「いつもの場所
いつもの空気
あの日どこからか聞こえた私を呼ぶ声
どうしてかな、
すごくすごく、、ドキドキしたんだ。」
オレは自分では一応、ごく普通の高1だと思っている。
だけど、人に言わせたらオレは地味な方らしい。
中学時代は、一応弓道部で県大会出場もしたし、高校受験もそれなりに頑張って地元の進学校に合格して、毎日楽しく学校に通ってる。
友人関係も良好だと思うし、賑やかに過ごせてると、、
オレは思ってる。
オレは十河朝陽
まあ、確かに名前から想像する人物像に比べたら、、やっぱりオレは地味なのかもしれない。
「あさひー!あ、さ、ひー!今日帰りカラオケ行こうぜーー!!」
終礼が終わるや否や、オレに駆け寄って来たのは
中学からずっと一緒の桐嶋周吾
オレが地味だと言うならこいつは正反対。
明るさの象徴みたいな奴で声はでかいし、いかにも毎日楽しそうに笑っていて、クラスのムードメーカーだ。
まさに太陽みたいな奴だから、こいつの方が「朝陽」って名前の方がしっくりきたかもしれない。
「周吾、ごめん、今日はちょっと行くとこあるからさ、、」
オレが申し訳なさそうに言うと、周吾は周りがみんな振り向くくらいの声で言う。
「またー!!例のとこで読書する、とかいうんじゃないよなー?あさひっ!」
いや、、そんなでかい声でオレの行動を言わないで欲しい、、と思いながらも
「まあ、そうなんだけどさ」
オレはちょっと周りを気にしながら小さな声で答えた。
「もっとこう、、パーっとストレス発散したいと思わないの?せっかくテストも終わったことだしさ」
声のトーンを一切落とさず、周吾はオレの顔をグイッと下から覗き込むように顔を近づけてきた。
今日は1学期の中間テストの最終日だった。
高校になって初めての定期テストと言うこともあり、
ここ数週間はみんなピリピリしていた。
しかも担任が、なかなかの圧をかけてくるタイプで、
テスト期間を適当にやり過ごしては許されないような空気感を作り出したために、尚更だった。
そんな空気感から、やっと解放された今日。
周りを見渡しても、イキイキした顔でパーっとどこかへ遊びに行こうぜ!と言う、会話があちこちで交わされているのが見える。
オレがそんなみんなと、周吾の顔を交互に見ながら、何か言おうとすると
「ま、でもしょーがねーかー。また今度行こうぜ。」
周吾はニッと笑いながら、左手をひらひらと蝶のように振り、あっさりオレの前から離れて行った。
「おう、またな」
オレが手を振りかえすと、周吾は再び大袈裟なくらいに手を振って笑うと教室から出て行った。
周吾のこういうとこが好きだ。
無理やりとか、詮索とかもない。
かと言って、誘いに乗らないオレを見ても不機嫌になるでもなく、離れていくこともない。
オレはそんな周吾に甘えてるのかもしれないな。
そんなことを思いながら、机に出しっぱなしだった筆記用具を黒いカバンに詰めて席を立つ。
今日は、あそこに行くと決めていた。
「例のとこ」
さっき周吾が口に出した場所。
もうすぐ6月。
少し前まで、鮮やかな新緑に涼しげな風が吹いていて、この季節が一番好きだなぁ…と思っていたけど、昼間はずいぶん暑く感じる時間が増えてきていた。
もう少し、初夏っていうあの爽やかな空気感を感じる時間が長ければいいのに。
最近は暑い夏と寒い冬が長くて、、日本の四季ってやつはどこに行ったんだろうな。
てか、このセリフは田舎のじいちゃんがよく言ってる言葉だ。昔は、春や秋を充分感じられる時期がしっかりとあって過ごしやすかったと。
オレはそんな時代はよく知らないけど、、そんな時代ならもっともっとあの場所で心地よくすごせる時間があったのかもしれないなあ、、。
そんなことをぼんやりと考えながら、「例の場所」へとオレは向かう。
いつからだったかな、中学入ってしばらく経った頃。
まだまだ慣れない中学生活と、入ったばかりの部活でヘトヘトで、だからと言ってすぐに家に帰りたくもなく、あてもなく歩いていつのまにか立っていた場所。
それが、「例の場所」
小さな宝石を一面に散りばめたようなキラキラの水面、そこに吸い込まれていきそうな大きな太陽。
川沿いのその道は、散歩するおじいちゃんや休憩中のサラリーマンが座って缶コーヒーを飲んでいたりはするけど、ほとんど人はいなくてサラサラと水の流れる音が耳に心地いい。
ここには初めて来たわけではなかった。
小学生の頃、友達と自転車でよく走り抜けていた。
だけど、立ち止まってゆっくり見たことはなかった。
ただの日常の景色だったその場所が、急に映画の一場面のように切り取られてオレの目に飛び込んできたようだった。
3段ほどしかない石階段の一番上に腰掛けて、ぼんやりと水の流れとキラキラを見ていると時間が止まったように思えて、なんだか秘密の場所を見つけてしまったような気持ちにさえなった。
どのくらいそうしていたのか、いつの間にか辺りは暗くなっていて、水面の金色のキラキラは、街頭や街の明かりを映してカラフルに輝いていた。
帰り道。
ものすごく心地良くなって、鼻歌まじりで帰ったことを思い出す。
あの日から、あの場所はオレの秘密の場所になった。
秘密と言ったって、みんな知ってる場所なんだけどオレがあの場所に座って1人でゆっくり流れる時間が特別であることは、秘密。あ、周吾にだけはバレてるんだけどね。
こうやって思い返すと、やっぱりオレは地味なのかも。
そういえば、ここで読書を始めたのはいつだったっけ?
