「ねぇ、おばさんは結婚したいって思ったことある?」
天然木のダイニングテーブルを飾る、真っ赤なポインセチアの鉢越しに奈江が尋ねると、伯母の康代は新聞から目をあげる。
このところ、康代は頻繁に訪れる奈江をあたりまえに受け入れてくれていた。奈江が一緒にいても普段と変わらない生活を居心地よく過ごしていて、話しかけるのを申し訳なく思ったぐらい。しかし、恋愛の話ができる相手が彼女しかいない奈江は、タイミングを見計らって尋ねたつもりだった。
「どうしたの? 急に」
老眼鏡を外し、康代は新聞を畳む。話を聞いてくれるようだ。
「おばさんは結婚できたのにしなかったって、お母さんから聞いたことがあって」
「真紀子も、余計な話をするのね」
「あっ、ごめんね。話したくないなら言わなくて大丈夫だから」
あきれ顔の康代を見て、奈江は反省する。すっかり気を許す関係になっている康代なら、デリケートな話でも教えてくれると、甘えすぎていたかもしれない。
「奈江ちゃんが謝る必要ないわよ。そうねぇ、結婚は申し込まれたけれど、お相手の方は尻込みしてるうちによそへ行ってしまったから、今でも結婚したかったかどうかはわからないわね」
康代は古い記憶をひねり出すように、首をかしげながら言う。
「尻込みって、どうして?」
「お相手の方に不満があったわけじゃないのよ。私がね、誰かと一緒に暮らせないんじゃないかって悩んだの」
「ひとりが気楽でよかったってこと?」
そう尋ねながら、気楽でいいと思っているのは自分だ。いつもひとりはさみしいけれど、さみしいだけでもある。さみしさを紛らわせることができるなら、ずっとひとりでいられる気もするのだ。
康代はそっと笑んで、違うとばかりに首をゆるりと振る。
「男の人って、いい意味で寛容よね。こちらが許せないようなことをあっさりと受け入れたりして。でもね、悪く言うと、無責任。興味がないから寛容になれるのよ。もし、お相手の方にそういうところがあったら、許容できない気がしたの」
「そっか。そういう理由もあるんだね」
奈江だって、そうだ。母の言動に嫌気がさして、許容できずに家を出た。それは娘だから出来ることで、夫婦だったら逃げ出せない。
真面目に働き、家事も得意な康代が結婚に向かないなら、自分なんてもっと……という気持ちになる。
「奈江ちゃんはいるの? そういうお相手」
康代は優しい口調で聞いてくる。秋也とのことが見透かされているような気がしてそわそわしてしまう。
「ううん、いない。でも、もう27だし、付き合う人ができたら、結婚も意識するのかなって思って」
「可能性はあるわよね。結婚したい人なら、それもいいかもしれないわよ」
「結婚したいなんて思うのかな。私も無理じゃないかな。相手に迷惑かけちゃうなら、最初からお付き合いしない方がいいよね」
いまだ、秋也からの告白の返事は保留中だ。彼とは秋祭り以降、何度か会っているが、返事の催促はない。ゆっくり考えてくれていいと言ってくれる彼の言葉に甘えてばかりだ。
「迷惑なんて、どうしてそう思うの?」
「私ね……、人の気持ちがわからないの」
そう言うと、康代はおかしそうに目を細める。
「奈江ちゃんはいっつも、人の気持ちばかり考えてるのにね。もしかして、お相手の方の大切な時間を奪ってしまうかもなんて考えたりしてない?」
康代はそうだったのだろうか。自分と結婚して、この人は幸せになれるのだろうか。そう考えたのだったとしたら、結婚を選択しなかった理由が、奈江も少しはわかる気がした。
「それはあると思う。私と過ごす時間が人生の無駄になるなら、ほかの人と幸せになってほしいって」
そうは言ってみるが、今はまだ、そこまでの気持ちにはなれていない。秋也が他の女性と……なんて、素直に歓迎できない。
「本当に、ほかの人とって思うの?」
「……そうなったら、たぶん嫌だと思うけど」
