“純夏”

昨日から利津くんの声が離れない。耳の奥に残ったみたいに、そぉっと息を吐くように呼ばれた名前。近付いた時の温もりがー…

リュックから教科書を取り出して机にしまった。今日は移動する系の授業がないから机の中がいっぱいになるくらい教科書がぎゅうぎゅうだった。1時間目は英語だから取り出しやすいように1番上に置いておこう。
空になって軽くなったリュックを机の横に付いたフックに掛けた。黒板の上にある時計を見ると、ホームルームまではまだ10分ぐらいあって先生はまだ来そうにない。
机に両肘を付き、その上に顔を乗せる。何をするわけでもなくただぼぉーっと、視点も定まらないまま見てるようで何も見えていない。

昨日からずっと利津くんのことを考えてる。でもだからって好きだってことではない。…たぶん。いや、絶対そんなことはない。…はず。

「………。」

何言ってるんだろう、自分。タメ息をつきたかったけどタメ息さえでなかった。
好きじゃないと思うの、好きになってはないと思うの。ずっと頭から離れないでいるけど、これが好きって感情かって言ったらそれはまた違うと思うし!いや、恋したことないからわかんないんだけど!だって、こんなことで人って好きになるのかな?もはや考えすぎて、ただ同じことが頭の中でぐるぐる回ってるだけ。それでも…

“純夏先輩はそのままでいいんですよ”

あれは嬉しかったの。初めて誰かに認めてもらえた気がして。すごく嬉しかった。だから気になっちゃったのかな、ちょっとだけ。それでこんなに考えちゃってるんだよ。きっと、それだけ。
私が利津くんのことを好きになるはずないもん。私は誰かを好きになるなんてありえないもの。

カチッと進む時計を見ながら、もう1つ気になっていること…うやむやなまま結局真意はわからないでいるあのことが切り替わるように頭にすぅーっと現れた。

“半年後死ぬんで”

まだ信用し切れてないっていうか、未来のことだからそれが本当なのか嘘なのか証明しようがない。病気ではなさそうだし、突然死とか事故死とか…そうなってくると結局結論は半年後で現段階利津くんが言ってることを否定することはできない。
もし本当に利津くんに未来予知能力があったとしたら?でも自分の寿命だけわかるなんて、そんなピンポイントな能力あるのかな。それとも言わないだけで実は他の人の寿命もわかってるとか?

目を閉じた。ただぼぉーっと目を開いてるのにも疲れちゃって。
うーん…どれが本当でどれが嘘なのか、さっきのことよりも答えが出ないな。どれだけ考えてもこの答えは半年後なんだもん。
だけど、利津くんにはそんなことどうでもよさそうだった。たまに見せる静かな微笑みは全部諦めてるようにも見えるし、いつでも自由気ままに振舞ってる姿には全部受け止めてるかのようにも見える。
私だけがこんなに悩んでるのかな…

パチッと目を開けた。時計を見たら5分進んでた。何度思い返しても、行きつくのは“半年後”というこのワードしかなかった。
そしたら今こんなに考えてもしょうがないかなぁ。もう考えるのやめようかな、半年経ってまたその時考えれば…出ない答えを見付けるのは恋に落ちる瞬間を探しているのと一緒だよ。やっぱり半年後死ぬなんて、嘘かもしれないし。
そう思ってもう一度目を閉じた。

「純夏ちゃんおはよう!」

「あ、柚!おはよう!」

すぐに閉じた目を開けた。ホームルームが始まる5分前、柚が教室に入って来た。

「もう風邪はいいの?」

「うん、めっちゃ元気!」

後ろを振り返ると、グーにした両手を顔の隣に持っていき元気アピールを見せてくれた。

「昨日いっぱい寝たからもう全然元気だよ!最高潮!」

「それはよかった」

ふふふっと笑って、朝から何かいいことでもあったのかなってくらい。肩に掛けたスクールバッグを下ろして、教科書を取り出し始めた。

「ねぇねぇ純夏ちゃん」

「ん?」

きっと朝からこれだけご機嫌なんだ、下駄箱で七江くんと会ったとか今日の午後遊ぶ約束をしてるとかそんな感じで喜びが溢れちゃってるんだ。わかりやすくて可愛いのが柚のいいところだもの。
あれ、そーいえば私の学校が終わった後の予定って…

「今日暇?遊んで帰らない?」

「え…」

まだ気になることあった。
利津くんと私って今どーゆう状況なんだっけ?