読みかけの小説を、厚紙に黄色いリボンを結んだしおりの場所までパラパラとページを進めながら、そんなことを思い出していた。
このしおりは、亡くなったばあちゃんが作ってくれた。
手先が器用で、そこらにある材料ですぐ何でも作ってしまうばあちゃんが、初めて分厚い本を読み始めたオレに、これを挟んでおきな、と作ってくれたものだ。
ばあちゃんが本を読むといろんな世界が知れていいんだよ、と言ってくれたから本を読むようになったのだ。
小さい頃はたくさん絵本を読み聞かせてくれて、少し大きくなってからも本はたくさん読むといいと言って、よく買ってくれた。
秘密の場所でも、最初はぼんやりと水面を眺めているだけだったけど、いつからか小説を開いて読むようになったっけ。
「目を閉じてごらん?絵本の世界が見えてくるだろ?」
ばあちゃんにそんなことを言われてからか、
昔から、文章を読むとその描かれた光景が脳裏に鮮やかにうかぶ。
「緑の草原」という言葉が出てくれば、柔らかな草の感触を足元に感じるし、「風がサーっと」と書かれていれば風が木々を揺らす音が聞こえてくる。
いつのまにか、小説の世界に足を踏み入れたかのように、はっきりと脳裏に浮かぶのだ。
だから、知らない間に随分と時間が経っていて、気づくと真っ暗、なんてこともよくある。
「うわっ!!」
思わず大きな声がでた。
小説を読みながらいつものように、その世界に入り込んでいた。
舞台は図書館で、すこし古びた椅子が軋んだような音でキィキィと鳴り、本の特有の香りに包まれているその場所には、窓からオレンジ色の光が差し込んでいる。誰かがこっそりと小さな声で話している声が聞こえて、、周りを見渡した瞬間。
現実世界にグイッと引き戻されたような気がした。
「ごめん、、」
驚いて声を上げたオレに小さな声で謝っている女性。
オレの真横に知らない女性が座っていた。
この状態が、小説の世界なのか現実なのか一瞬分からなくて、頭が混乱した。
「え?あ、いや、えっ!?」
あまりに至近距離だったから、オレの心臓はバクバクと音をたてて、「ハッハッハッ」と軽く走った後のような息遣いになった。
よく見ると、女性はオレより少し年上だろうか。
謝った後は少し困ったように俯きながら、それでもオレの至近距離で座ったまま動かない。
「あ、、あ、、の、、」
情けなくも言葉が出ない。
「何、読んでるの?」
オレがモゴモゴしていると彼女の方から声をかけて来た。
「ハァッ、、、」
息を吸い込みすぎて変な声が出た。
「プッ、、」
女性はちょっと吹き出して、オレの顔を覗き込んだ。
「これっ、、」
オレはどうしていいかわからなくなって、読んでいた小説をグイッと彼女の方につきだす。
「ふーん」
彼女はそう言って小説を受け取ると最初のほうのページをぱらりぱらりとめくりながら、
「主人公の名前は?」とたずねる。
「な、な、名前出てこないんだ」
やっと言葉が出た。
今読んでいる小説はすべて「私」「あなた」の1人称、2人称で語られていて、主人公の名前は出てこない。
名前が出てこないから、読み手によってかなり主人公の印象は違うかもしれないなあ、と思う。
「名前、ないんだ。」
彼女は不思議な顔をしてもう一度オレの顔を見た。
「うん」
「そっかー、じゃあまたね」
突然、彼女は立ち上がり小説をオレの手に返すと手を振って、くるりと背を向けた。
そのまま、走り出したかと思うとあっという間にどこかへ行ってしまった。
「ん、、すーーーぅぅ、はぁあああーーっ」
オレは。
今まで上手く吸えていなかった空気を思い切り吸い込んで、吐き出した。
「てか、、誰、、だよー」
思わず口に出た。
いきなり真横に座って来て、話しかけて来て、いなくなって。
パーソナルスペースって知らないのかよ!
心の中では毒付いてはみても、実際はあたふたしすぎて何にも言えなかった自分が情けなくもなった。
名前くらい聞けただろ、誰ですか?くらい言えただろ。
てか、あんなに至近距離て事は知り合いか?
周吾なら、初対面でも仲良くなったんだろうなあ。
なんか、頭の中がごちゃごちゃしていろんな事が浮かんでは消えた。
翌日。
「それはー、ナンパってやつじゃないですかー?」
昼休み。周吾がわざとらしくオレにくっついて座り、ニヤニヤしながらそう言った。
「ナンパ?」
周吾から出た言葉が、オレにはピンとこなくて繰り返す。
「だっていきなり声かけてきたんだろ?知り合いでもないのに」
周吾はオレの机の上の食べかけの弁当チラチラ見ながら言う。続けて
「いいなー。可愛かった?」
そう言ってにやっと笑った。
周吾はとっくに食べてしまった菓子パンの袋をくしゃくしゃに丸めて離れたゴミ箱に投げ入れる。
惜しくも、ゴミ箱には入らず周吾は「クソッ」と小さくつぶやいて席を離れた。
「可愛いっていうか、、、」
オレはあの時の光景を思い出す。
髪の毛は肩くらいだったかな、顔は、、、
光の加減か、オレがあたふたしたからか、、
顔が全く思い出せない。
「覚えてない」
オレがそう言うと、周吾は「なんだよー!」と大袈裟なくらいのけぞって見せた。
「あさひはさー、彼女欲しくないの?」
オレは彼女ほしいよー、と周吾はそう続けながら机に突っ伏した。
彼女かー。。
中学生の時に同じ弓道部の同級生に告白されて、まあよく話すし仲もいい方だったからオッケーして付き合ったこともある。付き合ってた、とは言っても部活帰り一緒に帰ったり、毎日連絡を取り合ったり。休みの日に彼女の行きたい場所に行ったり。
それぐらいだったなー、、1年くらいはそんな感じだったけど、いつの間にかあまり学校意外で会わなくなり、部活引退したら、受験のこともあって自然消滅みたいになっていった。
「私たちって、まだ付き合ってるんだっけ?」
いつだったか、彼女からそう言われて
「あ、いや、えっと、、」と口ごもった時、
「もう終わってるよねぇ!」と笑いながら肩をバシバシ叩かれて。
あれが、確実に終わった瞬間だったのか、彼女の中ではとっくに終わってたのか。
分からないけど、オレの彼女だった子は今までその子だけだ。
だけど、好きだったのか?と聞かれたら即答できないかもしれない。
始めて手を繋いだ時は、ドキドキもしたし毎日のやりとりや電話も楽しかったけど。
オレってやっぱり冷めてんのかなあ。
「ま、今度会えたらちゃんと顔見とけよー!」
昼休みの終了を知らせるチャイムがなると周吾はさっさと自分の席に戻って行った。
