蝉の鳴き声で地面が割れそうだ。
 お昼食べる物ないしな~って外に出る準備はしてみるもののいざドアを開けると本能が「外に出ちゃだめだ」と僕を家の中に連れ戻す。
 蒸し野菜ってこんな気持ちなのかな....。
 そう思うとこれから先食べ物を蒸すという行為に凄く罪悪感を覚えそう。
 それくらい猛暑が続く毎日。
 することもなくスマホを開けば
 
 ▷インターンシップのご案内
 ▷大学で行われる就活イベント 参加者募集中
 ▷明日のシフト変わってくださる方いらっしゃいませんか?
 ▷なぁ就活してる?
 
 こんな通知ばかりだ。
 まだ大学3年生だって。
 そっとしといてくれ。
 夏休み、満喫させてくれ。
 そう心でつぶやくけど時間は待ってくれない。
 もう夏休みが始まって3週間が経とうとしているのに思い出と言えば、人手が足りなくてほぼワンオペ状態のバイトだけ。
「このままじゃ腐っちゃうよ」
 こんな生活してたらだめな気がする。
 何かしないと。動かないと。
 焦る気持ちを払拭したくて勢いよく立ち上がった。
 大学に通学するためだけに買った少し大きめのトートバックに財布とスマホとお気に入りの本だけを入れてタルンタルンになったそれを肩にかけた。
 
「行ってきます」

 家の鍵をかけて自転車にまたがり、漕ぎだした。
 これは....なんだ。ひとまず題して自分探しの旅としとくか。
 プチ自分探しの旅へ出発だ。


****


 どれくらい漕いでただろ。
 流れ落ちる汗が背中を伝うのを感じて気持ち悪い。
 着替え、もってこればよかったなぁ。
 少し休憩とコンビニに入りいつもなんとなくで買う天然水、の隣にあるレモン味に初挑戦してみることにした。
 味のついた水はあんまりなじみがないから今まで買わなかったけど今日は新しいことに挑戦してみようと試みた。
 
 勢いよく流し込む冷たい水が気持ちいい。
 自然と傾くペットボトルの角度も上がっていく。

 なんとなく、水が流れる音がした気がした。
 僕が飲んでる水と関係なく。
 遠くでザーッと水の流れる音。
 行ってみよう。
 また自転車にまたがり、漕ぎだす。
 
 意外と音の正体は近くにあって、大きな川にたどり着いた。
 太陽の光でキラキラと光る川の水は凄くきれいで、スマホでパシャっと写真に収める。
 高架下に自転車を止め、ここで少し涼むことにした。
 実際気温は高いし風も少ないから体感的に涼しくなったとは言えないけど、透き通る水が涼しさを運んでくれてるきがして今はこれで十分だった。

 持ってきたお気に入りの本を取り出す。
 いつ買ったのかも思い出せないくらい気が付いたらずっと読んでいた本。
 主人公が海の中に迷い込み、そこで出会ったクラゲと冒険する話。
 一発で開けるくらい好きなシーンがあった。
 クラゲと主人公が分かれてしまうシーン。
 そこでクラゲは主人公を元の世界に送り届けるため、自分を犠牲にする。
 そしてクラゲは溶けてなくなってしまう。
 その儚さと覚悟に心打たれ、それからこの本のファンなのだ。
 
 いいな~やっぱり。
 僕がこのシーンを好きな理由を聞かれてもはっきりとは答えられない。
 なんとなく、ただ好きだから。
 でもそのなんとなくの中に少しだけ言葉にできる何かがあるとすれば
 多分、僕にはできないことだから。
 皆を助けるヒーローに憧れるように。
 正義を敵にしてまで守りたいものがあったヴィランに憧れるように。
 自分を犠牲にしてでも主人公の事を思ったクラゲに憧れたんだと思う。
 
