忙しいと時が過ぎるのが早い、というのは本当らしい。
 企画書①を出してから、早いものでもう二週間も過ぎた。ちょっと信じられないくらい。
 でもステージショーは想定していたよりも順調に進んでいて、今のところは全然行き詰まっていなかった。配役も裏方もほとんどが立候補で決まり、揉める事がなくて本当にほっとした事をまだ覚えているくらい。
 クラスメイトも積極的に協力してくれる人が多いし、僕が進めなくともみんな各々やってくれる。ありがたい限りだ。

「えっと、今日は体育館が使えるので、できれば通しまでできたらと思ってます。皆さん、今日もよろしくお願いします……!」

 そして、夏休みまで残り一週間。
 文化祭は夏休みが終わったらすぐにやってくるし、夏休みは部活の大会やコンクール、旅行などで全員が集まれる事はなかなかない。
 だから夏休みが始まるまでにできるだけ詰めておきたくて、早いけど今日から通し練に入る事をクラスメイトに伝えてみた。

 その反応はほとんどが了承のものだったけど、中には有志発表や委員会の打ち合わせにも出なくちゃいけないから、もしかしたら難しいかもって人ももちろんいた。
 けどそれは仕方がない。悠長にしている時間はないけど、急いで練習する必要でもそんな時間でもないし。
 そういう人たちにはできる限りでいいから出てもらうようにして、進めれるところをやっていく方針にしている。

「それじゃあ、初めに場面練をしていきたいと思います。緞帳が上がる前から白雪姫と猟師が出会うところまで行きます。役者の皆さんは待機お願いします。」

 劇の内容はクラスで話し合った結果、オリジナリティを入れた白雪姫になった。
 役者は本来の白雪姫よりも多く、見ている人も一緒に楽しめるように台本制作班が凝りに凝りまくった台本を書いてくれている。他にも照明・音響班、大道具・小道具班、舞台監督とその補佐、台本制作班もとい演出班に分けている。
 僕は舞台監督補佐の一人で、現役演劇部である桃里さんに舞台監督をしてもらっている。
 桃里さんは慣れているからか時間を見ながらテキパキ指示し、全体を見ながら演出班と連携を取っている。

「真島君、さっきのシーンなーんか違和感あるんだけど何が変だと思う? ちょっと全体見すぎて分かんなくなっちゃって。」
「……多分、大道具がないから役者さんが本番を想定できてなくて……役者さんも動きがぎこちなくなっちゃってるのかな、って思います。」
「あぁ、確かにそうかも! 大道具もまだできてないから持ち込むわけにはいかないし、でも無いとなかなか掴めないもんね……私、何か大道具の目印にできそうなのないか倉庫漁ってくる!」
「じゃ、じゃあ僕も手伝います……!」
「いいよいいよっ、真島君は全体見といてあげて! もうそろそろラストシーンから緞帳ダウンの練習だから、緞帳の17カウントお願い!」
「わ、分かりました。」

 口早に言って軽く頭を下げた桃里さんは、疾風の如く体育館の倉庫に走っていった。
 その背中を見ていると、微かにやるせない気持ちが僕を襲った。

 理由は分からない。ステージショーも順調だし、問題なく事が進んでいる。何も不安になる要素なんてなくて、これでいいはず……なのに。
 心の奥底に言い表せないもやもやがあるような気がして、それを気にしないようにステージ上に目を向けた。

「真島、この後緞帳カウント頼む!」
「は、はいっ!」

 その瞬間に別方向から指示が飛んできて、もうラストシーンが終わったのかと一瞬だけ焦る。
 けどすぐに「緞帳ダウンします!」なんて言葉が聞こえて、桃里さんに教えてもらった通りにカウントした。

 そして、17カウントが終わったと同時。
 背後からガヤガヤとした雰囲気が伝わってきて、慌てて確認するともう次のクラスが体育館の外で待機を始めていた。
 もうそんな時間か……と内心驚きつつ、演出班と相談して教室に帰る準備をしていく。
 倉庫を漁っていた桃里さんも気付いたのか、やっぱり疾風の如く帰ってきて演出班のところに行ってしまった。

