「純夏先輩って歌も上手いんすね!」

「そう?普通じゃない?」

夏休みが始まった。こうやって利津くんと学校の外で会うのは久しぶりだった。しかもカラオケの個室で2人、いつもと違う雰囲気にいつも以上にそわそわしてしまう…だって、こないだまでと少しだけ違うから。

「純夏先輩」

「…っ」

マイクを机の上に置いて手持無沙汰になった私の右手を隣に座る利津くんが握る。一気に右手が熱を帯びたように体中に駆け巡る。
視線を向ければ目が合って、ドキッと心の奥で音が鳴る。この何もない時間が、変わったところ。それだけでいいんだって思える利津くんとの空間。やっと本当の彼女になれたみたい。

「あ、そういえば利津くん!身体は…もういいの?」

終業式から1週間、あんなことがあってまだ不安はたくさんあった。

「全然、何ともないですよ。だって俺ロボットなんで、ちょっといじればすぐ治っちゃいますから」

「…そうなの?」

「はい」

にこっと笑ってそのまま私の方に頭を乗せた。手を繋いだままソファーに座って、カラオケなのに何も歌わないまま次の曲も入れてなくてずっと何かしらの宣伝みたいなのが流れてる。利津くんがきゅっと握る手に力を入れた。

「人間て脆いですよね」

「え…?」

「俺中学の時は結構人気者だったんですよ!まぁ高校入ってちょっとの間はそうでしたけど…」

利津くんは明るくて人当たりもいい、本来なら友達も多くてクラスの中心にいる存在だと思う。私だってそう思ってた。

「…でも崩れるのは一瞬っすね」

目を伏せて目の前の壁の一点をじーっと見つめて。
利津くんはずっと後悔してるんだ。次は自分の番になってしまったことを。
立ち向かった利津くんはすごいと思う。偉いと思う。だけど、自分を守ることも悪いことじゃない。悪いのはそんなことが存在してる世界だ。

「人間てどうしてそんなに順位を付けたがるのかな?みんな変わらないのに、同じ人間なのに…」

私の肩に乗せていた頭を起こした利津くんがこっちを見て微笑んだ。

「純夏先輩は優しいですね」

「…普通だよ」

だってそんな世界を変えることは簡単じゃない。私にできることは、あるのかな。

「何か明るい曲歌いますか!」

利津くんが私から手を離してデンモクを手に取った。ソファーの背もたれに寄りかかり履歴を開いて知ってる曲を探すように遡っていく。一緒に見ようかなと覗き込むように近付いた。

「そうだ!明後日ですよね?」

近付いた瞬間、くるっとこっちを見たからちょっとだけビックリしちゃった。

「う、うん!…大丈夫?」

「はい、なんなら楽しみですよ」


****


その明後日、私はちょっと…いや、結構緊張していた。だってこんなことしたことなかったから。紹介すればいいのなかって思ってただけだったから…

まさか柚から七江くんも誘ってダブルデート(って何それ何したらいいの!?)を提案されると思ってなかったから。わかりやすくしどろもどろしていた。

「こちらが…あの、彼氏の是枝利津くん…です」

指先を揃えた右手をピンッと伸ばして利津くんの方へ、彼氏を紹介するってこんな感じなのかなわからない。

「こんにちは、初めまして」

利津くんがにこっと笑って軽く会釈した。それに対して柚がわーっと明るい声で返した。

「初めまして!純夏ちゃんと同じクラスの柚です!」

「七江です」

この流れだと私まで自己紹介してしまいそうになったのを飲み込んだ。1つ後輩の利津くんのことは柚も七江くんも今日が初めましてで何も知らないことがよかったと思った。その方が利津くんも気にしないで楽しめるかなって。

「じゃあ行こっか!」

せっかくだからみんなで遊べるのがいいよねって柚の意見で、謎解きイベントに参加することにした。謎解きイベント~閉じ込められら眠り姫の秘密~、柚が選んだから利津くんにはどうかなぁ?って言ったら“おもしろそうですね”って言ってくれたからこれは私も楽しみだった。
早々に彼氏を友達に紹介するという何よりの一大イベント終えた私からしたらあとは楽しむだけだから。うん、気分上がって来た!

みんなが歩き出した1番最後を歩いた。謎解きイベント会場は集合していた駅からちょっと歩いたところ、アパートの一室をお姫様が眠る部屋に見立てたお城ってことになってるらしい。
結構本格的なのかな?謎解きイベントってやったことないから、どんなやつなのかな。

「純夏ちゃん!」

前を歩いていた柚が振り返って私の隣に並んだ。スルッと腕を絡ませて、こそっと私の耳元に近付いた。

「彼氏、カッコいいね!」

「えっ!?」

あ、やばい。変な声出しちゃった。それに柚が笑ってた。

「瑞穂くんには負けるけどね♡」

嬉しそうだった。ただ利津くんのことを紹介しただけだったんだけど、それだけで柚が喜んでくれて、じゃあもっと早く言えばよかったかもなんて思ったりもして。ケンカにもなっちゃったけど…、やっぱり柚といるのはいいなぁって思った。

