昼休み、人気のない屋上に向かう階段で真島と飯を食う。
「まさか、誘いに乗ってくれるとは思わなかった」
「まぁな」
 スマホで、煉炭自殺と検索をかけて、彼に見せる。
 手に取った彼は軽くスクロールした後、俺に目をやる。
「これが、どうかしたか?」
「え?」
 呆気に取られてしまう。
「いや、どう考えたって変だろ」
「その変って?」
 一番上にスクロールして、指をさす。
「これ、心の健康相談ダイヤルの電話番号。なんで、生を楽しんでいるあいつが、死にたくなってここに電話かけないんだよ」
「生きたいって願うなら、ここに電話をかけるってこと?」
「そう。死にたい奴なら、ここに電話なんてかけないだろ。ほら」
 カウンセラーに相談もしない、と言いかけてやめた。
 放課後真島についていったことも、昼休み担任教師が言っていたこともバレてしまう。
「生きたいやつほど電話をかけそうだ」
 と、言い換えた。
「じゃあ、三島は死にたかったってこと?」
 首を縦に振った。
「その死にたかった理由を探った方がいいと思う。それが自殺の原因なら、探るのも楽な話なんだけどな」
「誰から聞いてく?」
「そうだなぁ。できれば、三島の親とかがいいけど」
「連絡先知らないな」
「クラスメイトにいたらいいけどな。中学一緒とか」
 誰かいるとは思えなかった。
 あまりそういった話を聞いてこなかったから。
「飯尾とか?」と、真島。
 HR委員長の飯尾だ。
 三島も最初の頃は話していた覚えがある。
 飯尾も仲良さそうに話していたし。
「声、かけてみるか?」
 お互いの意見は一致していた。

 放課後に飯尾を呼んだ。
「ごめん、すぐ帰りたいだろうに」
「いや、部活だから」
「マジかよ」
「君みたいにサボり部じゃないから」
「帰宅部と言ってくれ」
 メガネをかけているくせに、清潔感があるのは髪の手入れをちゃんと行っているからなんだろうなと思う。
 軽口を叩いてくるのは、いつもの彼らしい言動だ。
 こんな彼だから、HR委員長になっても信頼されるのだろう。
「部活、いい加減参加したら?」
「面倒臭いんだよ」
 テニス部に入っていたが、今はもうサボっている。
 部活に馴染めなかったと言うより、テニスが楽しくなかった。
 やめたって新しい部活に入る気はないし、他の部活の顧問は厳しいことを知っている。
 なら、今の甘い顧問が一番だろう。
「写真部って、そんな毎日やってんの?」
 真島が、聞く。
 こいつ、写真部だったのかと今更知る。
「週三日。でも、生徒会もあるから。部活がなければ、生徒会がある」
「大変だな。行事が近いと生徒会優先だろ?」
「そうだね。でも、部活は緩いから安心してる。先輩にも生徒会がいるし」
 そこまでして、学校の成績を上げたいのかと感心する。
 興味がなければ、やる気もない俺とは大違いだ。
「それで」
 本題に入ってほしいらしい。
「三島って、中学の時どんなやつだった?」
「ムードメーカーだったよ。僕にはそう見えたね。僕なんかと仲良くなってくれたし、分け隔てなく関わってる感じ」
 それが、どうかしたの?と言いたげだった。
「そうだよな。だから、死ぬ理由がマジでわからなくて」
 真島が言った。
「高校入ってから少し違ったと思う」
「え?」
「なんか、違うっていうか」
「それって?」
 俺が、促す。しかし、彼は口を閉じた。言うつもりはないらしい。
「んー、わかんない。けど、まぁ、そんな気がする」
 濁されてしまってはどうしようもなかった。
「じゃあ、中学の頃、三島を嫌う奴は?」
「いなかったんじゃないかな」
「いなかった?」
 真島が、聞き返した。
 今とは大違いだ。
「最後にいい?三島が死ぬとしたら、理由は?」