「何か予定ある?」

「あ、うん…あのっ」

あの公園での待ち合わせ…は、どうしたらいい?あたりまえのように学校帰りはあの公園で待ち合わせになってるけど、それって…

「忙しいなら、明日は?明日は空いてる?」

「うん、明日!明日なら空いてる!」

「わかった、じゃあ明日ね!」

柚が右手の小指を立てて、ねっと首を傾けた。それにうんっと大きく頷いた。
私は利津くんの彼女。そんな約束、しちゃったから。今日も公園に行かなきゃ。…で、いいんだよね?てゆーか未だに自分が彼女なことに納得はしてないんだけど。もはや義務感で彼女やってるんだけど。

授業が終わってホームルームが終わって、義務感を果たすつもりでいつもの公園にやって来た。やっぱり今日も私の方が早かった。しょうがないのでベンチに腰を下ろした。

「………。」

この時間は何をしたらいいかわからないな。利津くんが来るまでの時間、することもなく過ぎる時間はなんだか…
春から初夏に入りかけた頃、木陰の下のベンチは気持ちいい。なのに、どこかそわそわして気分が落ち着かない。それが気持ち悪く思えてスマホを開いて気分を紛らわした。
だけど、今スマホを開けばstead(ステッド)のことばかりで。

欠陥が指摘されたstead(ステッド)は未だ回収されていない。
ニュースによると、stead(ステッド)の感情や思考、行動力を高めるため人間社会の中に送り込まれたらしい。学習能力を持つstead(ステッド)だからこそ成立する、言わば実験だ。だから今もこの国のどこかにー…

「………。」

ふとスマホの右上に表示されてる時間を確認した。
え、進み遅くない…?開いた時にも何分か確認したけど、2分しか経ってない…あ!今3分になった!いや、遅すぎでしょ!!壊れちゃったのかな…っ
この公園には時計がなくて正しい時間がわからない。もう結構経ってる気がするのに利津くんが来ないことが引っかかっていた。
今日遅くないかな?てゆーか利津くんは、来るんだよね?今日もここに来るってことで…いいんだよね!?
さっきまでそわそわしていた気持ちが一気にグッとのしかかって来た。来なかったら、どうしよう…

「純夏先輩!」

ドクンと胸の奥が鳴った音が聞こえた。公園の入り口にある車止めのポールを擦り抜け、手を振りながら駆けて来る。眩しくて、目を細めた。
え、何今の…自分から聞こえた音じゃないみたいだった。

「純夏先輩?どうかしました?」

座ってる私の前に利津くんが立った。

「ううん!あ、あのっ!今何時!?」

どうしてか誤魔化したくて、すぐに話題を振った。こっちだって気になってるんだから。

「今はー…、3時47分ですね」

「嘘!?私も同じなんだけど!」

制服のズボンのポケットから取り出した利津くんのスマホの画面を見たくて思わず立ち上がった。

「…そりゃ、そうでしょうね」

「……そうなんだ」

だけど、すぐに座り直した。同じだった。全く狂ってなかった。

「何かありました?」

「あ、うん…スマホ調子悪いのかなって」

おかしいのはスマホじゃなかった。

「スマホ、大丈夫そうですか?」

「う、うん!大丈夫…だったと思う!」

スマホは大丈夫だった。大丈夫じゃないのは、私。
なんでこんなに胸の奥がザワついてるの?ざわざわする気持ちを押し込んで、出そうになるタメ息で蓋をした。一瞬俯きかけた顔をグッと起こして顔を上げた。

「え、利津くんの方がスマホ大丈夫!?」

ベンチに座る私の前で立っていた利津くんの持つスマホが気になり過ぎて一気に気持ちは飛んで行った。

「スマホ傷だらけじゃない!?」

ちょうど制服のズボンのポケットに入れようとしていて、チラッとだけ画面が見えてしまった。ヒビだらけで所々テープで補強してあって画面はほとんど見えないんじゃないかってぐらい傷が酷かった。

「あぁー…、落としちゃったんすよね」

「派手に落とし過ぎだよね」

「でも使えないわけじゃないんで」

あまりに悲惨な状態のスマホをニコッとしながら見せてくれた。それが正常に使えてるのかは疑問なところだけど、安いものじゃないし買い換えられなかったのかな。そーいえば使ってるスクールバッグもボロボロだった、確か近所の犬にやられたとかで。

「その状態になってもちゃんと使ってるの偉いね」

「そうですか?案外これくらいどうってことないですよ」

「不便じゃないの?」

「ちょっと出来ないくらいのが可愛いって人間よく言うじゃないですか」

機械が調子悪くて可愛いとはならないと思うけど。使い勝手悪いし、嫌な気持ちになったりしないのかな。それに…

「ちょっとなのかな、それ」

体を退ける私にもう一度ニコッと笑った。利津くんの考えてることはたまに読めない。

「あ、そうだ!利津くんに聞きたくて!」

ズボンのポケットにしまわれそうになった利津くんのスマホを見て思い出した。今日言おうと思ってたことがある。

「俺に?何ですか?」

「連絡先!…教えてくれないかな?」

スマホを持って立ち上がった。会うのはいつもこの公園だし、デートの時だって時間も場所も決めてたから特に困ることはなかったんだけど、今日改めて必要だなって思ったから。

