がやがやと騒がしい屋外に、落ち着いた音楽のかかった喫茶店。
 今日は目隠しではなくサングラスなので、いろんな人間に興味が湧いてしまう。
 けれど、今は目の前のことに集中しなければならない。
  そう。
 黒縁の眼鏡をかけ、前髪をかき上げた男性。
 これから言われる一言が、私のこれからを左右する――


「売れてません」
「ですよねえ」


 とある世界でとある名前でとある物語を出している私ですが、世の中そう簡単に上手くはいかないということで。
 売り上げはないわけではないが、芳しくはないという。
 本が出せるだけいいかもしれませんが、どうせなら売れてくれるといいなと思うのは不思議ではないことでしょう。

 というわけで、今日はその相談に参ったのです。


「最近はどのような作品が盛り上がっているのですか?」
「そうっすねー。やっぱファンタジーは強いです。異世界もの。もしくはラブコメでしょうかね。最近はVtuberものとか」
「ぶいちゅーばー?」
「あ、辰見(たつみ)さんはそういうの疎いんでしたよね」
「そうですね。今日はついでにこれの使い方も教えていただければと思って」
「お! スマホとうとう買ったんですね! よかったー、これで手紙から解放されるー」
「お手数おかけしてすみませんでしたねえ」
「いえいえ、新鮮でしたよ。たまに忘れてたりしましたけど」
「ははは」


 たまに連絡が遅い理由が判明した瞬間だった。
 編集という仕事の詳細はわかりませんが、私だけを担当しているわけではないですし。
 作家と同じで編集も締め切りに追われていることでしょう。
 本を作るとなると多方面とスケジュール調整をしているはずですし。
 なにより、手紙での連絡を強要していたのは私ですし。
 今は文句は言いません。
 今後は言うかもしれませんが。
 そのために、とある場所でスマホを拝借したのですし。


「貸してください。必要な連絡手段用アプリを入れちゃいますね」


 相当めんどうくさかったのでしょうか。
 小説の話しよりも先に済ませるようです。
 ブツブツ何かを言いながら作業する編集者・板口(いたぐち)くん。
 口が寂しいので、コーヒーを飲みながら静かに待つとしましょう。

 ……。


「はい、これでオッケーです」
「ありがとうございます」


 すまーとふぉん(・・・・・・・)が私の手元に帰ってきた。
 まず最初の画面に見慣れない何かが並んでいるのですが、おそらくはこれが、板口くんの入れたあぷり(・・・)というものでしょう。
 レクチャーを受け、練習して、今後はこれを使った連絡が主になるでしょう。


「んじゃ、本題ですね」
「そうですね」


 本題。
 小説のこと。


「最近はネットでも小説を公開している人が多いんすよね。自費出版も増えました」
「ほう。自費出版」
「仲間でありライバルが増えてますよ。埋もれないようにするには、なにか前人受けのものを書いた方が良いかと思います。一発爆発狙いもいいですが、長い目で見たら地道に読者を増やして知名度を挙げつつ、自分の好きなジャンルをねじ込んでいくとか」
「なるほど。それで異世界ものやらぶこめ(・・・・)ですか」
「そうですねー。実際どうです? 恋愛ものとか。ちょっとそういう傾向ありますし。がっつり」


 コーヒーを啜る。
 ……飲み切っていた。


「そうですね……まともな恋愛をしたことがないもので」
「お、ちなみにどんな感じなんですか? 教えてください」


 ただの興味本位だろうと言うのは、顔を見なくても声のはずみでよくわかる。
 二杯目のコーヒーをおごってもらう代わりに、少し記憶を遡ってみた。




――――― ❀ ―――――




 私に纏わり付く女性がいました。
 決して交際しているというわけではありません。
 私にその意思はないのです。
 ただ、その女性は何と言いますか……見栄っ張りと言いますか。
 色々な男をとっかえひっかえしている様でして。
 常に何人かと交際し、スペックが高い人と交換し、同時にスペックが低い人は切るという。
 その人の御眼鏡にかかったということはいいことなのかもしれません。
 けど、私といたしましては、ただただ煩わしいだけでした。

 とある日も、私はとある本を読むために出かけていたというのに、途中でその人と出くわしてしまったのです。


「ご機嫌麗しゅう、殿方様」
「……御機嫌よう、雲ノ宮(くものみや)様」


 一般的ではないとてもセクシーな衣服に身を包み、色香を漂わせることを厭わない堂々たる立ち姿。
 日に当たった肌は反射して、こちらの目が霞んでしまうまでに病的な白い肌をさらけ出す。
 反面、黒く艶やかなストレートの髪。
 負けず劣らずのスラっとした四肢と体躯。
 普通の人ならば、この方に言い寄られたら嬉しいことでしょう。
 実情を知ったとして、それでもいいと思うかもしれない。
 独占するための足掛かりとして、複数の男に混ざる猛者もいるかもしれない。
 私はそんな様子を見て、見るだけで満足と思っていたのでした。
 なぜか、その人の目に留まってしまった。
 なんと不運なことでしょう。