「それを聞かれても……。親友ってほど、仲がいいわけじゃなかったから」
「……」
 時間もきついからと彼は教室を出ていった。
 二人きりになった教室。
 日が暮れていく。間宮が自殺未遂を図った頃よりも日がくれる時間が早くなった。
 時間の流れを感じる。
 一ヶ月も時間が過ぎていったんだ。当然だ。
「意味がわからないな」
「……」
 真島は黙っていた。
「あんまり聞くべきじゃなかったかもな」
 中学ではムードメーカー、おそらく、恨むやつもそんなにいなかった。
 そして、高校では少し変わった。
 他に当てがない時点で手詰まりだ。
「これ以上、探ることはできないんじゃないか?」
 真島だって、それ以上手を打つことはできないだろう。
「中学の頃とは違うって、具体的にほしい。何がきっかけで変わってしまったのか」
 それでも探ろうとする真島。
「俺たちの知らないところで変わったってこと?でも、俺たちの前で変わっていく姿なんて見てないだろ」
「そうなんだよなぁ」
 変化があれば、気づける。
 俺も真島も人の変化には敏感だ。
 間宮が、いじめられて危険だと気付いたのは俺だ。
 真島は、そのいじめに乗っかることはなかったし、俺も乗っかったことはない。
 三島が一方的にいじめていた。
「間宮をいじめることになった経緯を探ればいいのか?」
 思えば、間宮が虐められた理由もきっかけも俺は知らない。
「いやでも」
 真島は、渋った。
「それを知れば、三島の姿を理解できるかもしれない。俺たちに見せている姿と他の人に見せている姿は違うかもしれない」
 適任がいた。
「間宮だ。あいつに聞ければいいんじゃないか?」
 閃いた気がした。
 しかし、それでも真島は首を横にふる様子。
「なんで?真島が知りたいって言っただろ?」
「知りたい。だけど、間宮には聞きたくない」
「……真島、それはずるいんじゃないか?」
 人の全貌を知るためには、多少なりとも犠牲はつきものだろう。
「後悔、したくないんだろ?だから、昨日、投げかけてきたんだろ」
「でも……」
「じゃあ、やめるのか?今は、それしか方法がない」
 他に思い当たる人も方法もない。
「できることを一つ一つやっていくしかないだろう?」
 真島の顔に影ができる。
 日が当たらないせいで、どんな表情を見せているのかわからない。
「真島」
 促してみるが、黙ったままだ。
「明日までに考えとけよ。俺も他に案がないか考えてみるけど」
 ため息をついて、教室を出た。
 自分から探ろうと言ったくせに、友達が傷つくことを恐れている。
 これじゃあ、真相を知るにも遅くなってしまいそうだと、思う。
 飯尾の中学と高校では、少し違うの発言。その少しがわかればいいのだが。
 俺と同じでムードメーカーだったあいつが、どうして変わってしまったのか。
 俺みたいにゼロから一を作らず、一のある状態でどれだけ上げられるかを考えるようになったわけじゃない。
 飯尾の場合、三島は、ゼロから一を作っていた。
 でも、どっちかというと一人をいじることで盛り上げた気になっていたタイプだ。それがいじめだと知らずに。
 俺の知る三島と飯尾が知る三島は少し違うみたいだ。
 やはり何がどうしてそうなってしまったのか知りたい。
 間宮に聞いても空回りしてしまいそう。
 飯尾にこれ以上聞いても答えてくれないだろう。
 また少し時間が経ってから聞いたほうがいいのかも知れない。

 バスで帰る。
 病院の通りを見るとそこには、昨日も見たカウンセラーの男性がいた。
 確か名前は相澤裕翔だ。別棟からまた来たのだろうか。
 だとしたら、しつこい人だなと思う。
 それに別棟って言ってたけど、見当たらないぞ?病院の敷地内にないなら別棟ってなんだよ。
 ……え?
 じゃあ、あいつ誰?何者?
