利津くんのことを考えれば体のどこかがそわそわして、利津くんの声を聞いたら耳の中が鼓動を打って、利津くんを見たら何かが膨らんでいく気がする。
この感情はなんて呼べばいいんだろう?


****


「柚と、仲直り…できたよ」

それを言うだけだったのになぜか緊張して、背筋をピンとしてベンチに座った。
7月に入って日差しが強くなった。いくら木々に囲まれ避暑地になっているとは言え、そろそろこの公園で過ごすのも限界が来ているように思える。

「そうなんですか、よかったですね」

「うん、利津くんのおかげだから…ありがとう」

「俺は何にもしてませんよ」

にこっと利津くんが笑うから柄にもなくモジモジしてしまって。
何コレ全然言いにくいことでもないのになぜか隣に座る利津くんにいつもより温度を感じる。やっぱ暑くなって来たからかな。

「純夏先輩、テストどうでした?」

「まぁまぁ、だったよ」

期末テストが終わったらもうすぐ夏休み。そりゃ暑くもなるか、とそれぞれの枝に付いた葉っぱから見え隠れるる太陽を見て思った。

「利津くんは?よかった?」

「俺も…まぁまぁっすね」

「そうなの?勉強家なのに」

「純夏先輩は得意科目なんですか?」

「うーん…、英語かな」

学校が終わると、いつも公園で少しだけ話して帰る。
これが日課になってる日々で、最近は慣れても来た。慣れては来た…んだけど。

「純夏先輩」

「な、なにっ」

ふいに名前を呼ばれて、私の目をじぃっと見たままグッと顔を近付けるから…
利津くんを見る私の目はぐるぐると回りそうになる。ただでさえ気温が高いのに、近付いたら余計ここだけ気温が高くなっちゃうじゃん。

「髪の毛、付いてましたよ」

頬に付いた1本の髪の毛を器用に取ってくれた。
一瞬感じた利津くんの感触にドクンと体の奥の方が鳴ったのがわかった。明らかに最近の私はおかしい。本当にいよいよ欠陥品として不具合が起きてるのかもしれない。

「純夏先輩、英語得意なんすね」

「ちょっとできるぐらいだよ」

「じゃあ今度教えてくださいよ。俺英語苦手で、テストも1番悪かったっすから」

「いいけど…」

伸ばしっぱなしだった背筋を曲げて利津くんの顔を下から見るように首を傾げた。両手を膝の隣に置いて、きゅっとベンチを掴んだ。

「じゃあ、今度一緒に図書室で勉強する?」

様子を伺うように、利津くんがどんな顔するかなって。

「暑くなってきたし、図書室ならエアコン付いてるし、人も少ないかな…って」

最後は少しだけ声が小さくなってしまった。自信がなくなって、声が聞こえていたと思うけど。

「あの…私は全然いいんだけど!変な噂立てられるかもって言ってたけど…私は大丈夫、だと思うの」

私のことを考えてくれてのことだと、そう聞こえただけできっと本当は利津くんにとって都合が悪いから。じゃなきゃあんなに徹底して秘密を守ろうとしない。それがどうしてか聞きたかった。

「利津くん…、学校で話しちゃダメなのかな?」

それともう1つ、私が話したかった。

「あのっ、半年後のこと考えるとって言ったけどそれだったらむしろ学校でも話せた方がよくない?その方が話す機会も増えるじゃん!」

シンプルにいつでも利津くんと話したい気持ちがあったから。誰のことも気にしないで利津くんと。

「………。」

3秒間が空いた。そこから口角を上げた、笑うように見せて。

「俺はそこまで求めてませんから」

笑ってるのに…なんでだろう、今のはずしんと来た。体が心が空気さえも重くて、鉄の塊が落ちて来たみたいに。

「そっか…、そう、利津くんがそう…言うならいっか」

ボソボソと声を出しながら前を向いた。ベンチから真っすぐ正面を向くと、そこには鉄棒があること今気付いたな…そんなことを思いながら。

“なんでも話せるのが友達だって勝手に思ってたけど、話したい時に話せるのが友達なのかなって”
友達にもいろんな考えがあるように恋人にもそれぞれいろんな考えがある。今までなら恋人の固定概念を探してたけど、たぶん違うんだよね。
それは利津くんの考えで利津くんがそう思ってるってこと。この関係を秘密にしたい理由は利津くんの中に存在してる。

じゃあ私は、利津くんがそう思ってる理由を、いつか利津くんが話したいって思った時に、1番に話せる相手に…なりたいのかな、どうなんだろう。


****


今日は一段と天気が良くて暑かった。だから外に出て涼しいとこでお弁当を食べようっていう柚の提案で教室を出た。

「ちょっと瑞穂くんのクラス寄ってい?教科書借りてたの返したくて」

「いいよ、今日忘れ物してたんだ」

「昨日宿題は忘れなかったんだけど、そのまま教科書机に置いてきちゃったの~」

七江くんのクラスは隣の隣のクラス、それだけ離れていてどうして仲良くなったのかと言えば駅ナカのコンビニでお菓子を買おうとした柚が小銭をバラ巻いてしまって七江くんが拾ってくれたのがキッカケらしい。盛大にバラ巻いちゃったからすぐに拾ってくれた七江くんが柚は嬉しかったとか、出会いはどこにあるかわからないね。

「ちょっと呼んでくる!」

七江くんのクラスの前、廊下から教室を覗いて名前を呼んだ。すぐに七江くんが出て来て、柚に微笑みかけた。ただ借りてた数学の教科書を返しただけなのに、それだけなのに、その瞬間2人の空間が2人しかいないように見えた。
仲良いなぁ、柚と七江くん。教科書1つであんな楽しそうに。いいなぁ… 

……。
…、……え?いいなぁ?って何!?
ハッとして、我に返った。
え、今のは柚の表情が?ずっと羨ましく思ってたもんね。愛らしく変わる柚のきらめいた表情に。
それとも、私もあんな風になりたいの…?誰と?
なんて聞かなくても、それくらいは自分でもわかってる。だけどまだハッキリとは言えないこの感情が時にもどかしい。
この慣れない感情の名前は、私が決めるものなのかな…


****


はぁっと息を吐いて、窓の方へ近寄った。風でも浴びようかな、なんて思いながら。
ここは2階、ふと下を見ると中庭で利津くんが歩いていた。ドキッ、と怯みそうになる。なんとなく今考えちゃってたから、深い意味はないけど!全然ないけど!
中庭の端から端を横断するように、その姿を上からじーっと見てた。気付かないかな?気付かないか、上見て歩くことってないもんね。気付いてくれたら手ぐらい振ろうと思ったんだけど…
名前でも呼ばないと気付かないよね。名前、呼べないから。今は、学校だから。せめてこっちを少しでも見てくれたらー…っ