オレはあわてて残りの弁当をかき込んで、弁当箱をしまう。詰め込んだ唐揚げがうまく飲み込めなくて、水筒の水で流し込んだ。
午後1の授業は数学。
ただただ、淡々とテキストの問題を解かせては黒板に回答と説明を書いていくスタイルの先生。つまらないと言ったらなんだけど、単調な授業。
特に午後からの数学は頭が回らない。
テストも終わってなおさら、集中力が続かない。
「ふーっ、、」
窓ぎわ後ろから2番目という席のせいもあり、オレはいつの間にかうとうとしていたらしい。
「にゃぉー」
か細い子猫の声
少し汚れてるけど白い子猫
チリンチリン♪
首に小さな小さな鈴をつけて近寄ってくる
「お、久しぶりじゃん」
撫でようと近寄った瞬間、ガタンと体が揺れた。
ビクッとして顔を上げると黒板にひたすら数式を書き並べている、教師と目が合った。
何も言わず、しばらくこちらを睨んだ後、再び教師は黒板の方を向き、カッカッカッと軽快なチョークの音でリズムを刻むように書き始めた。
やべ、寝てたー。
周りをゆっくりと見渡すと自分だけではない。
数人の生徒が大胆に机に顔を伏せて寝ている。
周吾はめずらしく起きて、なにやら机の下でコソコソやっている。
「ふーーっ、、」
もう一度大きく息を吐いて、オレは窓の外を見た。
教室の窓から見える体育館の屋根で、鳩が2匹仲良く寄り添っている。鳩は一生同じパートナーと添い遂げるんだって、ばあちゃん言ってたな。
そんなことを思いながら、全く頭に入ってこない計算式をノートに書き写してチャイムを待った。
6時間目も同じく。
引き続き、全く頭に入ってこない物理の公式をぼんやりと聞きながら、事務作業のようにノートに書き写し時間をやり過ごした。
「じゃあな、あさひ」
周吾は終礼が終わるなり教室を後にした。
中学の時はサッカー部でバリバリやってたのに、高校に入るなりいきなり陸上部に入部した周吾。
どうやら、サッカー部時代の足の速さを買われて、陸上部の先輩からどうしてもと声がかかったらしい。
サッカーも楽しそうにやってたのにいいのか、と訊ねるとオレは足が速いだけでボールのコントロールはイマイチだったからな、と笑ってみせた。
オレは、というと高校に入ってからは何も部活に入らなかった。弓道部がなかったから、というのもあって特にやりたいこともないな、、と思ってるうちに今日まで来てしまった。
同じく部活に入っていない奴らも、塾だのバイトだのとバタバタといなくなりオレは1人席を立つ。
オレって寂しい奴ってやつか?
一瞬そんな考えが頭をよぎった。
確かに学校と家を往復して、特に何もせず毎日過ごしてるオレって、、なにやってんのかな。
両親は、特に何も言わない。
昔からやりたいことをやれ、というだけで何かを強制されたこともない。
やりたいことを、、、
オレの足はいつの間にか、あの場所へ向かっていた。
そういえば、最近見ないあいつ。
どうなったのかな。
5時間目のうたた寝のせいで見た夢の中に現れたあいつ。初めて会ったのいつだったっけ。
あの場所に着くと、いつものように石階段には座らずにその辺をゆっくり歩き回る。
木の下や、草むら、あいつがいそうな場所をあちこちのぞいて歩く。
あれは、半年くらい前だったか、、もっと前だったか、、結構寒い日だった。
いつものように石階段に座って、、。
確かあの日は定期テスト前で。
受験を間近に控えて自分でもピリピリしてたのを覚えている。思うように進まない勉強にもやもやして、ただただぼんやり水面を眺めていた。
そんな時
「にゃぁ、、」
か細い声とチリンチリンという澄んだ音がして、気づくとオレの横に小さな白い子猫が擦り寄って来ていた。
首に小さな鈴をつけた細いリボンが結ばれていたから、誰かの飼い猫だろうか。
「どこから来たんだよ、お前」
子猫はまるでオレの飼い猫のように膝によじ登ってきてちょこんと丸くなった。
「寒いのかー?」
オレは両手でそっと子猫を包み込んだ。小さくて力を入れたら潰れてしまいそうに思えた。
どのくらいそうしていたのか、子猫はオレの手の中で目を細めて気持ちよさそうにうとうとしている。
「早くおうち帰んなー。飼い主か、、母さんネコかわかんないけど心配してるぞ?」
そう言って膝から下ろすと、子猫はしばらくオレの体に自分の体を擦り付けてから、チョコチョコッと走ってどこかへ消えていった。
この辺に飼い主の家があるのかな、、?
その時はあまり深くは考えなかったけど、その日以来時々その子猫は姿を現すようになった。
最初につけられていた小さな鈴とリボンはいつの間にかなくなっていて、真っ白だった毛も少しずつ汚れていた。
「お前飼い猫じゃなかったのか、、?」
それでもしばらくオレと戯れた後はどこかに消えていくから帰る場所があるのかな、と思っていた。
だけどオレにとってその子猫、、とはいえすぐに体は大きくなってきたけど、そいつと戯れる時間は結構楽しみな時間になっていて、いつしかそこに行くと姿を探すようになった。会うたび少しずつ痩せていってるような気がして、途中からは猫のおやつを買って行って食べさせてみたりもした。
そんな昔のことを思い出しながら、キョロキョロと辺りを見渡す。
そういえば、最近全然見かけなくなったなあ。
最後に見たのはいつだったのか、オレがこの場所に来る時間が変わったから会わなくなったのか、それとも誰かに拾われて飼ってもらえるようになったのかな。
しばらく歩き回ってみたけれど、あの白い姿は見えなかった。
オレは探すのをあきらめていつもの場所に座る。
小説を取り出して開いて目を落とした。
けど何となく、気持ちが乗らなくて同じページの文字を行ったり来たり。
しばらく忘れていたはずなのに、猫のことが気になって仕方なくなった。
「ねえ」
突然頭上から降ってきた声に、体がビクンとなる。
振り向くと、昨日の女性がオレを見下ろしていた。
「ごめん、またビックリさせた」
女性はニコッと笑うとまたオレの横に座る。
-- 次あったらちゃんと顔見とけよー --
急に周吾の言葉を思い出して、彼女の顔をマジマジと見てしまう。
くるくる動く大きめの目がニコッと細くなってオレを見ていた。
慌てて、俯いて視線を外す。
「昨日の本の続き?」
彼女は小説を指差してそう言った。
「あ、うん」
「主人公、名前、ないやつね」
彼女はそう言うと、また笑った。
「あなたには、名前有るんでしょ?」
続けて彼女は真剣な顔をしてそう言うと、再びおかしそうに笑った。
「そりゃ、あるよ」