「純夏先輩が俺に興味を…!」

「え、なんでそんな感動してるの!?瞳潤み過ぎじゃない!?」

目を開いてパァーっと表情を輝かせる、左手で口を抑えてたぶんオーバーにリアクションしてる。それだけは読めた。

「利津くんの連絡先知らなかったから!何も言わないで私が来なかったら、今日だって友達に誘われたんだけど利津くんに言える手段なかったし…っ」

同じ学校なんだから、しかも1つ下の学年ってことだけは知ってるから。教室に会いに行くことはできた。でも…

“内緒にしてください”
行っちゃいけないと思って言えなかった。

「純夏先輩って律儀ですよね」

「え?」

「というか毎日公園で会いましょうなんて言ってないですけどね」

「え!?言ってないっけ!?」

そうだっけ!?言われてないんだっけ!?
1番最初にそう言われたと思ってたんだけど、だから毎日待ってたし、それに利津くんだって来てたし…

「告白した時に言いましたけど、あれは改めて告白の返事を聞きたかっただけなんで」

“明日の帰り、この公園で”
“待ってますね”
本当だ、冷静に思い返したら言われてない…

「俺が通りかかるといつも純夏がいたんで」

言われたらそうだ、毎回私の方が利津くんを待ってた。
じゃあ今までずっと私の方が会いに行ってたの…?全部私の勝手な勘違い…??

「だから全然友達と遊んでよかったですし、もっと言うと俺のこと置いて友達と遊ぶことできたじゃないですか。自分で言うのもあれっすけど、結構無茶苦茶なこと言われてますよ?」

「自覚あったんだ!でも…っ」

もし利津くんが私を待っていたら、…だって彼女なんでしょ?私は利津くんの、彼女なんでしょ。

「…利津くんとした約束だから」

両手できゅっとスマホを握りしめた。本当に無茶苦茶だし、正直最初は戸惑いしかなかったけど…

「ちゃんと、守ってくれてるんですね」

利津くんが少し俯いた。スマホを持つ私の手に静かに触れた。

「…彼女ってさ、こんな時どうするの?」

スマホから手を動かせない。利津くんの手が覆い被さるように上に乗っているから。ダイレクトに伝わる体温が、温度を増していく。

「教えてよ、わからないんだから」

視線を上げてグッと利津くんの顔を見た。その瞬間ふわっと風が吹いた。

「私まだ諦めてないから…っ、恋の仕方教えてくれるんでしょ!?」

くすっと笑って、触れた手をそのまま握った。

「もちろんです」

「…っ」

「こんな時はこうして握り返してください」

スマホから利津くんの手へ、無機質だった感触が柔らかくて温かいものに変わる。時折トクトクと音が伝わる。

「…わかった」

これで合ってるのかなって思いながら握った手は、強引に引っ張られた時とは違った。これが利津くんの手なんだって、初めて感じた気がした。
目を合わせるのにどうしてこんなに胸が落ち着かないんだろう。このドキドキしてる鼓動にいつか名前が付く日が来るのかな。


****


Love Apple Pop(ラブアップルポップ)あそこだよ、純夏ちゃん!」

今日の放課後は約束通り柚と出掛けた。どこに行こうかって考えて、柚が気になってるというりんご飴専門店にやって来た。
Love Apple Pop、名前からして可愛いお店は赤と白で彩られらた外観もよく映えて可愛かった。お店の中を覗けば、白い壁に赤色の水玉模様の壁で…あ!違う!りんごだ、りんご柄の壁だ!そんなところも可愛かった。

「純夏ちゃん何にする?」

「うーんと、私は~…」

店内に貼ってあるメニューにはシンプルにキャンディシロップでコーティングされたノーマルなりんご飴から、チョコレートやシナモン、抹茶、りんご飴なのにいちご味なんてのもあった。りんご飴ってこんなに種類あるんだ。

「いっぱいあると迷っちゃうね」

「うん、すごい迷う。柚は決めた?」

「私はいちごりんご飴にする!ピンクで可愛いから!」

どっちの味がするのかわからないりんご飴を頼む柚の隣で1番普通のノーマルりんご飴を注文した。
店内には少ないけどテーブルがあって立ったまま食べるスタイル、テーブルに敷かれたりんご型のクロスを背景にりんご飴を写真に収めるのが定番みたいだった。
空いていたテーブルにりんご飴を置いて私たちも写真を撮った。こぶしより大きいりんご飴はりんごの部分が透明のビニールに被せられリボンできゅっと閉じられている。そのリボンも何種類かあるみたいで、私と柚でも違う色だった。

「見て見て!めっちゃ可愛い!」

「本当だ可愛いね」

「これ純夏ちゃんにも送るね!」

「うん、ありがとう」

パシャパシャと絶対そんなにいらないだろってぐらい写真を撮って、満足したらやっとりんご飴のりぼんをほどいた。かなりずっしりしたりんご飴は見た目は可愛いけど、食べるには気合いがいるなと思った。

「ねぇねぇ、これも撮っとこ!」

スマホのカメラをインカメラに変えた柚に呼ばれ、りんご飴を持ちながらピースサインをした。りんご飴が大きすぎて小顔効果絶大だねって、笑いながら。

「いただきますっ」

りんごに刺さった串を両手で持った柚がペロッと飴の部分を舐めた。キャンディシロップの上からさらにパステルピンクのシュガーが覆う柚のりんご飴は目を引いて、持っているだけで目立った。私もそっちにすればよかったかな。

