「ねえアキト、怒ってる?」
 里菜が猫撫で声で尋ねてきたのは、僕がベッドに潜ってまどろみかけていた時のことだった。あの後僕は、里菜の感情を逆撫でしないように、極力彼女と関わるのを避けた。腹は減っていたが、食事をする気にはなれず、シャワーを浴びてさっさと寝床についたのだ。血痕が点々と付着したTシャツは、洗うのが面倒でゴミ箱に投げ捨てた。里菜が何度か物言いたげに僕を見ていたのには気づいていたが、目を合わせないようにしていたため、声をかけられることはなかった。
 僕が無言のまま、壁の方を向いて横になっていると、里菜が布団に入ってきた。無視を決め込んでいると、また逆上して、背中なんかを蹴られたら元も子もないけれど、彼女の声色から察するに、里菜はもう「普通」に戻っている。蹴られる代わりに、里菜の腕が僕の脇腹に絡んできて、やがて手のひらで腹筋や胸筋をまさぐるようにまとわりついてきた。里菜の胸が僕の背中に当たる。それでも僕は、とてもじゃないが里菜の気持ちに応えることはできなかった。
 なんであんなことをしたあとで、何事もなかったかのように求めてくるんだ。おかしいとは思わないのか。ごめんと言えば済むと思っているのか。僕がやり返してくるとは、微塵も考えたことはないのか。
 里菜のすべてを受け入れると豪語した割には、邪念が感情に侵食してくる。里菜に対しての怒りや不満、なんで僕がこんな思いをしなきゃいけないんだという憮然とした気持ちを拭い去ることはできない。しかしそれを表に出す手立てのない僕は、非我の何もかもを遮断して、体を丸めているしかないのだ。
 物事が自分の思い通りにいかなかったとき、傍若無人に振る舞う人がいる。厄介で迷惑なやつだと冷ややかな目で見る一方で、あんなふうに自分の感情に忠実に、周りを憚らずに言いたいことを言えたら楽なんだろうなとも思ってしまう。相手のことを考えず、自分の主張だけを通しやがって、非常識で生きる価値のない屑だと揶揄される。しかし果たして、自我を押し殺して、心に蓋をして、負の感情を溜め込んでいくことは健全だといえるのだろうか。
 頭の中では、今ここで僕が大暴れして、里菜を狼狽えさせる妄想を何度もした。だがそれは、理性に阻まれ、現実になることはない。