オレが真顔で答えると
「私はね、すず」
彼女は自分の鼻を指で指しながらそう言った。
「すず、、?」
「すーず!すず!名前。私の。」
「あ、ああ」
「キレイな音がするあれだよ。鈴ね」
彼女は右手で、鈴を鳴らすような仕草をしながらそう言った。
「いい名前でしょ、気に入ってるんだ」
鈴は、両手を体の後ろについて空を見上げながら、嬉しそうに言った。
「で?」
そのままの体勢で鈴が言う。
「で?って?あ、うんいい名前だね」
オレが答えると、
「ち、がーうよっ!」と鈴はオレの方へガバっと向き直った。
「名前、あるんでしょ?」
そう言われて初めて自分の名前を聞かれてることに気づく。
「あ、オレか。オレの名前は朝陽。十河 朝陽」
「あさひー!いい名前じゃん」
「ありがとう」
「でも、、雰囲気的にはあさひってより、夕日って感じだけどね」
鈴は、今にも沈んでいきそうな太陽を指差してそう言った。
「確かに」
妙に納得したオレを見て、
「あ、拗ねた?」
鈴は顔を近づけてきた。
「拗ねてねーし!オレも思ってるよ。朝陽って名前、オレのキャラに合わないって」
「わ、やっぱり拗ねてる!」
鈴はごめんごめんと言いながら、オレの右膝を左手で軽くポンポンポンと3回たたいた。
なんだかもともと友達だったみたいに普通に会話して
ることに気づいて、また周吾の言葉を思い出す。
-- それってナンパってやつじゃないですか --
「これってナンパなの?」
オレは思わず口にしてしまって、「あ」と口を押さえる。
「ナンパ?」
鈴は大きな目を更にまんまるにして、オレの顔を見た。
そして、しばらく首を傾げて考えこみ
「ナンパです」
と答えた。
「え?」
今度はオレが目がまんまるになって鈴の顔を見た。
冗談かと思いきや、鈴は真面目な顔をしている。
「オレ、ナンパされてんの?これ」
「うーん、、だって朝陽は、私のこと知らないんでしょ?知らない女の子がいきなり声かけてきてんだよ?
ナンパ以外になんかある?」
当然でしょ、みたいな顔して鈴がそう言うもんだから、オレは
「そうなんだ、ナンパか」
と納得した。
「こんな素敵な女子がナンパしてます、さて朝陽くんはどうします?」
鈴はニコニコしながらオレにくっついて座る。
「どうしますって、、、」
なんだ、この状況?頭が混乱した。
ナンパなんかしたこともないしされたこともない。
ナンパってこういうもんなのか?
もっと周吾にナンパについて教えて貰えばよかった。
最後は訳のわからないことを反省したりもした。
そして、それとは別に、今、オレの頭の中に全く違う場面が思い出されている。昔見たアニメ映画の一場面。
「鈴ってさ、、」
「うん?」
「あの時のさ」
「うん」
言いかけてやめる。
そもそもそんな事が現実にあるわけがない。
アニメじゃあるまいし、そんなベタな展開起きるわけがないし。そんなこと高1男子が口に出したら、絶対にヤバいやつだと思われる。
「何?」
言いかけて黙ったオレの顔を不思議そうな顔をして鈴が見ている。
でもなー、、鈴って、、偶然にしては、、
いや、ヤバい。オレの頭ん中、かなりヤバい。
「朝陽、さっきから百面相みたいに変顔連発してるよ。ナンパされたの、そんな嫌だった?」
「いやっ、そうじゃなくて、んーー」
なんだか、頭がおかしくなりそうだった。
疲れてるんかな、テスト勉強まあまあ頑張ったしな。
睡眠不足が今頃、影響してきたかな、そもそも今のこの状況だけでもかなり変な状況だよな、もしかしてこれ自体が夢か?オレ寝ちゃってる?
ドラマならここでガバっと目覚めて、やっぱり夢かー、みたいなオチかもしれないけど。
どうやら今のこの状況は、現実みたいだった。
「猫、、」
オレは思わずつぶやく。
「ねこ?」
言いかけてまた、思いとどまる。
「あ、いやちょっと前にここで可愛がってた猫がいてさ」
「うん」
「最近見ないなーって」
言いかけた言葉を飲み込んで、とりあえず普通の言葉を言ってみる。
鈴は急に黙ってオレの顔を見た。
「最近見ないからさ、どうしてるかなーってさ」
急に黙るから、オレは早口でそう付け足した。
「どうして今その話するの?」
そう鈴に言われて今度はオレが何も言えなくなった。
そうだよ、なんで急に猫の話なんかしたんだよ。
「あ、あのさ。頭おかしい事言うんだけどさ」
こうなったらもうどうでもいいや、どうせナンパだし昨日まで知らない人だったし。
「鈴ってさ。あの時のさ。」
「うん」
「猫だったりしない?」
言ってしまって、一気に頭に血が上ったようにカーッと熱くなった。
何言ってんだオレ。
目の前の女性にあなたはあの時の猫ですか?って?
ヤバイヤバイヤバイ!頭、お花畑か?
たまたま、名前が一緒なだけだよ!!!
あの時、子猫が最初につけていた小さな鈴の音があまりにキレイで、途中からその鈴はなくなったけど、オレは勝手に「すず」と名前をつけて子猫を呼んでいた。
あまりに恥ずかし過ぎて、顔を上げられない。
鈴、どんな顔してる?怖くて見れない。
「んー、、」
鈴が小さく唸るような声が聞こえた。
だよな、ひいてるよな、ヤバイよなー。
なんでこんな変なやつナンパしたのかと思ってるよな
あー、なんなら呆れてそのまま立ち去って欲しい。
オレはいたたまれなくなり、立ちあがろうとした瞬間。
「そだよ」
という鈴の声がした。
「バレたかー」
「は?」
ゆっくりと顔を上げると鈴が真顔でこっちを見ている。
「そ。私、あの時の猫」
「いやいやいやいや」
あまりに鈴があっさりと言うもんだから、オレの方がつっこむ形になってしまった。
「ないだろ。そんなベタな展開!」
自分で言っといて、自ら完全否定のオレ。
「だって、、そうなんだもん。いつも可愛がってくれたよね?おやつもくれたよね?」
鈴は、少し不服そうにオレを見る。
「じゃっ、、、」
オレは体が宙に浮くような変な感覚を味わいながら、鈴を上から下まで眺めた。
「どんな猫か、、言ってみ?」
鈴は、四つん這いみたいなポーズをして、右手を招き猫のようにくいっと曲げて見せた。
そして、いたずらっ子のような顔でニヤッと笑いながら
「まーっしろのネコだよー!にゃお!」
と言った。
「っ、、?!」
オレは思わず息を呑んでしまった。
確かに、真っ白な猫だった。
途中、少しずつ汚れてきたけど、なんの模様もない真っ白な猫だった。
「信じたかにゃん?」
鈴は、また左手でオレの膝をトントントンとつついてみせた。
信じていいやつ、、?