「!」

ドキンッ 
と、さっきよりも比べ物にならないくらい胸に響いた。呼ばなくてもわかっちゃったのかな。何か私電波発信してたのかな…
急にこっちを向いた利津くんと目が合った。こっちを見ながら人差し指を立てて、しーっという仕草を見せた。
つい条件反射で同じポーズをしてしまった。しーって、内緒だよって言ってるみたいに。利津くんが微笑んだ気がして、伝染するかのように微笑み返した。

最近の私はおかしい。
利津くんの顔を見たら、声を聞いたら、触れたら、体がきゅーって締め付けられるみたいに苦しくなる。でも笑った顔を見たら私も笑いたいし、声を聞いたら名前を呼びたいし、手を握られたら…握り返したい。
いつからそんな風に思ってるのかな。でも気付いたら利津くんのことばかり考えてる。
ねぇ私、利津くんのこと…どう思ってる?その答えはー…

「純夏ちゃん、お待たせ!」

「わっ!」

突然話しかけられ思ってたより声が出てしまった。窓の方からあわてて柚の方に向きを変える。

「なんかあった?嬉しそうな顔してる」

「ないよ!何も、ない!」

ブンブンと首を振ってかえって不自然だったかもしれない。でもなぜか必死に首を振っちゃった。

「待たせてごめんね、お弁当食べよ」

「うん!」

柚に向かってコクンと頷いて、もう一度中庭の方を見ると利津くんはもういなかった。

涼しそうなところを探して外に出るつもりが、外の方が暑いんじゃないかってことで結局その中間を選んで外に付いてる階段の踊り場で食べることにした。
日陰だし、風当たりはいいし、それでいて意外と誰も使わないナイススポット!
でも地べたに座るという難点はある、そこもお構いなしに腰を下ろした。

「純夏ちゃんって小食だよね」

「え、そうかな?」

「いつもサンドイッチじゃない?」

コンビニの、コンビニで売ってる2つ入りのサンドイッチ。今日はシャキシャキレタスとハムのサンドイッチ。

「うん…、お昼いっぱい食べると眠くなっちゃうじゃん」

「あ、確かに!私いっぱい食べちゃうからいつも眠いもん!」

そう言いながらパカッと開けた二段重ねのお弁当箱はウインナーにからあげに半分に切った卵焼きでハート型が作られた凝ったお弁当は毎日お母さんが作ってくれるらしい。それは毎日ちゃんと食べないと申し訳ないもんね。
向き合いながら手を合わせて、いただきますと声に出してそれぞれ食べ始めた。

「さっきね、瑞穂くんに聞いたんだけどね。もうすぐ夏祭りだねって!ほら登校日の日ね!」

期末テストが終わったら夏休みがやって来る、そしたら夏祭りも近い。登校日の夜、その日が夏祭りで。

「瑞穂くんと行こうかな~ってなって、浴衣着ていくべきかな?」

「いいんじゃない?夏っぽいじゃん」

「だよね!純夏ちゃんは?彼氏と行ったりしないの?」

きっと今のは話の流れ的にそうだったんだと思う、私もそれを言われて気にしなかったわけではないんだけど…

「あ、ごめんね!今のもよくなかった!?聞いちゃダメだった!?」

柚の方がめちゃくちゃ気にしていた。

「よくないよね、話してくれるまで待つって言ったのに!あーっ、ごめんね!?」

箸を置いて両手で顔を覆った。
そんな大袈裟にされるとちょっと戸惑うっていうか、そこまで申し訳なさそうにしなくても…

「あの、柚…大丈夫だから気にしないで」

「え…、本当?」

そぉーっと覆っていた手を下にズラした。まだ顔の半分、鼻から下は隠してるけど。

「それくらい聞いてくれても大丈夫だから」

ねつ、と笑って見せた。
私が話しにくいのは“それくらい”に含まれてないから、利津くんに内緒にしてほしいって言われたこともあるけど全部を話すにはどこから言ったらいいのかもわからなくて今になってるだけだから。

「いいの?聞いても」

「うん、いいよ。聞いておもしろいかはわかんないけどね」

「じゃあ…っ」

手を下ろした柚が前のめりになって口を開いた。

「彼氏のどこが好きなの!?」

「え…?」

「あ、誰かは聞かないから!彼氏が誰かは…っ、聞きたいけどそこは聞かない!どーゆうとこが好きなのかな~?って…純夏ちゃんの恋愛気になるんだもん」

聞いていいとは言ったけど、それを聞かれるとは思わなかった。しかもそんな上目遣いで言われるとは…

「…ダメ?」

「え、ダメって言うか…」

どこが好きか、あんまり考えたことなかったから。そもそもまだ好きとも思ってないんだけど、私。

「好きなところ…」

「うん、あるでしょ?彼氏なら、そーゆうの聞きたい!」

彼氏、ではあるけどそこはあくまで契約彼氏。
好きかどうかで付き合ってない。だからどこって言われると…

「ないの?じゃあ一緒にいると楽しいとか、落ち着くとか??」

「一緒にいると…最近は落ち着かないことの方が多いかも。どこかざわついちゃうし、約束したのに来ない時は早く来ないかなってイライラさえするような…」

たった3分も待てない自分には驚きだけど。
てゆーか考えたらやっぱ全然好きじゃない気がする。冷静になったら、嫌なことの方が多い。もっと話したいって思いながら一緒にいることに苦痛を感じてるなんて。あ、やっぱ私利津くんのこと…

「純夏ちゃん、彼氏のこと大好きなんだね!」

「え…、いや今のは愚痴っ」

「だってそれだけ好きで仕方ないって聞こえるよ」

卵焼きを頬張った、もぐもぐとご満悦そうに。

「………。」

私はと言えばせっかく開けたサンドイッチが一口も進まなかった。
自分のことなのに全然自分のことがわからなくて。誰かを好きになる気持ちは、まだ私にはわからないのかもしれない。

「「ごちそうさまでした!」」

手を合わせて軽く頭を下げる。食べ終わったサンドイッチのビニールをくしゃっと丸めてビニール袋に入れた。いつもは紙パックの飲み物を持ってくるけど今日は忘れちゃったからゴミはこれだけ、袋の取っ手の部分をきゅっと縛って小さくまとめた。

「ここいいねー、涼しくて気持ちいいのに全然誰も来なくて」

お弁当の柚は二段重ねだったお弁当箱を一段にして大きなハンカチで丁寧に包んでいた。

「ねーいいよね、結構風来るし隣にある木のおかげで日陰だしね」

「じゃあ毎日ここにする?」

「いいけど、雨の日は無理じゃない?」

「あ、そっか!傘差して食べないとだよね、それか海の家のパラソルでも立てる?」

「そこまでして!?」

まだ教室に戻るには少し早い時間を柚と笑いながら話していた。
外付けの階段の踊り場でパラソルの下、お弁当を食べるのはちょっとおもしろいかもなーなんて想像して。くすっと笑っちゃった。

