「こんにちは。どうぞ、中へ入って」
未央は珍しい客に少々驚きつつ、引き戸を大きく開く。
ここ、清倉は、観光地として広く知られているわけではないが、美しい海と山の景色が望める展望台があり、一年中、観光客が訪れている。
切り雨にやってくる客のほとんどは、商店街をぶらりと散策する観光客だ。ギャラリーをのぞくようなつもりで気軽に入ってくる彼らには、小さな壁飾りやポストカードなどの小物がよく売れる。
店番は未央ひとりでやっているが、休日ともなれば、アルバイトの必要を感じるほど繁盛する日もある。それなのにどうして、本日ふたり目の訪問者は、地元の中学生であろう少年だった。
「おや、有村くんじゃないか」
おずおずと店内へ進み入る少年を見て、朝晴が驚いたように言う。
「あ……」
と、声をあげた少年は後ずさりする。
「お知り合い?」
逃げ帰ってしまう気がして、どちらにというわけでもなく尋ねると、朝晴が口を開く。
「俺、彼の担任なんですよ」
朝晴が清倉中学校の教師だということは前に聞いていた。自ら望んで夏祭りを取り仕切っているという話も。
しかし、生徒に関する話は聞いたことがなくて、今更ながらに、彼が教職に就いてる人なのだという実感が湧いてくる。なんというか、彼には教師らしい厳格さを感じさせないカジュアルな雰囲気があるのだ。
「教え子の有村くん。こちらは切り雨の店主さんだよ」
朝晴に紹介された有村くんは、「はじめまして」と言う未央に向かって小さく頭を下げる。
目を合わせてくれない気まずそうな表情の中に、あきらめが見える。できることなら、知り合いのいないときに来店したかったのだろう。
「井沢さん、お引きとめしてごめんなさい」
そう言いつつ、朝晴に店から出ていくよう促す。彼も有村くんに気をつかったのか、すんなりと外へ出ていく。
「ああ、そうだ。八坂さんに連絡先ってお伝えしましたっけ?」
立ち去りかけた彼が、ふと振り返る。
「いいえ」
「じゃあ、これを」
バッグから取り出したメモ用紙に、すばやく電話番号を記すと差し出してくる。
「切り雨さんのブースは確保してありますから、気が変わるようでしたら連絡ください」
「気は変わりませんよ」
「変わりますよ」
やけに自信たっぷりに彼は笑むと、「気をつけて帰れよ」と有村くんに声をかけ、帰っていった。
「何かお探しですか?」
店内をきょろきょろと見回す有村くんに尋ねる。
「飾りはないですか? 千円くらいの」
おずおずと彼は言う。ビニール製の黒い財布をギュッと握りしめる姿を見れば、勇気を出して尋ねたのだろうと伝わってくる。
「飾りって、どんな?」
「音の鳴らない風鈴みたいな」
「風鈴かぁ」
風鈴と聞いて、思い浮かぶ作品が一つだけある。
入り口近くに飾られた額へと目を移す。そこには、窓際にかけられた風鈴の奥に降る雨を描いた切り絵がおさめられている。
未央の作品は雨を主体としたものばかりだが、客の中には、雨と一緒に描かれた物や動物が気に入って購入していく人もいる。
未央の視線の先にある風鈴の切り絵に有村くんは気づくと、導かれるように近づき、じっと見上げる。
「ななさがり……?」
作品名に目をとめて、彼はつぶやく。
「七下の雨。夕方に降り出して、長く続く雨のこと。終わらない悲しみを表現したものなんです」
「悲しみが終わらないなんて、つらいよ」
「長く続く悲しみから、無理に抜け出そうとする必要はないんですよ」
「それじゃあ、心は痛いまんまだよ」
本当に痛みを感じたみたいに、有村くんは胸に手を当てて表情を曇らせる。
「作品が代わりに泣いてくれるから、いつか心は癒されていくと信じています」