「柚、ありがとうね」

「え、何が?」

「私と友達になってくれて」

少し先を利津くんと七江くんが歩いてる。何話してるかは聞こえないけど、たまに見える利津くんの横顔は楽しそうだった。

「私、柚と友達になれてよかった」

柚の方を見た。少し目を大きくした柚がこっちを見ていた。

「え、…急に何?」

「言いたくなったから、…今こうして仲良くできて嬉しいなって」

「そんなの私もだよ!」

「柚が話しかけてくれたからだよ」

教室の隅っこでひっそりといた私を呼んでくれた。こっちにおいでよって言ってるみたいに。

「話しかけてくれないと話せないの、私。…自分でちょっと変だなって思う時あるし、だから柚に話しかけられなかったらっ」

「普通じゃん?」

「え?」

「私は純夏ちゃんと仲良くなりたかったもん!」

柚の大きな瞳に私が映ってる。ふわふわな柔らかい髪が風に揺れる。柚には羨むことばかりだけど…

「これからもよろしくね!」

「うん、よろしくね」

そうやって笑う柚が私は大好きなんだ。


****


「謎解き楽しかった~!ね、純夏ちゃん楽しかったよね!」

「うん、でもちょっと難しかったよね」

「最後の問題は意外な答えでしたよね、七江先輩よく解けましたね」

「あれは引っ掛け問題だったよね」

思う存分謎解きを楽しんだ後、近くのカフェで興奮冷めやらぬ感想を言い合っていた。
真ん中の丸テーブルをみんなで囲むように、柚と利津くんの真ん中に座った。柚がハニーアセロラフラッペなんていう目を引くドリンクを注文していたからマネして同じものを注文してみた。

「やっぱ最後は王子様のキスで目を覚ますのがオチかなって思ったよね!全然違うんだもん答え二度見しちゃった~!」

柚がちゅーっとフラッペをストローで吸った。

「謎解きのタイトルが閉じ込められら眠り姫の秘密だったもんね」

これは絶対眠りの森の美女モチーフの謎解きだよって前日に柚に言われて、事前に本を読んで予行演習して行ったんだけけど…確かにモチーフはモチーフではあったんだけどラストの展開は大幅に違った。

「まさかでしたよね」

「うん、あれは俺も解いてて本当かな?って途中なったあの答え…」

一瞬4人が黙った、そしてタイミングを計ったようにボソッと言い放った。

「「「「王子様の手作りプリンだったとは…」」」」

キレイに揃った言葉についみんなで笑ってしまった。ただでさえ賑やかだった店内がさらに賑やかになって、周りの人たちが何を話してるのかも気にならなかった。自分でもこんなに笑えたんだってくらい、ずっと口角が上がっていた。

「眠り姫食いしん坊だったのかな、王子様のキスで目覚めるんじゃなくて王子様の手作りプリンで目覚めるなんて」

「ずっと眠ってたからお腹空いてたんじゃない?」

「もしくは王子様が料理上手だったかですよね」

柚の素朴な疑問に私と利津くんがそれぞれの持論を答えて、そんなのただ自由に話してるに過ぎなかったけどみんな楽しそうだったから。

「でも、不思議だよね」

七江くんが腕を組んで右手を顎に添えた。少し首を傾けて、まだ解けてない謎があるみたいに。

「瑞穂くんどうしたの?何かあった?」

「うん、だって…姫は寝てるのにどうやって王子様の手作りプリン食べたのかな?」

これには私も利津くんも柚も、目をぱちくりさせちゃって。言われてみればそう…なんだけど、そこまで考えてはなかったっていうか。

「王子様がスプーンですくって食べさせてあげたんだよ」

「でも寝てるわけだよ、寝てる時に口の中に食べ物入れるなんて危ないこと王子様がするかなぁ」

柚の話を聞いても腑に落ちない様子でうーんと考え込んでいた。いや、でもプリンだから…たぶん大丈夫だと思うんだけど。

「あ、でもスムージーとかにすればいいのか!ミキサーにかけて、牛乳とか入れて…」

七江くんの中で王子様の手作りプリンが王子様の手作りプリンスムージーに変わっていた。てゆーかプリンはダメでプリンスムージーはいいの!?

「瑞穂くんおもしろいでしょ」

ふふっと笑いながら柚が教えてくれた。

「あーゆう何でもいっぱい考えてるとこが好きなんだ」

愛おしそうに見つめて、微笑んで。やっぱいい顔してるなぁって。
私も一緒になって笑ってた。そしたら隣で利津くんも笑ってて、私も“愛しい”って思ったの。好きな人がいて、大切な友達がいて、友達の大切な人がいて…この空間が何より眩しかった。
だからずっとこうしていられると思ってたの。ずっとこうしていたいなって思ってたの。私が願うだけでは、足りなかったよね。


