車をパーキングに停めて、僕たちはアスファルトの照り返しの灼熱地獄の中を歩くことにした。駅前の中心街を外れたとはいえ、飲食店や商店街、ショッピングモールが立ち並ぶこの辺りは、まだ人通りもそれなりに多い。夏休み真っ只中の学生たちの眩しい声が、ざわざわと空中を蠢いている。色鮮やかなアクアブルーのTシャツに派手なアロハシャツ、ベージュのキュロットパンツなんかが視界に飛び込んでくる。自分の身体に自信がある人は、男女問わず、露出度が高めの衣装を身に纏っていたりする。
僕たち三人は、清志を先頭に、群衆の中を掻い潜って目的地へと目指した。車中で、清志がクレープを食べたいと言ったので、それに乗っかったのだ。

「へー、最近のクレープって色んなのがあるんすね!」
 クレープ屋に着いた途端、相良がショーケースに向かって駆け出していった。清志が肩をすくめて、アメリカのドラマのように大袈裟なジェスチャーを僕に見せてくる。
「未来ある若者よ、お兄さんが奢ってやろう」
「マジっすか! あざっす」
「あ、アキトは自分で買えよ」
 いつもは仕事中の相良しか見たことがなかったから、清志にすっかり懐いている彼を見るのは新鮮だった。三人で店の前のテラス席に座り、クレープにかぶりつく。僕は無難にチョコバナナを、清志と相良は、イチゴ、メロン、バナナ、生クリームを包んだ随分と合成なものを注文していた。
「うめええ!」
 相良が生クリームを口の周りにいっぱいつけ、叫んだ。僕も、自分の分にかぶりつく。なるほど、これは美味しい。
「相良くんは、彼女とか、いるのかい?」
 清志が、にやにやと笑いながら質問する。
「いないっす。絶賛募集中っす!」
「アキトでもいるのに、意外だなあ」
「でもってなんだよ」
「え? アキトさん、彼女さんいるんすか?」
 相良が目を丸くして僕を見る。里菜との仲は公然の事実だと思っていたが、それは流石に自意識過剰だっただろうか。
「お二人ともイケメンだから、モテるでしょうねえ」
 前から思っていたが、相良は食べるのが早い。一口が大きいのか、僕がクレープを半分食べている間に、彼はもう最後の一口を口に放り込んだ。
「いんや、オレは全くモテねえ」
「僕はそういうのはあんまり考えたことない」
 僕たちの発言に、相良は目を丸くして、僕と清志の顔を交互に見た。
「だいたい、そういうのって、モテてる人が言うんすよ。けっ」
 相良はふんと鼻を鳴らした。「時々、おれってなんのために生きてるんだろうって思うときがあるんです。仕事に負われる毎日で、恋愛とか遊びとか、全然できねーし、おれこんなんでいいのかなーって、虚しくなるときがあって」
「おいおい若いのにダイジョウブか? シバイヌってそんな過酷なのか?」
 今度は清志が目を丸くする番だった。僕は苦笑する。僕もよく、同じようなことを考えたりするよ、と心の中で思う。
「休みなんか寝てたら一日が終わっちゃうっす」
「もったいないもったいない、若いのにそんなつまらん人生、もったいないぜよ」
 有名な歴史上の人物の人みたいな口調で、清志が言う。清志もクレープの最後の一口を放り込んで、もぐもぐと咀嚼をする。僕も慌てて口の中に、残りのクレープを詰め込んだ。

「行ってみたいと思ってるところがあるんすよ」と、相良が言ったので、僕たちは岩盤浴のある、大衆浴場まで車を走らせた。クレープ屋を後にして、清志が「この後どうする?」と聞いてきた時、うーんと思いあぐねていた僕を案じてか、相良が挙手をして、岩盤浴に行ってみたいと提案したのだ。
 清志はよく大衆浴場に顔を出しているらしいので、その提案に乗り気だったし、僕も岩盤浴は未経験だけど、かと言って代替案はなかったので、流れに乗ることにした。
「清らか温泉」と看板を掲げたその施設は、随分とおしゃれな内装だった。どうも温泉というと、僕は和風をイメージしてしまいがちなのだけれど、ここは大理石のようなデザインが敷き詰められていて、ギリシャとか、そっち方面の建物のような雰囲気だ。清志みたいな響きの店名からはかけ離れたその様子に、僕は目を奪われた。
「靴箱に靴を入れて、鍵をとるんだ。無くすなよ」
 僕たちの中で唯一の岩盤浴経験者である清志が、二人に説明をしてくれる。僕と相良はいそいそと靴を脱ぎ、鍵についている輪っかを、手首に装着した。
「大人三人、岩盤浴で」
 清志が受付の女性に声をかける。そうすると、受付の彼女は、僕たちの靴箱の鍵についているバーコードをスキャナーでスキャンする。なるほどこれでお金の管理をするのかと気づく。
「館内でサービスを使うときは、全部このバーコードで管理して、最後にまとめて精算するんだ」と、また清志が教えてくれた。
 服のサイズを聞かれ、答えると、館内着を手渡された。岩盤浴に入るには、これを着るらしい。なるほど、あたりを見渡してみると、同じ服装をしている客が至るところに点在している。