 ホラー映画じゃないのだから、やめてほしいくらいだ。
 気にすんな。ホラー映画じゃない限り、殺されないし、死ぬことはない。
 とりあえず、真島に聞いてみる?いや、ちょっと怖いしやめとくか。
 スマホで総合病院について調べる。カウンセラーはいるのかどうか。
 調べる限りいるようだけど、病院に出向いて専属のカウンセラーがいるのか?あぁ、それなら……。
「いや、おかしいだろ」
 思わず声が出た。
 別棟って、じゃあなんだよ。このホームページに書いてないんだけど。
 後をつけよう。
 バスが通るから、帰りは心配ないわけだし。
 付き纏いがなんなのか聞いておけばよかったと後悔した。
 総合病院の一つ奥のバス停で降りる。
 総合病院に到着する。
 木陰に隠れて、相澤が来ないか見張る。他の人にもバレてはいけなくて、何よりここに来るクラスメイト、真島にはバレてはいけない。
 辺りを警戒しながら、見張るがやはり時間が経過しても相澤は来ない。
 やっぱ普通のカウンセラーか。別棟とか言ったけどただの……。
「間宮君!?」
 女子の聞き覚えのある声に思わず目をやる。
 その女子が見やる目の先には、間宮と思わしき男が窓の外に上半身を投げている。
 視界の端に白衣を着た男性がこちらへ歩いている。
 やっぱ、相澤ってカウンセラーじゃなかったのか。
 車のライトに照らされた女子の顔がはっきりと見えた。
 小森茉奈だ。
 確か、一学期の初めから間宮と仲が良かった彼女。
 今、ここで相澤と鉢合わせるのは良くない気がした。
「小森!」
 手を引っ張り相澤の見つからないところまで隠れる。
「西崎!?ちょっと離して!間宮君が!」
「だめだ!落ち着け、声を出すな!」
「なんで!?助けに行かないと!」
「不審者がいるんだ!今は、声を出さず、時間を待つんだ!」
 小森の口を手で押さえて、相澤が出ていくのを待つ。
「なぁ?間宮が自殺未遂した日って確か、間宮とどっかいく予定があったんだよな?」
 小声で尋ねる。真島がそんな話をしていたことを思い出す。
「……そうだけど、関係ないでしょ!」
「あるかもしれない。間宮と合わせちゃいけないやつが、いた」
 相澤が、遠ざかるのが見えて口元から手を離す。
 演劇部に所属の小森茉奈。間宮とは仲がいいらしいけど、最近クラスに顔を出していなかったはず。
「間宮君!」
 彼の病室が見える位置にいくと、そこに間宮はいなかった。
 看護師にでも連れ戻されたか。
 辺りを見渡すと相澤はいなかった。
 ホッとした。
 あいつが誰だか知るべきだと思った。
「ねぇ、不審者って誰?どんな人?」
 小森に聞かれたので、もらった名刺を渡した。
「何これ」
「変だと思ったんだ。この病院、別棟なんてないのにこいつは別棟から来たって言ったんだ」
「こわ」
 ホームページを見せる。別棟の記載もない。
「どういうこと?」
「俺の制服を見て、間宮のことを聞いてきたくらいだ。何も言わなくて正解だった」
 間宮の病室を伝えたことは隠しておいた。
「……それ、間宮君のこと知ってて近づいたってことだよね」
「そうだと思う」
「じゃあ」
「少し、場所を変えない?相澤ってやつが近くにいるかもしれない」
「……確かに」
 誰かに見られている気配を感じたが、見渡しても誰もいない。
 小森はおすすめの店があると紹介してくるので、そこにいくことにした。
「ここのスイーツ美味しいから」
「奢るよ、聞きたいことがあるから、その礼として」
 夏休みにバイトしていたおかげでお金は多少ある。
 プラックコーヒーだけ頼もうか。
 彼女は、奢ると聞いた途端たくさん注文してきたので許せなかった。
 会計の値段を見て目が飛び出そうになった。
「なんだ、この金額」
「奢ってくれるんでしょ?」
「あ、あぁ、もちろん」
 財布からお金を取り出す。
 もうほぼないんだけど。銀行に預けているお金がまだあって良かった。
「ここ、絶対学生が行く店じゃないよな」
「スイーツが美味しい穴場ですよ」
「話をきけ」
「今度、間宮君とも行きたいんだぁ」
「おい」
 こいつ、もしかして三島が死んだ事実を知らないのでは?
 能天気なやつだなと毒づく。
「何さ?」
 言い返そうとして、躊躇った。小森は、仲のいい間宮が自殺未遂を図ってる。自殺という言葉にストレスを感じてしまったら?
