家の壁にはポスター。せっせと貯めた小遣いで、ライブDVDも買った。もちろん初回限定盤。テレビの出演情報は逐一チェックして、母ちゃんに録画を頼む。そんな家の中でのオタク活動は、なかなか楽しいものだった。
 男性四人組アイドルグループ「HoneyCrown」。通称「ハニクラ」。最近テレビで観ない日はない人気のアイドルだが、見た目がカッコイイだけじゃない。ダンスのスキルも高いし、何より全員歌唱力がバカ高く、バラードからアップテンポまでカッコよく歌いこなす。ちなみに全曲ダウンロード済みで、毎日聞いている。
 この時点でお察しだろうが、俺、高山敦士は「HoneyCrown」のファンだった。デビュー前の練習生時代からなので、古参だと胸を張って言える。
 でも、それは家の中でだけだ。学校では、アイドルに興味がないふうを装って生きてきた。だって、俺には似合わない。身長は百八十五センチもあってデカいし、目つきだっていいほうではない。モテるかモテないかって言ったら……まあモテるほうではあるけれど、それは多分バスケでそれなりに活躍できているからだろう。
 きっとハニクラのメンバーだって、こんなゴツい男じゃなくて、可愛い女の子に応援されたいはずだ。そんな女々しいことを一人でぐるぐる考えていたら、完全に言うタイミングを逃したというのも一つの理由。気がついた時には、俺は爽やかスポーツマンの称号を手に入れていた。




 無事に二年生に進級して、一週間が経過した。
 文理選択をしてクラスの顔ぶれが大きく変わったが、自分のコミュニケーション能力には自信があったし、実際すぐに馴染めたので大した問題ではなかった。
 青嵐高校二年一組、高山敦士。出席番号二十番。まだ馴染みきっていない新しい記号を、心の中で繰り返す。
 勉強はそこそこ。バスケは結構頑張っているし楽しい。家の中限定のオタク活動も、高校生の小遣いの範囲だが充実していた。
 そんな平和な日常は、突如として大きく変わった。そこに、俺らの意思は関係ない。

「今日からクラスメイトになる転校生を紹介する」

 教壇に立つ担任の言葉に、教室の中がにわかに騒がしくなった。友だちになれるかなとか、やさしく生ぬるい話ではない。例えるならば、文化祭のゲストとして芸能人がやってきた時のような、浮つきまくった雰囲気。カッコよく言うならば、青天の霹靂ってやつ。

「月城伊織くんだ。さあ月城、自己紹介をしてみようか」
「……月城伊織です。よろしくお願いします」

 決して大きくはないのに、よく通る声をしていた。一瞬で、教室がしんと静まり返り、視線が離せなくなる。まるで、教壇が彼のステージになったかのように。
 感情をのせないクールで淡い瞳に、透き通ってしまいそうな白い肌。やわらかそうな茶色の髪が、窓から吹き込んだ風にふわりと揺れた。
 自然発生した拍手の雨が降りそそぐ。俺は驚きのあまり、しばらく声を出せなかった。
 月城伊織――つきしろいおり。同姓同名だろうか。いや、そんなはずがない。「HoneyCrown」のメンバーを、俺が見間違えるはずがないのだ。
 信じられるか? ある日突然、推しグループのメンバーがクラスメイトになるなんて。

「出席番号順だから、高山の後ろの席だな」
「えっ、あっ、ハイ!」

 呆けた俺へ向けた担任の言葉に、とりあえず挙手して応える。新学期一日目から俺の後ろは空席だったのは、これが理由だったようだ。

「えー、高山くんズルい~」
「でも、アイドルとか興味なさそうだし、ちょうどいいんじゃない?」

 そこの女子、聞こえているぞ。ちなみに興味しかないと心の中で訂正しておく。
 教壇からおりた月城が、こちらへ向かってくる。スラリとしたモデル体型に、小さな顔。うわぁ、ホンモノのゲイノージンだぁ。なんてマヌケな発言をしなかった自分を褒めてやりたい。というか、心臓が口から飛び出そうだ。
 横を通り過ぎると、同じ人間とは思えないいい匂いがした。天は何物を与えるつもりだろうか。

