ステーキをひと口ほおばる。肉のうまみが口の中に広がる。柔らかくておいしい。普段は味気ない食事ばかりしているから、伯母以外の誰かとの食事を楽しめるのは久しぶりで、自分でも気持ちが高揚してるのを感じる。
ああ、そうだ。伯母の家で秋也と夕ごはんをごちそうになったこともあった。あのときも、こんなふうな気持ちだった。彼とは心地よく過ごせるのだと改めて実感する。
「猪川さんもあのアプリ、使ったりするんですか?」
「そうだなぁ。今は必要を感じないからな。開発当初は若かったし、そういうのがあると便利だなとは思ってたよ」
「若いって、いつぐらいに開発を?」
「二十歳ぐらいかな」
「はたち……っ」
目を丸くすると、秋也はおかしそうに声を漏らして笑う。
「俺一人で開発したわけじゃないからさ。大学の教授や同期の仲間、あとはまあ、社長がいたから完成までたどり着けたっていうかさ」
ということは、大学在学中に開発したアプリなのだろう。
「社長さんって、すごい方なんですね」
「そうだな。天才っているんだって思ったよ。早坂さんも、会うときっと驚くよ」
「お会いする機会はないと思いますけど」
「紹介するって言っただろ? 楽しみにしててよ」
紹介してくれるのは、同居人じゃなかったか。
「じゃあ、もしかして……」
「そう、一緒に住んでるの、社長なんだ。彼、大学院卒業したばっかりだから、なかなか出ていってくれないんだよ」
わざとらしく秋也は困り顔を見せる。実のところは、同居人をわずらわしく感じてもいないのだろう。
奈江とは大違いだ。自分はなかなか誰かとは一緒に暮らせない。それがたとえ、血を分けた家族であっても。
「社長さん、お若いんですね」
「年下ではあるよ。まあ、俺が起業したのは在学中だし、あいつならなんてことなく務めるよ」
「大学生で起業ですか? 猪川さんもすごいですね」
「そう? うれしいね。早坂さんに褒めてもらえるなんて。頑張った甲斐があったよ」
奈江の褒めなんて、大した価値はないだろう。そう思うけれど、秋也は純粋にうれしそうにしている。根が素直な人なのだろう。
「猪川さんは努力家なんですね。私も頑張らなきゃって思えます」
「人生はいつだってやり直せるよ。俺はそう思ってる。仕事で大変なことがあるなら、俺がいつでも話聞くよ」
人生はやり直せる、か。そんな言葉はよく聞くけれど、やり直すための時間や労力を考えて、途方に暮れたことは何度もある。
本当にやり直せるだろうか。兄ばかり大事にした母を忘れて、伯母のように達観した人生が、奈江にも送れるのだろうか。わからないから、奈江はずっと立ち止まっている。
「でもそんな、悪いです。そのためにアプリがあるんだし」
「たまには生身の人間と話すのも悪くないよ。俺は早坂さんともっとたくさん話したいしね。また誘ってもいいかな?」
唐突に言われて、奈江はひるむ。
「え……、あ、大丈夫です」
気づいたら、そう言っていた。秋也といると、人生が前に進んでいく。彼がきっと背中を押してくれているから。
「その大丈夫は、どっちの大丈夫?」
「迷惑じゃないって、思ってるんだと思います」
どうしてこんなあいまいな言い方しかできないのだろう。自分が傷つかないために、相手を傷つけてるかもしれない言葉しか言えないのだと、奈江は落ち込んでしまいそうになる。
それでも、秋也がうれしそうに笑むから、彼の前ではどんな言葉もポジティブに変わるんじゃないかと思えてくる。
「早坂さん、佐羽に住んでるんだっけ? 帰りは佐羽まで送るよ。そのときに次の約束するから、心の準備しててほしいな」
秋也は奈江をよくわかっている。すぐに返事がほしいから、前もってそう言ってくれるのだ。そこまでして会いたいと思ってくれてる気持ちの正体はなんなのだろう。