「わー、めっちゃおいしい~!いちごの味する~!」

よっぽどおいしかったのか、へにゃっとした緩んだ顔をした。そんな柚の顔を見て、私もりんご飴を一口かじった。シャキッといい音がした。

「ねぇ柚」

「ん?なぁに?」

「なんで今日私を誘ったの?」

私が二口目をかじった時、まだ一口目をかじろうとしていた柚がピタッと止まりこっちを見た。

「…純夏ちゃんを誘うのに理由がいるの?」

目を丸くして、不思議そうな顔をして首を傾げた。

「え…っ、そうゆうわけじゃないんだけど」

「純夏ちゃんが友達だからじゃダメ?あっ、それとも友達じゃないの!?」

「ううん、友達!友達だよ!?じゃなくて、七江くんは…よかったのかなって。付き合い始めたばっかだし、私と遊んでていいのかなって」

自分で言い出しておきながら、この話の結末の方向性にわからなくなってしまいただかじりかけのりんご飴を見つめた。二口かじった分の歯型付きのりんごを見て、言わない方がよかったかなって考えた。なんとなく、思ったから聞いてみたんだけど。

「…瑞穂くんと付き合い始めたけど、でもそれで純夏ちゃんとのことが変わるわけじゃないし」

柚がりんご飴を持つ手を少し下ろした。

「私は瑞穂くんとも遊びたいけど、純夏ちゃんとも遊びたい。だって純夏ちゃんも私の大事な人だもん」

視線をりんごから離したら柚と目が合った。

「こうやって純夏ちゃんと過ごす時間も大好きな時間だよ」

七江くんの話をする時の柚は可愛くて、私はそんな風にはなれないなって思ってた。だけど、私の前でもそんな顔してくれるんだね。

「純夏ちゃんと遊びたかったの、それだけ!」

私もこの時間が楽しい、大事な時間だよ。柚は私にとって大事な人だよ。

「あ、あとね…ちょっと純夏ちゃんに相談があって」

「私に?何、どうしたの?」

柚がちょっとだけ俯いて頬を染めた。

「…こないだね、瑞穂くんと歩いてたんだけど」

「うん」

「歩いてたら、手が当たっちゃって…それまで楽しく話してたのに急に気まずい空気になっちゃって、どうしたらいいかわかんなくて、微妙に触れたまま…!みたいなことがあって」

たどたどしく言葉を紡いで、ぎゅっとりんご飴の串を持つ手に力が入ってる。

「すぐ何か言えばよかったのかもしれないけど、びっくりしちゃって何も言えなくて私も瑞穂くんそのまま黙っちゃったの。嫌な思いさせちゃったかな、私…」

顔を上げた柚はぷくっとした頬が赤くなってりんご飴みたいだった。

「どうすればよかったのかな…?」

ハの字になった眉と水分が多くなった瞳から柚の様子が伺える。
今私に答えを求めてる…!恋愛したことない私が、恋愛について相談されてる。どっちも経験ない私にとって無理難題でありながら、初めてのことで一瞬身構えちゃったけど、今日はすぅっとその質問が体の中に流れ込んで来た。

“…こんな時彼女はどうすれないいの?”
利津くんに教えてもらったから。

「七江くんの手を握ればよかったんじゃない?」

「えっ、そんなこと…き、緊張する!」

「でも柚は七江くんの彼女だし、いいと思うよ!」

「そうかな…?」

さっきよりさらに柚の頬が赤くなった。でもどこか嬉しそうで。

「今度…、してみてもいいかな」

「うん、いいよ!絶対上手くいくよ!!」

りんご飴を持つ手ではない方の手をグーにして、大丈夫!と念入りに訴えてみた。これは利津くんに聞いたことだから、自信を持って言える。

「…ありがとう、純夏ちゃん」

頬を染めたまま恥ずかしそうに笑った。

「私、誰かと付き合うの初めてなの。だからわからないこと多くて…純夏ちゃんに聞いてもらえてよかった!」

可愛いで埋め尽くされたこの空間に負けないぐらい華やかな表情で笑うから私もつられて一緒に笑った。私も柚の役に立てたのなら、よかったな。


****


今日は雨、朝はまだパラパラと小雨だけど夕方には土砂降りになるらしい。雨は苦手なんだよね、できるだけ濡れたくなくて大きめの傘を差して学校までやって来た。

「あっ」

下駄箱でスニーカーから上靴に替えて教室へ向かおうとした廊下で利津くんに会った。パチッとハッキリ目が合ったから、つい声が出てしまったけどここが学校だったことを思い出して口をつぐんだ。周りには人もいる、登校時間はここは賑わうから。

“変な噂立てられるのもよくないですからね、学校では内緒にしましょう”
半年後に死ぬから私に迷惑かからないように、利津くんがそう言っていた。それは付き合ってることだけではなく、利津くんと私が学校内で話すだけでもよくないのかな。それだけで変な噂は立たないと思うけど…