オレが小学校の低学年くらいまでなら、すんなり信じただろう。昔はアニメの影響もあってその辺に妖怪とかも隠れてるって信じてたし。
だけど、やっぱり歳を重ねるごとにフィクション、ノンフィクションの区別はつくようになってきて現実では起きるわけがない事も分かってる。
ましてや、猫が人間の姿をして現れるとか。
そんなこと、起きるわけがないだろ?
「だって、ほら。鈴って名前。朝陽がつけてくれたんでしょ?」
鈴はもう一度、鈴を鳴らすような仕草をしてみせた。
「信じてよ。いいじゃん。深く考えない!」
「いや、でも、、」
「ま。不思議なことってあるってことだよ。じゃあね、また会おうねっ」
鈴は、早口でそう言うと素早く立ち上がって背を向けた。
「バイバイ!」
振り向かず、そう言った鈴はまたそのまま小走りで去って消えてしまった。
いつの間にか日は沈み、辺りは薄暗くなっていた。
石段を照らす街灯が、取り残されたオレの影を長く伸ばしていた。
いつもの空気
あの日どこからか聞こえた私を呼ぶ声
どうしてかな、
すごくすごく、、ドキドキしたんだ。」
オレは自分では一応、ごく普通の高1だと思っている。
だけど、人に言わせたらオレは地味な方らしい。
中学時代は、一応弓道部で県大会出場もしたし、高校受験もそれなりに頑張って地元の進学校に合格して、毎日楽しく学校に通ってる。
友人関係も良好だと思うし、賑やかに過ごせてると、、
オレは思ってる。
オレは十河朝陽
まあ、確かに名前から想像する人物像に比べたら、、やっぱりオレは地味なのかもしれない。
「あさひー!あ、さ、ひー!今日帰りカラオケ行こうぜーー!!」
終礼が終わるや否や、オレに駆け寄って来たのは
中学からずっと一緒の桐嶋周吾
オレが地味だと言うならこいつは正反対。
明るさの象徴みたいな奴で声はでかいし、いかにも毎日楽しそうに笑っていて、クラスのムードメーカーだ。
まさに太陽みたいな奴だから、こいつの方が「朝陽」って名前の方がしっくりきたかもしれない。
「周吾、ごめん、今日はちょっと行くとこあるからさ、、」
オレが申し訳なさそうに言うと、周吾は周りがみんな振り向くくらいの声で言う。
「またー!!例のとこで読書する、とかいうんじゃないよなー?あさひっ!」
いや、、そんなでかい声でオレの行動を言わないで欲しい、、と思いながらも
「まあ、そうなんだけどさ」
オレはちょっと周りを気にしながら小さな声で答えた。
「もっとこう、、パーっとストレス発散したいと思わないの?せっかくテストも終わったことだしさ」
声のトーンを一切落とさず、周吾はオレの顔をグイッと下から覗き込むように顔を近づけてきた。
今日は1学期の中間テストの最終日だった。
高校になって初めての定期テストと言うこともあり、
ここ数週間はみんなピリピリしていた。
しかも担任が、なかなかの圧をかけてくるタイプで、
テスト期間を適当にやり過ごしては許されないような空気感を作り出したために、尚更だった。
そんな空気感から、やっと解放された今日。
周りを見渡しても、イキイキした顔でパーっとどこかへ遊びに行こうぜ!と言う、会話があちこちで交わされているのが見える。
オレがそんなみんなと、周吾の顔を交互に見ながら、何か言おうとすると
「ま、でもしょーがねーかー。また今度行こうぜ。」
周吾はニッと笑いながら、左手をひらひらと蝶のように振り、あっさりオレの前から離れて行った。
「おう、またな」
オレが手を振りかえすと、周吾は再び大袈裟なくらいに手を振って笑うと教室から出て行った。
周吾のこういうとこが好きだ。
無理やりとか、詮索とかもない。
かと言って、誘いに乗らないオレを見ても不機嫌になるでもなく、離れていくこともない。
オレはそんな周吾に甘えてるのかもしれないな。
そんなことを思いながら、机に出しっぱなしだった筆記用具を黒いカバンに詰めて席を立つ。
今日は、あそこに行くと決めていた。
「例のとこ」
さっき周吾が口に出した場所。
もうすぐ6月。
少し前まで、鮮やかな新緑に涼しげな風が吹いていて、この季節が一番好きだなぁ…と思っていたけど、昼間はずいぶん暑く感じる時間が増えてきていた。
もう少し、初夏っていうあの爽やかな空気感を感じる時間が長ければいいのに。
最近は暑い夏と寒い冬が長くて、、日本の四季ってやつはどこに行ったんだろうな。
てか、このセリフは田舎のじいちゃんがよく言ってる言葉だ。昔は、春や秋を充分感じられる時期がしっかりとあって過ごしやすかったと。
オレはそんな時代はよく知らないけど、、そんな時代ならもっともっとあの場所で心地よくすごせる時間があったのかもしれないなあ、、。
そんなことをぼんやりと考えながら、「例の場所」へとオレは向かう。
いつからだったかな、中学入ってしばらく経った頃。
まだまだ慣れない中学生活と、入ったばかりの部活でヘトヘトで、だからと言ってすぐに家に帰りたくもなく、あてもなく歩いていつのまにか立っていた場所。
それが、「例の場所」
小さな宝石を一面に散りばめたようなキラキラの水面、そこに吸い込まれていきそうな大きな太陽。
川沿いのその道は、散歩するおじいちゃんや休憩中のサラリーマンが座って缶コーヒーを飲んでいたりはするけど、ほとんど人はいなくてサラサラと水の流れる音が耳に心地いい。
ここには初めて来たわけではなかった。
小学生の頃、友達と自転車でよく走り抜けていた。
だけど、立ち止まってゆっくり見たことはなかった。
ただの日常の景色だったその場所が、急に映画の一場面のように切り取られてオレの目に飛び込んできたようだった。
3段ほどしかない石階段の一番上に腰掛けて、ぼんやりと水の流れとキラキラを見ていると時間が止まったように思えて、なんだか秘密の場所を見つけてしまったような気持ちにさえなった。
どのくらいそうしていたのか、いつの間にか辺りは暗くなっていて、水面の金色のキラキラは、街頭や街の明かりを映してカラフルに輝いていた。
帰り道。
ものすごく心地良くなって、鼻歌まじりで帰ったことを思い出す。
あの日から、あの場所はオレの秘密の場所になった。
秘密と言ったって、みんな知ってる場所なんだけどオレがあの場所に座って1人でゆっくり流れる時間が特別であることは、秘密。あ、周吾にだけはバレてるんだけどね。
こうやって思い返すと、やっぱりオレは地味なのかも。
そういえば、ここで読書を始めたのはいつだったっけ?