「何読んでるの? 」
 後ろから急にかけられた声に肩が上がる。
 反射的に顔をあげるとそこには頬杖を突きながら僕を覗き込む女の人がいた。


****


「あ、ごめん。びっくりさせちゃった? 私気になった事には一直線なの。ごめんね」
 そう「へへへ」と笑いながらいうその人は、白く清潔感のあるシャツに鮮やかなレモン色のズボンをはいていて。
 オフィスカジュアルかな。社会人?
「あ、あの....」
 彼女の勢いに押されてしまって言葉が詰まる。
 僕は逆に気になることがあっても一歩引くタイプだからこんなふうにいきなり話しかけることはない。
「分かりやすくドン引かないでよ。ごめんって。私(そら)っていうの。君は? 」
 凄くテンプレみたいなアニメでしか聞かないような自己紹介に少し笑ってしまいそうになるけど
(うみ)、って言います」
 とこんなつまらない自己紹介よりはましかと笑いを飲んだ。
 
「うみ君? 生き物が住む海のうみ? 」
「そうです。かいってよく間違われますけどそのままうみです」
「え~めっちゃ素敵な名前じゃん! 私海大好き~」
 無邪気に言う空さんは格好から推測する年齢より若く見えた。
 でも急に少し大人の顔になって
「こんなところで何してるんだい? 少年」
 とまた頬杖をついて聞いてきた。
 なに、してるか。
 プチ自分探しの旅っていうのはなんとなく恥ずかしくて

「なんか、逃げ出したくて」
 
 そう言った。
 そう言った時、なんだか自分の中にあった心のわだかまりが1つ取れた気がした。
 そっか。僕は逃げたかったんだ。
「逃げる? 何から」
 まさか誰かに追われてるとか非日常なことはもちろんなく”誰”ではなく”何”と聞かれたことで空さんに”社会人”を感じた。
「今、大学3年生で。就活しないといけないのに何がしたいのか分からないから全く進まなくて。周りの友達はインターンシップ行ったりやりたいこと見つけて検定取ったりしてるのに僕だけ全く。夏休み、どこ行くでもなくただ人手が足りなくてやらざるを得ないバイトだけして1日が終わるんです。焦って。でも何していいか分からくて。自分探しの旅に出ようって思って出てきたんですけど、ほんとは逃げたかっただけなんだって今気づきました」
 だいぶ意味わからないことをつらつらと長々と言ってしまった。
 しかも初対面の人に。
「なるほどね~」
 そういい大きな伸びをする空さんは
「私は今25歳で新卒から社会人やってるけどさ、そんな重荷に感じなくていいんじゃい? って言いたいけど実際そうはいかないよね。焦るもん。周りがどんどん先に進んでたら。きれいごとだけじゃ乗り越えられない感情もあるから」

 ”きれいごとだけじゃ乗り越えられない感情”
  
 その言葉にマーカーが引かれて浮かびあがった。
 これが大人の余裕ってやつか。
 天真爛漫な感じに見えた空さんもやっぱりちゃんと大人なんだ。
 でもまたすぐに「んー」っと大きく伸びをして立ち上がった。
「なんか、私も逃げ出したくなってきたな~」
「え、仕事は....? 」
「え、それ海君が言っちゃう? 今私の見方は海君だけだ! 行こ」
 そう言って手をさし出してきた。
 本を閉じ、カバンにしまって意味も分からずその手を取る。
 立ち上がると同時に空さんは勢いよく走り出した。

 走って走って知らない街を抜けていく。
 風を切って、木々を抜けて、人の目も道のりも気にせずただひたすらに。
 そして強い光にどんどん迫って、迫って、その光に飛び込んだ。
 目をつぶって光に包まれたその先。

「海君! 見て! 凄いところにでた」

 そう言われてうっすらと目を開くと

 そこでは、クラゲが宙を舞って泳いでた。

 一面群青色の空。
 うっすらと星が散らばっているそこではクラゲが空を泳ぎ、目の前を歩いて、普通に生活してた。
「え、何ここ? クラゲ? クラゲって陸で暮らせるの? 」
「いや、陸では暮らせないだろうし多分1番最初に気になるのそこじゃないです。あの、空さんって....」
「え? あ、そうか。いやいや私の力とかじゃないからね。ただ走ってみたらここにいたのよ」
 一瞬この人は何か特殊な能力を持った主人公か何かかと思ったけどその可能性はだいぶ食い気味で否定されてしまった。
 だとしたらここはなんなんだ。
 クラゲが傘の部分をフッとしぼめるたびにぽわんぽわんと可愛い音が鳴る。
 まるで水の中にいるみたいなのに水の中じゃない。
 不思議すぎて、とりあえず1回ほっぺをつねってみた。
「どお? 夢じゃなかった? 」
「現実ですね」
 その様子を見て空さんもここが現実なのか確認を取ってくる。
 ここは紛れもなく現実っぽい。