利津くんがこっちに向かって歩いてくる。ゆっくりゆっくり近付く足音と同じリズムで心の奥が音を出してる。じっと利津くんから目を離せないでいる私の隣を、スーっと過ぎて行く。一瞬、私の目を見て少しだけ口角を上げた。私だけにしかわからないように。
一定の同じリズムで鳴っていた音が急にドクンッと大きくなった。あ、またこの感じ…なぜかざわざわして落ち着かない。何これ、自分に不具合が出てるみたい。
1度だけ深呼吸をして、その場から走っ駆け足で階段を上った。教室まで一息もつかず胸を押さえて飛び込むように中に入った。

「あ、純夏ちゃん!おはよう!」

「…おはよう」

「どうしたの?」

「え、あー…ちょっといそっ」

「顔、赤いよ?」

「…え?」

急いで来たから、って言おうと思ってた。急いで来たから息を切らしてここまで来たんだって。でも柚に言われたのはそっちじゃなかった。

「…私、顔赤い?」

「うん、ほっぺが真っ赤!昨日食べたりんご飴みたい!」

両手を頬に当てる、今自分がどうなってるのか知りたくて。でも知った時、どうしたらいいんだろう。

「純夏ちゃん、好きな人でもできた?」

「えっ」

「できたの!?」

「ううん、できてない!できてない!」

浮かんだのは擦れ違った時の利津くんの顔、だけど利津くんは好きな人じゃない。そう、好きな人じゃない。好きではない。
じゃあ利津くんは私の何だっけ…?


****


「利津くんは私の彼氏ってことでいいの?」

「………。」

「え!?違うの!?私が彼女なら彼氏かと思ってた…」

朝は声がかけられなかった下駄箱の前、今度は朝とは反対の方向から歩いてきた。だから通り過ぎざま、気になって問いかけてみた。

「…あの、学校では内緒でって」

そしたら眉をひそめながら静かな声で注意された。立てた人差し指をそぉっと口元へ持っていき、私に聞こえるか聞こえないぐらいの声で。

「あ、ごめん!誰もいないからいいのかと思ってっ」

キョロキョロと利津くんが周りを確認する。一応、私も話しかけるときに気にはしていた。でも校舎裏で会った時は普通に話していたし、誰にも見られていなきゃいいのかと思って…

「…まぁそれは、そうですね」

はぁっと肩を下げて息を吐いた。そんな誰にもバレたくないんだ、変な噂って何をそんなに気にしてるんだろ…

「利津くん、何してるの?」

「え…っ」

「いや、リュックも何も持ってないから。下駄箱まで来て、帰る以外に何してるのかなって」

「あー…」

しかも手には1冊教科書を持っていた。不自然に1冊、下駄箱で。

「探してたんですよね」

「何を?」

俯きかけた利津くんが、一呼吸置いて話し出した。

「…意味を。今やってる授業の内容がイマイチ理解できなくて図書室で辞書借りて調べてました」

なるほど、それで教科書持ってるんだ。うちの図書室は一度1階まで降りて、下駄箱の前を通り過ぎずーっと奥まで行かなきゃ辿り着けない結構行きづらいとこにある。今まで私が先に公園で待っていたことが明かされた気持ちになった。

「勉強家なんだ」

握られた本は使い古したような折り目や歪みがあって、まだ1学期も終わってないのにどれだけ使い込んだのだろうと思うほどだった。

「今、意外!って顔しましたね」

「してないよ!だからいつも来るの遅いんだねって思っただけで!」

「それは、…すみません」

利津くんが眉尻を下げて小さく笑った。今の言い方はよくなかったかもしれないと慌ててフォローの言葉を付け足した。

「謝らなくていいよ!勉強してたなら謝ることじゃないよ!私は何もせず帰るし…っ」

リュックを背負って下駄箱の前、いつでも帰られる状態で。スニーカーに履き替えたらすぐに帰り道を歩き出せる。
じぃっと利津くんを見て、目を合わせる。
利津くんも同じように私を見てた。“一緒に帰りませんか?”って言われるのかと思って。

「そうですか」

「…うん」

言われなかったけど。言うわけないか、ここ学校だもん。言われなくても…また会うからいいか。

「じゃあ、私先帰るから…公園で待ってるね!」

利津くんに手を振った。つい忘れていたけど、外は雨だった。ザーザーと音がしていることを忘れていた。上履きからスニーカーに履き替えて、傘立てから傘を持って気付いた。

「純夏ちゃん、誰と話してたの?」

下駄箱の視角になって見えなかった。雨の音がうるさくて人の気配に気付けなかった。ずっとそこに柚がいたなんて。

「あ、えっと…っ」

土砂降りの雨で暗い空に、玄関の蛍光灯が虚しく光ってる。

「ゆ、柚は何してるの!?」

「私は…瑞穂くん待ってる」

「あ、そっか七江くんまだなんだ…」

どうしよう、笑ってみたけど柚の顔が見れない。逃げてしまった、柚の視線から言葉から。

「…純夏ちゃんって彼氏いたの?」

「えっ…」

「さっき、そう言ってたよね?」

“利津くんって私の彼氏ってことでいいんだよね?”