 でも今日は結構詰めれてよかったな……できなかったところも、どうにかして練習していこう。
 またタイムテーブルを作らなきゃな、なんて考えて頭を悩ませる。

「あーっ、なーぎくーん!!」
「えっ? ……わぁっ!? か、神楽宮君!?」

 うーんと深く考え込みかけた時、割いて入ってきたのはとんでもなく笑顔の神楽宮君だった。
 久しぶりに見た神楽宮君に、心臓がバクバクうるさく鳴る。神楽宮君と関わってなさすぎて、彼に対する耐性が地に落ちてるみたいに。
 相変わらず綺麗な顔をして近付いてくる神楽宮君から視線を外し、いつか言おうと思っていた感謝の言葉を改めて口にした。

「神楽宮君、この前は相談に乗ってくれて……本当にありがとう。すごく、助かったよ。」
「ほんと!? それなら俺も嬉しいっ。確かにさっきステージを見てた凪君、前みたいな泣きそうな顔じゃなくて嬉しそうに見えたし。」
「……見てたんだ。」
「うん! 凪君だーっ!って思って見てたからねっ。」
「……なんかそれ、恥ずかしい。」
「えっ、そう?」
「神楽宮君は思わないだろうけど……ぼ、僕にとっては、恥ずかしい、から。」
「そっかぁ……。」

 僕の言葉に、あからさまにしゅんと項垂れる神楽宮君。
 少しだけ申し訳ない気持ちが込み上げてきたけど、僕と神楽宮君じゃ感じ方も考え方も違う。だからこうなる事は必然的なんだ。

「おーい太陽ー! そろそろ練習始めるから来いよー!」
「はーい分かったーっ! ……あっ、そうだ凪君。急な事でごめんなんだけど、今日の放課後って予定あったりする?」
「予定……は、ないよ。」
「じゃあさじゃあさ、もしよかったら放課後空けといてくれないかな? 凪君と一緒に行きたいところあるんだ!」
「行きたいところ……?」
「そうっ! だから、凪君が行ってもいいよって思ってくれるなら校門で待ってて! それじゃ練習行ってくる!」

 言いたい事だけ言って、すぐに自分のクラスメイトの元に言った神楽宮君。
 ぽつんとそこに一人取り残された僕は、少しだけ呆然と立ちすくしてしまった。
 けど桃里さんの「真島君? どしたのー?」という声で我に返り、神楽宮君のクラスの迷惑にならないように駆け足で体育館を後にする。

「真島君って太陽君と仲良かったんだね~、私びっくりしちゃったかも。」
「え……まぁ、そうだよね。僕みたいな地味な奴と、神楽宮君みたいな明るい人がって思うよね……。」
「いやいや、そうじゃなくって。太陽君って誰にでも優しいけどさ、その分誰にも必要以上に踏み込まないんだよね~。というか、あんまし深く関わりたくない感じっていうか? だから太陽君が誰かとずーっとニコニコしながら喋るの、珍しいなって思って。」

 教室に帰る途中、桃里さんに神楽宮君の話題を振られて「え?」と驚いた。
 あの神楽宮君が、あんまり人と関わる事に積極的じゃない……?
 なんとも想像しづらい事を言われて、理解に苦しむ。そんなわけないだろ、と。
 
 完全な偏見だけど、神楽宮君みたいな人は人付き合いが遥かに上手で、誰が相手でもどんな状況でも全力で楽しみタイプだと思う。
 だからと言って、桃里さんがこんな嘘を吐くとも思えなくて相槌で軽く受け流した。
 


《凪、ごめんなさい! お母さん今日はもしかしたら会社のほうに泊まるかもしれなくて……だから明日のお弁当と朝ご飯が作れそうにないの!》

 ようやく放課後になったと息を吐きながらスマホを開くと、真っ先にそんなメッセージが飛んで入ってきた。
 母さん、本当に大丈夫なんだろうか……。最近は前よりも帰るのが遅くなっているし、今回みたいに帰れないかもしれないなんてメッセージもいくつも貰った。
 体が丈夫だとはいえこのままこの状況が続くと、いつ過労で倒れてもおかしくない。

