「それでさ、どうして凪君は突っ伏してたの?」
「……さっき話した通り、です。」
「敬語になってる。」
「……えっと、さっき話した通り、だよ。ステージショーの概要が、全然決まってない、んだ。」

 そろそろ下校時間の夕方、神楽宮君はおもむろに切り出した。
 まさか今掘り返されるとは思っていなくて、たどたどしくなりながらも説明をする。
 クラス内で派閥が分かれている事、決定権を責任者である僕に委ねられた事、今日の夜までには決めなくてはいけない事……そして、どちらの意見も蔑ろにしたくないという、僕のエゴを。

 それを静かに全て聞いてくれた後、神楽宮君は口を開いた。

「そうだね……まぁそういう事があっても仕方ない事だろうし、それをまとめるのは簡単じゃないと俺も思うよ。」
「じゃあ、どうすれば……」

 神楽宮君でもそう言うのなら、僕じゃ何もできやしないだろう。
 けど、このままじゃダメなのも流石に分かるから、どうにかしないといけない。
 こういう時、どんな意見を出すのが最適なんだろうか。
 
「とりあえず、支持が多い意見のほうで企画書出してみたら?」
「えっ、でもそうしたら他の意見の人は――」
「もちろんその人たちの気持ちを無視するつもりはないし、悩む凪君の気持ちもすっごく分かる。だけどここで躓いてるとこの先大変だし、時間もないからいっその事割り切ったほうがいいと思うんだ。凪君は責任者なんだから、凪君が決めた事ならみんなも納得してくれるよ。」

 そっ、か……やっぱりそういうものなんだ。
 今日クラスメイトにも同じような事を言われたなと思い、形だけでも理解する。
 神楽宮君の言う事は的を得ていて、神楽宮君が提案してくれたように行動するのが最善なのは嫌でも分かる。
 あとは、僕が自分で決めなきゃならない。

 ……そう考えると、途端にプレッシャーが重くのしかかった。
 僕がしたいようにすればいい、決めてしまえばいい。それで終わりなんだ。
 それでも、どう決断をすればいいのかが……分からない。

「凪君、悩んでる?」
「……うん。」
「どうして悩んでるの?」
「僕が決めた事が、最適の決断なのかが、分からない、から……。」
「それは誰にも分かんないよ、凪君。最適なんてないからね。」
「……、ない?」
「うん。どれが最適なのか、どうすれば正解なのかなんて数学じゃないんだから分からないよ。凪君にも、もちろん俺だって分かんない。だから、何を選んでもいいんだよ?」

 泣きじゃくる子供をあやすような柔らかく諭す羅列が、不意に並べられた。
 それによりぐちゃぐちゃのコードのように絡まりあった思考が、神楽宮君の言葉で整理されていく。
 一つひとつ丁寧に箱に入れられ仕舞うように、頭の中が少しずつ綺麗になっていく感覚に陥った。

「凪君が『間違えた』とか『僕のせいで』なんて思う必要なんかどこにもない。誰が選んだって結末はきっと同じだし、凪君がやりたい!って思ったのを選べばいいと思うから!」
「神楽宮、くん。」
「大丈夫、凪君は一人じゃないからね。俺がいるよっ!」
「……ありがとう。」

 素直に、口をついて感謝の言葉が出てきた。
 何故だろう、神楽宮君の言葉を聞いてると段々と……不思議な事に、本当にそうなるんじゃないかって思えてくる。きっとそうなるんだって、気持ちが前向きになってくる。
 ……大丈夫、だよね。

「神楽宮君……僕、頑張ってみる。ちゃんと自分で決めて、やってみる。」
「うんっ、一緒に頑張ろうね!」

 やっと言えた言葉にほっと安堵しながら、目の前の彼の微笑みになんとなく安心感を覚える。
 神楽宮君が大丈夫だと言ってくれているなら、窮地でもなんとかなるかもしれない。
 やっぱりそんな感情を抱えていて、静かに唇を引き結んだ。



《考えた結果、このクラスのステージショーは票が多かった王道演劇をしたいと思います。何の劇をするかはまだ決まっていませんが、できれば早めに決めたいのでまた案出しをお願いします。》