「分からないことばかりだろうが、高山なら聞きやすいだろう。やさしく教えてやってくれ」
「分かりました」

 自分の爽やかキャラにこんなに感謝した日は初めてだった。そして二度とないだろう。振り返り、席に座った月城の色素の薄い虹彩を見下ろす。俺のほうが身長は高そうだ。

「何かあったら聞いて。出来るかぎり助けるから」
「……ん、よろしく」

 人見知りなのかもしれない。完全なシカトはされなかったが、月城はふい、と目をそらした。



 今をときめく芸能人は忙しいようだ。毎日休まず出席するのは現実的に難しいようで、休みだったり、登校時間が遅れることもままあった。
 それから、本人のクールな雰囲気と物静かな性格も相まって、あまり人を寄せ付けない。凡人には触れられない聖域なのだと言っていたのは、先日俺を羨ましがっていた女子のグループの一人だ。

「今配ったプリントは、来週の水曜日が提出期限だからな。忘れず提出するように」

 前の席の奴から回ってきたプリントを一枚取って、残りを後ろへ回す。と言っても俺は後ろから二番目の席なので、残っているのも一枚だ。

「はい、どーぞ」
「……ども」

 受け取ったプリントに視線を落として内容を確認している月城に、思わず見入ってしまう。席が前後になってから、何度とこの距離で顔を見ているが、未だに慣れない。テレビ越しに見るよりもずっと綺麗で、人間味がある。ああ、実在しているんだなぁって。

「……なに?」
「ああ、わり。テレビで見る顔が目の前にあるから、つい」
「俺のこと知ってんの」
「そりゃ知ってるよ。だって、有名人だし」

 なんならファンです。とは言えなかった。
 月城伊織。人気アイドルグループ『HoneyCrown』の最年少メンバー。甘いマスク、クールな佇まい、澄んだ歌声に高い歌唱力。そして高いダンススキルを持ち、グループの中でも人気が高い。そんなプロフィールまでしっかり頭の中にあるなんて、月城は思ってもみないだろう。

「つか、月城伊織って綺麗な名前だよな」
「……は?」
「芸名かと思った」

 苗字も名前も。

「本名だよ……ところで、前向いたほうがいいよ」
「え?」
「先生、こっち見てる」
「やっべ」

**

 推しグループのアイドルとクラスメイトになって、およそ半月が経過した。家で母ちゃんと姉ちゃんに月城伊織が転校したことを伝えたら、一度じゃ信じてもらえなかった。写真でも撮って見せられれば信ぴょう性も増すのだが、盗撮するのはよくないので、まだ信じてもらえていない。
 四日ぶりに登校してきた月城は、あまり機嫌がよくなさそうだった。頬杖をついて窓の外を眺め、時おり小さな溜め息をこぼす。映画のワンシーンみたいで、クラスの女子がザワついた。
 四時限目の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。日直の号令に合わせて立ちあがり、礼をすると、昼食購買組が我先にと教室を飛び出していく。後ろの席の月城は、授業が終わるなり出ていった。アイツが購買に現れたら、大騒ぎになる気もするけれど。
 いつでもどこでもすぐ食べられるように昼飯はでっかいおにぎりを作ってもらっている俺は、そのドデカいおにぎりが入った巾着袋を手にのんびりと教室を出る。部室の前で急いで食べて、残った昼休みをバスケの練習に当てるつもりだ。
 階段を駆け下り、渡り廊下を抜けて突き当たりを左へ。体育館棟へ続くコンクリートの道を校則違反ギリギリのスピードで進む俺の視界の隅に、フラフラと心許ない動きをするシルエットが映った。なんか倒れそうだったけど、大丈夫だろうか。
 困った人がいるのに放っておくのはかっこ悪いし、この後も(あの人大丈夫だったかな)と気になって仕方なくなってしまう。俺はデカいし筋力もあるから、何かと役に立つ。何事もなければそれでいいと、体育館裏へ消えて行った人影を追いかけた。
 日の当たらないそこは、薄暗くてひんやりとしていた。体育館には毎日のように世話になっているが、体育館裏に来たのは初めてだ。真夏の避暑地にちょうどいいな、なんて考えていると、先ほど見かけた人影がうずくまっていた。

「月城……?」

 やわらかそうな髪。真っ白な首すじ。しゃがみこんでいても分かるスタイルの良さ。まさかクラスメイトだったとは思わずに、俺は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。俺の声にぴくりと肩を震わせた月城は、ゆっくりと顔を上げる。血色のなさにギョッとした。

