「キヨ。僕、明日里菜と話すよ。いろいろありがとうな」
「オレは別になにもしてねえけど。まあ、頑張れよ。なにがあっても、オマエにはオレがついてるからな!」
 満面の笑みを浮かべて、清志はそう言った。決戦前夜、といえば大袈裟だろうか。僕は自分の気持ちを落ち着けたくて、仕事帰りに清志を食事に誘ったのだ。
 清志は「アキトがオレを急に誘うなんて珍しいな」と驚いていたが、指定した居酒屋にすぐに来てくれた。酒を飲む人たちが集まる店だというのに、僕も清志もソフトドリンクを注文し、何品かの料理を囲んで乾杯する。こういうとき、居酒屋にきておいて酒を頼まずに、料理ばかりをいくつも所望する客のことを、店員はどう思うんだろうという疑問が頭に浮かぶ。
「んあっ? 別にいいじゃねえか。飲みものも食いものもしっかり頼んでるんだから。オマエはいちいち気にしすぎなんだよ」とは、あきれたように苦笑する清志の言い分だった。
「話し合いがうまくいかなくて、アキトが女に殺されそうになったら、オレを呼べよ! すぐに駆けつけてやるから! あっ、なんだったら隣の部屋に隠れておいてやろうか?」
 ギャハハハと、清志は大きな声で笑う。洒落でもないことを言うなよとたしなめたが、清志は枝豆を次々と口に放り込んで、咀嚼していた。
「まあそんなこと、普通なら起こるわけないよ。僕だって男なんだから、いざとなったら抵抗くらいはできるだろうし」
 胡椒の風味が強い唐揚げを囓る。さっきテーブルに置かれたばかりなのに、もう衣が冷めているそれは、油がギトギトしていて、保存状態の悪い冷凍食品のような味がした。
「まあジョーダンはともかく、話し合いがうまくいくといいな!」
 清志の箸が唐揚げに伸びてきて、一口で頬張った。咀嚼が一瞬止まり、顔をしかめたように見えたが、僕はなにも突っ込まなかった。
「キヨは、例のことを人に話したのは、僕が初めてなの?」
「ああ。オレが人を好きになったのは、オマエが初めてだったからな」
 緑茶が気管に入って、僕は盛大にむせ込んだ。周りは酒呑みたちの騒ぐ声で非常に賑やかだったが、誰に話を聞かれているかもわからないから、声を潜めたというのに、清志はあっけらかんとそれまでと同じ声量で言ったからだ。
 僕に気持ちを打ち明けたとき、彼の中でなにかが吹っ切れたのだろうか。
「アキトはかわいいしかっこいいし、性格もいいし顔もいいし、体格もいいし、ほぼパーフェクトだなっ!」
「……やめろよ」
 僕は自分の顔が火照るのを感じた。照れを隠すために、決して美味しいとはいえない唐揚げを掴み、口の中に放り込む。
「キヨ、里菜と似たようなことを言ってるよ」
「でもオレはオマエに暴力は振るわねえぞ」
 なにを対抗しているのかと、可笑しくなる。二人のグラスが空になりそうなので、店員に声をかけ、ドリンクのお代わりを頼む。
 初めて入った居酒屋だから、店の評判なんて知らなかったけれど、ここはドリンクと厚焼き卵だけが美味い店だった。
「清志、なんかごめんな」
「ん? なにがだよ」
「あんまり美味くなかったよな、ここ」
「んなことねえよ。オマエと一緒にいられたら、不味い飯でも美味く感じるよ」
 気持ちを曝け出すことを憚らなくなった清志は、こういうことをストレートに言ってくるものだから、僕は心がドキドキしっぱなしだった。素直な性格の人は、言葉を直球で投げてくるのが得意だ。くねくねと湾曲して伝わる言葉よりもずっと、感情をぶち抜いてくる。
「どんな結果になっても、すぐにオレに教えろよなっ!」
 清志の鋭い張り手が、僕の背中を打つ。リングに向かうボクサーが、セコンドに活を入れられるアレとよく似ていた。
 清志からすれば、僕はさながら闘いに挑む挑戦者といったところか。なにに挑戦するというのだろう。僕はただ、自分の彼女とこれからのことの話し合いをするだけなのだ。