「着ている服を全部脱いで、これを着るんだ。下着もだぞ、全裸だぞ全裸」
 男湯の更衣室で、清志がはしゃぐ。「岩盤浴に入る前に、風呂に入るといいぞ」
清志がいうには、風呂で毛穴や皮脂汚れを洗い流すことによって、汗腺が整えられ、岩盤浴で汗をかくときに、それがきれいなものになるらしい。
「アキトさん腹筋すげえ!」
 僕が服を脱ぐと、相良が叫んだ。あまりにも大きな声だったので、更衣室中にそれが響き渡り、周りからの視線が一気に僕に突き刺さる。正直、とても恥ずかしかった。
「やめろよ、恥ずかしい」
 恥じらう僕をみて、清志がうひゃうひゃと笑う。「アキトは水泳選手だったから、毎日バカみたいに鍛えてたんだぜ」
「すげーっす」
 相良はそう言って、自分もシャツを脱いだ。哀れむことはない、若者よ。相良も、ちゃんと身体が引き締まってるじゃないか。
 僕たちの中の誰よりも先に、生まれたままの姿になって、「チ◯チ◯、ブラブラ、ソーセージ」などと、今時小学生でもいわなさそうなことを口ずさみながら、浴場に入っていく清志の後を、僕と相良も追った。平日ということもあってか、ご年配の客が目立つ。僕たちは洗い場の隅の方で三人並んで身体を洗い、「天然」と銘打っている温泉の中に身を委ねた。
「あ〜〜〜」
 清志が褐色の腕を思いきり伸ばし、力の抜けた声を出した。相良は折り畳んだタオルを頭の上に置き、目を閉じてリラックスしている。僕はそんなふたりの間で、湯舟の外に見える青空をぼーっと眺めていた。
 三人とも、無言のまま時間はゆっくりと流れていく。僕たちがこの非日常を味わっている最中にも、誰かが代わりに、僕の担当コースの配達をやってくれているんだろうなとか、営業所の事務所で、誰かからかかってきた電話を里菜が対応しているのかなとか、目には見えない世界のことを考えた。時々、本当に時々だけど、かつて机を隣り合わせていたクラスメイトだとか、親だとか、しょっちゅう配達に行く顔見知りの人だとかは、今どこで何をしているんだろうと考えたりする。僕がそんなことを気にしたところで、誰のためにもならないことだけは確かだけれど、僕も同じように、誰かの脳裏によぎったりすることはあるのだろうか。
「おれ、社会人になってから気づいたことがあるっす」
 気づくと、相良が僕のすぐ隣まで来ていた。湯から腕を伸ばし、わしゃわしゃと顔を拭っている。僕は、彼の言葉の続きを待った。
「学生の時は、みんなが横並びの世界で生きてきたし、それが普通だと思ってたけど、社会に出てみると、その横並びで生きてきたやつが、いつの間にか上にいたり、下にいるように思えたりするんです」
 相良は言う。学生時代は、『学校』という狭い世界の中で、成績の良し悪しなんかはあれど、概ね一定のペースでみんなが日常を過ごしていた。しかし、学校を卒業して、社会の波に揉まれるようになった今は、周りのみんながどんどん離れていってしまっている。学校の『卒業』が、社会人としてのスタート地点だとしたら、そこに留まったままの者もいれば、ゆっくりと歩んでいる者もいる。途轍もない速さで、頭ひとつ抜けて走り抜いていった奴もいる。後ろを向けば安心してしまう自分がいる。前を向けば、途端に焦りが生じてしまう。
「おれはおれの人生を歩んでいるだけなのに、一体何を焦ってるんすかね」
 頭ではわかっているんすよと、相良は苦笑した。
「おいおい若者、なーに悩んでんだよ」
 清志だ。彼は頭に手ぬぐいをのせたまま、すーっと相良に近寄って、肩を組むように、腕を彼の首にまわしてみせた。清志のスキンシップがやたら多いのは、僕だけにかと思っていたが、そうではなさそうだ。社交的な性格というのは、誰かと距離を縮めることに何の躊躇もしないのだろうか。そうだとすると、結構、羨ましい。
「平凡に生きるって、難しいっすね。キヨさんはいつも楽しそうだけど、悩みとかあるんすか」
 いつの間にか、相良から清志への呼び方も変わっている。人の懐に一段深く潜り込むのは、一体どんな基準で決めているのだろう。
「オレなんかどうせ何の悩みもねえだろって言いたいのかよ!」
「ち、違いますよ!」
 相良が慌てたように言う。
「オレにも悩みのひとつやふたつやみっつくらいあるっつーの」
 清志はむくれてそう言ったあと、温泉たまごが食いてえと呟いた。僕も食べてみたいと思っていたら、相良もそれに乗っかったので、僕たちは早々に切りあげて、施設の中の売店を目指したのだった。