読みかけの小説を、厚紙に黄色いリボンを結んだしおりの場所までパラパラとページを進めながら、そんなことを思い出していた。
このしおりは、亡くなったばあちゃんが作ってくれた。
手先が器用で、そこらにある材料ですぐ何でも作ってしまうばあちゃんが、初めて分厚い本を読み始めたオレに、これを挟んでおきな、と作ってくれたものだ。
ばあちゃんが本を読むといろんな世界が知れていいんだよ、と言ってくれたから本を読むようになったのだ。
小さい頃はたくさん絵本を読み聞かせてくれて、少し大きくなってからも本はたくさん読むといいと言って、よく買ってくれた。
秘密の場所でも、最初はぼんやりと水面を眺めているだけだったけど、いつからか小説を開いて読むようになったっけ。
「目を閉じてごらん?絵本の世界が見えてくるだろ?」
ばあちゃんにそんなことを言われてからか、
昔から、文章を読むとその描かれた光景が脳裏に鮮やかにうかぶ。
「緑の草原」という言葉が出てくれば、柔らかな草の感触を足元に感じるし、「風がサーっと」と書かれていれば風が木々を揺らす音が聞こえてくる。
いつのまにか、小説の世界に足を踏み入れたかのように、はっきりと脳裏に浮かぶのだ。
だから、知らない間に随分と時間が経っていて、気づくと真っ暗、なんてこともよくある。
「うわっ!!」
思わず大きな声がでた。
小説を読みながらいつものように、その世界に入り込んでいた。
舞台は図書館で、すこし古びた椅子が軋んだような音でキィキィと鳴り、本の特有の香りに包まれているその場所には、窓からオレンジ色の光が差し込んでいる。誰かがこっそりと小さな声で話している声が聞こえて、、周りを見渡した瞬間。
現実世界にグイッと引き戻されたような気がした。
「ごめん、、」
驚いて声を上げたオレに小さな声で謝っている女性。
オレの真横に知らない女性が座っていた。
この状態が、小説の世界なのか現実なのか一瞬分からなくて、頭が混乱した。
「え?あ、いや、えっ!?」
あまりに至近距離だったから、オレの心臓はバクバクと音をたてて、「ハッハッハッ」と軽く走った後のような息遣いになった。
よく見ると、女性はオレより少し年上だろうか。
謝った後は少し困ったように俯きながら、それでもオレの至近距離で座ったまま動かない。
「あ、、あ、、の、、」
情けなくも言葉が出ない。
「何、読んでるの?」
オレがモゴモゴしていると彼女の方から声をかけて来た。
「ハァッ、、、」
息を吸い込みすぎて変な声が出た。
「プッ、、」
女性はちょっと吹き出して、オレの顔を覗き込んだ。
「これっ、、」
オレはどうしていいかわからなくなって、読んでいた小説をグイッと彼女の方につきだす。
「ふーん」
彼女はそう言って小説を受け取ると最初のほうのページをぱらりぱらりとめくりながら、
「主人公の名前は?」とたずねる。
「な、な、名前出てこないんだ」
やっと言葉が出た。
今読んでいる小説はすべて「私」「あなた」の1人称、2人称で語られていて、主人公の名前は出てこない。
名前が出てこないから、読み手によってかなり主人公の印象は違うかもしれないなあ、と思う。
「名前、ないんだ。」
彼女は不思議な顔をしてもう一度オレの顔を見た。
「うん」
「そっかー、じゃあまたね」
突然、彼女は立ち上がり小説をオレの手に返すと手を振って、くるりと背を向けた。
そのまま、走り出したかと思うとあっという間にどこかへ行ってしまった。
「ん、、すーーーぅぅ、はぁあああーーっ」
オレは。
今まで上手く吸えていなかった空気を思い切り吸い込んで、吐き出した。
「てか、、誰、、だよー」
思わず口に出た。
いきなり真横に座って来て、話しかけて来て、いなくなって。
パーソナルスペースって知らないのかよ!
心の中では毒付いてはみても、実際はあたふたしすぎて何にも言えなかった自分が情けなくもなった。
名前くらい聞けただろ、誰ですか?くらい言えただろ。
てか、あんなに至近距離て事は知り合いか?
