「……きゃー!! もしかして『神の気まぐれ』? 本当に来たんだ!」
 えっ、と思う間も無く、美桜は嬌声と共に羽交い絞めにされる。いや。正確には抱き着かれたのだが、逞しい腕にミオが堪らず悲鳴を上げたのは、もはや仕方がない。

「……異世界転移」
 本やアニメで聞いた言葉を、美桜は慎重に口にする。
 場所はお店のカウンター席。ちなみに店名は「ルポ」、フランス語で休むの意味だ。
 リズと名乗った赤い服の人物は、美桜に「神のきまぐれ」の話を教えてくれた。
 それによると、五十年から百年に一度の割合で美桜のように異世界からやってくる人物がいるという。それも大抵、店や住居と一緒にやってくる。ある日突然、それまで原っぱだった場所に現れるらしい。
 異世界転移、という言葉は知っている。本で読んだことあるし、アニメでも見たあれだ。
(そんなこと、本当にありえるの? 夢なんじゃない)
 美桜としてはどう考えてもそっちの方がしっくりくる。
 そう思ってほっぺをつねってみたんだけど、
「痛い!」
 期待は脆くも崩れ頬が赤くなっただけ。それを見てリズが目を丸くし、ふふふと笑う。
「本当にほっぺをつねるのね! それもおばあちゃんの話の通りだわ」
 どうやらリズに異世界転移を教えたのは祖母のようで。
 前の転移者もつねったらしく、なんだか先を読まれていて恥ずかしい。
「あなた、名前は?」
「美桜」
「ミオ?」
「……はい」
 少々発音が違う気がしないでもないが、よしとする。細かいことにはこだわらない主義だ。
 ミオは、改めてリズをまじまじと見た。歳は二十代後半ぐらいだろうか、女性としても綺麗だけれど、男性としても美丈夫で、メイクを落とし髪を短髪にすれば王子様のような顔になりそうだ。
 ミオが自分の顔を脳内変換している、とは露ほども考えていないリズは店内をぐるりと見渡し、それから窓の外を見る。相変わらず月がぽっかりと浮いていた。
「今日はもう遅いし、明日ゆっくりこの世界のことを教えてあげるわ。このあたりは治安は悪くないけれど、戸締りはしっかりしておいてね」
「リズさんの家はどこですか?」
「リズでいいわ。林の手前で歩いて十五分ぐらいかしら? 心細いならうちに来る?」