「あ、そーいえばさー」

柚が紙パックのりんごジュースにストローを差した。まだ飲んでなかったみたいで、これから食後のドリンクらしい。

「昨日stead(ステッド)の最新情報発表されてたじゃん?」

「柚、ほんと好きだよね」

この話も笑っちゃう、どんだけ好きなんだろうって。

「欠陥品のstead(ステッド)の回収にはもう少しかかるって」

「言ってたね、欠陥品なのにいいのかな」

「問題はないみたいだよ、暴走とかはないし安全性は見込まれてるからって」

「ふーん…」

ちゅーっと柚がストローでりんごジュースを吸っている。

「周りには秘密ってことでやってるからこの人がstead(ステッド)でしたーって回収できないんだって」

「そこまで隠さなきゃいけないのって何なんだろうね?」

アナウンサーのお姉さんが言うには、周囲の混乱を招かないようにするためってことらしい。
私からしたら、ただのロボットじゃん?と思うけど。ロボットがそこまでできるかも、怪しいしね。

stead(ステッド)はどう思ってるんだろうね、だって考えることができるロボットなんだからきっと思考は働いてるよね」

処分されることを恐怖に思っているのか、それも宿命と受け止めているのか、それともstead(ステッド)の置かれた環境に未練があるのか…

一気にりんごジュースを吸い切った柚がゴクンッと喉を鳴らした。

「お父さんから聞いたんだけどね」

「お父さん?」

日差しはこんなに照っているのに、隣に立った大きな木のおかげでちっとも気にならない。むしろ居心地がいい気がする、見上げれば空も青くて。

「あ、うちのお父さんstead(ステッド)作ってるの!」

あまりに明るい声で言うから、見上げていた視線を下げてなぜか意味なく二度見してしまった。

「……え?」

パチッと目を見開いて。

「え…、そう…なの?」

「驚いた?」

柚が首を傾げた、ストローをくわえながら。

「あ…うん、だから柚stead(ステッド)のこと好きなんだなーって…」

「もっとえーっ!?とか言うかと思った、純夏ちゃんひっそりと驚くタイプなんだね!」

思えば確かに柚のstead(ステッド)への興味は深かった。それに詳しい情報も持っていた。そっか、それはお父さんが…

「どんな仕事してるのかわは私もよく知らないけどね、たまに教えてくれるんだ」

「そうなんだ…」

「あ、でもちゃんと言っていい範囲のね!公表されてるとこまでだよ!」

全部飲み終わったのか、りんごジュースのストローをパックの中に押し込み、左右上下の貼り付けをパリッと剥がし始めた。

「純夏ちゃん知ってる?stead(ステッド)が作られた本当の意味」

「本当の意味?」

「代わりにって名前を付けられたstead(ステッド)だけど、何の代わりって意味か知ってる?」

「めんどうな仕事とかできないことを代わりにしてもらうって意味じゃないの?」

全部剥がし終えると、今度はりんごジュースのパックをぺしゃんっと半分に折りたんだ。

「みんなそう思ってるけど、本当の意味は違うんだよ」

風通しの良い階段の踊り場、隣に立つ大きな木の葉っぱが揺れている。

stead(ステッド)はすごく有能なんだって」

柚がらんらんとした目で話し始めた。

「人間にいかに近付けるかを研究したから、誰かにしてもらって嬉しいことには好意で返すし、されて嫌なことにちょっとだけ反感で返すようにできててるの」

「ちょっとだけ…って何?」

ふふっと笑った。話を聞いてもらえるのが嬉しそうに。

「今ってさ、コミュニケーション取るの苦手な人多いって言うじゃん?」

SNSの普及でコミュニケーションの取り方がわからない人が急増してるって…これもニュースで言ってた。今問題になってるって。

「そんな人たちのために生まれたんだって」

柚がstead(ステッド)と友達になりたいって言っていたことが少しわかったように思えた。柚とstead(ステッド)の考えは似てるんじゃないかなって思ったから。

「目的は孤独から救うため、だから人を守るようにプログラミングされてるの!」

生き生きと話す柚は周りを明るくする力がある。

「孤独から救うことができれば犯罪やいじめも減るんじゃないかって…別に大きなことしてほしいわけじゃない、誰かの大切な存在になってほしい。誰かの“代わり”に愛してほしい」

私と目を合わせた。

stead(ステッド)は愛を知らない人に愛を教えてあげる存在なんだよ」

少しだけ微笑んで、優しい笑顔で。

「…それが本当の意味?」

「うん、だから欠陥品でも回収作業に時間がかかってるんじゃないかなー」

もしそのstead(ステッド)が本来の意味で世の中に馴染んでいたら、馴染み過ぎたstead(ステッド)が親友や恋人、家族を作っているとしたら、相手の人にとって大切な人になっていたら…失うことになってしまうからできないってこと?

「1人でいる人をほっとけないんだってさ」

柚がスマホを確認した。そろそろ午後の授業が始まる頃かと思って、同じようにスマホを開いた。

「あ、でも1つだけ欠点があるんだって!」

「欠点?」

「うん、でもそれは教えてくれなかったけど何かなぁ」

予鈴のチャイムが鳴った、あと5分で授業が始まる。片付けて教室に戻った。


****


「スマホがない!」

制服のポケットやらスクールバッグ、机の中をガサガサと探しながら柚が結構大きな声で叫んだ。もうホームルームも終わって帰る時間だと言うのに。

「いつからないの?」

「えー、わかんない!いつからだろう?授業中は見てないし、掃除中も…あ!お昼に純夏ちゃんとお弁当食べてる時はあった!え、それが最後かな??」

スクールバッグの隅々まで探すように、中に入ったものを全て出していたけどスマホは出て来なかった。スマホがないことが不安過ぎてだいぶテンパってる。

「じゃあ…お昼食べたとこは?スマホ見てたし、そのまま置いてきちゃったかもよ」

「階段のとこかな!?ちょっと見て来る!」

「私も行くよ」

一緒に探すつもりで柚のあとをついて外の階段の方へ向かった。廊下を真っすぐ行って外に出ると階段に繋がっている、私たちがお昼を食べていたのはここから1階分上がったところの踊り場。柚が開け上がっていく、その後ろからついて行こうと思ったけど…

「……?」

遠くの方で気になる人影があった。
体育館の裏側からやって来たたぶん男の子、夏の半袖シャツにズボンだったから。

でも気になったのは、その後ろ…
彼が歩いてきたところだけ地面の色が変わっていたから。

濡れてる?でも、こんな天気がいいのになんで…

てゆーかあれ…っ!

「純夏ちゃん!スマホあった~!」

スマホ片手に階段の上からひょこっと柚が顔を出した。やっぱり置き忘れだったらしく、無事手元に戻って来た。それはよかったんだけど…

「ごめん、柚!私用事思い出した!」

「え、用事?」

「うん、先行くね!あ、スマホ見付かってよかったね!!」

そのままダダダダダッと解散を駆け下りた。下まで行けばこのまま外に出られる、きっと追いかければ間に合う。
濡れた地面を辿ればどこに行ったかわかるから…!