「……その量、食えんの?」
「間宮君の前では食べないよ?」
 フォークで大きく分けるとそれをペロリと食べてしまった。一口サイズだったらしい。てっきり、俺にもくれるのかと思った。
「俺の前で食べれるのも変だろ」
「あなたがバラすようなことできないでしょ?間宮君と仲良いわけじゃないし」
 言われてみれば、確かにと思う。
「それで、そのカウンセラーの人?なんなの?なんで、間宮君に会う理由があるの?」
「俺もそれは知りたい。仮説はいくらでも考えられるけど」
 間宮の事情を俺は詳しく知らない。全く出鱈目な仮説だって存在する。
「何か、間宮のこと知らないか?」
「……言わないって、言ったらどうするの?聞いたよ、真島君から。色々、探ってるんでしょ?」
「真島に口止めされたか?」
「されたよ。飯尾君から話を聞いて、うまく行かなかったらしらみつぶしにあたろうって……。警察じゃないんだから、やめてよ」
 やっぱり誰も口を破らない。
 俺を信じてないのか、それとも目を逸らした事実だから触れることも嫌がっているのか。
 スマホを取り出し、煉炭自殺のページを見せる。
「自殺関連は、基本、こんな相談ダイヤルが出てくる。他のやつを調べても基本的にそうだ。少しでも関与してれば出てくる」
 机に置いて、見やすくする。
 彼女は、チラッと見るとつっぱねた。
「三島は、このページを見ていてもおかしくない。煉炭自殺とはいえ、知ってるだけじゃ、使えないからな。狭い部屋とか選ばないと一酸化炭素中毒で死ぬことはできない。このページを開くことが最適解だ。だけど、それは違和感があるんだ」
 無視を決め込んだのか、スイーツを頬張る彼女。
「生きたいと毎日を謳歌するようなやつが、このページを見て電話しないわけないだろ?死にたい奴は、無視するだろうけど。間宮みたいに。あいつは、飛び降り自殺だったんだろ?」
 刹那、動きが止まった彼女は口の中に入っているスイーツを飲み込むとココアを飲む。
「うるさい」
「教えてくれ。三島との関連性がなければ、すぐに手を引く」
「関連性がないわけないでしょ!?」
 机を叩き、睨みを効かす彼女。
 初めてみる激昂した姿に俺は次の言葉を待った。
「三島が間宮君に関わらなければ!!」
 涙目に訴えかける彼女。感情が爆発しないように抑えていたのなら、俺は導火線に火をつけてしまったのだろう。
「散々いじめたくせに!それで、今更関連がないように思う!?真島だって、私は嫌いだ!止めることもできなかったあんな奴!なのに、今じゃ仲良くゲームなんかして!あり得ない!」
「……真島に関わってほしくないなら、俺からいう」
「ふざけないで!!」
 拳を握りしめて、今も睨みを効かす彼女にこれ以上刺激してはいけないと感じた。
 だけど。
「あなたが、もう二度と私たちと関わらないならそれでいいの!これ以上、間宮君を苦しめないで!」
 開いた口から怒りが滲み出ていた。
「苦しめる材料が、俺たちならそれでいい。手を引く。でも、他にあるなら、それを解決しないと根本は変わらない。俺たちに協力させてほしい。罪滅ぼしさせてほしい。もちろん、どんなことでも受け入れる」
 俺は、頭を下げた。
 激昂している相手に頭を下げるのは、火に油だ。しかし、それを消すための土は懇願すること。油には土をかぶせればいいのだから、彼女の求めるものを選ばせる。
 ただ、彼女は、彼女自身で答えを選ばない。一学期に止められなかったのは、真島だけじゃない。彼女自身も止めらなかった一人だ。
 飯尾もみんな、誰も止めなかった。
 そして、間宮の根本の解決は、間宮にしかわからない。
 間宮が、その解決を願うとは思えないけれど。
「……間宮君の家庭、離婚してる」
 頭を上げると涙をボロボロ流しながら、それでもなお睨みつける彼女。
「この相澤って、旧姓だった気がする」
「じゃあ、今の姓は母親のもの?」
「前に教えてくれた」
「相澤は、父親か……」
 伝えてはいけなかった相手に、伝えてしまったのか。
 しかし、三島の自殺の原因につながる気がしない。
「間宮君と関わらせないようになんてあなたができるの?」
「できないと思う。また、相澤が来るかどうかだな。その後で考える」
「今、ちゃんと言って」
「……無理だ。この先も関わってくるかどうかだし。そもそも病院で見た人影は本当に間宮なのかわからないだろ」
 病室の窓が開けられるようにするとは思えない。八階の病室なんて全部窓閉じてあるものじゃないか?