****


「純夏先輩、今日はありがとうございました」

「ううん、こちらこそありがとう」

「楽しかったです、すごく」

「うん、私も」

柚たちと別れて利津くんと歩く帰り道、赤く雲が染まってる。まだまだ暑くて利津くんの首元は汗ばんでいた。

「柚先輩も七江先輩もいい人でしたね」

「私も七江くんとは初めて話したんだけどおもしろい人だったね」

一瞬触れかけた手を利津くんが握ったから、同じように握り返した。絡み合った手から感じる温度にドクンと音が鳴る。

「今日いっぱい笑いましたよ、笑い過ぎて頬っぺたんとこが痛いっすもん」

「あ、筋肉痛だ?笑い過ぎて筋肉痛なんてあるんだ!」

それを聞いてまた笑っちゃって、利津くんが喜んでくれてよかったって思った。
人通りの少ない路地を、たまに空を見ながらまだ陽よ沈まないでって思いながら。少しでも長くこの時間を歩いていたかった。

「俺も…もう1年早く生まれたたら、柚先輩たちと仲良くなれたんですかね」

消えていくような声をしていた。気になって顔を見上げると、微笑みかけられた。

「まぁでもロボットなんで、1年早くとかないんですけどね」

「……。」

利津くんといられるのはあとどれぐらいなんだろう。本当に利津くんはいなくなってしまうのかな、やっぱりどうしても信じられない。

「今からで遅くないよ!これからでもいいよ!またみんなで遊ぼうよ、柚と七江くんと!もっと!!」

「ありがとうございます」

目を細めて笑って返された。

「でも1年早かったら純夏先輩と付き合ってなかったかもしれないですね」

もうすぐ沈みそうな陽の光が反射する。利津くんの手の温度が上がっていく。

「だったら、このままでもよかったかな」

そうだね、なんて言えなかった。

「もう来週ですよね」

夏休みが始まって1週間ちょっと、来週の金曜日は登校日。久しぶりに学校へ行くことになる。あの日以来の学校へ…

「行きませんか?一緒に」

「えっ!?」

「花火大会、来週ですよね」

「あ、花火大会!?」

そういえば柚とも話した、確か七江くんと行くって行ってた花火大会だ。今のはてっきり学校の話かと思ったけど、登校日と同じ日だったね花火大会は。
その動揺を見透かされたのか利津くんがくすっと笑った。

「…純夏先輩が一緒に花火大会行ってくれたら、がんばれる気がするんで」

「行く、行くよ!絶対行こうね花火大会!」

声を大きくして頷いた。
“純夏ちゃんは?彼氏と行ったりしないの?”
それは少し嬉しくもあって、私にとっても楽しみになった。

「前に噴水のある公園行ったじゃないですか」

「うん、最初に…デートしたとこの?」

「そうですそうです、あそこからでも花火見れるんですよ」

「そうなんだ」

「夜店からは離れちゃいますけど、結構キレイに見れて穴場なんですよ」

あとちょっとだった陽が沈んだ。真っ赤だった街並みが蛍光灯の明りに変わる。

「でも2人で見られるならいい、かもね」

だから恥ずかしそうにした私の顔は上手く隠せなかったかもしれない。

「ほら!利津くん噴水好きだし!」

必死に誤魔化した顔も、たぶん見られてた。真っすぐ前を見てわざと逸らしちゃったから。

「なんかよくないすか?噴水って」

「いや、…普通っていうかあんまり考えたことないけど。水があんまり好きじゃないの、雨とかプールとか海とか」

「何でっすか?」

「なんでかウッてなっちゃう…の、なぜか」

「へぇ、アレルギー的な?」

「水にアレルギーなんてあるかな」

いつもよりゆっくり歩いたせいか、駅までの道が少しだけ遠かった。だけどあとちょっとで駅に着く、そしたら利津くんとバイバイだ。

「でもあの噴水は好きだったかも、シャワーがキレイだったよね」

利津くんが言っていたこともわかるなって、思い出したらほっとした気持ちになった。

「じゃあまた一緒に行きましょう」

利津くんが繋いでいない方の手を前に出して小指を立てた。それに私も小指を絡ませた。

「うん、約束ね!」


****


「利津くん、おはよう!」

「おはようございます、純夏先輩」

夏休みで1日だけある出校日、校門のところで会った利津くんにあいさつをした。いつもと変わらない様子で私に笑いかけた。

「今日も暑いですね~」

「そうだね、気温高いよね」

「夜も暑いですかね」

「きっと暑いだろうね」

夜、今日は花火大会の日。そのことを考えるとちょっとだけそわっとしちゃう。

「浴衣、着て来てくれますか?」

「えっ!?き、着ないよ!着ない!!」

「えー、楽しみだったのに純夏先輩の浴衣~」

「だって持ってないから!」

校門から校舎まで数百メートルの距離、ちょっとだけ坂になっていて通路を挟むように花壇が作られている。この時期の花は咲いてなくて葉っぱばかりだけど。

「楽しみにしてたのになー」

「…勝手に楽しみにしないでくれる?」

わざと口を尖らせる利津くんの横顔を見上げて、太陽の光に目を細めた。
会えてよかったな。なんとなく心配だったから。

「まっ、純夏先輩と花火大会行けるだけでも嬉しいんでいいですよ~」

ふふっと上機嫌に声を出して、ズボンのポケットに手を入れながら歩く利津くんの横で静かの頬を染めた。

「…私も、嬉しいよ」

「え?今なんて言いました??」

「な、何も言ってないよ!」

「私も嬉しいって言いましたよね!?」

「聞こえてるじゃん!」

顔を赤くする私を見て利津くんがケラケラと笑う、だから余計に楽しみになったの。私もたぶん表情は緩んでた。

「花火は7時からなんで、6時くらいに駅集合でいいですか?」

「うん、わかった!6時ね!」

数百メートルの距離はあっという間で、すぐに校舎の中に入ってしまった。
玄関をくぐったら下駄箱で上靴に変えて、それぞれの教室まで…ちょっと寂しいなぁって思っちゃったり。それに…