「利津くん…っ!!!」

大きな声で名前を呼んだ。びしょびしょになった背中に向けて。でも振り向いてはくれなかった。
だけどあれは絶対利津くんだってことだけは確信を得ていた。

「どうしたの!?大丈夫…っ!?」

駆け寄って右腕を掴んだ。体が冷たくて体温が下がってる。風が気持ちよくてこんなに晴天の日に、ぽたぽたと体中からこぼれ落ちる水…
それはまるで水の中に落ちたみたいだった。

「利津くんっ」

「何でもないんで」

「何でもないって、そんなわけない!どうしたのっ」

「ちょっと…転んだんですよ」

「どこで!?転んでもこんなになるわけないよ!」

ぎゅぅっと腕を掴んだけど、何度も問いかけたけど、利津くんは全くこっちを見てはくれなかった。顔ごと視線を逸らして、それは私の顔を見ないようにしたのか、それとも見られないようにしたのか…利津くんがどんな顔してるのかわからなかった。

「…大丈夫なんで、ここ学校ですよ」

「学校とか今そんなのっ」

「気にしないでください」

「気になるよ!だって…っ」

ぐーっと掴む手に力を入れる。でも何の反応もしてくれなくて。

「利津くっ」

「やめてください!!!!」

「……っ」

利津くんの聞いたことのない声に体がびっくりした。ピクッと痙攣するように、一瞬ひるんでしまった。

「純夏先輩には関係ないんで、俺は大丈夫ですから」

スッと私の手から腕が抜かれていく。
声が出せなかった。なんて冷たい声なんだろう。そんな声出せたんだ、利津くんって。
追いかけなきゃ…水のこぼれ落ちる先を、追いかけて名前を呼んで…もう一度…!
なのに、どうしてこんなに潰されそうな気持になるの?どうして私まで、こんな…っ
追いかけられない。足が動かない。声が出せない。

心の中はどこにいても見付けちゃうぐらい、利津くんのことでいっぱいなのに。

利津くんが行ってしまう。スタスタと早歩きで。
きゅぅっと両手でスカートの裾を掴んだ。
なんでこんなに虚無を感じるんだろう。どうしてこんなに重いんだろう。

なんで?どうして?この感じてる痛みは、何なの?

髪の毛から滴る水を払うことなく静かに歩いて行く。少しずつ離れていく利津くんの後姿。

今日は振り返ってくれないの?見てくれないの?名前を呼んでは…
今すごく利津くんの名前を言いたいのに。叫びたいのに。あの角を曲がったら見えなくなってしまう。もう少しで、消えてしまう。

もっと利津くんと話したい。もっと一緒にいたい。触れていたい。膨らんでいく気持ちが溢れそうになる。
公園でも学校でも、どこでも利津くんとー…

この気持ちはなんて呼べばいいの?利津くん教えてよ。ねぇ、その答えを持ってるのは利津くんしかいないのに。


****


こんな時どうしたらいいんだろう。私にできることって何なんだろう。
利津くんは今まで私にたくさんのことをしてくれた。私が今利津くんにしてあげられることって何だろう。何かあるのかな…

利津くんなら、どうする?

「柚、おはよう」

「あ、純夏ちゃん~!おはよ~!」

学校の下駄箱で会った柚に朝の挨拶をする。サッと上履きに履き替えて教室まで…

「純夏ちゃん!どこ行くの?そっちじゃなくない?」

「うん、ちょっと寄っていこうかなって思うとこがあって」

いつもは左側に進んで奥の階段を使うけど、たぶん目の前の階段を上った方が早いんじゃないかなって思ったから。

「寄ってく?ってどこに?」

目の前の階段を上がって左に曲がれば、1年生の教室。

「彼氏のところ」

1年1組、利津くんのクラスまで。会いに行こうって決めた。
学校では内緒にって言われたけど、話しかけないようにって言われたけど、利津くんは本当にそれでいいの?
きっと利津くんが触れられたくないことなんだと思う。そこに利津くんの秘密が隠されてると思うの。
私が勝手に近付いてもいい?怒られちゃうかな?だけど…

“もう私につきまとわないで!”
利津くんは私のこと、諦めなかったよね。すぐに会いに来てくれたよね。
だったら、私も利津くんに会いに行くよ。

数ヶ月前まではあたり前のように使っていた教室だけど、2年生になったら遠い場所のように感じて1年生の教室なんて行ったことなかった。廊下の前を歩くだけでも、周りの視線が気になって…それがちょっとだけ緊張しちゃった。上級生が来るってだけで、みんな落ち着かなくなるものだよね。
それでも気にせず前だけを見て1年1組、利津くんの教室まで。
7月だってこともあって、教室の窓もドアも開いていた。前のドアから教室の中を覗いた。すぐに名前を呼ぼうと思ったけど、嫌な違和感に開いた口が閉じてしまった。

バサッと利津くんの机の上から教科書が落とされた。だけど利津くんは俯いたまま、誰も拾おうともしなければ誰も見向きもしない。周りがクスクスと嫌らしく笑っているだけ。その異常な空間を瞬時に理解した。

「誰か探してるんですか?」

教室の外でじーっと視線を送りながらただ立っていただけの私に気が付いた大人しそうな女の子が話しかけて来た。上靴の色で私が2年生だということに気付いたらしい。

「えっと…っ」

朝だというのにやけに静かで、せせら笑うような声が目立った。

「利津くん…是枝利津くん呼んでもらえますか?」

女の子が教室の中を見る。だけど何も言わないで、見ただけ…呼んでももらえないかと思い、じゃあ自分でと息をすぅっと吸った時だった。

「そんな奴いませんけど?」

教科書を落とした奴が私の方を見た。ニヤっと笑いながら。

「このクラスにはそんな奴、いませんよ」

「…いる、よね」

「え、見えるんすか!うわーっ、見えるんだって俺らには見えないけどなー!」

ドカッと利津くんの机の上に座った。ケラケラ笑って、それに周りが同調して笑う。

「……。」

利津くんはただ、俯いていた。
何、これ…
“学校では内緒にしましょう”
ずっと隠したかったの?私には言いたくなかった?言えなかった…?