「好きなら、そうよね。お付き合いしたい人がいるなら、交際するのはいいんじゃない?」
奈江はどんな顔をしたらいいのかわからなくて、ポインセチアを見つめる。
赤と緑のカラーが、クリスマスを連想させる。きっと、秋也のことだ。返事は待ってくれても、クリスマスにはどこかへ行こうと誘ってくれるだろう。それがわかるぐらいには、秋也を理解できている気はしてる。
「奈江ちゃん、どんな選択をしても、自分の選んだ道に自信を持ってね」
「え?」
康代へ顔を向けると同時に、奈江の手は彼女の両手に優しく包み込まれていた。
「奈江ちゃんは最悪のことを考えたいのよね? 私もそういうタイプだからわかる。ほかの人は可能性が1%しかないことに悩むなって言うかもしれないけど、その限りなく少ない可能性を考えたいのよね?」
「……そうだと思う」
どうして康代にはわかってしまうのだろう。戸惑いながら、奈江はうなずく。
「でもね、奈江ちゃん。もしね、もしも、結婚したとしてよ? 結婚することで、あなたは結婚しなかったときに得られたはずのお相手の明るい未来をつぶしたって思い悩む日が来るかもしれない。でもね、どんな道を選んでも苦労のない未来なんてないんだから、結婚はまた別の明るい未来を開くきっかけになったって考えたらいいんじゃない?」
「また別の未来?」
秋也が描く未来はどんな未来だろう。
結婚したいって言われたわけじゃないけれど、そんな未来を思い描くこともあるだろうか。ないならいい。だけど、そうなる可能性が1%でもあるなら、その日が来るときが怖いから、奈江は悩んでいる。付き合うことすら、しない方がいいって、心のどこかで思ってる。
その気持ちをほぐすように、康代は優しく言い続ける。
「今ある状況の中で、どれだけ幸せになる努力ができるか、それを考えたらいいのよ。そういうことを一緒に考えられるお相手なら、お付き合いを前向きに考えてもいいんじゃないかしら」
天然木のダイニングテーブルを飾る、真っ赤なポインセチアの鉢越しに奈江が尋ねると、伯母の康代は新聞から目をあげる。
このところ、康代は頻繁に訪れる奈江をあたりまえに受け入れてくれていた。奈江が一緒にいても普段と変わらない生活を居心地よく過ごしていて、話しかけるのを申し訳なく思ったぐらい。しかし、恋愛の話ができる相手が彼女しかいない奈江は、タイミングを見計らって尋ねたつもりだった。
「どうしたの? 急に」
老眼鏡を外し、康代は新聞を畳む。話を聞いてくれるようだ。
「おばさんは結婚できたのにしなかったって、お母さんから聞いたことがあって」
「真紀子も、余計な話をするのね」
「あっ、ごめんね。話したくないなら言わなくて大丈夫だから」
あきれ顔の康代を見て、奈江は反省する。すっかり気を許す関係になっている康代なら、デリケートな話でも教えてくれると、甘えすぎていたかもしれない。
「奈江ちゃんが謝る必要ないわよ。そうねぇ、結婚は申し込まれたけれど、お相手の方は尻込みしてるうちによそへ行ってしまったから、今でも結婚したかったかどうかはわからないわね」
康代は古い記憶をひねり出すように、首をかしげながら言う。
「尻込みって、どうして?」
「お相手の方に不満があったわけじゃないのよ。私がね、誰かと一緒に暮らせないんじゃないかって悩んだの」
「ひとりが気楽でよかったってこと?」
そう尋ねながら、気楽でいいと思っているのは自分だ。いつもひとりはさみしいけれど、さみしいだけでもある。さみしさを紛らわせることができるなら、ずっとひとりでいられる気もするのだ。
康代はそっと笑んで、違うとばかりに首をゆるりと振る。
「男の人って、いい意味で寛容よね。こちらが許せないようなことをあっさりと受け入れたりして。でもね、悪く言うと、無責任。興味がないから寛容になれるのよ。もし、お相手の方にそういうところがあったら、許容できない気がしたの」