「本日はどちらへ?」
「貴方には関係のないことです」


 そう言っても後ろをついて歩かれることも日常茶飯事。
 文句を言っても「わらわの行く先もこちらなのです」と返される。
 ならば先をどうぞ、と譲って別方向へ行っても、すぐ後ろについてくる。
 撒こうにもなぜかいつの間にか後ろにいる。
 足音を立てず、気配を消して。
 なぜか行く先で待機しているのだ。
 行先がバレているかのように。
 だから、もう、何も言わずにいた。
 今のように車椅子を乗っていたのではなく、普通に徒歩でした。
 むしろ車椅子ではより付き纏われていたかもしれません。


「今日も良いお日柄でございますねえ」
「……」
「こんな日は外でお食事したいですねぇ。きっと、いつもよりもおいしくなることでしょう」
「……」
「いかがですかえ? わらわと一緒にお昼ご飯でも」
「結構です」
「ではお夕食は? 月夜と夜風を楽しみながら温かいものでも」
「結構です」
「つれないお人。とても魅力的でございます」
「……」


 不毛なやり取りに苛立ちはもちろんでした。
 ですが、曲がりなりにもこの方はお嬢様。
 雲ノ宮と言う名前は各方面で名を馳せる大財閥。
 下手に敵に回すと面倒なことになってしまう。
 自分の時間を邪魔されるのは私にとっては耐えがたいことですが、それをわかっているのか、一線を越えることはありませんでした。

 けれど、ある時。
 私はあんなにも警戒していたというのに。

 雲ノ宮の館へ招かれることになったのです。




――――― ❀ ―――――



【依頼票】

 名前: 雲ノ宮(くものみや) (しばり)

 職業: 自営業

 相談内容:


 娘が妊娠したが、誰との子かわからない。
 相手を見繕ってほしい。
 相談はうちで行いたい。
 セキュリティはしっかりしているので、一考してくれ。

【コメント】
 私が問題視している雲ノ宮様のお母上からの依頼。
 あの人は妊娠したうえで私の所に来ていたということか。
 そして相手を見繕ってほしいとは……相手はわかっていないのか?
 断るに断れない相手。





――――― ❀ ―――――





 松の木。
 竹林。
 池。
 蔵。
 鹿威し。
 広すぎる土地に平屋の建物。

 相手の陣地に踏み入るのは嫌だったが、相手が相手では致し方ない。
 この言い訳もそろそろ飽きてきたが、本当にそうなのだから仕方がない。
 家までたどり着き、ここがその敷地だと気付いて早二十分。
 扉を探して壁沿いに歩いていた時間だった。

 門兵だろうか。後ろ手に組んだ屈強な男が二人、私を認識する。


「この度、この館の主である縛様にご招待いただきました、ライターと申します」


 無線機を使って誰かと連絡を取る。
 許可が下りたのか、中から門が開かれ、一人の女中が出てくる。


「ご足労頂きありがとうございます。旦那様の元までご案内させていただきます」


 言われるがまま、後ろをついて歩く。
 縁側。
 障子。
 畳。
 桐ダンス。
 和ダンス。
 着物を着た者たち。
 いつもと違う雰囲気に心が躍るのを感じる。

 そして、障子で仕切られた一室の前で止まり、女中は膝をついて中に合図する。


「お客様をお連れしました」
「入れ」


 スッと横に引かれた障子。
 中には全体的にふっくらとした女性。
 艶のある肌。
 娘よりもやや肉付きの良い四肢。
 短めながらも艶と芯のある髪。
 この娘にしてこの母あり、ということか。
 とても見眼麗しいご婦人だ。

 その隣には、いつもよりも肌の露出が少ない、けれど露出していないわけではない雲ノ宮の娘、(たばね)
 着物の方を大きく開き、華奢な両肩を出している。
 豪華な花をあしらった着物の隙間から、足がスラリと伸びている。
 どんな服装をしていようとも、たとえ親が近くに異様とも、色香を漂わせることには懸念がないようだ。


「失礼します」
「座れ」
「ようこそいらっしゃいました」


 手前に用意された座布団に腰掛ける。
 その瞬間、まるで陣取り合戦の様に、けれどゆったりとした動きで隣に来た束様。
 当然の様に腕を組んできた。
 振り払いたいのを我慢した。
 なんせ、目の前には縛様がいらっしゃる。
 事を荒立てるのは私の今後に関わる。
 それを分かった上での行動だろう。
 勝ち誇った表情が鱗を燻る。