周吾なら、初対面でも仲良くなったんだろうなあ。
なんか、頭の中がごちゃごちゃしていろんな事が浮かんでは消えた。
翌日。
「それはー、ナンパってやつじゃないですかー?」
昼休み。周吾がわざとらしくオレにくっついて座り、ニヤニヤしながらそう言った。
「ナンパ?」
周吾から出た言葉が、オレにはピンとこなくて繰り返す。
「だっていきなり声かけてきたんだろ?知り合いでもないのに」
周吾はオレの机の上の食べかけの弁当チラチラ見ながら言う。続けて
「いいなー。可愛かった?」
そう言ってにやっと笑った。
周吾はとっくに食べてしまった菓子パンの袋をくしゃくしゃに丸めて離れたゴミ箱に投げ入れる。
惜しくも、ゴミ箱には入らず周吾は「クソッ」と小さくつぶやいて席を離れた。
「可愛いっていうか、、、」
オレはあの時の光景を思い出す。
髪の毛は肩くらいだったかな、顔は、、、
光の加減か、オレがあたふたしたからか、、
顔が全く思い出せない。
「覚えてない」
オレがそう言うと、周吾は「なんだよー!」と大袈裟なくらいのけぞって見せた。
「あさひはさー、彼女欲しくないの?」
オレは彼女ほしいよー、と周吾はそう続けながら机に突っ伏した。
彼女かー。。
中学生の時に同じ弓道部の同級生に告白されて、まあよく話すし仲もいい方だったからオッケーして付き合ったこともある。付き合ってた、とは言っても部活帰り一緒に帰ったり、毎日連絡を取り合ったり。休みの日に彼女の行きたい場所に行ったり。
それぐらいだったなー、、1年くらいはそんな感じだったけど、いつの間にかあまり学校意外で会わなくなり、部活引退したら、受験のこともあって自然消滅みたいになっていった。
「私たちって、まだ付き合ってるんだっけ?」
いつだったか、彼女からそう言われて
「あ、いや、えっと、、」と口ごもった時、
「もう終わってるよねぇ!」と笑いながら肩をバシバシ叩かれて。
あれが、確実に終わった瞬間だったのか、彼女の中ではとっくに終わってたのか。
分からないけど、オレの彼女だった子は今までその子だけだ。
だけど、好きだったのか?と聞かれたら即答できないかもしれない。
始めて手を繋いだ時は、ドキドキもしたし毎日のやりとりや電話も楽しかったけど。
オレってやっぱり冷めてんのかなあ。
「ま、今度会えたらちゃんと顔見とけよー!」
昼休みの終了を知らせるチャイムがなると周吾はさっさと自分の席に戻って行った。
オレはあわてて残りの弁当をかき込んで、弁当箱をしまう。詰め込んだ唐揚げがうまく飲み込めなくて、水筒の水で流し込んだ。
午後1の授業は数学。
ただただ、淡々とテキストの問題を解かせては黒板に回答と説明を書いていくスタイルの先生。つまらないと言ったらなんだけど、単調な授業。
特に午後からの数学は頭が回らない。
テストも終わってなおさら、集中力が続かない。
「ふーっ、、」
窓ぎわ後ろから2番目という席のせいもあり、オレはいつの間にかうとうとしていたらしい。
「にゃぉー」
か細い子猫の声
少し汚れてるけど白い子猫
チリンチリン♪
首に小さな小さな鈴をつけて近寄ってくる
「お、久しぶりじゃん」
撫でようと近寄った瞬間、ガタンと体が揺れた。
ビクッとして顔を上げると黒板にひたすら数式を書き並べている、教師と目が合った。
何も言わず、しばらくこちらを睨んだ後、再び教師は黒板の方を向き、カッカッカッと軽快なチョークの音でリズムを刻むように書き始めた。
やべ、寝てたー。
周りをゆっくりと見渡すと自分だけではない。
数人の生徒が大胆に机に顔を伏せて寝ている。
周吾はめずらしく起きて、なにやら机の下でコソコソやっている。
「ふーーっ、、」
もう一度大きく息を吐いて、オレは窓の外を見た。
教室の窓から見える体育館の屋根で、鳩が2匹仲良く寄り添っている。鳩は一生同じパートナーと添い遂げるんだって、ばあちゃん言ってたな。
そんなことを思いながら、全く頭に入ってこない計算式をノートに書き写してチャイムを待った。
6時間目も同じく。
引き続き、全く頭に入ってこない物理の公式をぼんやりと聞きながら、事務作業のようにノートに書き写し時間をやり過ごした。
「じゃあな、あさひ」
周吾は終礼が終わるなり教室を後にした。
中学の時はサッカー部でバリバリやってたのに、高校に入るなりいきなり陸上部に入部した周吾。
どうやら、サッカー部時代の足の速さを買われて、陸上部の先輩からどうしてもと声がかかったらしい。
サッカーも楽しそうにやってたのにいいのか、と訊ねるとオレは足が速いだけでボールのコントロールはイマイチだったからな、と笑ってみせた。
オレは、というと高校に入ってからは何も部活に入らなかった。弓道部がなかったから、というのもあって特にやりたいこともないな、、と思ってるうちに今日まで来てしまった。
同じく部活に入っていない奴らも、塾だのバイトだのとバタバタといなくなりオレは1人席を立つ。
オレって寂しい奴ってやつか?
一瞬そんな考えが頭をよぎった。
確かに学校と家を往復して、特に何もせず毎日過ごしてるオレって、、なにやってんのかな。
両親は、特に何も言わない。
昔からやりたいことをやれ、というだけで何かを強制されたこともない。
やりたいことを、、、
オレの足はいつの間にか、あの場所へ向かっていた。
そういえば、最近見ないあいつ。
どうなったのかな。
5時間目のうたた寝のせいで見た夢の中に現れたあいつ。初めて会ったのいつだったっけ。
あの場所に着くと、いつものように石階段には座らずにその辺をゆっくり歩き回る。
木の下や、草むら、あいつがいそうな場所をあちこちのぞいて歩く。
あれは、半年くらい前だったか、、もっと前だったか、、結構寒い日だった。
いつものように石階段に座って、、。
確かあの日は定期テスト前で。
受験を間近に控えて自分でもピリピリしてたのを覚えている。思うように進まない勉強にもやもやして、ただただぼんやり水面を眺めていた。
そんな時
「にゃぁ、、」
か細い声とチリンチリンという澄んだ音がして、気づくとオレの横に小さな白い子猫が擦り寄って来ていた。
首に小さな鈴をつけた細いリボンが結ばれていたから、誰かの飼い猫だろうか。
「どこから来たんだよ、お前」
子猫はまるでオレの飼い猫のように膝によじ登ってきてちょこんと丸くなった。
「寒いのかー?」
オレは両手でそっと子猫を包み込んだ。小さくて力を入れたら潰れてしまいそうに思えた。
どのくらいそうしていたのか、子猫はオレの手の中で目を細めて気持ちよさそうにうとうとしている。
「早くおうち帰んなー。飼い主か、、母さんネコかわかんないけど心配してるぞ?」
そう言って膝から下ろすと、子猫はしばらくオレの体に自分の体を擦り付けてから、チョコチョコッと走ってどこかへ消えていった。
この辺に飼い主の家があるのかな、、?
