160cmの私の背の高さまで降り積もる雪。
目の前に立ちはだかる雪の壁を前に、私はスコップ片手に気合いを入れる。
亡き祖父母から譲り受けたこの年季の入った日本家屋を取り囲む雪の壁を、今朝も切り開かなければならない。
玄関から道路までの距離約4m、私は勢いよくスコップを振り上げ、雪壁に突き刺す。
「すいません!」
雪壁を隔てた先の道路から幻聴が聞こえる。
人がいるはずない、昨日は大量の雪が降り続いていた、道路だってまだ人が歩ける状況とは思えない。
この町は人口……何人かは知らないが隣の家まで200mは歩かねばたどり着けない程の田舎町である。
町の中心部は、温泉目当てに観光客が訪れはするが、町外れのここは、役所が行う道路の除雪など昼までに完了すればいいぐらいの、のんびりした、
「すいません!遠藤建設の城崎です。新田さんのお宅でしょうか!」
……私は黙々と雪壁にスコップを突き立て、雪を玄関から道路へと真っ直ぐ伸びる側溝に投げ入れる。
玄関から道路の間に設置された側溝を流れる温泉水は一瞬にして雪を溶かしていく。
シャベルを突き立て、側溝に投げ入れ、掘り進む、スコップを突き立て、側溝に投げ入れ、掘り進む、スコップを突き立て、
「遠藤建設の城崎です!新田みのりさんのお宅ですか!」
「フルネームで呼ばないで!行くから!」
スコップを渾身の力で雪壁に突き立てる。
壁が崩れぽっかり開いた空間の向こう、道路に積もった雪に、腹まで埋もれた男がポカンと口を開けて、雪壁を突き崩した私を見ていた。
私は荒野を突き進んできた開拓者のようだったかもしれない。
城崎は私と同じ身長の小太りの男だった。
「みゆきと理子は?」
私が営業課の同期の名前を口にすると、城崎は我に返って怒濤の様に喋り出した。
「彼女達は大雪で東京をでることすら出来ないみたいで、雪国のみなさんからしたら大した雪でもないでしょうけど、いやそんな事はよくて、僕だけ昨日近くまで出張してたので、今日泊めて頂く件ですけど、なんだっけ、えっと」
「落ち着いて、名刺貰えます?」
城崎は慌てて、寒さに震える手で名刺を差し出してきた。
名刺には(遠藤建設 営業主任 城崎健一)と書かれているのを確認する。
確かに本社から、出張先の宿が取れず、宿泊を要請された3人のうちの1人である事を確認して、私は自分の名刺を渡す。
在宅勤務でも、名刺を持ち歩いてしまう自分がうらめしい。
名刺を受け取った城崎は名刺を暫く眺めて、一瞬私の顔を確認する。
大体、名刺の何処に引っ掛かりを覚えたのかは想像できる。
私の名刺にはこう書かれている(遠藤建設 第3設計部 "課長" 新田みのり 備考:在宅勤務)
全国で万単位の社員を抱える、本社の課長が20代の女性、最近でも結構珍しいはずだ。
「課長でしたか、失礼しました」
体の半分が雪に埋もれた状態でお辞儀をした城崎の顔が、雪に埋もれる。
「いや、部署違いますし、そこは気にしないで下さい。それより今日泊まるのは城崎さん1人という事で?」
私の問いかけに、城崎が慌てて両手を振ってみせた、その姿は、ずんぐりむっくりした、ぬいぐるみのおもちゃの様に見えた。
「いや、いや、女性の1人暮らしに男だけは不安でしょうし、問題ですから、寝袋あります?」
「え?」
一体この男はなに考えているのか、思わず聞き返してしまった。
「大丈夫です。こう見えても学生時代山岳部で雪山に登った事ありますし、ほらこの脂肪ですから、そこら辺で」
「死にます」
背広にダウンジャケット、登山装備の欠片も感じない城崎の姿に、私は間髪入れずに言い返した。
山岳部など絶対嘘だ。
「でも」
「死にます」
「しかし」
「死にます」
「……やっぱり死にます?」
「死にます」
体半分雪に埋もれた状態で黙りこむ城崎の震えようは壊れたおもちゃとしか言いようがなく、すでに危ない様に思え、私の説得に頷いているのかさえ判断できなかった。
全身を震わせ、膝を笑わしながら歩く城崎を何とか家に招きいれ、炬燵のある10畳間に案内した。