「良かったじゃねえか、なあ!」
 僕の報告を聞いて、清志は自分のことのように喜んでいる。相良が仕事に復帰して以降、休日に顔を合わせた彼に、僕は開口一番に報告したのだ。
「相良くんのことは良かったけど、アキト、なんで口の端が切れているんだ?」
 僕の顔を真っ直ぐに見つめる清志の表情が引き締まる。人の良い笑顔が消え、眉をひそめていた。
「あっ、これは……荷物が顔にぶつかって」
「嘘つけ」
 即座に斬り捨てられた。僕は嘘をつくのが下手なんだろうか。
「おまえは嘘をつくと、すぐに鼻の下をこするからな」
 清志はそう言ってニヤリとほくそ笑む。僕が目を見開いて驚いた表情をすると、「なんだ、二十数年生きてきて、今まで気づかなかったのか?」と言われてしまった。
「オレに嘘をついてまで、理由を隠したかったのか?」
「ごめん……」
 嘘をついたことがばれているのなら、これ以上誤魔化すことも出来なさそうだ。だが、理由を話すことも、また、嘘をつき続けることと同じくらい難しかった。
 僕は立ち上がり、冷蔵庫から麦茶を出してリビングに戻ってきた。昨日までは里菜が座っていたソファーに腰掛けている清志の前に、グラスを置く。サンキュと彼は言って、ごくごくと喉を鳴らしながら麦茶を飲んだ。
 僕は、清志の喉仏を見つめながら、迷っていた。口の端が切れた理由を正直に伝えるべきかをだ。まだ体がギシギシと痛むような気がする。人一人分の隙間を開けて、清志の隣に座る。僕も麦茶を口に含むと、ついたばかりの傷がヒリヒリと痛んだ。

 里菜の暴力は日に日にエスカレートしていた。僕は男で、肉体労働をしていることもあり、人並み以上に体格もいいことも手伝って、彼女の素手の暴力だけなら、大したダメージはない。だが、道具を使われれば話は別だ。
 里菜は昨日、ほとんど使っていない折りたたみテーブルを破壊して、そのときに折れたテーブルの脚を使って、僕を殴打した。
 僕が人前に出る仕事だという配慮は、彼女にもあったらしく、最初のうちは、首から上は狙ってこなかったものの、手元が狂って頬を打ち抜いてきた。
 歯は折れなかったが、口の中をズタズタに切った。首が吹っ飛ぶかと思ったくらいの衝撃で頭が振られた僕は、床に叩きつけられるかのようにうずくまった。唇の端も切れている感触がした。口の中で、血と唾が混ざり合って、喉に流れ込んでいく。鉄の味にむせ込み、大きく咳をしたはずみで、着ていた白いシャツと床に血が飛び散った。
「なんで逃げんのよ。私の全てを受け止めてくれるんでしょお!?」
 半狂乱になって、感情のままに叫ぶ里菜の顔を見る。半身を起こした瞬間、脇腹にテーブルの脚が打ち込まれる。うぐっという呻き声が僕の喉から飛び出してきて、里菜の問いかけに答えるのが遅れたせいか、余計に彼女は逆上した。
 何十回も上半身を殴打され、僕は体を丸めて防御をとることしか出来なかった。目頭が熱くなる。涙が出てきて、頬を流れ落ちた。
 このままだと、僕も里菜も、近いうちに壊れてしまうんじゃないか。彼女のすべてを受け止めると力強く心に決めたはずの決意が、早くも揺れ動いている。だけど僕が我慢すれば……。嵐のように襲いかかってきて、しばらくすると過ぎ去っていく彼女の発作を、この世界で僕だけが受け止め続ければ……。僕は里菜の彼氏だ。
———僕以外の誰にも、あいつを愛せるやつはいない!