相良のアパートは、広めのワンルームだった。根は真面目な性格なのだろうか、室内に足を踏み入れると、いろいろなものがきちんと整頓されていて、男の部屋とは思えないくらい、綺麗な空間が広がっていた。廊下には、左側の壁に、おそらく水廻りに続くのであろう扉がひとつ、玄関扉に向かい合って、リビングに続く扉があったが、そこは開放されていて、リビングの様子が垣間見えた。
リビングは、白に近い色をした木のフローリングだった。壁は白く、自当たりは良い。床や壁紙のおかげか、部屋の中はとても明るく感じた。一人暮らしにしては充分な広さのキッチンが、部屋に入って左側の空間に設置されている。お洒落なカウンターキッチンだ。そこも、調理用具などが規則正しく並べられていて、使いやすそうな印象を受ける。
「狭いとこで、何もないっすけど、そこに座ってください」と、相良が案内したのは、カウンターキッチン越しに設置されていたダイニングのようなスペースだった。黒い正方形のテーブルを挟んで、同じく黒い椅子が二脚置かれている。僕と清志がその椅子に腰掛けると、相良は買ってきたものを冷蔵庫に入れたあと、部屋の奥の窓際に置かれているベッドに座って、僕たちと向かい合った。ベッド脇には、大きな観葉植物が鎮座している。緑が見事に生い茂っているのは、相良がまめに世話をしているおかげだろう。
「急に押しかけてきてごめん。でも、これだけはわかってほしい。僕たちは、上の人たちに、様子を見てこいって言われて来てるわけじゃない。もしそんなこと言われてたとしたら清志は連れてきてないし」
あまりじろじろと室内を見回していても失礼なので、本題に入ることにした。こういう時は、回りくどくグチグチと言っていても話は進まないだろうから、単刀直入に挑むことにしたのだ。
「……はい」
相良は含みをもたせたような間をあけて、返事をした。犬のように人懐っこい彼ではあったが、とはいえ忠犬も時には牙を剥くことだってある。
「ただ、相良がどうしてるかなって、個人的に気になってただけ。思ってたより元気そうで良かったよ」
僕の言葉は、きっとどこにでもありふれた、何番煎じかすらもわからないほどのものだっただろう。人は、本当に心が疲弊しているとき、そんな言葉でも心に沁みて、琴線が揺れ動いてしまうものなのだろうか。ぽろりと相良の目から涙が零れたのを見て、僕は本人よりも慌てふためいてしまった。
「す、すみばぜん、お、お、おれ……」
相良はまるで子供のようにしゃくりあげて、感情を剥き出しにした。きっと、これまでずっと堰き止めていたものが、一気に溢れ出してしまったのだろう。
「もう、どうしたらいいか、わかんなくて……アキトさんに、失礼な態度ばっか取って……。おれ、マジで、サイテーですよね」
相良は、瞳から流れ落ちる涙を、手の甲で懸命に拭っている。僕はいまだにかけてやれそうな言葉が思い浮かばずに、おろおろしていた。そんな時、清志がすっと立ち上がって、相良の隣に腰を下ろす。横並びに座った彼らを見て、ベッドの端に座ることを「タンザイ」というんだったなと、今、どうでもいいことが頭をよぎって消えていった。
「相良くん、君は偉いなあ」
清志はそう言って、まるで近所の子どもをあやすかのように、相良の頭をぽんぽんと撫でた。相良は驚いたのか、びくんと背すじを震わせる。
「え? え?」
何が偉いのか、と、相良は疑問に思っていることだろう。
「ずーっと、耐えてきたんだもんな。一人で、誰にも相談できずに。そりゃ、いつかこんなことになっても仕方ねえと、オレは思うぞ。……でもな、アキトはオマエを助けようと思って、考えて、コイツなりに動いてんだよ。オマエにとってはうざったいかもしれねえけど、わかってやってくれよ」
「……はい、すみません」
消え入るような声でそう言った相良の目から、再び涙がこぼれる。僕はいたたまれなくなって、彼からそっと目を逸らしてしまった。
相良がこんなにも心を痛めているのに、彼がこうなる原因を作った男は、今ものうのうと自分の人生を歩み続けている。奴は仕事中だろうから、配達先で愛想を振りまいているのかもしれない。わざとらしい笑顔の仮面をはりつけているその裏では、平気で自分の部下を虐げることができる姑息な人間には、いつか鉄槌が下って欲しいと切実に思った。
あまり長居するのも忍びなかったので、その後手短にやりとりをして、僕と清志は相良の自宅をあとにした。相良は、しばらく気持ちを落ち着かせたあと、もう一度仕事を続けさせてもらえないかと、係長や課長に頼んでみますと言っていた。