「束」
「……はぁい」


 重い一言が私の身を楽にした。
 親馬鹿ではないのか、と一瞬思うも、確定ではない。
 これからの話に邪魔だっただけということもある。
 当事者だからいるのであろう束様。
 話しをするのに適当な態度で挑んでいただきたい。


「早速、話をさせていただこう」
「はい」
「娘は三人と交際していたらしい」
「はい」
「二人は死に、一人は行方不明だ」
「……はい」
「単刀直入に言う。一人を見つけるか、娘にふさわしい相手を見つけ出してほしい」
「……はあ」


 気の抜けた声が出てしまったのも無理はないと思う。
 突っ込みどころが多かったのだから。
 やはりあの娘にしてこの親ありなのか。
 親も節操なしなのか。
 ……とは、口が滑っても言えないが。


「亡くなったお二人と、行方不明の方について、もう少し情報を頂けますでしょうか」

 縛様は「うぅむ」と、少しばかり悩まし気に唸る。
 束様をちらりと見れば、つまらなそうに髪をくるくると弄っている。
 親の手にも余る子なのか。
 多少の同情を禁じ得ない。
 しかし話していただかないと埒が明かない。
 事情を知るどちらかの口が開くのを待つ。


「死んでしまわれた殿方は、「自分の子である」と強くおっしゃられていました」


 髪を弄っていた手を澄ましたように膝に置き、色っぽい流し目で私を見る。


「それは確信をもっての発言ですか?」
「さあ? もはや亡くなられた方の嘘か誠かを暴く術を、残念ながらわらわは持ち合わせてはございません」
「ご遺体はどちらに?」
「もうご遺族に引き取られましたわ。ご葬儀も終えたと聞いてございます」
「左様でございますか」


 遺体があればフキに声を聞いてもらうこともできたかもしれないのに。
 と言う情報も普通は表に出せない。
 能力を授かるというのはこの世界では御伽噺(おとぎばなし)
 実際に能力を持っていることも、与えることも口にするのはご法度なのです。
 なので普通に、ただただ、適当な返事に努める。


「その方はどのような方なのですか?」
「それは必要な聴取なのですか?」
「必要です。真偽がわからなくても、可能性の高低差は定められます」
「……むぅ」


 なぜか嫌々そうな顔をする。
 どこから出したのか、広げた扇子を口元に当てた。


「名前は芝江(しばえ)。スラっと細身で背の高い殿方でしたわ。前進的で積極的、かつ情熱的な方でした」


 メモ帳に記録し、ちらりと様子を探る。
 束様の表情を一言で言うなら『迷惑そう』。
 芝江様との子であることを望んではいなさそう。
 言葉のわりにあまり好みではなかったのかもしれない。


「芝江様が亡くなったのはいつ頃ですか?」
「先月と聞いています」
「どのようにして?」
「そこまで聞いてはいませんわ」
「……そうですか」


 仮にも交際していたのに?
 どうして亡くなったのか、気にならないと?
 違和感を覚えたが、すぐに考えを改めた。
 この人はそういう人だ。
 他者への興味は一時的。
 相手の気持ちがどうであろうと、自分の気持ちを突き通すことが大事。
 それは良いことでもあるが、恋愛に関してはそうではないだろう。
 それに振り回されているのは私だけではないはず。


「では、最後にお会いしたのは?」
「二カ月前ですわね」
「その時も行為を?」
「いやぁだ、そんなことわざわざ聞かないでくださいまし」
「大事なことですので」
「いやんっ」


 ……話にならない。
 けれど、こういう反応と言うことはあったのだろう。


「その時はどのようなお話を?」
「特に他愛のないお話ですわ。結婚を迫ってくるので、わらわはまだその気はないと突っぱねてやりましたわ」


 またくるくると髪を弄りだした。
 自由気ままな振舞だ。
 結婚の意思がなかったのは本当だろう。
 けれど相手はそうではなかったという。
 下世話な話だが、そういう既成事実を狙った可能性は十二分にある。


「芝江様は口は軽い方でしたか?」
「どうでしょう。わらわといる時はいやに饒舌でしたわ」


 ならば、周辺にも口が軽く、事情も話しているかもしれないな。
 芝江様の意思の推察ができたところで、他にも詰めていきたい。
 調べるにしても事前情報があるかないかでは、調査の仕方も変わってくる。


「もう二人については何かありませんか?」
「もう一人の亡くなった殿方ならとっておきのがありますわよ」


 それは早く言ってくれ。
 大きな目をこれでもかと見開き、さっきまでの憂いの表情はどこ行ったのか聞きたくなるほどに楽しそうな顔を向ける。
 四つん這いで胸元が開くのもお構いなしに、私の肩口に手を乗せ、耳に口を寄せる。