いたんだ…ずっと、最初から…聞いてたんだ。私が周りのことなんか気にせず利津くんに話しかけたから…っ

「………。」

「何も言わないってことはそうなんだね」

「ちがっ」

違わなくない。私が利津くんの彼女なら、利津くんは私の彼氏。
そこに好きって気持ちがあってもなくても、そんな…契約だったから。付き合うって約束したから。否定することはできない。

「純夏ちゃん、告白されても興味ないって言ってたのは彼氏いたからか!なんだ、そーゆうことか…そーなんだ…嘘だったんだ、あれは」

「あのね、柚っ!」

「どうして教えてくれなかったの?」

鋭い視線が飛んで来た。なのに瞳は潤んで、今にもこぼれそうだった。

「私に言いたくなかったの?」

「そうじゃなくてっ」

「私はなんでも純夏ちゃんに話して来たのに、なんでも話せる友達だと思ってたのに…!」

ぽろっと柚の瞳から涙がこぼれた。

「純夏ちゃんは違ったんだね」

ぽろぽろとこぼれる柚の涙にただ驚くことしかできなくて、何も言えなかった。
寂しそうな瞳から溢れる涙に、私はー…


****


「純夏先輩、どうしたんですか?」

「……。」

「…純夏先輩?」

覗き込むように顔を見られ呼ばれてることに気が付いた。

「あっ、あ、利津くん…!」

久しぶりに体が動いた気がした。だから今のはきっと不自然な動きをしていたと思う。

「どうしたんですか?ずっと下向いて…」

途中から記憶がない、柚が涙を流しながら走っていく後姿を見たのが最後…
そこからフリーズしたように固まって、動けないまま立ち尽くしてた。利津くんに呼びかけられなかったらずっとこのままだったかもしれない。だけど…

「あっ、いいの!?ここ学校だよっ」

「そう…思ったんですけど。1回通り過ぎて、でも全く動かない純夏先輩が気になって」

「わ、ごめん!また、私のせいでっ」

髪をくしゃっと握って顔を隠した。また私間違えちゃった。また周りのこと考えられてなかった。

「純夏先輩?」

「もう帰ろう!もちろん、別々にちゃんとっ」

「泣いてるのかと思いました」

「え…」

利津くんと目を合わせた。スッと上を向いて、静かに目が合った。
でも私より、利津くんの方が悲しい顔してた。それはなんで?

「泣いてないよ。…泣けるわけないよ」

また下を向いた。傘立てにあった自分の傘を持って、今度は利津くんの顔を見なかった。

「今日は帰るね!雨だから公園にも行けないしね!」

「純夏先輩っ」

雨の中逃げるように走った。利津くんの声も聞こえないフリをして。

次の日、絶対朝は柚のおはようから始まっていたのに今日は一言も聞けなかった。後ろの席なのに話しかけて来なくて私も振り返らない、ずっと教室では机に向かってるだけだった。
柚が休みの日はずっと1人だった、柚がいても1人なんだ。またあの校舎裏で、お昼を食べる日々が始まるのかな。1人ってこんなに寂しかったんだ。もう忘れてた。

「……はぁ」

自然とタメ息が出てしまった。
今日は昨日の雨が嘘のようにいい天気で、なんなら暑いくらいだ。もうすぐ半袖の時期かな、衣替えしなきゃね。そんなことを考えながら自分の席から立ち上がった。

気付けば1日が終わってあとは帰るだけ、後ろのドアの方が近いこともあって振り返った。そしたら同じように立ち上がった柚と目が合った。

「………。」

「……。」

でもすぐに逸らされてしまった。私も見てられなくて目を伏せた。

「柚ちんばいばーいっ」

「ばいばい、また明日ね~」

柚がクラスメイトに手を振っている。
柚には友達がいるから、私以外にも。だから私がいなくても平気なんだよね。
帰ろうかな、私も。

とぼとぼ重い足取りで学校を出た。坂道を下って公園の前を通る…チラッといつものベンチを見たけどやっぱり利津くんはいなくてまだ来てないみたいだった。
木々に囲まれ陽の当たる場所が少ないこの公園は昨日の雨が残した水たまりがまだできていた。そのせいでぬかるんだ地面を見て、中に入ろうか迷った。
昨日利津くんからも逃げちゃったし、どうしようかな…

