〜信じるもの〜

 こういうことは、やはり家族に相談するのが一番だと思った。

 だから私は、お兄ちゃんに相談してみることにした。

 「お兄ちゃん、居る?」

 私は、お兄ちゃんの部屋の扉をノックした。

 「陽菜? 珍しいな。俺の部屋に来るのは」

 「少し聞きたいことがあって。今時間ある?」

 「ちょ、ちょっと待ってろ。今片付けるから」

 そんなに焦らなくても、お兄ちゃんは私と違って整理整頓が上手いはずなのに。

 「良いよ。入って」

 しばらくして、お兄ちゃんの声が聞こえた。

 「別に整頓するほど汚くなかったんじゃない?」

 「あはは……。たまたま散らかってたんだよ」

 ふーん。

 お兄ちゃんでも散らかすことあるんだね。

 「あ、言いたいことなんだけど」

 「うん」 

 ️「ねぇ、私って家族と仲が良かった?」

 どう伝えようか迷った挙句、結局ストレートに聞いてしまった。
 
 「急にどうしたんだ?」
 
 「いいから答えて」

 お兄ちゃんなら、本当のことを教えてくれると思った。

 少し、悩んでいるような表情を見せる。
 
 「……正直、あんまり良いとは言えなかったな。だから陽菜、俺たちと一緒に居ようとしなかったじゃん」
 
 確かに、自分から家族を避けていた。

 でも、お兄ちゃんは嘘を付いている。

 「お兄ちゃん……。嘘を付いているでしょ?」

 「は? なんのことだ」

 お兄ちゃんは本当に分からないの?

 それとも、意図的に隠しているの?

 「確かに私は、家族と距離をとっていた。でも、家族に愛されていない訳ではなかった。違う?」

 「何を言っているんだ。そんなわけないだろ」

 なんでお兄ちゃんがそんなことを言うのよ……。
 
 「じゃあ、この手紙を見てよ。これでも私は愛されていなかったって言える?」
 
 お兄ちゃんはその手紙を見て驚いているようだった。
 
 「なんだよ……これ。こんなのデタラメだろ。きっと、陽菜を冷やかす為に書いたんだ。そうに違いない」
 
 「どうしてそんなことを言うの! さっきからお兄ちゃんおかしいよ! 私が好かれているのが、そんなに嫌なの?」
 
 「そんな訳ないだろ! でも、陽菜は愛されているはずがないんだよ!」

 どうして……?

 お兄ちゃんは私のことが嫌いなの?

 だからそんなに、愛されていたことを認めたくないの?
 
 唯一信じていたのに。

 唯一味方だと思っていた人なのに。

 私は、お兄ちゃんに裏切られた気持ちになった。
 
 「そっか……。お兄ちゃんは私のことが嫌いなんだね。だからこんなことを言うんだ」

 「違っ……」

 「違くないでしょ! だったら、どうしてそんなことを言うの! お兄ちゃんは……お兄ちゃんだけは、私の味方だって信じていたのに!」

 何故か、悲しい表情を見せるお兄ちゃん。

 自分から言い出したくせに、どうしてそんな悲しそうな顔をしているの?
 