「ちょっとさ、探検してみようよ」
 気になることには一直線の空さんはここが夢ではないと分かるとすでに楽しそうだ。
 普通に街みたいになってるここはクラゲたちが散歩していたり、お店でお買い物していたり、ほんとに人間の住む世界と変わらないように感じる。
 とりあえずもう興味しかない空さんと目の前にあるお店に寄ってみることにした。

 ここは、アイス屋さんかな?
 ショーケースの中に色んな味のアイスが並べられていておいしそう。
「ここってお金これでいいのかな」
 買う気満々の空さんが500円玉を財布から取り出して見せてきた。
 確かに、クラゲの世界もお金はこれなのか。
「あ、今からあのクラゲが会計しますよ」
 前にいたクラゲがアイスを購入するらしいのでそれをじっくり見る。
 意識しなくても視線は釘付けだ。
 だってクラゲが買い物してるんだよ?
 想像できる?

 またぽわんと音を鳴らしながら触覚でショーケースのアイスを指さす。
 言葉はないみたい。
 店員と思わしきクラゲも同じのを触覚でさして「これ? 」と聞き返してるみたい。
 カップに器用に盛り付け、会計は....。
 
 取り出したのは小さな星屑だった。

 クラゲの透き通った触覚にキラキラと小さく光るそれはよく映えて、まるで今僕らの頭上にある薄暗い有明の空みたい。
「残念。お金これしか持ってないもん。私も食べたかったな~」
 手のひらにある500円玉を残念そうに財布にしまう空さんの手を、半透明な何かがスッと止めた。
「えっ! びっくりした~。クラゲ、さん? 」
 いきなり近づいてきたクラゲに触れられてさすがの空さんも驚き全開だ。
 とっさに”さん”付けをしてしまうくらいにはてんぱっているみたい。
 空さんの手に添えられた触覚をそのまま上げ、スイスイっと指をさすように僕らの後ろを指した。
「あ、もしかして両替できる? 」
 そう言う空さんにクラゲはうんうんと頷いて見せた。
 言葉はないけど会話が出来ている。
 そしてなんだかかわいい。
 どこかを動かすたびにぽわんぽわんと音が鳴るからそれが声みたいで面白い。
「海君、お金交換してくれるって。行こ! 」
 相変わらずワックワクの空さんはまたもや僕の手を引いてクラゲに「ありがとう」と言い両替所まで一直線だ。

「これ、かえてくださーい」
 料金所のクラゲは僕らのお金をまじまじと珍しそうに見た後、星屑を100粒程くれた。
 僕らの500円は星屑100粒くらいの価値らしい。
 せっかくなので2000円近く両替してもらってクラゲが親切にくれた巾着にいれ、さっきのアイス屋さんに戻った。

 見た目凄いカラフルだけどいかんせん言葉がないので文字もない。
 これ、何味なんだろ....?
 アイス1つとっても本当に不思議な世界だった。
 とりあえずストロベリーと思わしきものを空さんが、チョコチップと思わしきものを僕が購入して自信満々に星屑と交換した。
 いくらか分からずてきとうに手の平に星屑を出してみると30粒くらいをスッとすくいあげ、小さく会釈してくれた。
 カップに盛られた冷たいアイスをベンチに座って口に運ぶ。
「んっ! 美味し~」
「ほんとだ。美味しい」
 正直、怪しさが拭えていなかった分味はこそまで期待していなかったけど、まさかの絶品だ。
 何味かは....分からずじまいだけど。
 パクパクと簡単にアイスをたいらげてしまい、さあ次はどうするか。
 僕らが目を向けなければならないのは
「ここってどうやったらぬけだせるんですかね」
 これだ。
 いくらクラゲがかわいくてここが平和で楽しくても僕らは人間だ。
 クラゲじゃない。
 現実は厳しいものでいつまでもここでのらりくらりというわけにはいかなかった。
「あ、スマホ」
「確かに。誰かに連絡取ってみるか」
 