「あの方、自殺したんですの」


 ……それは確かにとっておきだ。


「束」
「もう、けちっ」


 諫められた娘はすぐに離れ、足を崩して座った。


「自殺については何か伺っていますか?」
「伺うも何も、良く知っていますわよ。彼、影島(かげとう)はわらわの上で亡くなったんですもの」
「束様の、上?」
「そう。わらわと重なって。コトが済んだ瞬間に事切れてしまいましたわ」


 ……うん、まあ。
 腹上死って本当にあるんだなあと。
 事実は小説より奇なり。
 まさにこのことか。
 ……いやいやいや。


影島(かげとう)と致したのはその日が最初で最後ですの。それまではただお出かけするだけでしたわ」
「なにか気になることとか言っていませんでしたか?」
「わらわはあの方の見た目が好きでしたの。話さないし、話してもつまらないし。その日もソレが終われば切ろうと思ってましたのよ」
「では、芝江様のように結婚を迫ったりなどは」
「ありませんでしたわ。これっぽっちも」


 付け加えて「わらわもお断りですけどねー」と負け惜しみのようなことを言う。


「ご遺体は数日後に処理(・・)されましたわ」


 不誠実な付き合い方の末路がこれか。
 いや、影島様としては誠実に付き合っていたかもしれない。
 けれど相手が悪い。
 相手が不誠実とは真反対に存在している。
 それを知っていたのかすらわからないが、変なのに掴まってしまったことは気の毒に思う。
 現状、私も人のことは言えない。
 笑えない。

 それはそれとして。
 二人のどちらかと言えば、芝江様の方が可能性は高い。
 けれど影島様の可能性がないとも言えない。
 どちらにしろ、亡くなっているので本人からの情報はない。


「お二方のご親族はどちらに?」


 そう聞くのは不思議ではないだろう。
 けれど。
 なぜか。
 束様は今までで一番、口を三日月の様にして笑う。


「いらっしゃいませんわぁ」
「いない……?」
「ええ」
「いないとは、どういう……」
「ふふふ」


 意味深な笑いで場を濁される。
 微かに腹の虫が鳴き声を上げかけた。
 低く、重圧のかかる声が、鳴くのを制した。


「我が娘に手を出しておいて、当人だけでなく一族諸共無事であるはずが無かろう」


 部屋が一際狭く。
 天井が一段低く。
 また、重力が一層強まった錯覚を覚えた。

 母親、そして権力者の一言。
 固唾を飲み込み、逡巡する。


「娘さんを誑かしたのですから、親としては気が気じゃないですものね」


 あくまで『悪いのは向こう』である、そう認識している。
 そう伝えることで味方であることを主張した。
 背中に何かが伝う。
 生え際がひんやりとする。
 重圧の変化を感じても、私自身の水分は蒸発していく。


「マーマ」
「む」


 一瞬にして、空気が軽くなった。
 息ができる。
 体を動かせる。


「んもう。お茶を持ってこさせます」


 この親にしてこの子、というのは逆もしかりのようだ。
 束様は障子を開き、女中を呼ぶ。
 空けた時に空気が入ってきて、体が酸素を取り入れることができた。
 背中に空気が通ってより冷える。


「お待たせいたしました」


 女中が持ってきたお茶を、遠慮なしに飲んだ。
 砂場に垂らした水がじわりと浸みていく。
 味わっているうちに、頭まで登った血が落ち着いてきてたのがわかる。


「では、行方不明の方については」


 同じようにお茶を飲む束様を見やる。
 上品に両手で持って口を小さく開いている姿は素直に絵になると思った。
 音も立てずに湯呑を傾け、喉を動かし、飲みこむ。
 涼やかな目が私を見た。


「名前は紡久地(つむくじ)。とろくてノロくてなよなよして、変な匂いと雰囲気がする殿方です」


 本題ではないが、気になることがあるので聞いておきたい。


「どうしてそのような方と付き合いされたのですか?」
「見かけた時、変な匂いが妙に癖になってしまって。最初はこっそり跡をつけてみたんですの。そしたら、あまりにもノロくて追いついてしまって。距離が近づくにつれて匂いも濃くなって……あぁ、もう一度嗅ぎたい……あの変な匂い」


 ぺろ、と、赤い舌が白い肌の上に乗る。
 話し始めてからほんのり色づいた頬と、血色のいい唇。
 何を想像しているのか、斜め上に向けられた目線。
 一転。
 鳥肌が立ちそうだ。


「フェロモン、というものかもしれませんね」
「そうですわね。あんなに心がときめいてしまったの、初めてですわ」
「……これは確認事項ですが、紡久地様とそういう行為はあったのですよね?」
「ありましたわ。それはもう何度も」
「束様としては、紡久地様がお腹の子の父親であることを――」
「望みませんわ」
「……そうですか」