「利津くん…」

「何ですか?」

「………。」

何か言いたかったけど、何を言えばいいかわからなかった。だって利津くんは絶対言うに決まってる。

「大丈夫ですよ」

ほらね、私が言いたかったことの先を越してしまう。

「あ、今日一緒に帰りませんか?」

視線を下げて私と目を合わせた。

「ここで待っててください」

「うん!待ってる、一緒に帰ろう!」

ぽんっと私の頭を撫でて、にこっと微笑んだ。じゃあと手を振って、私も振り返した。

今日2つも約束しちゃった。

“…純夏先輩が一緒に花火大会行ってくれたら、がんばれる気がするんで”
大丈夫だよね、信じていいよね。待ってていいんだよね…?


****


「純夏ちゃんっ、おっはよ~!」

後ろから元気よく声が聞こえた。今日も楽しそうな雰囲気滲み出てる。

「柚、おはよう」

「朝から利津くんと一緒だったんだ~、いいな~♡」

「えっ、…うん」

「純夏ちゃん可愛い~!」

柚に利津くんを紹介してから、思ってたよりも素直な自分がいて頬を染めながらも自然と頷いてた。でもそれも悪くなくて、結構気に入ってる自分がいる。

「利津くんと花火大会行くの?」

「えっ」

「さっき聞こえちゃった♡」

「うん、そう…なの!柚も七江くんと行くんだよね?」

スニーカーから上靴に履き替える。下駄箱にスニーカーをしまって、教室のある階段まで歩き出した。

「行くよ~、もしかして会うかもしれないね!会ったら写真撮ろ~!」

「うん、いいね撮ろう!」

一段一段階段を上がる足取りも軽くて柚も今日の花火大会を楽しみにしてるんだなぁと思った。

「浴衣着て行くんだ、張り切って新しいの買っちゃったの」

両手で頬を押さえながら、隠しきれていないニヤケ顔を見せて嬉しそうにした。

「…やっぱ花火大会は浴衣で行くもの?」

“えー、楽しみだったのに純夏先輩の浴衣~”
そう言われて気になってたわけじゃないけど。いや、気になってた…んだけど。

「やっぱそうじゃない?テンション上がるし、せっかくだから可愛くしていきたいなって思うし」

「そっか、そうなんだ」

ふーん、そうゆうものかぁ…浴衣って。確かに夏の風物詩だし、お祭り感出るし、着て行った方が…利津くん喜ぶかな。
ふと浮かんだのは笑てくれる利津くんの顔で。喜んでくれるなら、いいなぁって。

「純夏ちゃんも浴衣着るの?」

「ううん、…持ってないからさ浴衣」

でも結局着ることはないんだけど。私も1着ぐらい持っておけばよかったかな。

「じゃあ、貸してあげよっか?」

先の階段を上っていた柚が振り返った。

「私新しいの買ったから、去年のでよければあるよ!」

「え、…いいの?」

「うん!一緒に浴衣着よ!」

柚の顔を見ながら階段を上った。隣に追いつくように、うんっと頷いて。

「ありがとう!」

早く学校終わらないかな、そんな風に思ってた。

「じゃあ学校終わったらうち来てね!」
そしたら利津くんと帰って、柚のお家にお邪魔して、浴衣着て…花火大会へ行くのがすごく楽しみだった。


****

夏休みの登校日は基本的にすることがない。学校側からの確認みたいなもので、生徒たちの様子を探るだけ。
出席取って、先生の話を聞いて、宿題するようにって念を押されて、そんな感じで学校が終わる。お弁当もないし、午前中だけの短い時間を過ごせばすぐに…

「……?」

あとは掃除をして帰るだけだったのに、スカートのポケットに入ったスマホが振動しているのに気付き開いてみると利津くんからの着信だった。
今、どうして…?
机を後ろに下げようと思って立ち上がっていた。だけど鳴り続ける電話が気になってスマホの画面を見たまま止まってしまった。