 2人で一緒になってスマホを開いて、2人で同時に同じ言葉を発した。
「「圏外だ....」」
 スマホは圏外。
 さあどうする。
「私達ってここにどうやってきたっけ」
「どおって。走ってたらここにいました」
「走って、まぶしくなって、急に体がふわっとして、目を開けたらここにいたよね」
「そうですね」
「なんも手掛かりないじゃん」
「そうですね」
「だめじゃん! 」
 分かりやすく頭を抱える空さんに少しクスっとしてしまうけど実際笑ってる場合ではない。
 どこから来たのか分からない。
 クラゲは言葉がしゃべれない。
 スマホは圏外。
 まあまあピンチだ。

「とりあえずさ、歩いてみない? 」
 多分そらさんは計画を立てる派というよりも行き当たりばったり派なんだと思う。
 出会って走り出した段階から計画性が一切見えない。
 多分僕らが違う形で、例えばクラスの同級生とかバイトの先輩後輩とか仕事の同期とかで遊びに行く機会があればきっと一悶着あっただろう。
 僕が計画派だから。
 今はこの行き当たりばったりに助けられている。
 ”とりあえず”という僕の辞書にはない言葉に従って散策してみることにした。

 クラゲのアクセサリーショップはガラスの気泡のようなピアスがゆらゆらしていて綺麗だ。
 クラゲのカフェは凄くにぎわっていて楽しそう。
 クラゲの病院は触覚が切れていたりコブができているクラゲが数匹いた。
 
 あたり前かもしれないけどどこにいてもクラゲクラゲクラゲ。
 ぽわんぽわんと音が飛び交い、皆ゆったりだ。
 僕らの事を珍しがっているようなクラゲもいたけど、基本皆のんびり。
 まるで、元の世界で僕が望んでいた世界みたい。
 何もしなくてよくて、ただゆったりと時間がすぎるままに生きていく。
 勉強も就活も何も、しなくていい世界。
 それがここなような気がした。

「ねぇあのクラゲ、迷子かな」 
 そんなゆったりした空間の中に1匹だけ忙しくいったり来たりしている小さなクラゲがいた。
 確かに、キョロキョロして何かを探してるみたい。
「話しかけてみよ」
 僕なら絶対にスルーだけど、空さんは僕の返事を待たずしてそのクラゲのもとへ走って行った。
 こうなったらもう着いていくほかない。
 空さんは腰をかがめ、クラゲの子供と背丈を合わせて優しく声をかけた。

「こんにちは。どうしたの? 迷子? 」
 クラゲの子供は一瞬僕らを見て戸惑いを見せたけどニコニコの空さんをみて警戒心が溶けたのか「うんうん」と頭を縦に振った。
「クラゲも迷子になるんだ」
「そりゃあなるでしょうよ。一緒にさがそ」
「いちいち”クラゲの子供”って呼ぶの面倒じゃないですか? 」
「確かに。お名前あるの? 」
 2人してクラゲに注目するけどクラゲの子供は”?”と首を傾げた。
 また、ぽわんと音が鳴る。
「ないのか~海君何か考えてあげてよ」
「僕ですか。え~」
「ほら、クラゲの本読んでたじゃん」
「それはそうですけど....」
 これまでの人生、人に名前を付けたことはもちろんないしペットも飼ったことがないから何かに名前を付けるという行為をしたことがなかった。
 僕の方をぽかんと見るクラゲの子供と僕の方を期待のまなざしで見る空さんを交互に見て「うーん」とうなった。

「じゃあ、月で」
「つき? つきって月光のつき? 」
「そう。空にある月。るなじゃなくてそのままつき」
「いいじゃん! 月! かわいい~」
「君がそれでよければ」
 次は僕と空さんがクラゲを見た。
 クラゲの子供はさっきまでより大きく「うんうん」と大きくうなずいてくれて安心する。
「月君? 」
 フルフル
「月ちゃん? 」
 うんうん
「月ちゃんか! じゃあ月ちゃんのお母さん探し、let's go~」
 心なしか月ちゃんはさっきより明るくなった気がする。
 空さんの掛け声に自分も触覚をピンとあげて「お~」って言ってるみたい。
 僕らの、月ちゃんを親御さんまで届けよう大作戦が始まった。