「そっか。そういう理由もあるんだね」
奈江だって、そうだ。母の言動に嫌気がさして、許容できずに家を出た。それは娘だから出来ることで、夫婦だったら逃げ出せない。
真面目に働き、家事も得意な康代が結婚に向かないなら、自分なんてもっと……という気持ちになる。
「奈江ちゃんはいるの? そういうお相手」
康代は優しい口調で聞いてくる。秋也とのことが見透かされているような気がしてそわそわしてしまう。
「ううん、いない。でも、もう27だし、付き合う人ができたら、結婚も意識するのかなって思って」
「可能性はあるわよね。結婚したい人なら、それもいいかもしれないわよ」
「結婚したいなんて思うのかな。私も無理じゃないかな。相手に迷惑かけちゃうなら、最初からお付き合いしない方がいいよね」
いまだ、秋也からの告白の返事は保留中だ。彼とは秋祭り以降、何度か会っているが、返事の催促はない。ゆっくり考えてくれていいと言ってくれる彼の言葉に甘えてばかりだ。
「迷惑なんて、どうしてそう思うの?」
「私ね……、人の気持ちがわからないの」
そう言うと、康代はおかしそうに目を細める。
「奈江ちゃんはいっつも、人の気持ちばかり考えてるのにね。もしかして、お相手の方の大切な時間を奪ってしまうかもなんて考えたりしてない?」
康代はそうだったのだろうか。自分と結婚して、この人は幸せになれるのだろうか。そう考えたのだったとしたら、結婚を選択しなかった理由が、奈江も少しはわかる気がした。
「それはあると思う。私と過ごす時間が人生の無駄になるなら、ほかの人と幸せになってほしいって」
そうは言ってみるが、今はまだ、そこまでの気持ちにはなれていない。秋也が他の女性と……なんて、素直に歓迎できない。
「本当に、ほかの人とって思うの?」
「……そうなったら、たぶん嫌だと思うけど」
「好きなら、そうよね。お付き合いしたい人がいるなら、交際するのはいいんじゃない?」
奈江はどんな顔をしたらいいのかわからなくて、ポインセチアを見つめる。
赤と緑のカラーが、クリスマスを連想させる。きっと、秋也のことだ。返事は待ってくれても、クリスマスにはどこかへ行こうと誘ってくれるだろう。それがわかるぐらいには、秋也を理解できている気はしてる。
「奈江ちゃん、どんな選択をしても、自分の選んだ道に自信を持ってね」
「え?」
康代へ顔を向けると同時に、奈江の手は彼女の両手に優しく包み込まれていた。
「奈江ちゃんは最悪のことを考えたいのよね? 私もそういうタイプだからわかる。ほかの人は可能性が1%しかないことに悩むなって言うかもしれないけど、その限りなく少ない可能性を考えたいのよね?」
「……そうだと思う」
どうして康代にはわかってしまうのだろう。戸惑いながら、奈江はうなずく。
「でもね、奈江ちゃん。もしね、もしも、結婚したとしてよ? 結婚することで、あなたは結婚しなかったときに得られたはずのお相手の明るい未来をつぶしたって思い悩む日が来るかもしれない。でもね、どんな道を選んでも苦労のない未来なんてないんだから、結婚はまた別の明るい未来を開くきっかけになったって考えたらいいんじゃない?」
「また別の未来?」
秋也が描く未来はどんな未来だろう。
結婚したいって言われたわけじゃないけれど、そんな未来を思い描くこともあるだろうか。ないならいい。だけど、そうなる可能性が1%でもあるなら、その日が来るときが怖いから、奈江は悩んでいる。付き合うことすら、しない方がいいって、心のどこかで思ってる。
その気持ちをほぐすように、康代は優しく言い続ける。
「今ある状況の中で、どれだけ幸せになる努力ができるか、それを考えたらいいのよ。そういうことを一緒に考えられるお相手なら、お付き合いを前向きに考えてもいいんじゃないかしら」