「純夏ちゃん?どうしたの?」

後ろの席の柚が不思議に覗き込んだ。

「電話?」

「え、うん…利津くんから」

なんで今電話がかかって来るんだろう、どうして今なんだろう。

「利津くんから?え、利津くん学校来てたよね?」

「うん、朝は…一緒だったけど」

これは何の電話なの?あぁ、どうしよう。嫌な予感しかしない。
静かにスマホの画面をタップした。ゆっくり耳にあて、声を出した。

「もしもし、利津くん…?」

「あ、純夏先輩!」

いつもと…変わらない?いつもの私を呼ぶ声だった。

「すみません、電話しちゃって」

「どうしたの!?何かっ」

「純夏先輩の声が聞きたくて」

「え…」

だけどその声は知らなかった。そんなか細い声、電話では上手く聞き取れなくて。

「純夏ちゃん?利津くんどうしたの?」

柚に呼ばれて振り返った。
その時の私はこわばった顔をしていたと思う。柚が私を見てびっくりしていたから。

「純夏ちゃん!?」

グッとスマホを耳に近付けた。

「利津くん!?今どこにいるの!?」

利津くんの電話越しに聞こえる雑音がうるさくて声が聞こえない。ボソボソと何か言ってるのにちゃんと聞き取れない。

「利津くん、ごめん電波が悪くてっ」

「純夏先輩、すみません。今日一緒に帰れません」

「そんなっ」

「それを言いたくて」

声が遠くなった。利津くんが耳からスマホを離したんだと思った。さっきより大きな声で叫んだ。

「利津くん待って!!!」

机も机の横にかけたリュックもそのままだった。これから掃除してホームルームだってあったけど、そんなの考えてられなかった。

「純夏ちゃん、どこ行くの!?」

思わず教室を飛び出した。

「ちょっと、利津くんのとこ…行ってくる!」

スマホだけ持って、勢いよく廊下を走り出す。早く行かなきゃって、大きく足を踏み込んだ。

「純夏ちゃんっ!」

だけど、私より大きな声柚が叫んだから。

「…戻って来るよね?」

足が止まってしまった。

「今日一緒に浴衣着ようねって約束したもんね、絶対来てくれるよね!?」

柚のが不安そうだった。教室の窓から身を乗り出すようにして必死に訴えかけるように。

「うん、行くから絶対!」

親指を立てて手を頭の上に上げた。うんっ、と頷いて柚に合図を送る。
そしてまた走り出した。スマホを耳に当てたまま、まだ聞こえてる音を聞きながら。

「利津くん!私の声聞こえてる!?」

電話口に向かって話しながら廊下を抜けて階段を駆け下りた。利津くんの声は返って来なかったけど、電話が繋がってるのはわかってたから切られるまいと話し続けた。

「一緒に帰れないのは気にしなくていいよ!」

下駄箱まで一直線、掃除の始まるチャイムが聞こえたけど気にせずスニーカーに履き替えた。トントンッと靴を鳴らして学校の外へ出た。
ゆるやかな坂道を下って校門を抜け、いつもの通学路を辿った。

「気にしなくていいから…っ、絶対に電話を切らないでね!このままでいてね!」

利津くんの声が聞こえにくかった時、ガタガタと雑音が鳴っていた。あんなにうるさく響くものはあんまりない。利津くんの隣を過ぎて行くような、走っていくような音…
“俺のこと1つ知ってくれました?”
利津くんは電車通学だ!!!あれは電車が通る音だ!!!

「私が行くまでっ!」

きっと利津くんは今駅にいる。そこから私に電話して来たんだ。

「待っててね、利津くんっ」

行先は駅、止まることなく走り続けた。

だけど、駅までの距離はそんなに近くない。
走ってどれぐらいだろう…10分、もかからないと思うけど。早く、少しでも早く利津くんのところに…!

「純夏先輩」

小さく声が聞こえた。

「何!?どうかした!?」

「俺…、純夏先輩と一緒にいるの本当に楽しくて大好きでした」

囁くように話す利津くんの声を聞き洩らさないようにスマホをもっと耳に近付けた。

「噴水見に行った日あるじゃないですか?ハンバーガータワー食べて、そのあとボウリング行って…純夏先輩が俺の名前呼んでくれた時マジでめちゃくちゃ嬉しかったんですよ」

「利津くんっ、呼ぶよ!今でも呼んでるよ!」

何度でも、それで利津くんが喜んでくれるなら…何度だって呼ぶから…っ

「俺が純夏先輩の名前を呼んだ時、純夏先輩は何とも思ってなかったと思いますけど」

「…っ」

「俺はずっとドキドキしてました」

いつも約束していたあの公園の前を通り過ぎる。いつも利津くんと話していた公園、初めて名前を呼ばれた公園。

「気付かれないように必死だったんすよね、実は」

かすかに息の漏れる音が聞こえた。

「笑っちゃいません?」

今、利津くんは笑っているのかな。それはどうして笑ったのかな。
ガタガタガタと電車の通り過ぎる音がして、わざと大きな声で返した。

「利津くん!私もっ、あの…!あの時はそうだったけどね、今はねっ」

早く駅に辿り着きたい、無我夢中で足を動かした。まだ見えてこない駅がもどかしくて。

「純夏先輩、俺…」

すぅっと息を吸った音がした。利津くんがゆっくり息を吐いた。

「恋の仕方を教えてあげるって言いながら本当はずっとドキドキしてたんです」

まだ駅に着かない。早く利津くんの顔が見たいのに。利津くんに会いたいのに。今どんな顔してるのか知りたいのに。

「お互いにフェアっぽく見せかけて、純夏先輩のためって言いながら全部自分のためだったんです。いつか純夏先輩が俺のこと好きになってくれないかなって思いながら、俺はただ純夏先輩と一緒にいられる時間を楽しんでたんです」

時折静かになる利津くんの電話、風の音がひゅーっと流れて来る。

「ちゃんと教えてあげられなくてすみません。でも俺、欠陥品なんで…許してもらえませんかね、なんて」

あと少し、あと少しで駅が見えて来る。もうすぐだから、ねぇ…!