 
 
 どれくらい探したかな。
 色んなお店に行っても、通行人に聞いても、いい反応は帰ってこなかった。
 月ちゃんもだんだん疲れてきたのかそれとも不安が募ってしまったのか、元気がなくなっているように見える。
 空さんがどうにか元気になってもらおうと気さくに話しけるけどなかなかそう上手くはいかない。
「ちょっと休憩しましょう」
 僕の提案でひとまず一息つくことにした。
 月ちゃんが休憩場所に選んだのは近くの不思議な建物。
 なんだかお店、とは違うし。カフェとかそんな感じでもない。
 促されるままに入ってみた。
 
 薄暗くて、正直少し怪しい空間。
 そこにクラゲたちがぽつぽつと居て、ブースのようなところに分かれていた。
 どのブースにも1匹、薄くて深い青色のクラゲが居た。
 自然と手前にあるブースに足を運んでしまう。
「海君? 」
 空さんは少し心配を含んだ声で僕を呼んだ。 
 多分僕が吸い込まれるように流れていくから。
「大丈夫。行ってみましょ」
 初めて僕が先頭に立って1つ目のブースに足を入れた。
 何が大丈夫なのか自分でも分からないけど、ここに足を運んでいくことに凄く大きな意味がある気がして。
 空さんと月ちゃんは僕の後ろをおずおずとついてくる。
 1つ目のブースに入った。


 
 白くて半透明なクラゲが2匹、あの薄くて深い青色のクラゲを抱いている。
 まだ青いクラゲは小さくて赤ちゃんみたいだ。
 凄く愛されていた。
 言葉はないけど、2匹のクラゲのまなざしは愛であふれていて幸せな空間だった。



 次のブースに足を運んだ。
 ここは、幼稚園のお遊戯場?
 小さな舞台の上ではあの青いクラゲが真ん中に立っていて....。
 お遊戯会か。
 なんだか懐かしい気持ちになる。
 舞台の真ん中で恥ずかしそうに、でも役を一生懸命演じている青クラゲ。
 それを沢山のクラゲが楽しそうに見ていて、最後は拍手が巻き起こる。
 青クラゲは仲間と一緒に照れくさそうにお辞儀をしていた。
 


 机で1人、作業をしている青クラゲ。
 独りだ。
 周りは皆お友達同士で遊んでるのに。
 でも、ツンツンとつつかれ1匹のクラゲが声をかけてるみたい。
「お友達が出来たんだね」
 この空間に慣れてきた空さんが微笑ましく言った。
 やっぱり凄く懐かしい気持ちになる。
 なんでだろ。
 友達ができた青クラゲは照れながら、何か、手紙のようなものを渡していた。



 学校のような場所に景色が移り変わった。
 青クラゲは教室の前に立って皆から拍手を送られている。
「なにをお祝いしてもらってるのかな」
 空さんの言うことに僕もなんだろうと思ったけど
「読書感想文」
 スッと、意図する間もなくそんな言葉が口をついた。
「読書感想文のコンテストで賞をもらったんだね。凄いよ青クラゲ」
 空さんも教室の皆と同じように拍手を送った。



「あれ、喧嘩してるじゃん」
 青クラゲは数匹のクラゲに囲まれ小さくなっていた。
 喧嘩、というより....。
 ドンっと押された青クラゲはバランスを崩しその場に転んでしまった。
 他のクラゲは持っている紙をひらひらと馬鹿にするように青クラゲに見せた。

 あ、思い出した。
 
 この後、何が起こるのか僕には手に取るように分かる。
 だって


「これ、僕だ」

「え? 」
 空さんがこちらを向こうとした瞬間
 ビリっとという鈍い音と共にクラゲがもっていた紙が真っ二つに引き裂かれた。
 それは、読書感想文の表彰状。
 そう。感想文の表彰式が学校で行われた日、僕のことが嫌いだったのか妬んでいたのか。
 クラスの人にその賞状を破かれてしまったんだ。
 投げ捨てられ、ただの紙切れになったそれをぼーっと眺めるだけの”僕”
 賞を取ったと知った瞬間より、表彰してもらった瞬間より、皆に拍手を送ってもらっていた瞬間より
 何よりもこの瞬間を覚えている。