 被せ気味に来た返答。
 てっきり望むものと思っていた。
 三人の中で特にというか唯一好感を持っているようだし、なにより存命の可能性がある。

 ……そういえば。
 質問の内容は『相手を見繕ってほしい』ということだった。


「今挙げていただいた三人が父親でなくても良いと?」


 聞くと。
 二人は親子そっくりな笑い方をした。
 口角が上がりすぎて皺が寄り。
 口と逆向きに弧を描く目。
 障子から日が射しているのに、顔には異様な影が射す。
 二人の背後は……なぜか、なにかが蠢いているように見えた。

 その日は身に何かが降りかかることもなくその場を後にした。
 後日。
 調査結果を持って再度訪れることになった。





――――― ❀ ―――――




 【調査票①】

 名前: 芝江(しばえ)

 職業: 不明

 依頼主: §§ 様

 調査内容:

 §§様の関係を持つ。
 種族は蠅。
 故人。
 死因や直前の体調については不明。
「自分の子である」と主張していたと。
 積極的で§§様と婚姻を結ぶことを望んでいた。
 子を成したことで強引に婚姻しようとしたか?





 ―――――……





 【調査票②】

 名前: 影島(かげとう)

 職業: 不明

 依頼主: §§ 様

 調査内容:

 §§様の関係を持つ。
 種族は蜻蛉。
 故人。
 関係を持ったのは一度きり。
 その時に亡くなっている。
 死因はこちらも不明。





 ―――――……





 【調査票③】

 名前: 紡久地(つむくじ)

 職業: 不明

 依頼主: §§ 様

 調査内容:

 §§様の関係を持つ。
 種族は蝸牛。
 現在行方不明。
 身内の方に話を聞くも「私たちは連れ合わない」と。
 性格としてはどこか遠くには行かず、地元に住み着いているだろうと。
 §§様が唯一好感を持っていそうだが、伴侶としては微妙なところ?





――――― ❀ ―――――




 調査をしたはいいが、正直なところ「これがなんになる」と言った内容だ。
 すでに死んでいる者の情報をまとめ。
 行方不明者の特徴をまとめ。
 推察なんてする余地もない。
 何より、雲ノ宮様は「父親が誰か」を知りたいわけではないのだ。
『束様の夫にふさわしい者を見つけ出せ』という依頼だ。
 この調査は無駄に等しい。
 死んだ後では夫になれないし。
 行方不明では夫の資格はあるのか疑問だし。

 本日は『どの人物も父親には適さない可能性が高い』という報告だけだ。
 あくまで、可能性。
 決めるのはお二方だ。
 ご本人方が納得したうえでこの三人のうち誰かとするならそれでよし。
 そうでないなら、私が適当な相手を見繕うだけのこと。
 少なくとも、希望を聞いたところで、その希望を叶えられはしない。
 敢えて自分から振るのは危険行為だ。
 話しの主導権を握らなければならない。


「ご無沙汰しております」
「うむ。やけに多い荷物だな」
「申し訳ございません」
「構わん」


 同じ部屋に通された。
 お二方とも変わった様子はなく、以前とそう変わらない装いだった。

 調査報告書を手渡し、さっそく本題とする。


「お三方についての調査を行いましたが、束様のご意向を考えましても、伴侶とされるのは適さないと考えます。でしたらいかがでしょう。私がお相手を見繕いますが」
「ふん」


 報告書が置かれる。
 いや。
 畳の上に放り投げられる。
 一応、それなりの努力をして仕上げた報告書だ。
 そのような扱いをされるのは心外というもの。
 目隠し越しの眼が吊り上がる。
 けれど表情には出さずに黙り込む。


「束」
「わらわはもう、添い遂げたい殿方を決めているのです」


 四つん這いで距離を詰めてくる。
 親の眼前だというのに……という文句はこの人には通じないだろう。
 膝に手が乗る。
 膝に乗せていた手に手が重なる。
 肩に頭が添えられ。
 反対の肩に、後ろから手が回される。


「わらわの旦那様になってくださいまし」


 そう来ると思っていた。


「申し訳ございません」
「なぜ?」
「私は束様を異性として好いてはおりません」
「これからわらわのことを知ってくだされば、きっと好きになってくださいます」
「確証はありません。また、私には子育てというものも出来ません」
「みんな子育てはハジメテです。一緒に頑張りましょう?」
「いえ、やろうと思えないのです。やる気がない者が命を育てるなど、命に失礼でしょう」
「可愛い赤子を見たら変わるのではないですか?」
「それもまた、確証がないでしょう。子を作った責任があるわけでも、子育てが好きでも、やりたいわけでもなにのに。無責任に夫になることなどできません」
「もう、そんなこと言って……