心のどこかでは、相良はてっきりこのままフェードアウトして、僕たちとは違う道を歩んでいくものだと思っていたから、彼の口からその意向が示されたとき、ここまで足を運んできてよかったと嬉しくなったのだった。
リビングは、白に近い色をした木のフローリングだった。壁は白く、自当たりは良い。床や壁紙のおかげか、部屋の中はとても明るく感じた。一人暮らしにしては充分な広さのキッチンが、部屋に入って左側の空間に設置されている。お洒落なカウンターキッチンだ。そこも、調理用具などが規則正しく並べられていて、使いやすそうな印象を受ける。
「狭いとこで、何もないっすけど、そこに座ってください」と、相良が案内したのは、カウンターキッチン越しに設置されていたダイニングのようなスペースだった。黒い正方形のテーブルを挟んで、同じく黒い椅子が二脚置かれている。僕と清志がその椅子に腰掛けると、相良は買ってきたものを冷蔵庫に入れたあと、部屋の奥の窓際に置かれているベッドに座って、僕たちと向かい合った。ベッド脇には、大きな観葉植物が鎮座している。緑が見事に生い茂っているのは、相良がまめに世話をしているおかげだろう。
「急に押しかけてきてごめん。でも、これだけはわかってほしい。僕たちは、上の人たちに、様子を見てこいって言われて来てるわけじゃない。もしそんなこと言われてたとしたら清志は連れてきてないし」
あまりじろじろと室内を見回していても失礼なので、本題に入ることにした。こういう時は、回りくどくグチグチと言っていても話は進まないだろうから、単刀直入に挑むことにしたのだ。
「……はい」
相良は含みをもたせたような間をあけて、返事をした。犬のように人懐っこい彼ではあったが、とはいえ忠犬も時には牙を剥くことだってある。
「ただ、相良がどうしてるかなって、個人的に気になってただけ。思ってたより元気そうで良かったよ」
僕の言葉は、きっとどこにでもありふれた、何番煎じかすらもわからないほどのものだっただろう。人は、本当に心が疲弊しているとき、そんな言葉でも心に沁みて、琴線が揺れ動いてしまうものなのだろうか。ぽろりと相良の目から涙が零れたのを見て、僕は本人よりも慌てふためいてしまった。
「す、すみばぜん、お、お、おれ……」
相良はまるで子供のようにしゃくりあげて、感情を剥き出しにした。きっと、これまでずっと堰き止めていたものが、一気に溢れ出してしまったのだろう。
「もう、どうしたらいいか、わかんなくて……アキトさんに、失礼な態度ばっか取って……。おれ、マジで、サイテーですよね」
相良は、瞳から流れ落ちる涙を、手の甲で懸命に拭っている。僕はいまだにかけてやれそうな言葉が思い浮かばずに、おろおろしていた。そんな時、清志がすっと立ち上がって、相良の隣に腰を下ろす。横並びに座った彼らを見て、ベッドの端に座ることを「タンザイ」というんだったなと、今、どうでもいいことが頭をよぎって消えていった。
「相良くん、君は偉いなあ」
清志はそう言って、まるで近所の子どもをあやすかのように、相良の頭をぽんぽんと撫でた。相良は驚いたのか、びくんと背すじを震わせる。
「え? え?」
何が偉いのか、と、相良は疑問に思っていることだろう。
「ずーっと、耐えてきたんだもんな。一人で、誰にも相談できずに。そりゃ、いつかこんなことになっても仕方ねえと、オレは思うぞ。……でもな、アキトはオマエを助けようと思って、考えて、コイツなりに動いてんだよ。オマエにとってはうざったいかもしれねえけど、わかってやってくれよ」
「……はい、すみません」
消え入るような声でそう言った相良の目から、再び涙がこぼれる。僕はいたたまれなくなって、彼からそっと目を逸らしてしまった。
相良がこんなにも心を痛めているのに、彼がこうなる原因を作った男は、今ものうのうと自分の人生を歩み続けている。奴は仕事中だろうから、配達先で愛想を振りまいているのかもしれない。わざとらしい笑顔の仮面をはりつけているその裏では、平気で自分の部下を虐げることができる姑息な人間には、いつか鉄槌が下って欲しいと切実に思った。
あまり長居するのも忍びなかったので、その後手短にやりとりをして、僕と清志は相良の自宅をあとにした。相良は、しばらく気持ちを落ち着かせたあと、もう一度仕事を続けさせてもらえないかと、係長や課長に頼んでみますと言っていた。
心のどこかでは、相良はてっきりこのままフェードアウトして、僕たちとは違う道を歩んでいくものだと思っていたから、彼の口からその意向が示されたとき、ここまで足を運んできてよかったと嬉しくなったのだった。