清倉の大地に流れる川。その奥には、紅葉する山々。そして、雲のない空から降る雨。虫取り網を持った男の子に、虫かごを持った男の子と手をつなぐ女の子。三人の子どもたちが、はしゃぎながら帰宅する光景。

 届いたばかりのシンプルな額にその切り絵をおさめたら、ほっと息が出た。清倉に引っ越してきてから製作に取り掛かり、構図にずっと悩んでいた作品だ。やはり、子どもたちを三人にしてよかった。このバランスが永遠に続けばいいと思える。

 作品を持ってアトリエを出ると、車椅子に乗るしぐれが、棚にある封筒を取ろうと手を伸ばしていた。注文が入った作品の梱包をお願いしていたのだが、作業台に置いていた封筒が足りなくなっていたようだ。

 声をかけようとした未央は、足の先に力が入っているみたいにわずかに腰をあげるしぐれに気づいて、まばたきをした。

「しぐれちゃん?」

 手の届いた封筒をつかんで、棚から下ろすしぐれに、ようやく声をかける。

「あっ、未央さん。封筒がなくなっちゃってたので、補充しておきますねー」
「ありがとう。それより、いま、立ち上がれそうじゃなかった?」
「そうなんですよー。最近、足の感覚があるっていうか、なんか、立てるような感じがするんですよね。実際はまだまだなんですけど」

 照れ笑いするしぐれは、未央の手もとに視線を移し、車椅子を漕いでやってくる。

「新作できたんですね! 見てもいいですかー?」
「ええ、どうぞ」

 カウンターの上に乗せると、しぐれは興味津々にのぞき込む。

「これ、清倉ですか? 展望台の近くで、こういう景色が見えますよね」
「ポストカードは作ってきたけど、額装した作品で、清倉とわかるデザインにしたのは初めてかも」
「ですよね。珍しいですね、清倉の風景なんて」

 初めて清倉に来たときの風景を残しておきたいと、引っ越してすぐにデザインしたものだ。なかなか形にならなくて、完成するのに時間がかかってしまった。

「ちょっと気持ちが落ち着いたからかな」

 文彦の話を朝晴に聞いてもらった日から、今ならできるという自信があった。

 婚約者を疑い、醜く汚れてしまった心がたまらなく嫌だった。いつか、純粋な心を取り戻して、優しい気持ちで文彦を弔いたかった。作品が完成できたのは、ようやく、そのときが来たからだと感じている。

「何かあったんですか?」

 下から顔をのぞき込んでくるしぐれの目には、どういうわけか、ますます好奇心が浮かんでいる。

「何かって?」
「お兄ちゃんと、付き合ってます?」
「えっ!」
「よくデートしてるんですよねー?」
「デートじゃなくて、時々、食事してるだけですよ」
「ふたりでですよね? いきなり、夜ご飯いらないって言われるから、隙間時間にデートしてるんだろうなぁって思ってました。お兄ちゃんは絶対、デートのつもりですよ」

 どうやら、夕食の準備に迷惑かけてしまっているらしい。

「ほんとうにデートじゃなくて、お付き合いしてるとかでもないんですよ」
「お兄ちゃんのこと、好きじゃないんですか?」
「えっと……」

 遠慮なく聞かれると困ってしまう。

「お兄ちゃんは好きだと思うなぁ。最近なんか、雰囲気が変わったから、てっきり付き合い出したんだって思ってました」
「雰囲気が?」

 そうだろうか。全然気づかなかったけれど、毎日一緒に暮らす妹の目には違う朝晴が映ってるのだろうか。

「そうですよ。だから、ちょっと心配」
「心配って、何かあるの?」
「やけに、自信に満ちあふれてる感じなんですよね。東京でイベントコーディネーターやってたときはかなり敏腕で、女の人にもモテモテだったみたい。それで、調子に乗ってるっていうか、そのころよりは全然ですけど、そういう余裕ぶった雰囲気、今は出してますねー」

 やれやれと、あきれるようにしぐれは言う。

 朝晴も、東京にいたころはおしゃれをして、高級なレストランでデートを重ねていたのだろう。仕事帰りに商店街の小さな喫茶店で、素朴な味のするオムライスやハンバーグを食べ、たった数十分過ごすだけのデート……と言っていいのかはわからないが、それとは違う。未央はそんな、彼と過ごすわずかな時間に心地よさを感じていたが、付き合っているという自覚はなかった。

「そんな男ですけど、いいですか?」
「いいかって言われても……」

 期待を込めた目でじっと見つめられると、ますます戸惑ってしまって目をそらしたとき、切り雨の入り口に人影が見えて、未央はほっと息をつくと、引き戸に駆け寄った。