そんなことを考えながら、上品にステーキを平らげていく彼を、どこか別世界にいる人を眺めるような目で、奈江は見つめた。
ああ、そうだ。伯母の家で秋也と夕ごはんをごちそうになったこともあった。あのときも、こんなふうな気持ちだった。彼とは心地よく過ごせるのだと改めて実感する。
「猪川さんもあのアプリ、使ったりするんですか?」
「そうだなぁ。今は必要を感じないからな。開発当初は若かったし、そういうのがあると便利だなとは思ってたよ」
「若いって、いつぐらいに開発を?」
「二十歳ぐらいかな」
「はたち……っ」
目を丸くすると、秋也はおかしそうに声を漏らして笑う。
「俺一人で開発したわけじゃないからさ。大学の教授や同期の仲間、あとはまあ、社長がいたから完成までたどり着けたっていうかさ」
ということは、大学在学中に開発したアプリなのだろう。
「社長さんって、すごい方なんですね」
「そうだな。天才っているんだって思ったよ。早坂さんも、会うときっと驚くよ」
「お会いする機会はないと思いますけど」
「紹介するって言っただろ? 楽しみにしててよ」
紹介してくれるのは、同居人じゃなかったか。
「じゃあ、もしかして……」
「そう、一緒に住んでるの、社長なんだ。彼、大学院卒業したばっかりだから、なかなか出ていってくれないんだよ」
わざとらしく秋也は困り顔を見せる。実のところは、同居人をわずらわしく感じてもいないのだろう。
奈江とは大違いだ。自分はなかなか誰かとは一緒に暮らせない。それがたとえ、血を分けた家族であっても。
「社長さん、お若いんですね」
「年下ではあるよ。まあ、俺が起業したのは在学中だし、あいつならなんてことなく務めるよ」
「大学生で起業ですか? 猪川さんもすごいですね」
「そう? うれしいね。早坂さんに褒めてもらえるなんて。頑張った甲斐があったよ」
奈江の褒めなんて、大した価値はないだろう。そう思うけれど、秋也は純粋にうれしそうにしている。根が素直な人なのだろう。
「猪川さんは努力家なんですね。私も頑張らなきゃって思えます」
「人生はいつだってやり直せるよ。俺はそう思ってる。仕事で大変なことがあるなら、俺がいつでも話聞くよ」
人生はやり直せる、か。そんな言葉はよく聞くけれど、やり直すための時間や労力を考えて、途方に暮れたことは何度もある。
本当にやり直せるだろうか。兄ばかり大事にした母を忘れて、伯母のように達観した人生が、奈江にも送れるのだろうか。わからないから、奈江はずっと立ち止まっている。
「でもそんな、悪いです。そのためにアプリがあるんだし」
「たまには生身の人間と話すのも悪くないよ。俺は早坂さんともっとたくさん話したいしね。また誘ってもいいかな?」
唐突に言われて、奈江はひるむ。
「え……、あ、大丈夫です」
気づいたら、そう言っていた。秋也といると、人生が前に進んでいく。彼がきっと背中を押してくれているから。
「その大丈夫は、どっちの大丈夫?」
「迷惑じゃないって、思ってるんだと思います」
どうしてこんなあいまいな言い方しかできないのだろう。自分が傷つかないために、相手を傷つけてるかもしれない言葉しか言えないのだと、奈江は落ち込んでしまいそうになる。
それでも、秋也がうれしそうに笑むから、彼の前ではどんな言葉もポジティブに変わるんじゃないかと思えてくる。
「早坂さん、佐羽に住んでるんだっけ? 帰りは佐羽まで送るよ。そのときに次の約束するから、心の準備しててほしいな」
秋也は奈江をよくわかっている。すぐに返事がほしいから、前もってそう言ってくれるのだ。そこまでして会いたいと思ってくれてる気持ちの正体はなんなのだろう。
そんなことを考えながら、上品にステーキを平らげていく彼を、どこか別世界にいる人を眺めるような目で、奈江は見つめた。