 家に帰って早々、僕はスマホのキーボードに急いで指を走らせた。
 先にステージショー係のメッセージグループのほうに伝えて、了解が取れてからクラスグループのほうにメッセージを送る。

 そうしたらすぐにスタンプやリアクションが返ってきて、心の底から安心した。
 メッセージの反応を見る限り、反対する人はいないみたいだ。相当杞憂だったらしい。
 その後いくつか劇の案も出してもらい、再びルーズリーフに書き出して視覚化させる。

「……はぁ。」

 そして、メッセージのやりとりが一段落して短い息を吐き出した。
 よかった……上手くいって。もし反対されたらどうしよう、もしダメだと言われたらどうしよう、なんて心配は端から必要なかった。
 
 神楽宮君のおかげ、だな……。
 ベッドに身を投げて、しみじみと神楽宮君への感謝を想う。
 きっとあの時神楽宮君がいなかったら、僕はあの場所から動けないまま何もできなかった。何もできなくて反感を買うかもしれないと思って、自己嫌悪に陥るところだった。

 神楽宮君がいなければ――……そう思うと、少しだけぞっとした。
 そんな嫌な感情を寝返りを打って払拭し、また神楽宮君のことを考える。
 今度会えたらもう一度、ちゃんとお礼を言おう。僕が彼に返せる事は、それくらいしかないから。

 そう、微睡みの中で抱いた気持ちは……とても、暖かくて幸せなもので、久しぶりに感じた安心感でもあった。



 ――……ピピピピッ、ピピピピッ

 遠く微かにアラームの音が聞こえる。でも、まだ起きたくないな……。
 まだ、もう少しだけ……この安心感に包まれていたい。
 なんて思うも、次第に意識だけは浮上してきて。

「っ、今、何時っ……!?」

 意識がやっとはっきりしてきた時には、思わずスマホの画面を凝視してしまった。



「……はぁ、はぁ……なんとか、まに、あった……っ。」

 カラッと乾いた空気の中を走るのは中々辛くて、喉が異様に水分を欲していた。
 まさか、寝過ごすだなんて思ってなかった……っ。
 どうやらメッセージを送ったあの後、やっと一息吐く事ができたからか、そのまま眠ってしまったらしい。
 寝落ちする事なんて今までなかったから、思いの外疲れが溜まっていたんだろうと推測できる。
 でも、遅刻だけは免れたからよかった……?のかもしれない。

「先生……お、おはようございます。あの、今少しよろしいですか……?」
「おぉ、真島か。おはよう……って、すごい汗だな。どうしたんだ?」
「いえ、ちょっと急いだもので気にしないでください……。それよりも、ステージショーの企画書の確認をお願いしたくて……」
「なるほどな。……少し見せてもらうぞ。」

 適当に額の汗を拭い、絶妙な空調管理の職員室でそうお願いをする。相手はもちろん担任だ。
 締め切りが今日だという事もあり、内心焦りつつ書き終えた企画書を提出する。詰めれるところはとことん詰めたつもりではあるし、正直ここで躓くわけにはいかない。
 どうか訂正だけはないように……と心の中で両手を擦り合わせる。

 その甲斐あってか、担任は一瞬だけ興味深そうに顔をしかめてから確認印を押してくれた。

「よくできてる企画書だ、真島。ここまで決めてあったらいざやるとなっても困りはしないと思うぞ。」
「……っ! あ、ありがとうございます!」

 はいっと言いながら破顔した担任から企画書を受け取り、軽く会釈をしてお礼を伝える。
 対策に対策を重ねた事が功を奏し、一回で了解が出た事で気持ちが楽になった。
 その流れで急いで学年主任にも確認してもらい、同じように確認印を押してもらった。

 そこでちょうど予鈴が鳴ってしまい、生徒会に出しに行くのは大人しく諦めて教室に戻る。
 ……でも、ノルマは達成できている。まさか学年主任にも渡しに行けると思ってなかったから、少しだけ得をした気分だ。