「間宮君は……、またいつ同じことするかわからない……」
 自殺未遂に失敗して、もう一度行うなんて、自殺願望が強い奴だな。
 一度失敗した人は、二度目も同じことをするとは思えないけれど。
 実際にあの人影がそうならば、可能性がないと言い切れない。
「……わかった。考えてみる」
 言ってしまった以上、やるべきだと思った。

 総合病院の木陰になりを潜めるその男に俺と真島は声をかけた。
 日の当たらない木陰は、涼しくて秋を感じさせる。
「もう会えないと思った方がいいですよ、相澤さん」
 ここ数日間、相澤は病院周りにこなかった。
 間宮の面会謝絶を受け、真島と小森以外は会えない状態だった。
 もちろん、カウンセラーを名乗る相澤もそのうちの一人。
「あんたが、間宮に何か言ったんだろ?病院内で自殺未遂なんてこと起きたら病院の問題になりかねないからな。病院側もそれ相応の対応をとるだろう」
 相澤は俺たちに体を向けると不気味な笑みを浮かべた。
「監視していたんですか?」
「友達に頼まれたから」と、真島。
「何を言ったのか知らないけど、これで間宮が死んでも病院側の問題になると思ったんだろう?」
「さっきから何を?」
「カウンセラーでもないくせに、名乗るのは犯罪だったはずだけど?」
「……間宮がどうして、家族と会うことを拒絶するのか知らなかった。だけど、今ならわかる。お前、最低だよ」
 真島の怒りがピークに達してた。
 説得させるのは、難しかった。
 俺たちで間宮の父親を止めるなんて言い出した時は、怒鳴り散らして俺を殴ったくらいだ。
 今もそのアザはある。
 間宮の家庭は、高校一年生に上がる少し前に離婚した。
 姓を変えて間宮へ。高校もその名で通した。
 もちろん、学校はその事情を知っている。
 相澤は、間宮を嫌っていた。二人の兄弟の中の兄であり、パッとしないその兄に空と名付けた。
 その由来をあの日、聞いてしまったという。空っぽだから、空。青空のように澄んでいる空。濁ることもなく、ただ単に何もない。
 全てを聞かされた間宮は、発狂し動きもままならない体で窓の外に身を投げ出したという。
 看護師がそれに気づいて、強引に引っ張り上げた。
 家庭では不必要とされ、学校ではいじめられた。
 彼が自殺を図る最大の理由なのかもしれない。
「どうして、間宮にそこまで執着する?」
 真島が、聞く。
 チラッとみれば、拳を握り感情を抑えている様子。
「あんた、八月の末にも間宮にあったんだろ?家まで特定して、誰もいない時間に乗り込んで」
「……君たちは、何か勘違いしていると思うがね」
「早く答えろ!」
 声を荒げる真島。
 三島のいじめから守ることができなかった自分を責めているようにも見えた。
「答える理由がない」
「もう二度と間宮に会うなと言って会わない質の人じゃないだろ」
 ため息をつく相澤に、前のめりに動く真島の腕を掴んだ。
「こいつは、何を思って間宮にそんなこと言ったのか知るべきだ。じゃないと、対策も取れない」
 小声で言うと、真島は動きを止めた。
 相澤を睨みつける。
 怯むこともないまま、相澤は笑う。
「離婚の原因が、空にあるからだ。あいつは、父親である俺を否定した。離婚は、してはならないこと。なのに、あいつはその原因を作った。死んで当然だ」
「お前!!」
 腕を掴むが振り解く真島は、相澤の胸ぐらを掴み怒声を浴びせる。
「お前のせいで、間宮は自分を否定した!あいつは、いい奴なんだ!あいつを殺したのはお前だ!お前を許していいわけがない!俺はお前を許さない!」
「殺すために、言ったんだけど?え、聞こえなかった?」
 寒気がした。ここにきてとぼけるのか?
