結論の出ない話題を、論じることに意味はあるのだろうか。他愛のない会話をしているといえばいいのか、たとえば話し相手に悩みを打ち明けたときに、ああだこうだと的外れなアドバイスをされて、結局自分はどうしたらいいのかわからなくなることがある。あるいは、こちらが真剣な話をしているのに、相手はそれほど気に留めていなかったりする。  
他人に悩みや考え事などを打ち明ける時は、解決策を得られると期待してはいけない。そういうものは、総じて、自分自身で見つけるしかなくて、人に打ち明けるのは大抵、自分の思いついたことが、誰かからみて正しいのかどうかを確かめるときだ。
「僕、もう一度、相良の家に行ってみるよ。それで、会うことができたら、ちゃんと話をする。あいつは、神田川なんかに潰されていい奴なんかじゃない」
 清志は、僕の発言を聞いて、何を思ったのだろう。フッと微笑んだあと、「じゃあ、今から行くか?」と囁いた。

 善は急げとはいうが、僕は清志の発言に相当驚いた。一度プライベートで遊んだとはいえ、この件に関しては、清志は無関係だ。自分の勤務先の問題に、友人を巻き込むわけにはいかないと、僕は躊躇したが、清志は「そんなの関係ねえ」と、一昔前に流行った芸人の決め台詞と同じ言葉を発して、立ち上がってみせた。
「ダメだよ、せっかくの休みなのに、僕の個人的な問題に付き合ってもらっちゃあ、悪いよ。……その、空振りに終わるかもしれないし……」
 清志は、一度やると決めたことは、最後までやりきると押し通す一面がある。今回もおそらく、僕がなんと言おうと、一緒に相良の家まで突撃してくれるだろう。それでも僕は、やりきれない想いで、もごもごと言葉を濁した。おかげで清志の手のひらが、ぐずぐずとしている僕の背中を打つ音が、控えめな音楽が流れている店内に響き渡った。
 ほんの刹那、店内中の視線を集めた僕たちは。そそくさとそこから退散した。
 
 憚りなく、ドンドンと、大きな音が鳴り響いているのは、相良のアパートだった。無遠慮に清志が、相良の部屋の扉を何度も叩いているのだ。
「おーい! 相良くん、いるんだろー!!! 何もビビることなんかねえぞ! 出てきてくれよ!」
 元々サッカーをしていたせいか、清志はとてもよく通る声をしている。そんな次第なもんだから、僕は清志の横に立って、彼の声が近所迷惑にならないかと、ヒヤヒヤしていた。ただ、その点にだけ目を瞑れば、室内に相良がいたとしたら、清志の呼びかけは嫌でも耳に入るだろう。
 だが、清志の呼びかけが、一息ついた時、僕たちは一連の行為が無駄であったことを思い知らされた。
「え?」
 背後で声がした。聞き慣れた声だ。振り返ると、アパートの通りに面した道路に、あろうことか、相良が僕たちを凝視しながら立ち尽くしていた。少しの沈黙が流れ、相良は気まずそうに僕たちから目を逸らした。彼の手にはスマホと、コンビニの袋が提げられている。食事でも買いに言っていたのだろうか、白濁色のビニールの中に、弁当の形のシルエットが見てとれた。
 相良は、白いTシャツに、膝丈の緑色の短パンを身につけていて、裸足にサンダルを履くという、ラフな服装だった。彼の表情は非常に強張っているけれど、思っていたよりは元気そうで、安心した。少なくとも、食事を摂る心の余裕はあるようだ。
「相良、ごめん、突然押しかけてきちゃって」
 いつまでも立ち尽くしているわけにはいかないので、僕はつとめて穏やかにそう切り出した。僕たちの姿を見て、逃げ出してしまわないか、少し不安だったけれど、今のところはその様子もなさそうだ。逃げ出しても、すぐに捕まると思っているのか、はたまたそんな発想は彼の脳内には無いのかはわからないけれど。
「なんか用っすか」
 相良は、自分が精一杯持てるであろう無愛想さを前面に出したような口調でそう言った。
「あ〜、いや、最近会社に来ないからさ、元気にしてるかなーと思って……」
「上のヤツらに、様子を見てこいとでも言われたんすか」
「いや、そんなわけじゃ」
「じゃあ、おれは用なんかないんで。さっさと帰ってください」
 僕が言葉を発すると、矢継ぎ早に相良は辛辣な返事を突き刺してくる。以前のように人懐っこい相良は、なりをひそめてしまったらしい。
 僕と清志が動かないでいると、相良はずんずんと僕たちに近づいてきて、「どいてくれませんか? おれ、家に入りたいんですけど」と、凄んできた。
「あっ、ごめ……」
 ごめんと言いかけた僕は、清志に制止された。僕はあっけにとられて清志をみると、彼はにこにこと笑顔を浮かべながら、相良の腕を掴んでいた。
「な、なんだよ」
 相良は僕にだけではなく、清志に敵意を向ける。清志の手をふりほどこうともがくが、清志の腕がぶんぶんと揺れるだけで、体幹はびくともしなかった。
「相良くん、君の先輩のアキトが、こうして訪ねてきてんだ。ちょっとぐらい、君がどうしてこうなってるのか、コイツに話してあげてもいいんじゃないか? アキトは誰よりも君を、心配してるんだぜ」
 優しい口調で、清志が言った。相良は、じろりと僕を睨みつけてくる。彼の中で、僕は「敵」になってしまっているのだろうか。それもそうか。今、相良が立たされている状況からしてみれば、シバイヌに勤めている者は全て自分の心をざわつかせる元凶となるのだろう。
 それでも、彼は今の状況を打開するために、誰かに縋ろうとしているのだろうか。そうだと解釈できるような行動を相良がとったとき、僕は少し安堵した。
「こんなところで騒いでたら、近所迷惑なんで、中に入ってください」