ごめんね、秘密のままにしておけなくて。

「利津くん!」

居ても立っても居られず、教室に飛び込んだ。クラス中が私に注目する。
だけどそんなのお構いなしで、利津くんの前に立たとうした。

ガンッ 
落ちた教科書が踏まれた。
グリグリと踏んだ足を動かし、どんどん潰されていく。

“探してたんですよね”
“何を?”
あの時手に持っていた教科書はよく使われているなと思った。だけどそれは、こうゆうことだったんだ。いつも隠された教科書を探していたんだ。

「…やめてくれる?」

「何がですか?俺別に何もしてませんけど?だって何もないとこにやってるんすもん!」

周りの囃し立てる声、そうだそうだと嘲笑って声を上げる。それをただ見ている人もいれば、わざと見ないようにしてる人もいる。その真ん中で利津くんが震えている。

「つーか、あんた誰なの?先輩だかなんだか知らないけど、勝手に教室入って来て何?“これ”の何?」

その言い方には無性に腹が立って、キッと睨みつけてしまった。

「は?んだよっ」

私を見下すように見下ろして、グッと足を上げた。そのままもう一度垂直に勢いよく教科書の上に…

「っ!」

振り下ろされる前に、足を掴んだ。体制を崩しそうになったけど、あわてて机を掴んだおかげで助かっていた。

「教科書って大事なんだよ、知らないの?」

スッと落ちた教科書を抜いて、掴んでいた足も離した。それが気に入らなかったようで、今度は矛先が私に変わった。

「てめぇ…っ」

「あと誰?って聞かれたから答えるけど、私利津くんの彼女だから」

「はぁ?こいつの?マジかよ、ウケるんですけど!」

キャッキャ手を叩いて笑う奴らと顔を合わせることなく利津くんの方を見た。

「利津くんっ!」

ずっと俯いたままだったけど、私の顔を一度も見ることなかったけど、放っておけるわけなくて…震えた利津くんの手を掴んだ。グッと引っ張って無理矢理イスから立たせて、走り出した。
罵倒される声が聞こえていたけど、そんなの耳に入らない。耳に入れない。
教室から飛び出るとチャイムの音だけが聞こえた。でも止まることなく走った。
利津くんの手を握って、絶対離さないと決めて。

思えばいくつか不自然なことはあって。太陽の光さえも十分に当たらない薄暗い校舎裏になんか誰も来ないと思っていたのに、あそこはぼっちでお弁当食べるような(わたし)しか来ない場所なのに…
どうして利津くんはあんなとこにいたの?どうしてお弁当もお金も持っていなかったの?キョロキョロと見渡しながら本当は何を探していたの?なんで私はもっと聞いてあげなかったんだろう…

「…か先輩っ、純夏先輩!」

後ろから名前を呼ばれた声にハッとする。
やばい、闇雲に走って来たから思ったよりも来てしまった。えっと、ここはどこだっけ…?
足を止めて振り返り、利津くんの方を見た。

「純夏先輩、足速いんですね」

「あ、うん!?まぁそれなりに!」

「あと力もあるんですね」

「えっ!?」

1年生の教室を抜けてひたすらに廊下を走り、行き止まりになるもんなら右に曲がってまた走って…使われていない空き教室の前まで来ちゃった。隣の化学室は今日はどのクラスも使ってないみたい。

「さっき…、よく止められましたね」

「あー…、うん」

目に入ったから、咄嗟に掴んじゃった。どうしても教科書を守りたくて。

「あ、これ…」

「…ありがとうございます」

利津くんが教科書を手に取った、反対の手は私と繋いだまま。グッと上の向いて利津くんの顔を見る。

「あのっ」

ペタペタとどこからか足音が聞こえた。これはスリッパの音、てことは先生!?誰かこっちに向かってー…!?

「わっ」

利津くんがグイッと私の手を引っ張った。体ごと引っ張られ、開けたドアの中へダイブするように転がり込んだ。

「「………。」」

急いでサァッとドアを閉め息をひそめる。物音を立てないようにと体勢を崩すことができない。座った状態で利津くんに抱き着いたまま動けなかった。
こんな時でも体の奥から聞こえる音がうるさい、ドキドキと脈打ってる。

「…行きましたね」

足音が遠くなった。通り過ぎて行ったっぽい。

「あ、ごめん!ごめんねっ!」

スッと両手で距離を作るように離れた。なぜかテンパって正座してしまった。
咄嗟に転がり込んだ空き教室は普段使われていないだけあって、机もイスも足りてないガランとした教室だった。空気入れ替えのためか窓は空いていて、物が少ないせいかもあって意外にも風が通って来た。

「利津くん、大丈夫?」

「…バレちゃいましたね」

「え?」

「本当は隠しておくつもりだったんですけど」

利津くんがなぜか笑った。

「カッコ悪いとこ見せちゃいましたよね」

部屋に入った瞬間、離されてしまった手が少しだけ寂しかった。

「そんなことないよ!全然、そんなことない!」

右膝を立て座る利津くんの表情がどんどん消えていく。立てた膝を両腕で抱えるようにして、そこに顔を埋めた。

「カッコ悪いですよ…」

かすかに呟くように聞こえた。

「もうわかっちゃいましたよね?学校では話しかけないようにって純夏先輩を遠ざけたのはそうゆうことです。純夏先輩に迷惑かけないようにじゃないです、自分を守るためです」

「利津くっ」

「純夏先輩には知られたくなかった」

「…っ」

小刻みに揺れ動く体が抑えきれず、ぐぅっと腕に力が入ったのがわかった。
手を、差し出したい。触れたい。そう思いながらも何もすることができなくて、私の腕はだらんと下に落ちたまま。

「何も知られないで純夏先輩と付き合っていたかった…っ」

止まらなくなった悲痛な叫びは大きくなるばかりで、ガランとした空き教室で利津くんの感情が響いた。

「そしたら変わらない日常だったのに…!」

ずっと抱えていたものがドロドロと流れ出た。ぜぇはぁと息をする音が聞こえ、大きく肩が揺れて必死に息をしている。
濡れた声が、耳の中に残って。

「利津くん…っ」

小さく深呼吸をしてそぉっと手を伸ばし、利津くんに近付いた。それに感付いた利津くんがパッと私の手を振り払った。

「本当にカッコ悪いんですよ」

「そんなことっ」

「カッコ悪い理由なんですっ」

ゆっくり顔を上げた。潤んだ瞳で…だけど、どこを見ているかわからない視線だった。

「入学したばかりの頃、…いじめられてた子がいたんです。きっと特に大きな何かがあったわけではないと思うんですけど、そんな位置付けで…」

静かに話出した、一点を見つめて淡々とした声で。

「だから言っちゃったんですよね。そんなことやめろよ、よくないよって…正義感振りかざして」

“思ったことは言いたいし、やめときゃいいのに突っ走っちゃってそれで失敗することも多いんで”

ずっと抱えていたんだ。だから利津くんも自分のことが好きじゃないって言ってたんだ。

「その日から自分がそうなるとは思わなかった。あんなこと言わなきゃよかった、やめておけばよかった…っ!」

我慢しきれなかった大粒の涙が利津くんの瞳からこぼれ落ちた。ポロポロと流れていく、一度溢れ出たものは止むことを知らない。いつも笑っていた利津くんの初めて見る涙は痛くて苦しかった。
それと同時、いつも笑っていた利津くんの気持ちを知った。必死に誤魔化して何事もなかったかのように笑っていた利津くんを。
どんな時でも笑っていたのは、最後の勇気だったんだね。

