相良が住むアパートは、駅にほど近い住宅街の中にある。シバイヌの営業所がある最寄り駅からは二駅の距離にある町だ。僕の家と営業所の中間ほどの位置にあたる。車の多い広めの通りから少しはずれた、静かな住宅街の中に建っている。二階建ての建物の、一階の角部屋が、相良の住む部屋だ。
 僕はその建物の前に車を停め、扉の前に立った。こちらから見える限りでは部屋の明かりはついておらず、中に相良がいるかどうかは汲み取れなかった。それでも僕は、彼の家の玄関の前に立ち、インターホンを押した。ピーンポーンと、間の抜けた機械音が響きわたる。閑静な住宅街という決まりきった文句がぴったりの場所だから、その音は僕の耳にやけに大きく届いた。
 静寂。その中に、どこからか虫の鳴く声が聞こえてくる。あれはなんという種類の生き物だろうか。子どもの頃はすぐに答えが出てきたであろうその疑問を解くことは、かなわなかった。僕たちは大人になるにつれて賢くなっていくように見え、その実、同じだけの知識も忘却の彼方に流してしまっているのだ。昔は、わからない事があれば、すぐに本棚から図鑑や事典を引っ張り出してきて、知識を研鑽していくのが好きだった。今はポケットの中になんでも調べられる機械が入っていたとしても、それをいちいち手に取ることはしない。好奇心とは生きていくことに慣れてしまえばしまうほど、どんどん失われていってしまうのだろうか。
 相良の家からは、何の音もしなかった。だが、僕には家の中に誰かが、相良がいるような気がしてならない。もう一度インターホンを押してみる。しじまの中に潜んでいるわずかな気配を汲み取ろうと、僕は躍起になる。自分の耳を扉に押し付け、インターホンを連打した。側からみればただの不審者だ。それでも手段は厭えない。どんどんと拳で扉を叩いて、「相良! いないのか?」と、家の主の名を呼んだ。このご時世に、こんなに大声で人の名前を叫んだら、個人情報漏洩にあたるのだろうかと、朧な疑問が頭によぎって消えた。
 インターホンにはカメラが付いているから、室内にいながら、来訪者が何者なのかを知ることができる。相良はまさに今、息を潜めながら、画面越しの僕の姿を確認しているのかもしれない。