相良が仕事に復帰した。事前に本人から連絡があったが、当日に会社で彼の姿を見るまでは半信半疑だった。そのためか、僕はとぼとぼと重い足取りで出社してくる相良を見て、妙に嬉しくなった。
「おはよう! 相良、元気だったか?」
 僕はつとめて元気よく、彼に声をかけた。相良は僕の前で立ち止まり、ビクッと肩を震わせたあと、「お、おはようございます」とぼそぼそ言った。そのまま会釈をして、横を通り過ぎかけた相良を「あ、ちょっと」と呼び止める。
「なんですか」
「係長が呼んでたから。あ、僕と相良。出勤したら事務所に来るようにって」
「わかりました」
 素っ気ない。以前の彼なら、「マジっすか! わかりました。じゃあ、すぐに準備するっす!」とでも言うだろう。まだ気まずいと思っているのか。それとも何か別の理由があるのか。僕には分からなかった。

 京島係長が僕たちを呼んだのは、他でもない、今後の相良の処遇についての話をするためだった。寺島課長も隣にいる。僕と相良は促されるがままに、事務所の奥のソファーに座った。
「朝早くから呼び出してすまないね。あ、配達のことなら心配しなくていい。他の奴らに少しばかり持ち出してもらっているからね」
 係長は顔の前で手を擦り合わせながら、にこにこと笑っている。相良は仏頂面で管理職二人の顔をじっと見つめていた。
「いやいや、まずは相良くん、残ってくれる決断をしてくれてありがとう」
「あ、はい、すみません」
「城谷くん、相良くんはね、休んでいる間、自分の進退をどうするか考えてくれていたんだ。最初は辞めると言っていたが、やがて考え直してくれたようだ」
 ああ、このことは君に話してもいいと、相良くんから了承を得ているよと、係長は付け加えた。僕は隣に座っている相良の横顔をちらりと見る。彼は唇をきゅっと結んで、まっすぐ前を見ている。見てはいるが、その目に何が映っているのかまでは分からなかった。
「相良くんがこんなことになった原因……ああ、神田川くんについてだが、彼とは個別に話をしている。幸い、と言うべきか、彼が相良くんにきつく当たっているという目撃証言も、何人かの社員から聞いているからね。彼の最終的な処遇については、これから懲罰委員会で審議されることとなるが、ひとまずは主任から降格してもらって、処分が決まるまでは自宅待機が命じられているよ」
 思っていたよりおおごとになっているぞと、僕は思った。いや、神田川が相良にした仕打ちを考えれば妥当なのか。もしも相良が警察に届け出ていたとしたら、この程度じゃ済まないだろうから。
「じゃあ、あの人と、ぼくが顔を合わせることはしばらくないということですか」
 抑揚のない声で相良は言った。なあ相良、こういう場面では、自分のことを「わたし」というほうがいいぞと、心の中で助言をする。もちろん相良には伝わらない。ただ、「おれ」と言わず「ぼく」と言ったから、彼なりに礼儀に対する配慮はあるようだった。
「相良くん、そこは安心してほしい。君が神田川くんと仕事をすることはない。今日はそのために、城谷くんを呼んだのだから」
「え?」
 聞き返した相良の声が少し上ずった。彼がチラリとこちらに視線を合わせたとき、今日初めて互いの視線がかち合った気がした。
「配置換えだ。小泉さんと相良くんのコース担当を変える。彼女も相良くんのことを心配してくれていてね、私にできることがあればと言って、承諾してくれたよ」
 相良はそのとき、ううっと声にならない呻き声をあげて、鼻を啜った。
「ご配慮、ありがとうございます、すみません」
「何を言う。本来、謝罪しなければならないのは私たちの方だ。相良くん、今回の件がなかなか明るみにならなかったとはいえ、辛い目に合わせてしまって申し訳ない」
 係長と課長が、二人揃って相良に頭を下げている。雲の上のような存在といえば大袈裟だが、相良にとっては歳も地位もとても離れている二人の頭頂部を見つめながら、どう答えればいいか迷っているようだった。