「…カッコ悪くなんかないよ!カッコいいよ!すごいよ、利津くんは!」

私の方こそもっとカッコいい言葉が言えたらよかったんだけど、言いたい気持ちばかりで上手く言葉がまとまらなかった。

「言わなきゃよかったなんてこと絶対ない、だって悪いのは利津くんじゃない!」

たくさん伝えたくて体が前のめりになる。

「私は…っ」

力強い視線で利津くんを見る。逸らすことなく、しっかりと。こっちを向いてほしくて。

「そんな利津くんが好きだよ!」

こんな大きな声で叫んだのはいつ振りだろう?もしかして初めてかもしれんない。だから今度は私の息がぜぇはぁと乱れてしまった。
そんな姿に利津くんがふっと笑った。やっと私の方を見て、瞳からキレイな涙を流しながら。

「最期に聞けてよかったです」

「…っ」

「だって俺半年後に死ぬんで」

私の気持ちは届かなかったのかな。それとも届く前に、消えてしまったのかな。今そんな言葉聞きたくなかったよ。

「純夏先輩、覚えてますか?」

「え、何を?」

「5月の…終わり頃、朝下駄箱の前の階段のとこで1度話したんです」

「え、本当に!?5月…っ、ごめん覚えなくて!」

ふるふると利津くんが首を横に振った。

「話したって言っても、挨拶しただけなんで」

もの悲しそうに目を伏せて、だけど少し微笑んだようにも見えた。

「あの日、教室へ行こうか迷っていたんです…もううんざりしちゃって。足の上がらなくなった階段で、純夏先輩が通りかかったんですよね」

そんなこともあったかもしれない、けどイマイチ記憶になくて。だけど5月の終わりってことは、少しだけ心当たりがある。

「上靴を見て先輩だってわかったんで、…俺のこと知らないだろうなって“おはようございます”って声掛けたんです」

「……。」

「毎日無視されてたんで、誰も話してくれなかったし聞いてもくれなくて、ないような存在だったから、だから…純夏先輩が“おはよう”って返してくれたのが嬉しくて」

つーっと涙がこぼれた。その涙をすくってあげたかった。

「たった…それだけだったんですけど、俺にとってはすげぇ大きくて、…最後に純夏先輩と恋がしてみたかったんです」

両手で利津くんの右手を握った。包み込むように、ぎゅーっと力を込めて。手を取ってそっと抱き寄せた。

「ごめんね、私…その時体調悪くてあんまり覚えてないの」

あの時体調を崩していた…だから3日間休むことになる前の日、そんなことがあったような気もする。だけど記憶が定かではなくて。

「…覚えていたかった」

あったかくて大きな手、少しだけ震えていた。だからぎゅっと胸の中で抱きしめた。

「いいんです、それは思ってましたから。告白した時、知らないって言われて純夏先輩にとってはそれくらいだったんだなって」

「あれはっ」

「でもいいんです。俺が勝手に純夏先輩に救われて、勝手に恋に落ちたんです」

利津くんの目が見たくて、顔が見たくて、手を握りながら利津くんの方を見たけど俯いていて確認できなかった。

「あんな風にしか()えなくて、だけどこうして付き合ってくれて…俺は今も純夏先輩に救われてます」

声が揺れる、そうだ顔なんか見えなくてもわかる。

「利津くん…っ」

もうずっと利津くんを見て来たんだから。
グッと手に力を込めた。大切に、守るように、でもどうしたらそんなことできるのかわらかなくてただ力いっぱい利津くんの右手を握るだけだったけど。

「私もっと利津くんと話したい、利津くんと一緒にいたい、利津くんと…!」

届いたらいいのに。伝わったらいいのに。

「死ぬだなんて言わないで、ずっと私と恋してようよ」

もう一度、利津くんを救ってあげることはできないの?


****

今日は帰るという利津くんを見送って教室へ向かった。気付けば1時間目が終わってチャイムが鳴っている。
利津くん、1人で大丈夫だったかな?一緒に行こうかって言っても家に帰るんだし、でも途中までついて行った方がよかったかな…どうだったんだろう。
一歩一歩進みながら考える。私だけではどうにかなる問題ではないのもわかってる。
あんなこと…毎日利津くんは耐えてたんだ。あんな異常な空間に、声も上げず…きっともうしたくなかったんだよね。できなかったんだよね。
それを誰も、みんな知らないフリして…っ
ピタッと足が止まった。
私ができること…あるのかな?
クラスも違うし、学年も違う。何が起きてるか把握できないし、助けることだってできない。利津くんのそばにいることも…

1時間目が終わった教室に入るとすぐ気付いた柚がこっちを見た。

「純夏ちゃん、おかえり!」

「ただいま」

この挨拶で合っているかわからなかったけど柚がそう言ったので例に習って返した。

「彼氏と何して来たの?」

「えっ」

そうだった、柚には言っちゃったんだった。ついあの時のテンションっていうか、意気込んでたから…だけどそれは私の今の気持ちでもあるから。

「ちょっと会いに行ってたら…遅くなっちゃった」

「国語の授業終わっちゃったよー、でもテスト終わったから今日は自習だったの!」

「そっか」

柚の机を通り過ぎて、自分の席にリュックを置いた。息を吸って、吐くと同時イスに座る。柚の方を見て、ちょっとだけ目を大きくした。

「あのね、今度聞いてほしいことがあるの!」

“だから私は純夏ちゃんが話したい時に1番に話してもらえる友達になりたい!”
ちょっと緊張しちゃったから、顔がこわばっちゃって。でもそれを悟った柚が目を細めて笑ったから。

「うん!何でも聞く!いっぱい聞く!!」


****

「明日で1学期も終わりだね」

「そうですね、夏休み始まりますね」

朝下駄箱で利津くんを見付けたから話かけてみた。おはようって言ったらおはようございますって返してくれて、やっぱり挨拶が返って来ると嬉しいんだなって思った。

「夏休み宿題多いんですかね」

「あぁー、1年の時は…結構あったかも。高校になって初めての夏休みだから学校もだらけさせないために多めに出したとかって」

「そんなことあるんすか!?」

ホームルームまで少し時間があったから、体育館へ続く外廊下でなんとなーくグラウンドを眺めながらちょっとだけお喋りをすることにした。
公園で約束しなくても、こうして利津くんと話す日々ができた。思うことはたくさんあるけれど。

「…利津くん、1人で大丈夫?」

「慣れっこなんで」

私が聞いてもそんな感じで笑って返される。そこは笑うとこじゃないのに。まだ何かあるんじゃないかって、変に勘ぐってしまう。

「あの…さっ、利津くんが半年後死ぬって…話?あれは変えられないの?」

「どうゆうことです?」

「ほら、例えばいいことをすると寿命が延びる!みたいな!」

「純夏先輩それ本気で言ってます?」

ちょっとは本気だったけど、まさか利津くんの方が引くなんて思ってないから。

「そんなファンタジーないですよ」

半年後に死ぬってわかってるのも十分ファンタジーかと思うんだけど。
しかも利津くんが半年後って言ってから2ヶ月が経とうとしてる…ということはあと4ヶ月。着々とカウントダウンは迫って来てる。