 父親が自分勝手に子を殺すなんて。
 もしかすると、間宮は幼少期から否定されて生きてきた。だとするならば、空の由来がたとえ嘘でも彼にとって致命傷になり得る。
 散々否定されて、離婚した今もなお否定される。呪いだ。あいつは、悪魔だ。
 目の前にいる悪魔が、とても恐ろしい存在に思えた。
 間宮からしてみれば、一生の呪い。
 その呪いを断つために自殺。父親の願った通りに死んでいく。
「離してくれない?俺はまだやるべきことがある」
 本性を表した相澤に俺は、何も言えなかった。
 最も簡単に真島から離れた相澤。追いかける真島。
 病院前に人が集まりそうだと予感した。
 腕を掴み離さない。
「真島、やめろ」
「でも」
「これ以上は、人に見られる」
 病院へ目を向けると小さい子も高齢者も寄ってきていた。
 あの悪魔を相手にどう解決法を提示するべきか。今の一手じゃ何も上手くいかなかった。
 場を離れ、近くのコンビニに行った。
「ほい、これ」
 真島が、俺にお茶をくれた。
 彼の手には、水がある。
 コンビニ前に座り、そのお茶を飲んだ。
「ごめん、冷静になれなくて」
「……いや、いい。考えてみれば、一言声をかければ対処できるような相手じゃないよな」
「……恐ろしいな」
 あの悪魔を相手にどう対処していくべきか。
「言葉で解決できない相手、か」
「俺、あの場で初めて本気で殺してやりたいって思った」
 真島の口から思わぬ言葉が飛び出て驚いた。
「何を……言って……」
「俺は、間宮を殺した。友達なのに、助けられなかった。今もまた助けられなかった。あいつに謝って済む話じゃない。解決できることがあるなら、やるべきだと思ってたのに」
「殺す勇気はないのか」
「あるわけないだろ……。どうやって、そんな……」
 調べるのもアリだよなと思う。
 だけど、今そんなことしてしまえば未来はなくなる。
 真島がそんな大胆なことするとは到底思えない。
 打つ術がない。
「また俺は、間宮を助けられないのか」
 彼は、虚な目で俺を見た。
「あの悪魔にどうやって挑むんだよ」
 乾いた声で笑う彼に俺は何か言おうとは思わなかった。
 じゃあ、またと言って帰ることにした。真島が呼び止めることはなかった。

 ※※※

 誰かがついてきている気配を感じる。
 今日の夕方、あの高校生二人に病院で見つけられた時ドキッとした。
 見るからにあの端正な顔立ちの男は喧嘩慣れしていないし、もう一人のパッとしない男は意外にも知的で状況把握が早い。
 そんな二人から問い詰められたとはいえ、奴らに狂気性を感じなかったはずなのに。
 どうして、この気配に奴ら二人の面影を見るのか。
 車から降りてコンビニに向かう。
 人がいて、明かりがあるだけでやはり気持ちは和らぐ。
 やるべきことがある。息子である空を自殺に追い込む。
 あと一歩だった。
 俺を離婚した男性というレッテルを貼った悪魔だ。
 あいつは産むべき男じゃなかった。
 ずっと俺の期待を裏切り続けてきた悪魔だ。
 弟である陸の方が、まともだったし理想的な子どもだった。期待を裏切らない。
 コーヒーを買い、車に戻る。
 温かいコーヒーは気持ちをリラックスさせてくれる。
 次の計画を立てて、あの二人にバレないように動こう。
 病室は危険だ。ならば、退院する頃にまた動くのはどうだろうか。
 病室を思い返してみる。
 机にはパンフレットが置いてあった。
 瞬間記憶という見れば覚えているような優れたものはないが、確かにそれはあった。
 あれは、劇のパンフレットだろうか。
 勉強して良い大学に行けという父親の言うことが聞けなかった空は、芸術に気を逸らしたか。
 本当に悪い子だ。
 ため息が出る。
 しかし、もしもその劇に行くと言うのならチャンスはそのタイミングだ。
 トイレに行くタイミングで、空の心を打ち砕く。
 雷雲の如く荒れるだろう。
 濁りきったその瞳が何を見せてくれるのか楽しみだ。
 赤信号がその先に見える。さっきと違いアクセルを少し強く踏まないと速度が出ていない。
 人が一人か二人乗っている感覚だ。
 まさか、本当に乗っている?
 赤信号で止まり、後部座席をミラーで確認する。
 誰もいない。もう夏は過ぎた。怖い話なんて後でやってくれ。
 青信号を渡った先は、橋だ。大きな川がある。
「違和感に気付いたのなら、ちゃんと確認しないとダメじゃないか」
 聞き覚えのある声にゾッとした。
「誰だ!?」
 叫ぶ刹那、目の前の車が速度を緩めた。赤信号だ。
 事故になってしまう。
 急いでハンドルを切る。ブレーキが踏むのが遅くなりそのまま橋のレールを突き破ってしまう。
 川に沈んだ車体で勢いよく頭をぶつけた。車が川に浸かってしまって、必死に出ようとするが開かない。
 窓を割らないと。
「これがないといけないんだっけな?」
 後部を見る刹那、水が車体に侵入していく。
 早く逃げなければならない。
「お前……」
 呆気に取られていると、その間にも水が入ってきて首元まで達していた。
 早くそれを奪って窓から逃げないといけないと言うのに、体がいうことをきかない。
 川の水が全身を浸かる。息ができなくなって、必死にもがく。
 隣で窓を割る音が聞こえた。
 その男は外に出ようとしてる。かろうじて開いた目で彼の足元を確認し、掴み、引っ掻いた。
 これが俺の最後の抵抗となった。
 悪魔の周りには悪魔がいるものなのかと死に際に思う。
 動けない体は、車と共に沈んでいった。