《そんなの気にしないで》

 こんなメッセージを送るのが精一杯で、続けようとした言葉は全て消した。
 
 『このままだと本当に倒れるから、少し休んでほしい』
 そこまで打ったのはよかったけど、送る勇気なんて僕は持ち合わせていなかった。
 そんな無責任な事言えない。ただでさえ母さんの重荷になってるのに、そんな事を言ってしまったら元も子もない。
 母さんが今も仕事をしてくれているおかげで僕は生活できているんだし、いくら心配だからといって母さんの行動に口出しなんてできやしない。できるはずがなかった。

「早く、自立しなきゃ……。」

 母さんの為にも、僕自身の為にも。
 早く大人になって仕事に就いてたくさん稼いで、母さんに休んでほしい。
 ……早く、早く大人にならなきゃいけない。

「凪くーん!」
「っ……!」

 ぎゅっと、痛いと自覚する暇もないくらい手を握りしめた瞬間。
 校舎のほうからとんでもなく大きな声が僕を呼んでいて、肩を揺らさずにはいられなかった。
 相手はもちろん……神楽宮君だ。

「ごめんっ! ちょっとステージショーの話し合いで遅れちゃった!」
「いや、僕もついさっき来たところだから……全然、気にしないで。」
「そう? それならよかったけど……って、凪君顔色悪くない? 大丈夫っ?」
「……気のせい、じゃないかな。」
「心配だからちょっとおでこ貸して!」
「へっ……?」

 素っ頓狂な声を上げたと同時に、ほんの少し温かい手が僕の前髪をかきあげて額に触れた。
 神楽宮君の体温が直に伝わってきて、触っていないのに自身の体温が上がっていくのが嫌でも分かる。
 ……っ、な、何でこんなに、熱いんだろ。
 熱なんてないし、低体温だからそもそも考えられないし……。

「凪君、ちょっとあったかい? もしかして熱ある?」
「な、ないと思う……。」
「じゃあ俺の気のせいかな? 体調とか、どっか辛いとことかない?」
「だい、じょうぶ。」
「嘘吐いてない?」
「つ、吐いてないよ……。」
「ならよしっ。それじゃあ早速行こっか!」

 僕の家路とは逆方向を指さし、神楽宮君はさらっと手を掴んでくる。
 その、あまりにも慣れたような挙動に戸惑った僕はまともな返事もできないまま、結局どこに行くのかも教えてもらえないまま、神楽宮君に連れていかれる。
 ……なんか、距離近くないか。いや、神楽宮君にとってはこの距離感が正常?
 一体何が起きているのかを充分に把握できないまま、とりあえず神楽宮君を見やる。

『太陽君って誰にでも優しいけどさ、その分誰にも必要以上に踏み込まないんだよね~。というか、あんまし深く関わりたくない感じっていうか? だから太陽君が誰かとずーっとニコニコしながら喋るの、珍しいなって思って。』

 ふと、桃里さんから教えられた言葉が脳裏をよぎる。
 その一瞬で視界に入ってきた神楽宮君は、それはそれは楽しそうに……まるで何かが満たされているように、頬を綻ばせていた。



「凪君、今日の目的地はここだよっ。」

 それからおよそ20分後。連れられるがままに来た場所は、国道から少し外れた人数少ない道路。
 周りに特別目立つようなものはなく、よく見る住宅街と冴えない空が広がっているばかり。
 けどそんな中ぽつんと一つ、異色を放っている建物の前で神楽宮君はそう言った。

「……“SILENT(サイレント)”?」
「おしゃれでしょ、これ。この建物、見た目はほんっとーに真っ黒だけど中に入っちゃえばおしゃれだから! 凪君入ろっ。」
「え、ちょ、ちょっと……!」