「顔色やっば。どした?」
「寝不足で、ちょっと頭いたいだけ。ロケ先のホテルで、上手く寝つけなくて」

 日常生活の中で「ロケ先」という言葉を聞いたのは初めてだった。目の前にいる綺麗な男がアイドルなのだと再確認する。
 とにかく、機嫌がよくなさそうに見えたのは、体調のせいだったようだ。聞くだけ聞いて立ち去るほど、薄情な人間ではない。俺は月城の目の前にしゃがんで、視線の高さ合わせた。

「保健室、場所分かんねえなら教えるけど」
「……いや、保健室はいきたくない」
「なして」
「みんなに、見られたくない」

 月城はそう言って、しんどそうに目を閉じた。
 たしかに、仕事中ならまだしも、具合が悪い時にジロジロ見られるのは嫌だと思う。俺にはそんな経験はないけれども。

「そっか。静かに休めたほうがいいよな」
「ん」
「注目浴びちゃうの、しんどいよな」
「ん」

 眉間に寄ったシワを、くるくると親指でなぞってみる。不用意に触れてしまったにもかかわらず、月城はされるがまま、微かに口角をゆるめた。

「なにしてんの」
「眉間のシワ伸ばし。あっ、頭痛いのに何してんだよな、俺」

 慌てて手を引っ込めると、長いまつ毛に縁取られたまぶたから、淡い色をした虹彩が覗いた。

「けっこー、気持ちいいよ。それ」
「マジ? もっとする?」
「ん」
「でもこの体勢つらくね? そうだ、いいこと思いついた」

 体育館の壁を背負う月城の隣によいせ、と座る。制服越しに伝わってくるコンクリートの冷たさが心地良かった。

「え、なに」
「俺のひざ、枕にしていいよ」

 白い頬が、ぽわっと桃色に染まった。
 恥ずかしいことを言っている自覚なんて、これっぽっちもなかった。しんどそうなクラスメイトが目の前にいるのだ。誰だって助けるのが普通だろう。

「ひ、ひざ枕かよ」
「地面に寝るよかいいだろ」
「それに、俺、男だよ」
「知ってるよ。ほら、しんどいんだから早く休めって。ここなら涼しいし、俺しかいない」

 太ももをポンポンと叩いて急かせば、月城は渋々といった様子で頭を預けてきた。なかなかいいポジションが見つからないのかもぞもぞと動いて、つぶやく。

「……硬ぇ」
「それは諦めてくれ。寝られそう?」
「ん。あ、でも、授業は」
「サボり」
「いいの?」
「大丈夫だろ。俺、こう見えてそこそこ勉強出来んの」

 目にかかりそうな前髪を指ではらってやる。月城はくすぐったそうに目を細め、ゆったりと瞬きながら言った。

「高山くんって、ギャップ、すごいね」
 俺の名前、覚えててくれたのか――じゃなくて。
「んだよ、バカっぽいって言いたいのかぁ?」
「……ふふ、ごめん」

 ふにゃりと相好を崩されて、心拍数が急増した。悟られないように表情筋を整える。

「まあ、よく脳筋とは言われるけどな」
「背も高いし。何センチあんの?」
「百八十五」
「へぇ、デカいね」
「まあな」
「ね、高山くん」
「なに」
「俺、ホントに寝そう」
「そのためのひざ枕だろうが。遠慮なく寝ろ」

 手のひらで、そっと目元を覆ってやる。疑っていたわけじゃないが、よほど疲れていたのだろう。穏やかな寝息が聞こえるまでに、大した時間はかからなかった。
 そっと手を外す。そしてじわじわと実感するのだ。俺、アイドルにひざ枕しちゃってるんだけど、と。
 下心は本当になかった。でも、冷静になって考えてみればこのシチュエーションはヤバい。語彙力も吹っ飛ぶヤバさだ。
 想像より幼い顔で笑うんだなとか、名前を覚えていてくれた嬉しさとか、警戒心の強そうな猫が懐いてくれた時みたいな優越感とか。そういうのが全部一緒になって、俺の心を甘く蝕んだ。
 撫でても、いいだろうか。
 起こさないように細心の注意をはらって、そおっと触れてみる。手入れの行き届いた色素の薄い髪が、指の間からさらさらとこぼれた。

「うわぁ……」

 髪のやわらかさに、寝顔の無防備さに、頭を抱えたくなる。ハニクラのクール担当じゃないのかよ。こんな可愛い奴だったなんて聞いてない。
 昼休みの終わりを告げるチャイムを遠くに聞きながら、俺は青い空を見上げた。