだろ。俺はつばさを誘うなって言ってんだろ。
 その時、一軍男子のひとりが「つばさって心広いよなー」と続けたのだ。間違いなく、俺に聞かせるつもりで。
 何故なら、別の奴が言ったからだ。

「如月のこと庇って、代わりに奴隷しちゃってるんだよな? いい加減勘弁してやれって思うよな。かわいそーなつばさ」

 ドッという笑い声が立ち、俺は耐えられなくて立ち上がった。
 その日は一緒に帰ろうと話していた拓は、俺の隣で一部始終を聞いていた。
 静かな帰り道、拓がほわりと菩薩な笑顔になって言ってくれたんだ。

「ねえ、快気祝いに花火大会行こうよ」と。

 俺は無理やり笑うと、「行く!」と答えた。
 何も言わない拓の気遣いが嬉しかった。
 ――だから、拓と行くのを楽しみにしてるのは本当だ。
 ふらふらしながらも何とか二階の踊り場まで下りる。すると、拓を呼び止める声があった。先生だ。

「お前今日までの提出物出てないぞ!」

 拓が慌てる。

「あ、いっけね! 机の中だ!」
「あは、何やってんの」

 拓の慌て振りに思わず笑ってしまった。

「下で待ってるから行ってこいよ」
「ご、ごめーん!」

 拓は踵を返すと、階段を上っていく。
 拓の姿が見えなくなると、俺は残りの階段を再び下り始めた。
 一階に着き、震える膝を手で押さえる。はあー、と息を吐いて整え顔を上げると、下駄箱の前にいるキラキラ女子グループの三人が俺を冷めた目で見ているのに気付いた。……如月さんもいる。
 三人の内のひとりが言った。

「あんたさ、本当にそれ治ってないの?」
「え……?」

 何を言われているのか分からなかった。だってギプス取れたのこの間だよ? 見てたよね? あれ自作自演できないでしょ?
 でも、心の中で思ってるだけだ。集団に敵意を向けられると、俺はどうしたって固まって動けなくなってしまうから。

「つばさをいいように使ってさ、あんた何様? いつまでつばさを奴隷扱いしてんの? いい加減にしなよ」

 ともうひとりが言う。
 でも、つばさを頼ってたのは本当のことだ。
 今度は如月さんが睨みながら言った。

「あんたさ、私が謝らなかったからってつばさを逆恨みするのやめてよね!」
「は? 逆恨みなんてしてな……」
「つばさが何とかするって言ってたのがこんなのだなんて思ってなかったんだもん! 許せない!」
「――は」

 如月さんの言葉で、つばさに抱きついたのが如月さんだったと初めて知る。……なんでつばさは教えてくれなかったんだろう? え、何とかするってなに?
 自分が犠牲になればいいって……そういうこと、だったのか……?
 俺の中にあった、つばさの屈託のない笑顔がガラガラと崩れていった。

「あー……そういうことね……」

 我ながら乾いた声が出たという自覚はあった。なんだ、やっぱりそうなんじゃん。
 心の中がスッと冷めていった。
 こんな奴らに嫌われようが、もうどうだってよかった。

「あのさ、なに勘違いしてんだか知らないけど、今までのは向こうがやりたいって言ったからやらせてた訳」
「な……っ!」

 三人が目を三角に尖らせる。は、なにその顔。不細工でやんの。

「ギプスも取れたし、もう送り迎えいーやって言うつもりだったんだ。そろそろ構われすぎてウザいなって思ってたところだし」
「あ、あんたサイテー!」

 どっちがだよと思った。
 するとその時、階段の上から「え……っ」という驚きの声が聞こえた。……なんでつばさがいるんだよ。
 つばさは顔色が真っ白になっていて、隣で泣きそうな顔をしているのは拓だった。

「淳平、あの、部活は顧問が急用で、それで……」

 無理やり作ったのが分かる笑顔で俺を見下ろすつばさを、俺は思い切り睨みつけた。

「……今の聞いてたなら丁度いいや。もう俺のこと構わなくてもいーよ、偽善者サマ」
「へ……っ」

 つばさの顔から、表情が消える。演技上手いんだな。そりゃそうか、俺のことをずっと騙してたんだもんな。

「俺の忘れたかったこと掘り返して楽しかった? よかったね」
「え、待って、なにを……」

 自分が何とかするって言って感謝されて嬉しかったか? なにも知らない俺が気を許して、心の中で笑ってたのか?

「――反吐が出る。二度と話しかけんな」
「……淳平! 待って!」

 俺はつばさを無視してくるりと踵を返すと、女三人を横目で睨みながら通り過ぎた。女三人は、ニヤニヤしてた。俺が逃げたとでも思ってんのかもな。どうでもいいけど。
 ……もう誰も信じねえ。絶対に。
 しばらくして、拓が走って追ってきた。

「……花火大会、楽しもうね」

 拓の言葉に、俺は涙を浮かべながら無言で頷いた。