「すごく楽しかったです、この3ヶ月」

「利津くん!もうすぐ着くの、どこにいるの!?」

「今までで1番楽しかったです」

「あ、駅!見えて来た!もうそこだよっ!」

「純夏先輩、ありがとうございました」

駅の中に入る、でもどこにいるのかわからなくて。

「利津くんっ」

電車の音が聞こえていたってことはホームにいるのかな!?どっちのホームだろ!?
と、とりあえず改札くぐって…!
あっ、財布!お金ないんだった!!
どうしよ、切符がないと入れない…けどっ

「すみません、あのホームに忘れ物しちゃって」

改札窓口に駆け込んでテキトーな言い訳をした。焦った様子の私を見て駅員さんが不思議に首をかしげる。

「何を忘れたの?」

「あの、えっとっ」

あたりまえだけど簡単には通してくれなくて、表情を曇らせる私に余計不信感が募るように思えた。だけどこうしてる時間さえもったいなくて、止められそうになる体を無理を承知で強引に擦り抜けた。

「す、すぐ取って来るんで!すみません!」

「ちょっと、君…!」

改札の中に入っても走り続ける。たくさんある階段を見渡して、利津くんのいるホームを探した。
電話の声が聞こえなくなった。でもまだ切れてはいなかったから。

「利津くん、お願い教えて!今どこに…!?」

“純夏先輩、ありがとうございました”
どうしても耳に残って。嫌にも引っかかって。
半年って言ったよね、まだ3ヶ月あるんだよね?なんで過去形で言うの?

「純夏先輩、じゃあ…」

「待ってっ!」

目の前にあった階段を駆け下りた。イチかバチかこの先に利津くんがいますようにと願いながら、一気にホームまで下った。

「あ、いた…」

だけど目の前にあった階段を降りただけだったから、利津くんのいるホームとは逆のホームに来てしまった。
線路越しに利津くんと目を合わせた。やっと会えた。やっと顔が見れた。

「りっ」

「純夏先輩って本当何でも出来るんですね、ここまで来るの早くないっすか?」

「……。」

「全然息乱れてないし」

全速力で来たから、いつも以上に力が入っていたと思う。一刻も早くここへ来たかったから。

「…利津くん、今日何があったの?」

電話口に問いかける。真っすぐ利津くんを見ながら。キュッとスカートの裾を握りしめて。

「………。」

「また何かあった?」

「……。」

「ごめんね、やっぱ私も一緒に教室まで行けばよかったよねっ。全然気回らなくてっ」

利津くんが視線を落とした。下を向いて、顔が見えなくなった。

「利津くんっ」

「行けませんでした」

弱弱しい声は途中で消えて行った。

「教室に、行くのが怖くて」

一緒に教室まで行けばよかった、なんて言わなきゃよかった。

「…行けませんでした」

そんな軽々しく言えることじゃなかったのに。

「教室に行く階段を上ってたら思い出しちゃって」

忘れられるわけない、終業式の日に何があったかなんて。あんなひどい目に遭わされたんだ。
いくら夏休み中、楽しそうにしてたってずっと怖かったに決まってる。ずっと抱えてたに決まってる。

「…足がすくんで、それでも一応行こうとは思ったんですけど」

私はまた利津くんの大丈夫を鵜呑みにしてしまった。どうしてもっと思ってあげられなかったんだろう。

「いざ、教室に着いた時思ったんです」

なんでもっとそばにいてあげなかったんだろう。

「誰も俺のことなんか見てなかったことに」

ふわーっと風が吹いた。お昼前の駅のホームはちらほらとしか人がいなくて、夏休みとは言え金曜日の今日は電車も平日ダイヤで賑わいも少ない。だからか、あまり電車も来なくて反対のホームにいる利津くんの姿を見ることができていた。

「…こんなに俺がっ、苦しんでても関係ないんですよ!誰も気にしてないんです、無なんです、そんな程度なんですよ…っ」

震えた声が耳に届く。目の前にいるのにどうもしてあげられることができない。

「…俺の存在意義って何なんでしょうね」

スーッとどこかへ行ってしまうんじゃないかと思った。俯いた利津くんが、一度も顔を上げることがなかったから。
こっちを見てほしかった。振り向いてほしかった。引き止めたかった…っ
だから大声で叫んだの。電話だったからそんなに声を出す必要もなかったけど、利津くんの耳に届けたくて。聞いてほしくて。胸をいっぱい膨らませて息を吸った。

「私、欠陥品なの!」

お願い、こっちを向いて。私を見て。

「私ね…っ、ずっと憧れてたの!」

アナウンスが鳴っている、白線の後ろのお下がりくださいって。もうすぐ電車が来る合図だ。

「誰かをっ、好きになるってどうゆうことだろうってずっと思ってた。そんな感覚なったことないし、それがどんなものかもわからなくて、私にはそんな機能最初から備わってなかったんだって…っ、諦めてた」

