蝉の鳴き声で地面が割れそうだ。
 お昼食べる物ないしな~って外に出る準備はしてみるもののいざドアを開けると本能が「外に出ちゃだめだ」と僕を家の中に連れ戻す。
 蒸し野菜ってこんな気持ちなのかな....。
 そう思うとこれから先食べ物を蒸すという行為に凄く罪悪感を覚えそう。
 それくらい猛暑が続く毎日。
 することもなくスマホを開けば
 
 ▷インターンシップのご案内
 ▷大学で行われる就活イベント 参加者募集中
 ▷明日のシフト変わってくださる方いらっしゃいませんか?
 ▷なぁ就活してる?
 
 こんな通知ばかりだ。
 まだ大学3年生だって。
 そっとしといてくれ。
 夏休み、満喫させてくれ。
 そう心でつぶやくけど時間は待ってくれない。
 もう夏休みが始まって3週間が経とうとしているのに思い出と言えば、人手が足りなくてほぼワンオペ状態のバイトだけ。
「このままじゃ腐っちゃうよ」
 こんな生活してたらだめな気がする。
 何かしないと。動かないと。
 焦る気持ちを払拭したくて勢いよく立ち上がった。
 大学に通学するためだけに買った少し大きめのトートバックに財布とスマホとお気に入りの本だけを入れてタルンタルンになったそれを肩にかけた。
 
「行ってきます」

 家の鍵をかけて自転車にまたがり、漕ぎだした。
 これは....なんだ。ひとまず題して自分探しの旅としとくか。
 プチ自分探しの旅へ出発だ。


****


 どれくらい漕いでただろ。
 流れ落ちる汗が背中を伝うのを感じて気持ち悪い。
 着替え、もってこればよかったなぁ。
 少し休憩とコンビニに入りいつもなんとなくで買う天然水、の隣にあるレモン味に初挑戦してみることにした。
 味のついた水はあんまりなじみがないから今まで買わなかったけど今日は新しいことに挑戦してみようと試みた。
 
 勢いよく流し込む冷たい水が気持ちいい。
 自然と傾くペットボトルの角度も上がっていく。

 なんとなく、水が流れる音がした気がした。
 僕が飲んでる水と関係なく。
 遠くでザーッと水の流れる音。
 行ってみよう。
 また自転車にまたがり、漕ぎだす。
 
 意外と音の正体は近くにあって、大きな川にたどり着いた。
 太陽の光でキラキラと光る川の水は凄くきれいで、スマホでパシャっと写真に収める。
 高架下に自転車を止め、ここで少し涼むことにした。
 実際気温は高いし風も少ないから体感的に涼しくなったとは言えないけど、透き通る水が涼しさを運んでくれてるきがして今はこれで十分だった。

 持ってきたお気に入りの本を取り出す。
 いつ買ったのかも思い出せないくらい気が付いたらずっと読んでいた本。
 主人公が海の中に迷い込み、そこで出会ったクラゲと冒険する話。
 一発で開けるくらい好きなシーンがあった。
 クラゲと主人公が分かれてしまうシーン。
 そこでクラゲは主人公を元の世界に送り届けるため、自分を犠牲にする。
 そしてクラゲは溶けてなくなってしまう。
 その儚さと覚悟に心打たれ、それからこの本のファンなのだ。
 
 いいな~やっぱり。
 僕がこのシーンを好きな理由を聞かれてもはっきりとは答えられない。
 なんとなく、ただ好きだから。
 でもそのなんとなくの中に少しだけ言葉にできる何かがあるとすれば
 多分、僕にはできないことだから。
 皆を助けるヒーローに憧れるように。
 正義を敵にしてまで守りたいものがあったヴィランに憧れるように。
 自分を犠牲にしてでも主人公の事を思ったクラゲに憧れたんだと思う。
 
「何読んでるの? 」
 後ろから急にかけられた声に肩が上がる。
 反射的に顔をあげるとそこには頬杖を突きながら僕を覗き込む女の人がいた。


****


「あ、ごめん。びっくりさせちゃった? 私気になった事には一直線なの。ごめんね」
 そう「へへへ」と笑いながらいうその人は、白く清潔感のあるシャツに鮮やかなレモン色のズボンをはいていて。
 オフィスカジュアルかな。社会人?
「あ、あの....」
 彼女の勢いに押されてしまって言葉が詰まる。
 僕は逆に気になることがあっても一歩引くタイプだからこんなふうにいきなり話しかけることはない。
「分かりやすくドン引かないでよ。ごめんって。私(そら)っていうの。君は? 」
 凄くテンプレみたいなアニメでしか聞かないような自己紹介に少し笑ってしまいそうになるけど
(うみ)、って言います」
 とこんなつまらない自己紹介よりはましかと笑いを飲んだ。
 
「うみ君? 生き物が住む海のうみ? 」
「そうです。かいってよく間違われますけどそのままうみです」
「え~めっちゃ素敵な名前じゃん! 私海大好き~」
 無邪気に言う空さんは格好から推測する年齢より若く見えた。
 でも急に少し大人の顔になって
「こんなところで何してるんだい? 少年」
 とまた頬杖をついて聞いてきた。
 なに、してるか。
 プチ自分探しの旅っていうのはなんとなく恥ずかしくて

「なんか、逃げ出したくて」
 
 そう言った。
 そう言った時、なんだか自分の中にあった心のわだかまりが1つ取れた気がした。
 そっか。僕は逃げたかったんだ。
「逃げる? 何から」
 まさか誰かに追われてるとか非日常なことはもちろんなく”誰”ではなく”何”と聞かれたことで空さんに”社会人”を感じた。
「今、大学3年生で。就活しないといけないのに何がしたいのか分からないから全く進まなくて。周りの友達はインターンシップ行ったりやりたいこと見つけて検定取ったりしてるのに僕だけ全く。夏休み、どこ行くでもなくただ人手が足りなくてやらざるを得ないバイトだけして1日が終わるんです。焦って。でも何していいか分からくて。自分探しの旅に出ようって思って出てきたんですけど、ほんとは逃げたかっただけなんだって今気づきました」
 だいぶ意味わからないことをつらつらと長々と言ってしまった。
 しかも初対面の人に。
「なるほどね~」
 そういい大きな伸びをする空さんは
「私は今25歳で新卒から社会人やってるけどさ、そんな重荷に感じなくていいんじゃい? って言いたいけど実際そうはいかないよね。焦るもん。周りがどんどん先に進んでたら。きれいごとだけじゃ乗り越えられない感情もあるから」

 ”きれいごとだけじゃ乗り越えられない感情”
  
 その言葉にマーカーが引かれて浮かびあがった。
 これが大人の余裕ってやつか。
 天真爛漫な感じに見えた空さんもやっぱりちゃんと大人なんだ。
 でもまたすぐに「んー」っと大きく伸びをして立ち上がった。
「なんか、私も逃げ出したくなってきたな~」
「え、仕事は....? 」
「え、それ海君が言っちゃう? 今私の見方は海君だけだ! 行こ」
 そう言って手をさし出してきた。
 本を閉じ、カバンにしまって意味も分からずその手を取る。
 立ち上がると同時に空さんは勢いよく走り出した。

 走って走って知らない街を抜けていく。
 風を切って、木々を抜けて、人の目も道のりも気にせずただひたすらに。
 そして強い光にどんどん迫って、迫って、その光に飛び込んだ。
 目をつぶって光に包まれたその先。

「海君! 見て! 凄いところにでた」

 そう言われてうっすらと目を開くと

 そこでは、クラゲが宙を舞って泳いでた。