「アキトさん、西野さんと別れたってマジっすか」
 社員食堂で唐突に相良に聞かれたとき、僕は思わず口に含んでいたお茶を彼の顔面めがけて吹き出しそうになった。慌てて飲み下し、げほげほとむせ込む僕に「大丈夫っすか」と尋ねてくる。それは、むせていることに対する大丈夫なのか、里菜との関係のことを指しているのか、前者であることを願うばかりだ。
 あの日、里菜はかなり長い時間だんまりを決め込んだあと、突然「帰る」といって、僕の家を出ていった。終電はとっくに過ぎていたし、バスもないだろうけど、僕は引き止めなかった。それをひどい男だと思われるなら、もうどうでもいい。
 別れたか別れていないかの二択で返事をしなければいけないのなら、僕たちはまだ別れていないのだろう。メッセージのやりとりも、直接会って話すことも、里菜が僕の家を訪ねてくることも、一切していないから、結論はいまだ宙ぶらりんになったままだ。
「だ、大丈夫っすか! おれ、なんか悪いこと聞いちゃいましたかっ!?」
 相良は慌てて背中をさすってくる。だいじょうぶだいじょうぶと、僕はそれを制した。
「ここだけの話にしておいてほしいんだけど」と前置きして、里菜との関係を終わらせるつもりであることを打ち明けた。理由は伏せる。相良は野菜炒めをがつがつとかきこんで、「へー、そうなんすか」とこたえた。
「おい、相良が聞いてきたんだろ。なんかそっけないぞ」
「いや、こういうときってなんて言ったらいいのかわからないんで。お疲れ様ですでもないし、残念ですって言うのもおかしい気がしますし……」
「まあ、たしかにそうだな」
 僕はそう言って味噌汁の椀をあおる。週明けの社員食堂には、普段の日よりも食事をしているドライバーの数が多い。配達の量が少ないから、みんな早いうちに現場から営業所に戻ってこられるのだ。
 相良以外のドライバーたちは、みんな顔はよく合わせるけれど、その程度の関わりしかない人たちばかりだった。親しいもの同士で集まり、他の輪に干渉することもなく談笑をしている。内容の分からない彼らの話し声は、食堂に設置されているテレビから流れるバラエティー番組の、人気の倉庫型スーパーの特集に出ている芸人のオーバーすぎるリアクションと共に空気中に消えていった。
「いやでも、アキトさんならすぐに次が見つかりますよ」
「次、ねえ……」
 相良は世辞でも言ったつもりなのだろうが、いまの僕にはとても「次」なんて考える余裕なんてなかった。次どころか、今の問題も解決していないことはもとより、自分はとっかえひっかえ相手をコロコロ変えるようなタイプでもないから、女の人と付き合うということについてどうしてもその先のことを意識してしまう。だから、すぐに「そうだよな」とは頷けなかった。
「まあ、当分はいいかな……」
「そうなんすか。まあ、アキトさんはガツガツしているようなタイプじゃなさそうっすもんね」
「相良はどうなんだよ。気になる人とかいないのか」
 里菜とのことを掘り下げられても困るので、会話の矛先を変える。相良は白飯を頬張って、「そうっすねー」となにか考える仕草をしてみせた。
「おれは今仕事でいっぱいいっぱいですから。休みの日も寝てばっかで出会いなんてないっすよ」
 若人よ、それでいいのかと、中年みたいなことを思った。相良は人懐っこくて交友関係も広そうに見えるから、休みの日は遊び歩いているのかと思っていたけれど、人のプライベートなんて分からないものだ。
「昔はおれ、むちゃくちゃでしたから、ダチとかとは縁を切りたくって、連絡はとってないっす」
 なにが『むちゃくちゃ』だったのかは、なんとなく予想がつくから、そこは触れないでおいてあげようと思った。うん、人生って色々あるもんなと、当たり障りのないリアクションをとった。