「決定事項は変えられませんよ」

どうしてそんなに淡々と言えるの?
それでいて穏やかな瞳で私を見ないでよ。私はどうしたらいいの。

キーンコーンカーンコーン…
ホームルームを知らせる予鈴のチャイムが鳴った。本鈴まであと5分、そろそろ教室に行こうかとその場から利津くんが離れようとした。

「利津くん!」

「…何ですか?」

「教科書とか何か隠されたら私一緒に探すからね!」

「え?」

「一緒に探すから!!」

グッと握りこぶしを作って利津くんに見せる。考えた末に出てきた答えはだいぶちっちゃかったけど、少しでも力になりたくて。
くすっと利津くんが息を漏らした。

「そんなこと言う人初めて聞きましたよ」

「そうだよね!?絶対もっと他にもあるよねっ、…あ!私のでよかったら去年の教科書あるからあげられるー…ってそれもなんか違うかっ」

「あ、それは欲しいです!」

「本当!?」

食い気味に利津くんが答えるから、それでいいのかと思っちゃたけどそれはなんか意味違う気が…

「純夏先輩がいたら教室でも1人じゃない気がしますね」

そんなことどうでもいいか、その利津くんの一言で私のやる気が出て来ちゃったから。

「じゃあ持ってくる!いっぱい!!」

少しでも利津くんが、喜んでくれたら。


****


ホームルームが終わればすぐに利津くんに連絡をして。教室まで行くよって言ったのに、下駄箱で待っててくださいって言われた。だからスニーカーに履き替えて待っていた。公園でとは言われなくなっただけちょっとした進歩だけど。
でも今日は大丈夫だったのかなって、私の方が不安になっちゃって…

「純夏先輩!」

「利津くんっ、今日早いね!?」

「巻いてきました!」

「巻くとかあるんだ!?」

大きな口を開けて笑いながら、私の手を掴んだ。そのまま駆け出して、連れられるがまま足を踏み出した。
校門をくぐって右に曲がる、いつもの公園に向かって道なりを走って…
ドッドッと音が聞こえる。何の音?、なんてもう迷わない。これはきっと私が利津くんを見つめる音。

「公園までっ、走っろ…うと思った…んすけどっ、けっこー…しんどいすね」

「あと200メートルぐらいだったね」

「純夏先輩、マジ体育会系なんすね意外なんですけど」

あとちょっとでいつもの公園だったんだけど、そこに辿り着くまでに利津くんがバテた。腰を曲げはぁはぁと大きく肩を揺らして呼吸を整えている。

「ちょっと、待って…くださいね!?あと少しで、かいっふく…するんで!」

「別に待つよ、いくらでも」

「待ってくれるんすか!」

そこだけやたら声が大きくてぱぁっと目を大きくしたから、それだけで私の胸は高鳴っちゃって。繋いだ手をキュッてしちゃった。

「純夏先輩!」

「な、何…!?」

「夏休みも、会ってもらえますか?」

利津くんはすごい。私が思ってるより全然強くて、負けない。

「うん、…いいよ!」

「やった!」

生かされてるこの時間を一生懸命過ごしてるからかな。今を必死に生きている。

「どこ行くの?」

「俺が決めていいっすか?」

「いいけど、行きたいとこあるの?」

「じゃあカラオケで!」

“カラオケのが人目が気にならずにイチャイチャできますね”
そんな目を輝かせながら言われても。残りの時間を満喫していくスタンスは変わらなくて、そこは本当清々しい。

「…いいよ」

「いいんすか!」

「利津くんが行きたいなら」

そんな嬉しそうにしないでよ。恥ずかしいじゃん。
利津くんに残された時間が4ヶ月ということは、私が利津くんと一緒にいられるのもあと4ヶ月。全然実感が湧かなくてまだよくわからない。
どうして半年で死ぬだなんて…そんな風には全く見えないのにね。
だけど、だったら今の私にできること。ちゃんと言いたい。利津くんに私の気持ち、もう一度ちゃんとー…


****

次の日、言われたように持てるだけ去年の教科書をリュックに詰め込んで持った来た。1学期の終業式だったから授業がない分、いつもよりは持ち物が少なくてよかったけどそれでも全教科の教科書は重かった。こんなにいらなかったかもしれないけど、念には念をで全部詰め込んじゃったのがよくなかったかもしれない。柚にはなんで最後の日にそんなに荷物多いの?って不審に思われちゃったし。
終業式が終わった後、利津くんに渡そうと思って学校の玄関の前で待っていた。七江くんと帰る柚を見送って、なんならほとんどの生徒を見送ったんじゃないかってぐらい生徒たちはどんどん帰って行く…遅いな、利津くん。
スカートのポケットからスマホを取り出し、利津くんにLINEを送ってみる。待ってるよ、でいっかなとりあえず。でもすぐには既読にならない。

「……。」

あ、既読になった。
“大丈夫です”
……?大丈夫、です??
それってどーゆう意味?
待ってなくてもいいって意味?え、でも約束したし。
教科書渡すって一緒に帰るって公園寄るって…
何が大丈夫なの?本当に大丈夫なの?

スマホをポケットにしまって走り出した。利津くんの教室まで。
ここからなら目の前の階段を上がった方が近い、ダダダダッと勢いよく駆け上がろうと思った。
あーーーっ教科書こんなに持って来るんじゃなかった!
リュックの中で揺れる教科書が気になって仕方ない。だけど、待ってるだけじゃいられなくて。これじゃ何も変わらない。何も変わってない。私も、現状も。

“教科書とか何か隠されたら私一緒に探すからね!”
これがなんの解決方法にならないのは最初からわかっていたのに。

「利津くん…っ!!」

すでに開いていたドアからグイッと顔を出した。

「……。」

だけど、教室には誰もいなかった。廊下自体も静かな1年生の教室はほとんどの生徒が下校した様子で、キョロキョロと見渡してもやっぱり誰もいなかった。
もう一度スマホを取り出して、今度は電話を掛けた。コールし続けるも、取ってもらえなくて繋がらない。
利津くん…!出て、お願い…っ!

「…っ」

何度コールしても利津くんの声は聞けなかった。
1年生の教室から出て、また階段を駆け下りた。思い付く限り学校中を回った。薄暗い校舎裏に、水が張ったままのプール、少し離れた体育館に…でもどこにもいなくて。
どこにいるの?ねぇ、今どこに…!

「!」

体育館から戻ろうとして、似たような方向から戻って来た利津くんと同じクラスの…えっと名前は知らないや。利津くんの教科書を踏み付けた彼らと目が合った。そのままくすっと笑って目を逸らされた。今の…!