 ――逃がしませんわよ」


 ――覆い被さってきた。

 なるほど、女に襲われるとはこういう光景か。
 何とも言えず、感想が出てこない。
 心は踊らず、肌は立たず、気も振るわん。
 さっきまでの恐怖とは雲泥の差で詰まらんものだ。


「わらわの旦那様になっていただけません?」
「何度でも申し上げます。無理です」
「そうすればわらわの悩みは解決します。ハッピーエンドですのよ」
「残念ながら、それはできませんね」
「……これはこれは。説得には時間がかかりそうですわ」
「もったいないですので別の方へ行かれては」
「いやです」
「なぜです」
「貴方は特別なお方だからです」


 特別……。
 私が『龍』ということは表立っては言っていない。
 私は『鹿』ということになっているはず。
 何をもって特別というのか。
 内容によっては……雲ノ宮家を失くしてしまわないといけない。
『龍』とはそれだけ高貴で、気高くて、いるのかいないのか不明瞭にしておかなければならない。
 能力を与えることについても、それを求めて競い合い、騙し合い、貶し合うことになってしまう。
 それでは世界が壊れ、つまらなくなってしまう。
 特別長命な『伝説』にとって世界がつまらないというのは死活問題。
 そうはならないよう、ある意味『伝説(私たち)』はいかにうまく隠せるかを楽しんでいるのだ。
 そして、それが『()』や同じ『伝説』と云われる者の定めなのだ。

 ――なので。
 私が『龍』とされるのは、世界のため、雲ノ宮様のため、ひいては私のためにならない。


「特別とは何のことでしょう?」


 返答次第では、真っ先に頭を飲み込むこととしよう。


「貴方のようなスマートで、律儀で、切れ者で、清潔感があって、逞しくて……完璧という言葉では足りないぐらいに満ち足りている御方は初めてです」
「どうも」
「そんな貴方なら、わらわの夫として永く添い遂げてくれることでしょう。寂しいのは嫌。ずっとずっと、一緒にいてくださいまし」


 覆い被されら、ふうと息を吐く。
 一先ず、この人を食らう必要はなさそうだ。
 けれどこの状況はよろしくない。
 今まさに、目線をずらせば母の縛様がいらっしゃるというのに。
 というか、この状況になる前に縛様もどうにかしてほしいのだが。


「やれやれ。束はこれと言ったら聞きませんね」


 許容してくれるな。
 目隠し越しに縛様を睨む。

 ――嫌な予感がした。


「【縛】」


 指を二本たて、反響したような、何重か重なった声が部屋中に轟いた。
 風景を歪ませる細く見えない糸が私に絡みつく。
 決して締め上げるわけでも、まして息の根を止めようとするわけでもなく。
 ただ巻き付いて、吸い込まれるようにして、拘束感を残して消えた。


「ふふ」
「何をされたのですか?」


 確実に知っている顔の束様が不敵に笑う。
 多少強引に体を起こし、縛様に問うた。


「ライター。お主はこの家から出られない。我が能力【縛】はお主に絡みついた」
「【縛】……」


 縛様は【能力(able)】を授けられていたのですね。
 雲ノ宮家、雲、蜘蛛。
 強欲の眷属ということは、主はゴブリン。
 後先を考えない適当な奴だ。
 けれど『伝説』の矜持はわかっているようで、どこにいるやもなにをしているやも知れない。
能力(able)】を手に入れたのは最近か遠い日のことか。
 それすらもわからない。


「束、あとはあなた次第です」
「はぁい。ありがとう、ママ」


 縛様は片膝を立て、重い腰を上げた。
 今まさに客人が襲われようとしているのに。
 今まさに、娘が男を押し倒しているというのに。


「ママも歓迎してますよ」


 ああ、ね。
 共犯ね。

 ふすまが音を立てずに閉められる。
 ご丁寧に、雨戸を閉めて薄暗くされた。
 組み敷かれたまま放置。
 視界一杯に広がる白い肌。
 金色の眼が妖しく光る。
 はあ、と息を漏らした。
 ちらりと見えた口の中は糸を引いていて、興奮状態であることを物語る。


「はぁ」


 とついたのは私で、吐息ではなく溜息。


「あら、美女を目の前にして溜息なんて、失礼な方」
「組み敷く方が失礼と思いますが」
「ご褒美ととられる方が多いのですよ」
「私には拷問ですね」
「本当失礼」
「すみません」


