あまり鳴らない僕のスマホが電話の着信を告げたのは、その直後のことだった。
「ん? アキト、なんか鳴ってるぞ」と清志が教えてくれなかったら、音は駅前の喧騒にかき消されて気付かなかっただろう。
 画面には、田曽井の名が表示されていた。
「もしもし」
『もしもし、城谷か』
「うん」
『遅くに、わりぃな。仕事おわってるのにな。ちょっと頼まれてくれねえか』
 こんな時間に珍しいなと僕は思った。
「頼み……仕事のことか?」
『ああ、城谷、明日は休みだったよな』
「うん、そうだよ」
 僕の心臓がどくんと波打った。その先に続く言葉が、容易に想像できたからだ。
『実は、俺の親戚に急に不幸があったみたいで、葬式に行かなきゃならねえみたいなんだ。明日なんだが、俺の勤務を変わってくれないか』
 すぐには返事が出来なかった。よりによって明日。里菜とちゃんと話をすると心に決めて、清志にも激励されて、万全の準備を整えた。その直後に……。
『すまない、都合悪かったか』
 田曽井は、僕がすぐに返事をしなかったことを気にかけたようだ。僕は、ああ……ともうう……ともとれない言葉にならない呻きをもらした。不思議そうな顔で清志が僕のことを見た気配がした。
『無理なら他のヤツにたの……』
「わかった。変わるよ」
 田曽井の言葉を遮って、僕は答えた。半ばやけくそだった。コーヒーの件で田曽井には借りがある。その後ろめたさも手伝っていた。
『おい、本当にいいのか』
「なんだよ、頼んできたのはそっちなんだから尻込みするなよ。僕は大丈夫だから。気にせず休めよ」
『……わかった。ありがとう、恩に着る。じゃあな』
 通話が切れる。僕はふうっと息を吐いて、清志に眼差しを向けた。
「同僚の親戚が亡くなったらしくて、明日葬式なんだ。仕事を変わってくれっていわれた」
「おい、じゃあ……」
「里菜との話し合いは延期だ」
 清志はなんとも言えない表情になった。僕も同じだ。こうやって、ちゃんと覚悟を決めて準備したときに限って、水を差すような出来事が起きるのだ。
 ただ、今回のことは誰も悪くはない。仕方のないこと。里菜との話し合いはいつでもできるけれど、田曽井の親戚の葬儀は、明日にしかできないのだ。
 田曽井はたぶん、すごく気を遣って、それでも僕を頼ってきてくれたのだ。僕がいま、それに応えてあげないでどうする。

 なんだか気まずい雰囲気のまま、清志とは別れた。家に着いてから、里菜に電話をかける。呼び出し音が延々と鳴るだけで、彼女が通話口にでることはなかった。

『ごめん 里菜 あした急に出勤しなきゃいけなくなった
話し合いは、また改めてしよう。ごめんな』

 里菜にメッセージを送り、風呂に入る。そのあと僕はすぐに、明日に備えて寝床についた。
 朝になっても、里菜から返事がくることはなかった。ただ、僕の送ったメッセージは読まれている。無言の圧力。——だけど、ひとこと返事くらいよこせよ。僕が悪かったとしても。