「切り絵が代わりに泣くの?」
未央は珍しい客に少々驚きつつ、引き戸を大きく開く。
ここ、清倉は、観光地として広く知られているわけではないが、美しい海と山の景色が望める展望台があり、一年中、観光客が訪れている。
切り雨にやってくる客のほとんどは、商店街をぶらりと散策する観光客だ。ギャラリーをのぞくようなつもりで気軽に入ってくる彼らには、小さな壁飾りやポストカードなどの小物がよく売れる。
店番は未央ひとりでやっているが、休日ともなれば、アルバイトの必要を感じるほど繁盛する日もある。それなのにどうして、本日ふたり目の訪問者は、地元の中学生であろう少年だった。
「おや、有村くんじゃないか」
おずおずと店内へ進み入る少年を見て、朝晴が驚いたように言う。
「あ……」
と、声をあげた少年は後ずさりする。
「お知り合い?」
逃げ帰ってしまう気がして、どちらにというわけでもなく尋ねると、朝晴が口を開く。
「俺、彼の担任なんですよ」
朝晴が清倉中学校の教師だということは前に聞いていた。自ら望んで夏祭りを取り仕切っているという話も。
しかし、生徒に関する話は聞いたことがなくて、今更ながらに、彼が教職に就いてる人なのだという実感が湧いてくる。なんというか、彼には教師らしい厳格さを感じさせないカジュアルな雰囲気があるのだ。
「教え子の有村くん。こちらは切り雨の店主さんだよ」
朝晴に紹介された有村くんは、「はじめまして」と言う未央に向かって小さく頭を下げる。
目を合わせてくれない気まずそうな表情の中に、あきらめが見える。できることなら、知り合いのいないときに来店したかったのだろう。
「井沢さん、お引きとめしてごめんなさい」
そう言いつつ、朝晴に店から出ていくよう促す。彼も有村くんに気をつかったのか、すんなりと外へ出ていく。
「ああ、そうだ。八坂さんに連絡先ってお伝えしましたっけ?」
立ち去りかけた彼が、ふと振り返る。
「いいえ」
「じゃあ、これを」
バッグから取り出したメモ用紙に、すばやく電話番号を記すと差し出してくる。
「切り雨さんのブースは確保してありますから、気が変わるようでしたら連絡ください」
「気は変わりませんよ」
「変わりますよ」
やけに自信たっぷりに彼は笑むと、「気をつけて帰れよ」と有村くんに声をかけ、帰っていった。
「何かお探しですか?」
店内をきょろきょろと見回す有村くんに尋ねる。
「飾りはないですか? 千円くらいの」
おずおずと彼は言う。ビニール製の黒い財布をギュッと握りしめる姿を見れば、勇気を出して尋ねたのだろうと伝わってくる。
「飾りって、どんな?」
「音の鳴らない風鈴みたいな」
「風鈴かぁ」
風鈴と聞いて、思い浮かぶ作品が一つだけある。
入り口近くに飾られた額へと目を移す。そこには、窓際にかけられた風鈴の奥に降る雨を描いた切り絵がおさめられている。
未央の作品は雨を主体としたものばかりだが、客の中には、雨と一緒に描かれた物や動物が気に入って購入していく人もいる。
未央の視線の先にある風鈴の切り絵に有村くんは気づくと、導かれるように近づき、じっと見上げる。
「ななさがり……?」
作品名に目をとめて、彼はつぶやく。
「七下の雨。夕方に降り出して、長く続く雨のこと。終わらない悲しみを表現したものなんです」
「悲しみが終わらないなんて、つらいよ」
「長く続く悲しみから、無理に抜け出そうとする必要はないんですよ」
「それじゃあ、心は痛いまんまだよ」
本当に痛みを感じたみたいに、有村くんは胸に手を当てて表情を曇らせる。
「作品が代わりに泣いてくれるから、いつか心は癒されていくと信じています」
「切り絵が代わりに泣くの?」