 目隠しをずらす。
 眉根が上がったままの眼が景色を鮮明に映す。
 ぼやけていた束様は、蜘蛛のように目が複数あり、肌の色と似た牙が上下に大きく伸びている。


「ひっ」


 何かを見た束様は怯んだ。
 その隙に体を起き上げ、相手を倒す。
 押し倒すほどの下品さは持ち合わせていないので私だけは立ち上がる。


「私に蜘蛛を食す趣味はありません」


 後ろ向きで言い放ち、持ってきた荷物を探る。
 ファスナーを空けた瞬間に飛び出してきた、二つの頭。


「静かに」
「はい!」
「……」


 大きい返事をしたフキと、猿轡越しに口を押えるユズ。
 首根っこを掴んで持ち上げる。
 壁に寄りかかって胡坐をかき、両腿にそれぞれを乗せる。


「そのお子らは……」
「ふたりとも、外して」


 耳当てと猿轡が外された。
 途端に響く甲高い子どもの声。


「だれかだれかだれかわらわをあいしてささえておねがいひとりにしないでだれかあいしてしてあいしてすきといってどこにもいかないでだれかわらわをあいしてささえておねがいここにいてあいしてたすけておねがいだれかわらわをあいして」
「「…………」」
「おねがいここにいてひとりにしないであいしてたすけておねがいだれかわらわをあいしてだれかだれかだれかわらわをあいしてささえておねがいだれかあいしてすきといってどこにもいかないでだれかわらわをあいしてささえて」
「「…………」」
「やだやだひとりはいややだやだやだひとりじゃむりだれかたすけてわたしをあいしてわたしだけをあいしてどこにもいかないでわらわをあまやかしてすきといってたすけて」
「「………………」」
「あーーーーああーーーーーーーああーーーーーーーーーーあーーーやめていわないでおねがいやだやだひとりはいやああああーーーーーーーやだやだやだたすけてわらわをわらわをわららあらららららららああららららららら」
「なにもきこえない。せんせ、あかちゃん、いないよ」
「へ……?」


 はっきりとした口調の呟きが部屋を満たす。
 猿耳二人の顔は真顔なのに、口だけがぽっかりと開いて、さらには目が虚ろの状態で。
 異様。
 そうとしか言えない状況。
 絶叫ではないのがまた異質。
 束様は腰を抜かした状態で怯えの色を顔に出し、青白い肌はよりむしろ青く変色する。

 二つの頭に手を乗せれば、ぽっかりと開いた口は一本に結ばれる。
 静けさに違和感を覚える。
 決して耳障りだったわけではない。
 耳を塞ぐほどの大声ではない。
 けれど、音があり続けた状況からの無音は、違和感でしかなかった。


「な……なんですの……?」


 そうなるのも不思議なことではない。
 むしろ普通のこと。


「この子たちの【能力(able)】です。貴方の声と、周辺の声」
「こえ……?」
「貴方の本心です。心にしまい込んだ本音。そしてもう一つは、貴方に宿っていたと思われた命の声を聞こうと思ったのですがね。どうやらいらっしゃらないようです」
「それ、て」
「察するに、貴方、想像妊娠ですね」


 妊娠を強く望む、もしくは望まないときに起こりうる『想像妊娠』。
 どちらも強く意識していたからこそ起こりうる事象。
 束様は妊娠を望んでいたのか、望んでいなかったのか。
 それは実際どちらでもいい。
 どちらにしても『いない』のならば私という夫兼父親候補も必要ない。


「貴方は愛されたかった。独りぼっちになりたくない。けれど蜘蛛という性質上、男を食い殺す運命にある。そして強欲の眷属という特徴から、本能へ抗うことは難しいでしょう」
「……そんな、まさか。わらわはその辺りの判別もできないと?」
「そう言っています。私は貴方を詳しく知っているわけではない。ただ種族としてそう(・・)だと言っています」
「本当、ひどいお方」
「なんとでも。どちらにしろ、つまりその結論から、あなたは私を食べようとしている」
「っ」


能力(able)】を使ってぐったりしている一匹をカバンの付近に座らせる。
 その一匹に寄り添うようにもう一匹が座った。
 まだ腰を抜かしたままの束様に近寄って目線を合わせる。


「私では貴方の好意に答えることはできません」
「なぜですの?」
「先ほども申しました通り、私は貴方を好きではないからです。何者も好きになることはないでしょう。私が好いているのは生き物ではないのです」
「そんなの……わからないじゃありませんの」
「ええ、わかりません。私があなたを好きになるかもしれない。好きにならないかもしれない。断言できるのは、今。今、私は、貴方のことを好きではないということ。愛情がない状態から生涯を共にするのは困難でしょう。のちに必ず悲しみが待っています」
「けれど……けれど、わらわは欲しいのです。添い遂げてくれる方が。わらわの牙に負けない、強い殿方が」
「決して体が強くなくてはいけないというわけではないでしょう?」
「……え……?」
「例え貴方の牙が向いたとしても、それに耐えられればいい。そう考えるのはわかります。けれど、束様も何かしらの策を練るべきかと。相手に頼りすぎるのではなく、貴方自身も、牙と戦うのです」
「わらわ……が」
「そうです。貴方が加減で切れば、耐えられるかも増えるやもしれません。貴方が好きと思い、貴方のことを好きだと思っている人が、牙に耐えられるかもしれません」