 次は中学だ。
 僕はあの日以来頑張ることを辞めてしまった。
 そして心を閉ざし、教室の端っこで本を読んでばかりいた。
 背中を丸め、だれにも話しかけられないようにしている”僕”
 そんな僕が「あっ」と背筋を伸ばした本があった。
「あれ、海君が読んでた本だ」
 そうだ。この本と出合ったのは中学生の時だった。
 心をつかまれたって言葉を人生で初めて体感した日だった。
 それから密かに超短編の小説を書いてはSNSにアップして、消すというのをやっていたっけ。



「え、海君告白されてない? 」
 あれは今でも覚えてる。
 僕も少しだけ気になってた子がいた。
 無邪気で、でも優しく笑うあの子。
 高校に入って、文化祭とかでなじめない僕を輪に入れてくれたのはその子だった。
 そして学校の授業で書かされた作文を誰よりも褒めてくれたのも彼女。
 そんな子からの告白。
 嬉しくないはずがない。
 でも
 ”僕”は頭を小さく降ってその場から逃げ出した。
「ごめんなさいしたの? 」
「自分に自信がなかったんです。僕なんかの事好きになって付き合ったってこの子は幸せになれないって」
「後悔してる? 」
「後悔はしてません。多分、その通りなんで。でも、そこに自信が見いだせなかった自分に嫌気はさします」
「君は真面目だね」
 真面目、なんだろうか。
 ただの臆病者だ。
 いや臆病者というのも甚だしいか。



「大学生の僕です」
「今の海君だね」
 大きくなった”僕”は身体だけで、心は子供のまま。
 全てを俯瞰して、客観視して大人のふりをしてるだけのただの子供。
 ただなんとなくでできた友達のような人たちと、卒業できるギリギリを狙った惰性まみれの大学生活。
 それでも皆、僕がぼーっとしてる間に知らない所で努力をしていていつの間にか置いていかれていた。
 目標も目的も意味も全部どこかに置いてきた”僕”の背中は小さくて、そしてなによりも頼りなかった。

☆☆

 長いようであっという間だった僕のこれまでの人生。
 これから先、あの青クラゲの背中を大きくできるのは自分次第というわけだ。
 さぁ、僕には何がある?
 何ができる?
 どんなことなら、僕にも。
 その答えはもう決まっているきがした。
「あれ、月ちゃんは? 月ちゃんがいない」
 ずっと後ろをついてきていたはずの月ちゃんがいつの間にかいなくなっていた。
「月ちゃん? 月ちゃん! 」
 不安になって空さんと一緒にあたりを見渡す。
「空さん、あれ」
 僕らが進んでいた方向の先、ぼやっと何かが光っていた。
 その光に向かってひたすらに進んでみる。
 
 光には
「月ちゃん、家族に会えたんだね」
 月ちゃんとその家族が。
 もう離さないよって言っているみたいに強く抱きしめていた。
 そんな月ちゃんが触覚で光の先を指す。
 そこには機関車の入り口があった。
「これに乗れば僕らの世界に帰れる? 」
 月ちゃんはうんうんと頭を振った。
 そっか。
 これに乗れば、元の世界に戻れるんだね。
「月ちゃん、お別れだ。短い間だったけどありがとね」
「月ちゃんありがとう! 楽しかったよ」
 元の世界に戻ればまたあの日常が戻ってくる。
 きっとしんどい、疲れた、もう諦めようか、逃げ出そうか。
 そう思う時が来ると思う。
 それでも、自分の心の中に眠っていた僕の本当の気持ちに気づけたから。
 今までの僕とは違うよ。
「じゃあね」
 月ちゃんに手を振り、機関車の中に1歩、足を踏み入れた。


****


「すごい私機関車なんて初めて乗ったよ」
「しかも空飛んでますよ」
 まるで銀河鉄道の夜だ。
 この機関車が僕らを送ってくれるなんてほんとどこまでも夢のような話。

「海君はこれからどうするの? 」
 空さんは外の景色よりも僕の目をまっすぐ見てそう言った。
 まるで空さんの中でも答えが分かっているみたいに僕に何かを促すように聞いてきた。
 だから僕もまっすぐ空さんの目を見て、自分に言い聞かせるように口を開く。
「さっき、僕の人生を振り返って気が付いたことがあるんです」
「おぉ、なんだい? それは」

