頭が痛い。しまったと、僕は思った。
 配達件数が多く、水分補給もそこそこに走り回っていたせいだ。コンビニに駆け込んで購入した、二リットルのペットボトルの水を、喉に流し込む。
「あーーーー!」
 水の美味さに、思わず運転席で独りごちるが、飲んだ分だけの量の汗が、全身から噴き出てくる。トラックのエアコンの風量を全開にする。生ぬるい風が、湿ったポロシャツに吹き付けてくる。がんがんと頭の中にしつこく巣食う鈍痛に、僕はイライラしていた。自業自得なのはわかっている。舌打ちをして、アクセルを踏んだ。
 ストレスが溜まる仕事だ。いや、どの職業に就いていたとしても、そうなのかもしれない。現代社会に生きる人間は常に、ストレスと闘っているといっても過言ではない。

 営業所に帰ると、昼の便も山のように荷置き場に積まれてあって、うんざりとした。トラックの観音扉を開けて、トラックバースに車体を近づけたあと、その全てを車内に積み込んでいく。
「おう城谷、お疲れ」
 二百サイズの段ボールを担ぎ上げ、荷台に足を踏み入れた僕の背後から、田曽井が声をかけてきた。
「お疲れ」
 荷物をどかっと下ろし、田曽井のほうを見る。僕はこんなに忙しいのに、こいつはこんなところで油を売っている暇があるのかと、思う。
「大変そうだな。手伝うか?」
「別にいい」
 本当は猫の手も借りたいくらいだったが、自分のコースの荷物は、自分で片付けないと、ドライバー失格だという概念があったし、何より、今はあまり人と関わりたくない気分だった。
「そうか。頑張れよ」
 田曽井はそう言って、スタスタと構内に消えていった。彼はいわゆるウザ絡みはしてこないタイプだ。僕が内心イライラしているのを、悟ってくれたのかもしれない。社内の全員が田曽井のように空気が読める人間とは限らないが、同じコースを走る軽四ドライバーの小泉も、思慮深い人物の一人だ。
「城谷さん、ちょっといいですか……きゃっ!」
 僕がトラックの荷台の中でシャツを替えようと、汗拭きシートで身体を拭いていたときに、彼女が姿を現したのだ。そういえば直前に、軽四のバック音が、隣でピーピー鳴っていた気がする。
「すみません」
 僕が服を着ていないからだろう、小泉は顔を背けてそう言った。汗拭きもそこそこに、僕は「ごめんごめん」と言い、慌ててシャツをかぶる。
「で、どうしたの?」
「城谷さんの昼便の配達が多いと聞いて、少しでも手伝おうかなと思いまして。あ、相良くんから聞いたんです」
「小泉さんは大丈夫なの」
「はい、私はもう、時間指定の宅配だけなので」
「そっか。じゃあ、少しだけ頼もうかな」
「任せてください!」
 僕は、小泉の軽四の荷室を確認し、そこに積めそうな荷物を厳選していく。それぞれの住所が近いところに配達する小物が中心だが、それを行ってくれるだけで随分と僕の負担が軽減される。
「ん?」
 荷物を探っている途中、僕はひとつの段ボールに貼られた伝票に目が留まる。宛名のところに「久城麗様」と書いてあるものだった。住所は、僕の担当エリアの中にある雑居ビル。夜にネオンがキラキラとやかましく輝いている印象があるところだ。
 荷物には夜の時間帯指定のシールが貼ってある。これも小泉に渡そうかと、一瞬思ったが、彼女も夜は配達がたくさんあるかもしれないと考え直し、自分で行くことにした。
「じゃあ、これだけお願いします」
 僕はそう言って、小泉にいくつかの荷物を手渡すと、彼女は快く引き受けてくれた。
 夜になり、最後の配達として、僕は久城さんの店に行った。雑居ビルの老朽化したエレベーターに乗り、店のある階まで昇る。エレベーターが開くと、その真正面に片開きの板チョコ柄の扉が目に飛び込んでくる。こういう店は、大体裏口から訪ねるべきなのだろうけど、そもそもそれがどこなのか分からない。それに扉にはまだ準備中という札が掛かっているから、正面から入っても差し支えないはずだ。
「こんばんは!カラー運輸です」
 扉を開けて、声をあげる。暗い店の奥から、タキシードを着た若い男が顔を覗かせ「はい」と無愛想に言う。僕がその男に「久城様宛にお荷物が届いています」と伝えると、彼はふんと鼻を鳴らし、奥へと引っ込んだ。僕がその場で待っていると、しばらくして、久城麗が姿を現した。
「あらあ、このあいだのお兄さん、ご苦労様〜」
「ご無沙汰しています。先日は、大変失礼いたしました」
「いいのよ。アタシもむしゃくしゃしてて、あなたたちに当たっちゃって、ごめんなさいね」
「あ、いえ、そんな……あ、これお荷物です」
「ありがと」
 久城さんはにこやかにそう言って僕から荷物を受け取った。ボールペンで伝票にサインを書いたあと、僕の手に触れ「よかったら、プライベートでも、来てね」と耳元で囁く。僕は鳥肌が立ったが、平静を装って「き、機会があれば……」と愛想笑いをした。
 店を出て、小走りでトラックに戻る。どうもああいう雰囲気の場所は苦手だ。仕事だから仕方ないが、極力近寄りたくはない。早くここから立ち去ろうと、どことなく気分が急いてしまい、僕はトラックをエンストさせてしまった。