 束様は俯いてしまった。
 体に感じていた拘束感がなくなった。
 これはつまり、束様に私をこの場に留めておく必要性を感じなくなったということだろう。
 そしてもう一つ。
 誰かを思い出しているのかもしれない。
 死んだ二人か、行方不明の一人か。

 静かに立ち上がった。
 踵を返し、一匹を抱え、一匹が肩に乗る。
 すっかり軽くなった荷物を持つ。
 襖を開け、廊下から部屋を振り返った。


「ハッピーエンドは、すぐそこですよ」


「おや。お帰りか」


 待っていたのだろうか。
 部屋を出た最初の角で縛様と出くわした。
 杖を突き、黒い着物をすらりと着こなし、恐れに似た気品を漂わせる。


「ええ。束様にはご納得いただきましたので」
「ほお。あの強情な願いを打ち砕くとは。なにをした? その猿か?」
「ええ、まあ。同じこと(・・・・)をやったまでです」


 貴方と(・・・)


「貴方はどこまでわかっておられたのですか?」
「はて、なんのことか」


 束様と同じ複数の金色の眼が私や猿たちを見遣る。
 探っているのか。
 値踏みか。
 訝しみか。
 貴方が強引にも【能力(able)】を使って私を留めたのだ。
 ならば私も、私のできる手を使って強引に抜け出しても文句はあるまい。
 私の時間を縛り付けたことは、これで勘弁してあげましょう。

 眼のギョロめきが収まらぬうちに、縛様の横を失礼する。
 ……ああ、一つ、言っておかなければならないことがある。


「お互い、余計なことは言わないようにいたしましょう」
「……そうさな」


 理解力があって助かる。
 言っても面倒になるのがわかることは言わないでおきましょう。
 本来なら御伽噺のこと。
 欲しがるものは大勢いるだろう。
 ソレ(・・)を狙って何をしてくるかわからない。
 何をしてこようと自由だが。
 私は私の時間を奪われることを良しとしない。
 何かをしてきた者と、何かをさせる手引きをした者を。
 私は決して許しはしない。


「『幸せ本舗・ハッピーエンド』をご利用いただきありがとうございました。皆様に幸福のあらしが吹き荒れますよう、全身全霊を持ってお祈りさせていただきます」





 ―――――……





「っていうことがありましたね」
「えっ、終わり!?」


 四杯目のコーヒーを飲み切った。
 すっかり冷めてしまったが、それはそれで美味しいものだ。
 板口くんも六杯目の何かを飲み切った。


「それ、お嬢さんはどうしたんすか?」
「さあ。私はその後のことは聞いておりませんし、聞かされてもおりません」
「んじゃあ、まだ男漁りしているかもしれないと?」
「そうですねぇ」
「でも、もしかしたら男漁りをやめてるかもしれないと」
「それもそうですねぇ」
「うわああああああなんだそれもやもやするうううううう!!」


 喫茶店の中で大声を出すのはやめていただきたい。
 外を見るふりして空のマグカップを傾ける。
 テーブルの下で足を蹴ってようやく落ち着いた。


「まあ、つまりは、辰見さんは変な恋愛騒動に巻き込まれた、ってことっすか」
「そういうことです。もうあんな面倒なものはコリゴリです」
「辰見さんモテそうなのに。まあ、子猿たちも上手くやれているのならよかったです」


 片手をあげて店員を呼んだ。
 コーヒー五杯目と、板口君の飲み物、そして甘味を注文した。
 騒がしたお詫びということで、私の分も追加した。


「フキもユズも会いたがっていましたよ」
「お、嬉しいねぇ。今度顔出させてくださいよ」
「私へのいい報告があれば、ですね」
「それは……」


 飄々とした顔が曇る。
 板口くんはイタチであり、憤怒の眷属。
 つまりは私の協力者。
 人間の世界に潜み、私の願いのために活動してもらっている。


「ま、売り上げに関して以外の報告はのんびりでいいです。もう一つは私に実害はない話ですので」
「つめたぁ……。可哀想になっちゃう」
「ふふふ。伝説は誰にも肩入れしないのです。せいぜい眷属についてだけです」


 その件(・・・)はもとより長期的な計画だ。
 すぐに見つかってしまうとは思っていない。
 ゆったり、のんびり、千年は見積もっておきましょうか。




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