 待って、なんて頼みを聞き入れるつもりはないらしい。引っ張られるように半ば強引に連れてかれ、カランと乾いたベルの音を背に聞きながら飛び込んだ。
 途端、クラシック調の静かなBGMに身を包まれる。

「ここって……」
「太陽か、久しぶりだな。」

 モノトーン調の空間が新鮮で、ぼんやりと周りを見回す。その時に声は聞こえた。
 反射的に声のほうへ目を向けると飛び込んできたのは、この空間に擬態しているような黒い制服のウェイターで。
 その人を見た神楽宮君はぱあっと顔を輝かせて、走るようにウェイターさんの元へ行った。

「久しぶり(りゅう)! なんかまた身長伸びたー?」
「親戚のおっさんみたいな事言うな、気のせいだろ。それよりも、どうして最近顔見せなかったんだ。母さんが心配してたぞ?」
「最近は学校行事の準備で忙しかったの! おばさんにはまた後で挨拶するし、とりあえず接客してほしいかな〜?」
「あざとく言っても可愛くねーぞ……っと、ここらじゃ見ねぇ顔がいるな。どうせ太陽が無理やり連れてきたんだろ。」

 楽しく談笑していると思ったら、いきなりこっちに意識を向けられて体が硬直する。まさか、こんなに前触れもなく突然見られるだなんて。
 ウェイターさんはまるで僕を見定めるように見てきていて、手だけに体温が集まっていくのを感じる。一向に喋ろうとはせず、固く口を閉ざしていた。

 と、とりあえず挨拶だけはしたほうがいいよな……?
 だんまりなんて印象がよくないだろうと瞬時に思い、軽い会釈から始めた。

「は、はじめ、まして。」

 結構ぎこちない挨拶が口から出てきてしまい、気まずさから視線を逸らしてしまう。
 すると、おもむろに神楽宮君が僕の肩を抱いてきた。

「この子は凪君! 真島凪君だよっ! 今日はね、ここと琉を凪君に紹介したくて連れてきたんだっ。」
「無理やり、じゃねーよな?」
「俺そんな強引に見える?」
「お前はいつだって強引だろ。……んじゃ真島、お前太陽の何?」

 え? 神楽宮君の、何……って。
 質問の意図がさっぱり分からず、はてなが頭を占領していく。いくら考えても分かりそうもない。

「すみ、ません……質問の意味が分からなくて、神楽宮君の何……ってどういう事、ですか?」

 こういう時は変に答えるより、正直に本音を伝えたほうがいいと思った。
 だから申し訳なく思いながら僕はウェイターさんに白状すると、突如そのウェイターさんがふっと息を吐いた。

「ははっ、真島いい奴だな。太陽が肩入れする気持ちも分からんでもない。」
「でしょ? 凪君すっごくいい子なんだよ! 琉も分かってくれた?」
「あぁ分かったよ。真島、疑うような真似して悪かったな。ここの店は知る人ぞ知る、っていう隠れ家的な店だから入れる客はこっちで見定めてんの。嫌な気持ちにさせてたら悪いな。」

 薄ら笑いを浮かべながら言ってくるウェイターさんからは、もう試すような視線は感じられない。
 知る人ぞ知る、か……"SILENT”ってそういう意味で……。
 どうしてそんな方針にしているのか気になったけど、初対面の僕が突っ込んでもいい話題じゃないさそうな気がして喉元で抑え込む。

「それじゃ、お客さん2名ご来店だな。せっかくだしカウンターに来いよ。」
「凪君もほらっ、座って座って!」
「ここ人んちだぞ。」
「でも俺の第二の家みたいなもんだしっ。」
「……はぁ。」

 ウェイターさんはカウンター奥へ戻り、神楽宮君にカウンター用の椅子に促される。
 神楽宮君って、学校外でも同じテンションなんだな……よく疲れないな。
 僕もカウンターの椅子に腰を下ろし、元気にウェイターさんに話しかける神楽宮君を見て思う。
 こんな様子を見てると、桃里さんの言っていた言葉の意味の謎は、より深まるばかりだった。