「今日は晴れてますよ」

「わっ!」

耳元で聞こえた声にビクッと方が揺れた。

「利津くん…!今日は早いんだね!?」

「純夏先輩が遅いんじゃないですか、あんなゆっくり歩いてたら日が暮れますよ」

「見てたの!?」

自分でも自覚あるほど遅かった。でもそんな姿を後ろから見られてたとは…、全然気付かなかった。

「…あの、利津くん。昨日はごめんね」

「何がですか?」

「昨日誰もいないと思って話しかけちゃったんだけど、友達が…いたんだよね。気付かなくて、だからバレちゃったかも」

利津くんとの約束も守れてなければ、そのせいで柚を…
帰ろう。また失敗してしまう気がする。そうなる前に早く帰らなくちゃ。

「純夏先ぱっ」

「私は冷たい人間だから!」

その場から去ろうとする私の腕を利津くんが掴もうとしたから、つい声が大きくなってしまった。

「恋愛だけじゃないんだよね、友達だって柚しかいなくて…人と関わったりするの苦手なの。わからないの…」

柚の涙を見てびっくりした。こんな時、人は泣くんだってびっくりしちゃったの。私だって柚のこと大事な友達だって思ってたし、そうして来たつもりだったけど、何かが違ったみたい。

「何かあったんですか?」

「…柚のこと、泣かしちゃった。柚に嘘ついてたから」

やっぱり私は欠陥品なんだよ。誰かを好きになる気持ち、大切にする気持ちが足りないんだ。

「最悪だよね…」

ほら、こんな時…私は涙も出ないの。せめて涙を流すことぐらいできたらー…

「純夏先輩って絶対無視したりしないじゃないですか?」

「……え?」

あまりに真剣な眼差しで想像よりもだいぶ斜め上のことを言ってくるから、瞬きを2回ぱちくりして利津くんを見てしまった。

「俺が告白した時も、むちゃくちゃな契約結んだ時も、絶対無視しなかったんです」

眉を吊り上げ、大きく瞳を開いて、必死に訴えかけてくる。なんだか圧倒されてしまってもう一度瞬きをした。

「今だってこうして公園で待ってくれようとしてたんですよね?」

「それは…っ」

「純夏先輩は優しいと思います!」

“純夏先輩って優しいですよね”
あんなの大したことなかった。わざわざ言われるようなことじゃなかった。だってあれは…

「…友達とのことって、俺のせいですか?」

「あっ」

「俺が内緒にって言ったから、純夏先輩誰にも言えなかったんですか?」

「利津くんがどうとかじゃなくてっ」

それは私のせいであって利津くんのせいじゃない。
学校では内緒でって言われたのに、学校でも話しかけた私がそもそも悪い話であってこうなっちゃたんだから…!

「すみません」

利津くんが少しだけ頭を下げた。

「ううん、違うの!」

「純夏先輩、ちゃんと守ってくれてたんですね」

「………。」

上を向いたから太陽が眩しい。初夏の陽の沈みは遅くって、全然夕方を感じない。

「純夏先輩って本当律儀な人ですよね」

「…全然良いことに聞こえないんだけど」

「俺は好きです、純夏先輩のそうゆうとこ」

「っ」

真っすぐな瞳で言われたから恥ずかしくなって言葉に詰まった。

「言ってもいいですよ、全然」

「え…、いいの!?だって利津くんあんなに隠したそうにしてたからっ」

「いいです、純夏先輩の友達なら」

「でも…っ」

視線を落として、スカートの裾をきゅっと握る。

「…なんて話しかけたらいいかも、わからなくて」

もしかして今日話しかけてくれないかなって少しだけ期待してた、そしたら私も話せるのにって。
だけど、どうしても自分からは…できなくて。

「じゃあ俺の好きな言葉を教えてあげます」

「好きな…言葉?」

「おはよう、って言えばいいんですよ」


****


今日はちょっとだけ早く学校へ来た。廊下側の教室のドアの前、こわばりそうになる顔を両手でほぐしながらドクドクと聞こえる音を落ち着かせて。
最初に言うんだ。利津くんから教えてもらった、あの言葉。
何も頭の中で復唱して、上手く言えますように…!
ホームルームが始まる5分前、やって来た。

「柚っ、…おはよう!」

“おはよう、って言えばいいんですよ”
話しかけるのは少し勇気がいる。実際はすごく簡単なのに。

「…おはよう」

“そしたらおはよう、って返って来ますから”
たった一言、言えたら世界は変わるのに。

「柚、あの…っ」

「純夏ちゃん…」

「あのねっ」

次の言葉を言おうとすぅっと息を吸った。これが言えたらきっと大丈夫、また友達になれる…そう思って。

「ごめんねぇ~~~~~!」

「え!?」

なのに柚が先に言い放った上に、今日も瞳にいっぱいの涙を溜めていた。

「ごめんね、言い過ぎたよね私!絶対言い方よくなかったよね!?ごめんね、自分のことしか考えてなくて…!」

うーっと唸り声を出しながらこぼれ落ちそうになる涙を堪えている。

「でも昨日1日純夏ちゃんと話せないの寂しくて話したいこといっぱいあったのに話せなくて!だけど目が合ったのも逸らしちゃったし、話しかけるタイミングも、朝おはようって言うのもしなかったからもういつ話しかけたらいいか迷っちゃって…!」