「文字を通して人をわくわくさせたり感動させるのが好きだったなって」

 それは本当に小さなころから。
 誰かに手紙をこっそり渡しては「ありがとう」と言われることに喜びを感じていた。
 読書感想文を読んで、僕が読んだ本を買ってくれたりそれで賞をもらうことが嬉しかった。
 だれも見てくれない小説を書いても、たまに立ち止まってくれる人がいてそういう数少ない人にでも言葉が届くことが好きだった。
 僕の文章を読んで誰かを救うとか、人生を変えるとかそんな大きな事じゃなくていい。
 少しでも誰かが何かをするときにそっと背中を押せるような、何かにくじけそうになった時にすっと体を支えられるようなそんな存在になりたい。

「言葉を、紡いでいきます」

 僕の言葉を聞いて空さんは月ちゃんのようにうんうんと笑顔で頷いた。
 そして伸びを1つ。
「私も、自分の見失ってたものに気づいたよ」
「見失ってたもの? 」
「うん。今まで仕事に追われて、結構こなすことばかりを気にしちゃってたんだよね」
 それは空さんから出る言葉にしては少し意外なように感じた。
「でもなんで今の就職先を選んだのか、どんな気持ちで、どんなことを夢見て就活してたのか、それを思い出したよ」
 空さんは凄くすっきりしたような表情でこちらをパッと見た。
 吹っ切れていて、素敵な笑顔だ。

「私は、まだ光を浴びていない芽を見つけて光へ導くよ」

 何かを比喩しているような、でもその言葉にいい意味で他意はないような、そんな目標を掲げる空さんを見て僕も「よし! 」と気合をいれた。
 機関車が速度を上げる。
 もう、きっと終点だ。
 空さんともお別れなのかな。
 本当に不思議な体験をした。
 どれもこれも空さんと出会えたから。
 機関車が強い光へ吸い込まれていく。
 まぶしくて目を細めてしまう。
 
「空さん! ありがとうございました。必ず、必ず言葉を紡いでいきます。いつかあなたに届くように」
「海君、こちらこそありがとね。待ってるよ! 絶対だからね! 」

 その言葉を最後に、僕らは光に包まれ目を閉じた。


****


「ん....」
 眠っていたのか。こんなところで?
 なんだかすごく長い夢を見ていた気がする。
 手元には大好きな本の大好きなページ。
 そばに置いておいたレモン味の天然水は暑さでぬるくなっていた。
「あ、カバン」
 危ない。カバンの中には財布だって入ってるのにこんなところにほっぽって。
 夢の中に出てきたあの空さんという女性、その人はどこにも見当たらなくてさっきまでのが夢だったんだと僕に嫌でも証明する。
 少し残念な気持ちもするけどでも心はすっきりしていた。
 僕の、するべきことを見つけたから。
 
 「帰ろう」
 自転車にまたがり、強く漕ぎ出した。
 未来の目標に向かって。



 パソコンの前で頭を抱える。
 もうかれこれ2時間は経ってるのにパソコンの画面はほぼ真っ白。
 大学4年生の秋。
 もうほぼ冬に入ろうとしている。
 これがコンテストに出せるラストチャンスかもしれない。
 就職先は小説の流通、運搬をする企業に内定をもらった。
 時間がある今の時期にコンテストで実績を残さないと正直もうきついかもしれない。
 あの不思議な体験をして以来、月に1回のペースでコンテストを開催している小説サイトを見つけ、今日まで全てのコンテストに応募してきた。
 テスト週間でも、就活で忙しくても、卒論に追われていても、バイトで目まぐるしい毎日を送っていても、応募だけはさぼらずに。

 でも、潮時かな....。
 厳しい世界だって重々承知の上だったけどpv数は多くて30前後。
 ランキングも伸びることはなく。
 何年も書いている人ももちろん、僕よりも年下の子達までどんどん光を浴びていった。
 僕は始めるのが遅すぎたのか。
 いや関係ないか。
 これも運命なのかもしれない。
 僕の作品に立ち止まってくれた数少ない人たちに感謝だ。