恋をする姿は可愛くて、私もそうなりたいって心の底では思ってた。でもそうはなれない自分は人とは違うって、劣等感を持ってたの。

「だけど、利津くんに会って初めて知ったよ」

あの日、まさかあの出会いが始まりになるとは思わなかった。あんな出会いだったのに、今ではそれさえも愛しく思えて。

「もっと話したいなとか、一緒にいたいなとか、触りたいなとか…知らない気持ちばっかりで最初は戸惑ってたけど、利津くんといてわかったの」

あの時、話しかけてくれたこと私を変えてくれた。

「これが恋なんだって」

気付かせてくれたのは利津くんだ。

「恋を諦めてた私に恋の仕方を教えてくれた。ちゃんと教えてくれたよ、だから利津くんは欠陥品じゃないよ!」

ピクッと利津くんの肩が揺れたのがわかった。気強い視線を送り続け目を離さないようにして。

「利津くんだからっ」

「だから決めてたんです、あと半年って!」

その激高した声に今度は私が肩を震わせた。利津くんが静かに顔を上げる。
表情のない顔だった。いつも笑ってた利津くんとは全然違って。かと思えば、感情を消して淡々と話し始めた。

「そのつもりで半年って決めてました」

「……っ」

「…ちょっと早くなっちゃいますね」

「利津くん…?」

「もう終わりにしたいんです」

もう一度アナウンスが鳴る。だから声が聞き取りにくくて、そんな言葉言ってないといいのにって思った。

「あ、もうすぐ電車が来ます」

「利津くん!」

「じゃあ、電話切りますね」

「待って!ねぇ花火は!?行くんだよね!?」

階段を駆け上がった。反対のホーム、利津くんがいるホームへ行くために全速力で駆け上がった。

「今日一緒に行こうねって約束したよね!?行くんだよね、行こうよ花火大会!!」

ずっと利津くんに呼びかけながら一気に階段を上り、そのまま反対側のホームに続く階段を駆け下りる。
電車が来るまであと少し、走って行けばまだ間に合う…!

「柚に浴衣借りれることになったの!だから私も浴衣着て行こうかなって!利津くん言ったじゃん、着てほしいって!ねぇ、楽しみにしてくてれてるんでしょ!?」

プツン…ッ、と電話が切れた。

「利津くん…っ!!!」

“俺はあと半年で死ぬんで”
半信半疑で聞いていた。そんなことわかるものなのかなって。でもきっとそんなの誰もわからないと思う。
だってそれは自然の摂理だもの。人間なら。
やっぱりね、人間に自分の死期は決められないものだと思うから。

「利津くん…っ!」

かすかに確認した利津くんの影を追うように、入って来た勢いを止めないまま大きく踏み出した。手を伸ばして、足をできる限り前に踏み込んで、脇目も振らずに利津くんだけを見ていた。電車の音が近付いているのはわかっていたけど。

たんっ、と右足を踏み切った。

ファァァァァーーーーーーーーーー…ッ 

警笛の音がホーム中鳴り響く。誰かの叫ぶ声が聞こえる。
一瞬だけ、利津くんと目が合った気がしたの。駅のホームから飛び降りた利津くんを、追いかけて飛び込んだ私と。

―ドン…ッ 
―ガガガガガッ 

―ガシャンッ…!

鈍い音と線路が軋む音、そして壊れる音が木霊する。辺りは急に騒がしくなって人々が集まって来てるのがわかった。
ワァッと泣きわめくような声が入り混じる、駅にはこんなに人がいたんだ…なんて妙に冷静になりながら。
利津くんは?利津くんは今どこにいるの?
だけど暗闇でわからない。ザワザワした声は聞こえてるのに、何も見えない。どうなったのか、わからなくて。
早く動かなきゃ。そばに行かなきゃ。

利津くんを助けなきゃー…っ!

「純夏先輩…っ!」

名前を呼ばれてハッと目を開けた。まだ動くことができた。

「すみっ、純夏せんぱっ…」

目を開けると利津くんが倒れ込んだ私を抱きかかえるようにして背中の下に腕を回していた。
よかった、利津くんがいる。利津くんはいる。

「利津くん…、大丈夫?」

「純夏せんぱぃなんで…っ、なんっ」

瞳からは大粒の涙がポタポタと零れ落ち、私の頬に伝った。そぉっと手を伸ばして、利津くんの頬に触れた。
熱を感じる。よかった、生きてる。

「純夏先輩っ」

「私は死なないから大丈夫、だってstead(ステッド)だから」

出せる力をフルにしてここまで来た。ホームから飛び降りる瞬間、最大限の力を振り絞って利津くんを線路から押し出すように突き飛ばした。
きっと私にならできると思ってたから。人間じゃない私になら、どうにかできると思ってたから。

「よかった…、利津くんが無事で」

体を起こそうと思ったけど上手く起き上がれなかった。足はないし、胴体は剥き出しだし、右手だってもう動かない。粉々に散らばった私のカケラが線路の上に広がっている。
ぶつかった電車は脱線することもなく大きな被害はなさそうだった。