 私は、完全にお兄ちゃんを信じられなくなっていた。

 「もういい。私に兄なんて居ない。私の家族は、お父さんとお母さん。そして莉子だけ」

 その言葉を残して、私は家を飛び出した。

 だから、その後のお兄ちゃんの言葉を聞けるはずがなかった。
  
 「まただ……。また自分から大切なものを手放してしまった。やっぱりボクは……」

 この時、ちゃんとお兄ちゃんと向き合うべきだったのだろう。

 人は、見えている姿が、言っている言葉が、全て正しいとは言えないのだから。



***



 分からない……。

 誰も信じられない。

 信じていた人たちから次々と裏切られる。

 もう、誰を信じれば良いのか分からない。
 
 だから、誰かの手を借りるわけにはいかない。

 記憶が曖昧な理由は自分で調べることにした。

 記憶には心が関わっていると聞いたことがある。

 それならば、大学で文献を探せば良い。

 そう考えた私は、大学の図書館へと向かった。

 理由が分からないので、ただひたすら、心理学の本を漁る。

 しばらくして、「記憶と心理の関係」と、書かれた文献を見つけた。

 「……これだ」

 その本に手を伸ばし、図書館内にある机に向かう。 

 ページをめくると、難しい言葉がびっしりと並んでいた。

 その時、ある一つの言葉が目に飛び込んできた。

 「……フォールスメモリー?」

 私はそのページを読み進める。

 「フォールスメモリー。直訳すると偽りの記憶という意味。虚偽記憶と呼ばれることもある」

 虚偽記憶……。

 初めて聞いた言葉だった。

 その後に続く説明文に目を通す。 

 「私たちはある出来事を見た後で、実際と異なる情報に接したとき、誤った情報の方を実際に見たと思い込むことがあります。虚偽記憶とは記憶と実際の出来事の間にズレが生じることを指します。これは、記憶の変化のしやすさから起こるもので、ありもしない記憶を強くイメージすることで生まれます」

 「……これだ」

 しっかりとした診断を受けたわけではないけれど、この内容は自分の症状に当てはまっていた。

 確か、家族と仲が悪くなった時期は私が中学生の頃だ。

 しかし、私は虐待を受けていなかった。

 実際に暴力を受けたのは柚葉だった。
 

 私は、柚葉が一番の友達で、そんな人から暴力を振るわれたことがなによりもショックだった。
 
 大切な人に暴力を振るわれたことが、きっと私の中で記憶が変換されて、家族に虐待されていたという記憶を生み出したのだろう。
 
 ちょうどその年はお兄ちゃんの高校受験も控えており、家の空気もピリついていた。
 
 その為、お父さんとお母さんの間にも緊張感が漂っていた。

 きっと、そのことも影響していたのだろう。

 「対処方法は、客観的に『状況確認』をする。『周りの人の確認』を取る……か」
  
 でも、何故かしっくりとこなかった。

 お兄ちゃんにも確認をしてみた。

 恐らくお兄ちゃんは嘘を付いているから、その情報を信じることはできないだろう。
 
 じゃあ、残るは状況確認?

 状況確認とはいっても、何を確認すれば良いのだろう。

 アルバムを見ても、いまいちその時の記憶は思い出せなかった。

 他にも何か勘違いしていることがあるってこと……?
 
 虚偽の記憶……。

 いつもと違う出来事……。

 「……あ。あの、三つの事件」

 この事件が鍵を握っている……?

 「……ウッ」

 え……何。

 誰のものか分からない記憶が一気に流れてきた。

 激しい怒り、悲しみが全身から伝わってきた。
 
 何……この記憶。
 
 私……こんなの知らない。

 それに、意味が分からないくらいリアルだ。
 
 もしかして、これが私が忘れている記憶なの?

 それとも、これも虚偽記憶?
 
 分からない。
 
 こんな記憶、思い出したくない。
 
 でも、これじゃあまるで……!

 「はぁ……。もう、訳分かんない」

 誰も信じられない。
 
 誰も信じたくない。
 
 そもそも、なんで私だけこんな目に遭わないといけないの?
 
 どうして自分だけ辛い目に遭うの?

 こんなの……不公平だ。

 みんな、同じ目に遭っちゃえば良いのに。

 いや、違う。
 
 みんな、誰かに恨まれていたから殺されたんだ。
 
 世界には、まだまだ沢山の悪人が居る。
 
 殺されたのは、その中の数人に過ぎない。
 
 じゃあ……別に気にする必要はないんじゃない?
 
 "悪人は皆、消えてしまえば良いのに"

 そんな思いを最後に、私の意識はそこで途絶えてしまった。