柚も、そんな風に思ってたんだ。悩んでたのは私だけじゃなかったんだ。
そっか、みんな悩んだり迷ったりするのかな…そうやって覚えていくものなかな。
こないだは柚の涙に動揺しちゃったけど、今日はしっかり柚の顔を見た。

「私の方こそごめんね!柚に…嫌な思いさせて!」

「ううん…っ」

「私も寂しかった、柚と話せないの…」

両手で柚の顔に触れて、そっと涙を拭った。

「でも私、柚のこと友達じゃないなんて思ってないから!大事な…友達だと思ってるからっ!」

それは嘘じゃないよ、本当だよ。柚に嘘ついちゃったけど、これだけは間違いなく本当のことだから。
柚ががばっと私に抱き着いてきた。

「…うん、私も!」

背中に回した腕にぎゅーっと力を入れて、こんなこと初めてでちょっとだけびっくりしちゃったけど、でも心はあったかくて同じように背中に手を回した。ぎゅーって力を入れて。
一緒にお昼にはお弁当を食べて、放課には他愛もないこと話して、たまにはどこかに出掛けたり…そんなことできたらいいね。これからも。

「ごめんねごめんねっ」

「ううん、私は気にしてないからいいよ」

「でも私がついあそこで泣いちゃったから…!」

柚とまたこうして話せる関係になったはいいけれど、朝からあんなこと…あれ教室の前の廊下だったんだよね。要はクラスメイトに丸聞こえで朝のホームルームは若干気まずい空気だった。
それもちょっと落ち着きかけた授業後の掃除の時間、音楽準備室の床をほうきで掃いていた。ここは物が多いから大掃除以外ではほうきで掃くだけだし、先生もあまり来ないからサボりがちになる掃除スポットでもある。

「変な感じになっちゃったよね!?純夏ちゃん大丈夫だった??」

1つわかったことがある、柚はよく泣く子なんだなってこと。簡単には泣けない私からすると、そんな時に泣くんだって新鮮な気持ちもあって新しい一面を知った気がした。

「私は平気だよ」

「引かれたりしないかな??」

「ん~…わかんないけど、私は柚がいたらいいし」

「純夏ちゃん…!」

コロコロ表情を変える柚の表情筋は忙しいだろうなぁ、なんて思ったりして。

「あ、そうだ!も1つ純夏ちゃんに言おうと思ってたことがあって!」

もはやほうきを持つだけで掃くことをやめた柚が何かを思い出した。

「こないだ純夏ちゃんに言われたことやってみたの!」

「言われたこと?」

「うん、あの…手が触れちゃったらどうしようってやつ」

“握り返して”
あ、りんご飴食べに行ったあの日の…

「めっっっちゃ緊張したんだけど、瑞穂くんの手…握ってみたらね」

頬を赤くしながら笑った。

「瑞穂くんも握ってくれてすっごい嬉しかった!」

利津くんが教えてくれたことは本当だったんだ。ちゃんと教えてくれてるんだ私に。

「ありがとう、純夏ちゃん」

「ううん、私はっ」

「あれって純夏ちゃんの実話?」

「え!?」

私に近寄ってパーにした右手で口を覆いながら耳元でこそっと聞いてきた。そんなことしなくてもここには私と柚しかいないんだけど。他のみんなは隣の音楽室の掃除してるんだけど。

「だって妙にリアルだったもん~!体験したアドバイスでしょ?」

「ちがっ、そうじゃないけど!」

そうだけど、そうかもしれないけど…!ちょっと違う!!

「えー、照れないでいいよ♡彼氏とラブラブなんだ♡」

「あ、彼氏…っ」

まだこの話はしてなかった。どうやって切り出そうか迷っていたから。

「あのね、この話は…いつかちゃんとするからもう少し待ってもらえない?」

柚がどんな顔するのか怖くて見られなかった、だから下を向いてほうきの先の方を見てた。まだ何を言ったらいいのかわからなくて。どこまで話せばいいのか、どうして黙ってたのか、それに…

「うん、わかった」

「え…、待ってくれるの?」

「うん!私思ったんだけどね」

ほうきの柄の部分をきゅっと抱えるようにした柚が、後ろの壁にもたれかかった。

「なんでも話せるのが友達だって勝手に思ってたけど、話したい時に話せるのが友達なのかなって。昨日純夏ちゃんと話せない時に思ったんだよね」

明るく笑って私の方を見た。

「だから私は純夏ちゃんが話したい時に1番に話してもらえる友達になりたい!」

泣くこともできない私だけど、上手にそんな風に笑うこともできなくて。それがいつも羨ましい。

「それまで待ってるね!聞きたくてうずうずしちゃうかもしれないけど!」

キュッと口を閉じて、なぜかへの字にした。

「柚が言う方じゃないんだから口閉じてもしょうがないでしょ」

「あ、そっか!耳閉じる方だっけ?」

今度は両手を耳に当てて首を傾げた。

「それじゃ何も聞こえないよ」

くすくすと笑ってしまった。
柚といる時間が好き、私にとって大切なの。

「柚、待っててね」

だから、いつかちゃんと言いたい。利津くんのことを好きになったら。