「利津くん…」

重い体を無理に起こして、ぐっと体を預けるようにまだかろうじて動く左手を利津くん背中に回した。

stead(ステッド)なのは私の方なの、黙っててごめんね」

声を振り絞る、声を出すのもこんなにも重くて力がいるんだと思った。

「そんなっ」

「利津くんの嘘、すぐにわかっちゃった」

「…っ」

それは私がstead(ステッド)だからじゃない。stead(ステッド)はそんな風に作られているから。

stead(ステッド)は涙が出ないの」

それがstead(ステッド)の唯一の欠点ー…

「知らなかったでしょ?」

涙を流すのはとても難しいから。嬉しかったり、悲しかったり、悔しかったり…真似はできても涙を流す瞬間はその人にしかわからない。それは人間だけが持つ感情だから。

「泣けないように作られてるの、これだけはどれだけ学んでもわからないから…」

利津くんが私の背中に触れる。でもその感覚も、もうあまりわからなかった。きゅーっと強く抱きしめてくれてるのに。涙を流しながら。

「すみませ…んっ、俺のせいで…っ」

「ううん、私は元々欠陥品だから」

「俺がっ」

「利津くんのこと覚えていなかったのも初期不良が確認されたからなの」

データがおかしくて急遽メンテナンス作業が行われることになった3日間、その前の記憶が無い消えてしまっている。学校には風邪で休みってことになってるから、熱のせいで覚えてなかったって言い訳できるようにして。

「もう少し様子見ってことになったけど、不良品はさっさと処分した方がいいって…破棄されることが決まった」

使えないものは捨てた方がいい、すぐに便利でもっと優れた製品が作られるから。

「恋愛感情が乏しいのもそのせいなの」

私なんかよりもっともっと、役に立つstead(ロボット)が生まれる。それでいいと思っていた。それが(ロボット)だから。

「だけど利津くんと出会っていろんな気持ちを知ったよ、これは間違いなく恋だった」

それでも私はここに存在したから。

「私は利津くんのことが好き」

この気持ちは本物だって、私はそう思ってる。

ガクンッと体の力が抜けてずり落ちそうになる私の体を利津くんが支えた。

「純夏先輩っ」

きっとあと少しだ。私がここにいられるのも。

「しっかりしてくださいっ!まだ俺…っ」

「利津くん…」

「純夏先輩!?」

ぐったりした体はもうほとんど利津くんに寄りかかってる状態で自分の力ではなかった。利津くんの肩に頭を乗せ、耳まで届くようにと言葉を発する。

「前に…利津くんさ、私に名前の由来っ…聞いたよね?」

“純夏っていい名前ですよね!どんな由来なんですか?”

「教えて…あげる、私の名前の由来…」

私が意識を持った瞬間、最初に言われた言葉だった。どんな意味かわからなかったけど、良い言葉じゃないことはすぐにわかった。周りの大人たちの反応を見て。

「用済みのすみか、だから“庸司純夏”なの」

最初からいらなかったの、私。
こんな世界、私には必要ないって思ってた。だから必要としてくれて嬉しかった。

「こんな私を好きって言ってくれてありがとう」

私を初めて好きと言ってくれた人、諦めていた私に希望をくれた人。利津くんと出会えてよかった。

それと…
“じゃあ学校終わったらうち来てね!”
意識が遠のいていく中で、最期に見た必死に呼びかける柚の顔を思い出した。
ごめんね、柚。行けなくて。でも泣かないでね。私は泣けないからね。ありがとう、柚。

「すみ、かっ…せんぱっ」

嗚咽の声が漏れる。利津くんが泣いているから。人はこんな時に泣くんだって、今ならわかるのに。

「利津く、ん…」

私を抱きしめながら涙を流す利津くんが愛しいだなんて、ずっと知りたかった感情が知らなきゃよかったと邪魔しているみたい。

「り…つ、く…」

「…っ、嫌です!俺純夏先輩いなくなるの嫌ですっ、本当は半年なんかじゃ足りなくてっ、…っ!」

きっと…ぎゅっと抱きしめてくれてる、そんな気がする。利津くんに寄りかかる私を、力強く抱きしめてくれてる…そんな気がするの。

「ご、め…んね…っ」

欠陥品で。人間じゃなくて。本当の恋人になれなくて。利津くんを守ってあげられなくて。

「同じです…っ」

利津くんの揺れる声が、体の奥に響いて来る。

「人間でもロボットでも関係ない…っ、俺は純夏先輩が好きです!純夏先輩だから、好きなんです!」

もっとそばにいたかった。もっと一緒にいたかった。もっといろんな約束をして、…ずっと利津くんに恋していたかった。

「純夏先輩…っ!」

だけど、もうお別れだね。
ガシャン、と音を立てた私の体は利津くんの腕の中だった。救い上げてくれてるような、抱き上げてくれてるような。まだ意識の残る中で、利津くんの涙が私の頬にポタッと落ちたのが伝わって来た。

「死なないって言ったじゃないですか!純夏先輩っ!!」

死なないよ、大丈夫。

「目開けてくださいよ!ねぇ!?」

私は壊れるだけだから。だって私はstead(ロボット)だから。

「純夏先輩ーーーーー…!!!」


****


「最新のニュースです。破棄されることが予定されていた人型ロボットstead(ステッド)ですが、本日午前11時頃電車と接触しました」

「回収される予定でしたが、そのまま廃棄処分とされました」

stead(ステッド)の開発は今後も続けていく、とのことです」