「利津くんはどこ!?」

前に飛び出て、無理矢理こっちを向くようにした。私より背の高い男の子たち3人…、さすがにここで何かされるってことはないと思うたぶん。

「はー?誰?そんな奴知らねぇけど」

「知らないわけないでしょ!」

フンッと息を吐き捨てるように隣を通り過ぎていく。

「ちょっとっ」

「あんま調子乗んなよ」

ボソッと私の耳にその息を吹きかけた。2人は笑っていた。何がおかしいのが私には全然わからなかった。全然笑えない。

「何よ…っ」

男の子たちが来た方向へ走った。
たぶんこの方向は、体育館倉庫―…!!!


****


「…っ!」

重くて固い扉を開けた瞬間、目に飛び込んで来た利津くんの姿にただ呆然とした。しーんとした空気に声を失って、一瞬飲み込んでしまった。

「利津くん!大丈夫…っ!?」

いい加減重くて邪魔だったリュックを下ろして駆け寄った。電気も点いていなかった砂埃が舞う体育館の中で、厚めのマットに寄りかかるようにしてぐったりとした様子の利津くんのもとへ。

「大丈…っ」

大丈夫なわけない。いくら利津くんが大丈夫だって言っても、全然大丈夫なわけない。だってこんなに傷付いてる。

「純夏…先輩?」

そっと利津くんの手に触れた。
強いわけじゃないよね。ただ強がってただけだよね。また私何もできてない…っ

「先生呼んで来るっ」

「待ってください!」

ガシッと腕を掴まれた。

「…ぃっ」

「利津くん!」

ゆっくりと起き上がろうとする利津くんの背中を支えるように右手を添え、起き上がるのを手伝った。見たところ傷はなくて、だけどたまに顔をゆがめてどこか痛そうにしていた。きっと見えない場所に、傷を負わされたんだ。

「利っ」

「呼ばなくていいです」

「なんで!?言った方がいいよ、こーゆうのはちゃんと!」

「言っても変わらないんで!」

ちょっとだけ声が大きくなった。むんっと熱のこもった体育倉庫にキーンと響いた。

「………。」

「…言わない方がいいこともあるんですよ」

体を起こした利津くんの隣にぺたんとお尻を付けて座った。私の腕を掴んだまま、手を握ってくれたら握り返せたのにって思いながら。

「ちょっと油断しちゃいました。だいたい無視とか、スマホ壊されたり、教科書…っ」

俯いた利津くんの手が震えてる。グッと私を掴む力が強くなった。

「あのっ」

「明日から休みだからっすかね」

泣いてるのかと思った。だけど顔を上げた利津くんは笑っていた。
どうしてみんな笑うの?私には全然わからないんだけど。

「利津くん、笑いたくない時は笑わないでいいんだよ!」

手を握った。握り返してほしくて。

「よくないよ、このままじゃ!ダメだよ、利津くん壊れちゃうよ…っ!」

ぎゅーっとぎゅーっと力を込めて。しっかりと利津くんの瞳を捕らえるように。

「いいんですよ、それで」

「何言って…っ」

静かに呟いた、私の瞳を見ながら。

「俺、ロボットなんで」

「………え?」

瞬きすることも忘れて、利津くんの瞳を見ていた。
透き通るような白の中に、丸くクリッとした黒。それはみんなが持っているものと変わらない。

「純夏先輩知りません?stead(ステッド)って言う、人の形をしたロボットがいること」


一見人間と変わらない風貌をしていて、髪の毛から足の爪まで本物かのように再現されている。近付けば肌の香り、触れれば体温を感じ、動けばなめらかで自然な仕草を見せるー…
開発に開発を重ねやっと生み出された考えることが出来る非常に高性能なロボット。


それがstead(ステッド)

それが利津くん…?

「すみません、騙してて」

「え…」

「今実験中なんですよね」

頭の中で整理が追い付かない。

「今ニュースでやってるじゃないですか?stead(ステッド)がこの世界のどこかに潜んでるって」

「うん…」

「いかにロボットが人間の世界に溶け込めるのかデータを取ってるんですよ。実験をしてるんです、人間らしいロボットを作るために」

利津くんが丁寧に話していく、だけど上手く頭に入って来ない。

「人間と学ぶこと触れ合うことで知識や感情が増えていくとされてる(ステッド)はここへ来ることでロボットから人間になろうとした。そんな使命を受けてここへ来ました」

利津くんに触れたままの手は体温が伝わって来る。それは利津くんの体温、人肌の温度。

「だけど…ニュースでやっていた通り欠陥品です」

寂しい瞳を見せた。どこまでも人間らしく。

「実験は失敗ですね、見た目は同じでも中身は空っぽですから」

眉をハの字にして柔らかな瞳で微笑んだ。
私はどんな表情を見せたらいいのかわからなくて、利津くんの顔を見れていたかもわからない。
でも利津くんは真っすぐ私を見ていた。それだけはわかっていた。そしてゆっくり言ったの。

「俺はもうすぐ破棄されるんです」

静かな体育倉庫で、開いたドアからたまに風が入り込んで来る。
利津くんの顔を見た。あの意味を知った気がした。ずっと謎だったあの意味を。
“俺はあと半年で死ぬんで”
人間が自分の寿命を把握できるはずない。出来るとしたらそれはあらかじめ決められたことだけ。利津くんは自分がいなくなることをわかっていた。

「こうやって純夏先輩と恋愛してみたんですけど、所詮俺はロボットなんで…上手く出来なくてすみません」

ずっと触れていた私の手を利津くんが握り返した。利津くんから伝わる温度はあたたかいのに、ドクドクと音まで伝わって来るのに。

「教えてあげられなかったですね」

“1人でいる人を放っておけないんだって”
あぁ…、そーゆうことなのかな。そうゆうことだったのかな。
stead(ステッド)本来の存在意義、 それを叶えるために。
両手を広げて利津くんを抱きしめた。

「純夏…先輩っ!?」

利津くんの背中に手を回して、グッと力を入れる。

「私、利津くんが好き」

私にできること、まだちゃんと言えてなかったこと。

「利津くんのことが好きなの」

利津くんの耳元でハッキリ聞こえるように。

「こんな気持ち初めてだよ。こんな気持ち知らなかった。教えてくれたのは、利津くんだよ」

stead(ステッド)は愛を知らない人に愛を教えてあげる存在なんだよ”
今ならわかる、誰かを想う気持ち。私がずっと探していた気持ち。心の奥がキュッとなって、どこか苦しいのに愛しくて。

「同じだよ、人間だとかロボットだとか関係ない!だって利津くんは利津くんだもん!」

これが恋、なんだって。

「私…っ」

「純夏先輩」

名前を呼ばれてそっと離れると目が合った。利津くんが私の頭に触れる。
こんな時彼女だったらどうしたらいいの?なんて聞かなくてもわかってしまった。利津くんが瞳を閉じたから。同じように閉じたの。
温かくて柔らかい感触が唇に触れた。
利津くんが好きな気持ちが利津くんに届いたんだって思ったの。