「真島君。」

 晴れやかな気分のまま、教室の扉の取っ手に手をかけた時。
 前触れもなく声をかけられたかと思って振り返ると、そこには副委員長が何やら物憂げな表情で立っていた。
 いつもの、物腰柔らかな表情ではなく……何かを、深く思い詰めているような表情。
 そんな様子の副委員長がどうにも珍しくて、つい尋ねてみた。

「副委員長、どうしたんですか……?」
「……あのね、後ででいいから少しだけ、俺と話さない?」

 畏まって言われたものだから何を言われるんだろうと身構えている僕にかけられたのは、思わず拍子抜けしてしまいそうなものだった。
 別にそんな許可なんていらないのに……なんて考えつつ、とりあえず首を縦に振っておいた。

「わ、かりました。」
「ありがとう。……それじゃ、そろそろ教室入ろうか。」
「……はい。」

 何だろうか、副委員長が妙によそよそしい気がする。
 副委員長の事を何も知らない僕が何か言うのは見当違いだろうけど、抱えてしまった謎の違和感に首を傾げる。
 ……いや、僕が気にする事じゃない、か。僕に気にされても、副委員長からしたら癪かもしれない。
 そう考えると慣れた悲しみが走るけど、これもあまり……気にしないほうがいい、よね。

「真島君、ぼーっとしてどうしたの?」
「……っ、あ、いや……何でもない、です……。」
「それならいいけど……何か言ったら、俺に教えてね?」
「は、はい。」

 副委員長が扉を開けてくれていたのに、変に考え事をしてしまった。
 その事に申し訳無さを覚えつつ、急いでいつものように賑やかな教室に足を踏み入れた。
 ……ひとまず、今はステージショーの事だけを考えないと。



 簡単なHRが終わり、ステージショー責任者として必要事項を伝えた後、僕は副委員長に呼び出されて廊下にいた。きっとさっきの続きだろう。

「……それで、どうしたんですか?」
「いや、そんな大した事じゃないんだけどね……」

 若干語尾を濁した副委員長に、やっぱり疑問を抱く。本当にどうしたんだろうか。
 けどここで僕が口を挟むのも野暮だと思い、そのまま副委員長を待つ。
 そうしたら副委員長は、ふっと気を緩めたように頬を綻ばせた。

「真島君に責任者を頼んで、本当によかったなって思ってさ。」
「……はぁ。」

 藪から棒に何だと思えば、唐突に言われて目を丸くする。きっと今の僕は、鳩が豆鉄砲を食らったような呆けた顔をしているだろう。
 わざわざ呼び出して言う事なのか……?と思ってしまい、そんな自分を少し恥じた。こんな気持ちは副委員長には失礼になる。純粋に褒めてくれたと言うのに。
 だけど……どうしてだろう、裏があるように感じてしまうのは。

「あの、副委員長……用事はそれだけ、ですか?」

 嫌な言い方だと知りつつも、率直な気持ちを恐る恐る口にする。
 すると数拍空いた後、副委員長はぽつりと呟いた。

「真島君って鋭いんだね。……別に、用事はこれだけじゃないよ。真島君に、ちょっとした頼み事をしたくて。」
「……頼み事?」
「うん。俺のこと、名前で呼んでくれないかな?」
「……名前で、ですか?」
「だって、クラスメイトなのに"副委員長”って呼び方って堅苦しいと思って。もっと真島君と仲良くなりたいし。」

 人の良さそうな笑顔を浮かべ、そう頼んでくる副委員長。そんな彼に裏なんてなさそうで、気の所為だったのかなと不思議に感じた。

「まぁ、それくらいなら……。」
「じゃあ、ちょっと呼んでみてくれない?」
「え……えっと、一条、くん。」
「名前は流石にハードル高い?」
「……僕には、高いです。」
「そっか。じゃ全然それでもいいよ、ありがとう真島君。」

 再びにこっと笑いかけると、副委員長もとい一条君は身を翻してどこかへ行ってしまった。
 何だったんだろうか、一条君の意図が全く分からない。
 突然名前で呼んでくれだなんて正直訳が分からないし、到底見当もつきそうにない。
 
 一条君の考えなんて、きっと僕には理解できないんだろうな。
 これ以上考えてても仕方がないように思えて、拭いきれない疑問を持ちつつ教室に戻った。