「俺のために切り絵を作ってくれませんか?」

 すっかり秋めいてきた早朝、出勤前であろうスーツ姿の朝晴が、郵便局の前で偶然出会った未央にそう言った。

 朝晴はいつも車通勤のようだ。郵便局の前の道をまっすぐ行った先に、彼が勤務する清倉中学校がある。彼は通りを歩く未央に気づいて、車を停めると話しかけてきたのだ。

「ありがとうございます。ご希望のデザインはおありですか? 時間のあるときに、ご相談させていただきますね」

 助手席側の窓から顔をのぞかせて、未央はそう言う。

「未央さんが俺のために作りたいと思うデザインがほしいですね」

 どきりとするような言い方をするが、そういった注文の仕方をする客はほかにもいる。未央は戸惑いを見せずに答える。

「考えておきますね」
「できたら、製作現場を見せてもらいたいんですけどね」

 朝晴が苦笑いするのは、その約束がまだ果たされていないからだろう。

「デザインの案ができましたら、アトリエにいらしてください」
「いいんですか?」

 押しの強い彼がそう尋ねるのは、多少なりとも公平との婚約の話が進む未央を気づかってのことだろう。

「大丈夫ですよ」

 未央がそっと微笑んで車から離れると、朝晴はまだ何か話したそうな顔をしたが、「また連絡します」と立ち去った。

 車が見えなくなると、未央はハガキを郵便ポストに入れ、来た道を戻った。

 両親に直接会い、公平との婚約について話し合う必要は感じていたが、平行線で終わる気がして、思い悩んだ末、両親にあてたハガキを書いた。

『これから先もずっと、誰とも結婚する気はないのです』

 そう記した一文に、両親はどう思うだろう。今はそう思っているだけで、公平ならその凝り固まった気持ちを和らげてくれるんじゃないか。そんなふうに説得してくるかもしれないと想像すると、やはり会う気になれなかったのだ。

 今日は切り雨の定休日だ。未央は、新作の製作に一日集中するつもりで、店に戻るとすぐにアトリエに入り、下書きを取り出した。

「井沢さんなら、気に入ってくれるでしょうか」

 新作のテーマは決まっている。未央の思いを反映した花嫁だ。

 朝晴との出会いによって、文彦への気持ちに整理がついてきている。少なくとも、文彦との恋は終わったのだと自覚できている。一方で、描いていた花嫁にはなれなくて、結婚しないと決めた自分を救いたい気持ちがある。

 それを形にしようと取りかかったのは、ウェディングドレスを着た女性のデザインだった。

 早速、未央は花の図鑑を開き、下書きのウェディングドレスにえんぴつを乗せた。ドレスには、朝晴の好きな月見草を。空には、月を隠す雲から降る雨を。

 不思議と、行き詰まっていたえんぴつがスラスラと動いた。

 すぐに、下書きは完成した。右下に、未央はタイトルを記す。『月の雨』と。