 そんなことを思っておもむろにスマホを開くとメールに通知が来ていた。
 今時メールなんて珍しい。
 入っているサブスクの案内か何かかな。

▷初めまして。こんにちは。私ジェリーフィッシュ出版文庫 星野と申します。書籍化のご検討について

 ん?
 もう1回、声に出して読んでみよう。

「はじめまして こんにちは わたくしじぇりーふぃっしゅしゅっぱんぶんこ ほしのともうします ....しょせきかのごけんとう....? 」

 ちょ、ちょっと待ってくれ。
 誰と間違えてるんだ?
 だって今までなんの賞もとったことないのに。
 いきなり書籍化なんてあるはずがない。
 とりあえずメールを開いて読んでみることにした。
 とりあえずね。とりあえず。

 でも確かに本文にも僕がいつもコンテストに応募している出版社「ジェリーフィッシュ」の文字が。
 そして僕のペンネーム「くらげ」の文字が。
 さらには「書籍化のご検討」の文字まで。
 頭が追いつかない。
 まあ追いつくはずがないよなと1回冷静になって考える。 
 何かの詐欺か?
 僕の夢にすり寄って個人情報を抜きとろうとしてるやつがいて、出版社を名乗った新手の詐欺にあっているみたいな?
 
 メールを要約すると
 僕がいつもコンテストに応募している作品を読んで、もっと多くの人に読まれるべきだと思ったと。
 コンテストで入賞うんぬんよりも違う観点から評価されるべきだと。
 まだ書籍化が確約できるわけでは無いが、一緒に頑張ってみないかと。
 
 そんなありがたすぎるお話だった。
 確かに僕の小説はまだまだ発展途上で入賞だとかそういうのには程遠いかもしれない。
 でも”一緒に頑張ってみないか”
 そう言われて「はい」以外の返事が思いつかなかった。
 詐欺だったら僕の人生それまでだ。
 まずは行動してみないと。
 そう思い、2つ返事で「ぜひ、お願いいたします」という旨の返信をした。


****


 普段、通学でしか通らないような人が栄に栄えている駅内のおしゃれなカフェ。
 今日はメールをくれた編集者さんが僕に会いに来てくれるという。
 これで詐欺だったら僕は売られたりするのかな。
 それとも何かに脅されて超高い何かと契約させられるのか....。
 今日まで星野さんとは何度かメールを交わしているし、あまり怪しい人ではなさそうというかむしろめっちゃいい人そう。
 いちおうちゃんとした格好に着替えてるせいもあってかそわそわして落ち着かない。
 
「すみません、お待たせいたしました....! 」
 集合時間よりもだいぶはやくついていたのは僕なのにかなり走ってきたような声が背中から聞こえる。
 一瞬深呼吸をして、小さく笑顔をつくった。

「いえいえ、ぜんぜんで、すよ....。え? 」
「え? うそ」

 目の前で、肌寒い季節にも関わらず汗を額に浮かべているのは
「空、さん? 」
 夢の中で出会ったあの女性だった。
「空だよ! え、海君? 」
「海です。びっくりした。空さん、ジェリーフィッシュの編集者さんだったんですか」
「そうなの。感動~。私あの日の事夢だと思ってたから、本当に海君が実在してたなんて」
 それは僕も同じだ。
 空さんは実在した。
 じゃあ、あの日の事も夢じゃなくて現実だった....?
 今はとりあえずそんなこと良いか。

「届き、ましたか」
「うん、届いた」

 空さんは満面の笑みでグッとサインを僕に送る。
「これから、私が海君の紡ぐ言葉を沢山の人に届けるからね」

「僕も頑張らないと」
「一緒に頑張ろうね!くらげ先生! 」
「ちょっとはずかしいですね....」
「自信持ちな~。忙しくなるよ! 」

 空さんのその言葉によしっと気合を入れる。
 
 
 これは僕、くらげが体験した不思議な不思議なある日のお話。
 これを読んだあなたが、いつしか忘れかけていた自分の”好き”にもう1度触れ、それを抱きしめて前を向ける日がきますように。
 馬鹿馬鹿しくてもいい。
 周りに言えなくたっていい。
 かっこ悪くたって、理解されなくったって。
 自分を認めて背中を押せるあなたが誰よりも何よりも1番、かっこいいんだから。

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