その時はあまり深くは考えなかったけど、その日以来時々その子猫は姿を現すようになった。
最初につけられていた小さな鈴とリボンはいつの間にかなくなっていて、真っ白だった毛も少しずつ汚れていた。
「お前飼い猫じゃなかったのか、、?」
それでもしばらくオレと戯れた後はどこかに消えていくから帰る場所があるのかな、と思っていた。
だけどオレにとってその子猫、、とはいえすぐに体は大きくなってきたけど、そいつと戯れる時間は結構楽しみな時間になっていて、いつしかそこに行くと姿を探すようになった。会うたび少しずつ痩せていってるような気がして、途中からは猫のおやつを買って行って食べさせてみたりもした。
そんな昔のことを思い出しながら、キョロキョロと辺りを見渡す。
そういえば、最近全然見かけなくなったなあ。
最後に見たのはいつだったのか、オレがこの場所に来る時間が変わったから会わなくなったのか、それとも誰かに拾われて飼ってもらえるようになったのかな。
しばらく歩き回ってみたけれど、あの白い姿は見えなかった。
オレは探すのをあきらめていつもの場所に座る。
小説を取り出して開いて目を落とした。
けど何となく、気持ちが乗らなくて同じページの文字を行ったり来たり。
しばらく忘れていたはずなのに、猫のことが気になって仕方なくなった。
「ねえ」
突然頭上から降ってきた声に、体がビクンとなる。
振り向くと、昨日の女性がオレを見下ろしていた。
「ごめん、またビックリさせた」
女性はニコッと笑うとまたオレの横に座る。
-- 次あったらちゃんと顔見とけよー --
急に周吾の言葉を思い出して、彼女の顔をマジマジと見てしまう。
くるくる動く大きめの目がニコッと細くなってオレを見ていた。
慌てて、俯いて視線を外す。
「昨日の本の続き?」
彼女は小説を指差してそう言った。
「あ、うん」
「主人公、名前、ないやつね」
彼女はそう言うと、また笑った。
「あなたには、名前有るんでしょ?」
続けて彼女は真剣な顔をしてそう言うと、再びおかしそうに笑った。
「そりゃ、あるよ」
オレが真顔で答えると
「私はね、すず」
彼女は自分の鼻を指で指しながらそう言った。
「すず、、?」
「すーず!すず!名前。私の。」
「あ、ああ」
「キレイな音がするあれだよ。鈴ね」
彼女は右手で、鈴を鳴らすような仕草をしながらそう言った。
「いい名前でしょ、気に入ってるんだ」
鈴は、両手を体の後ろについて空を見上げながら、嬉しそうに言った。
「で?」
そのままの体勢で鈴が言う。
「で?って?あ、うんいい名前だね」
オレが答えると、
「ち、がーうよっ!」と鈴はオレの方へガバっと向き直った。
「名前、あるんでしょ?」
そう言われて初めて自分の名前を聞かれてることに気づく。
「あ、オレか。オレの名前は朝陽。十河 朝陽」
「あさひー!いい名前じゃん」
「ありがとう」
「でも、、雰囲気的にはあさひってより、夕日って感じだけどね」
鈴は、今にも沈んでいきそうな太陽を指差してそう言った。
「確かに」
妙に納得したオレを見て、
「あ、拗ねた?」
鈴は顔を近づけてきた。
「拗ねてねーし!オレも思ってるよ。朝陽って名前、オレのキャラに合わないって」
「わ、やっぱり拗ねてる!」
鈴はごめんごめんと言いながら、オレの右膝を左手で軽くポンポンポンと3回たたいた。
なんだかもともと友達だったみたいに普通に会話して
ることに気づいて、また周吾の言葉を思い出す。
-- それってナンパってやつじゃないですか --
「これってナンパなの?」
オレは思わず口にしてしまって、「あ」と口を押さえる。
「ナンパ?」
鈴は大きな目を更にまんまるにして、オレの顔を見た。
そして、しばらく首を傾げて考えこみ
「ナンパです」
と答えた。
「え?」
今度はオレが目がまんまるになって鈴の顔を見た。
冗談かと思いきや、鈴は真面目な顔をしている。
「オレ、ナンパされてんの?これ」
「うーん、、だって朝陽は、私のこと知らないんでしょ?知らない女の子がいきなり声かけてきてんだよ?
ナンパ以外になんかある?」
当然でしょ、みたいな顔して鈴がそう言うもんだから、オレは
「そうなんだ、ナンパか」
と納得した。
「こんな素敵な女子がナンパしてます、さて朝陽くんはどうします?」
鈴はニコニコしながらオレにくっついて座る。
「どうしますって、、、」
なんだ、この状況?頭が混乱した。
ナンパなんかしたこともないしされたこともない。
ナンパってこういうもんなのか?
もっと周吾にナンパについて教えて貰えばよかった。
最後は訳のわからないことを反省したりもした。
そして、それとは別に、今、オレの頭の中に全く違う場面が思い出されている。昔見たアニメ映画の一場面。
「鈴ってさ、、」
「うん?」
「あの時のさ」
「うん」
言いかけてやめる。
そもそもそんな事が現実にあるわけがない。
アニメじゃあるまいし、そんなベタな展開起きるわけがないし。そんなこと高1男子が口に出したら、絶対にヤバいやつだと思われる。
「何?」
言いかけて黙ったオレの顔を不思議そうな顔をして鈴が見ている。
でもなー、、鈴って、、偶然にしては、、
いや、ヤバい。オレの頭ん中、かなりヤバい。
「朝陽、さっきから百面相みたいに変顔連発してるよ。ナンパされたの、そんな嫌だった?」
「いやっ、そうじゃなくて、んーー」
なんだか、頭がおかしくなりそうだった。
疲れてるんかな、テスト勉強まあまあ頑張ったしな。
睡眠不足が今頃、影響してきたかな、そもそも今のこの状況だけでもかなり変な状況だよな、もしかしてこれ自体が夢か?オレ寝ちゃってる?
ドラマならここでガバっと目覚めて、やっぱり夢かー、みたいなオチかもしれないけど。
どうやら今のこの状況は、現実みたいだった。
「猫、、」
オレは思わずつぶやく。
「ねこ?」
言いかけてまた、思いとどまる。
「あ、いやちょっと前にここで可愛がってた猫がいてさ」
「うん」
「最近見ないなーって」
言いかけた言葉を飲み込んで、とりあえず普通の言葉を言ってみる。
鈴は急に黙ってオレの顔を見た。
「最近見ないからさ、どうしてるかなーってさ」
急に黙るから、オレは早口でそう付け足した。
「どうして今その話するの?」
そう鈴に言われて今度はオレが何も言えなくなった。
そうだよ、なんで急に猫の話なんかしたんだよ。
「あ、あのさ。頭おかしい事言うんだけどさ」
こうなったらもうどうでもいいや、どうせナンパだし昨日まで知らない人だったし。
「鈴ってさ。あの時のさ。」
「うん」
「猫だったりしない?」
言ってしまって、一気に頭に血が上ったようにカーッと熱くなった。
何言ってんだオレ。
目の前の女性にあなたはあの時の猫ですか?って?
ヤバイヤバイヤバイ!頭、お花畑か?
たまたま、名前が一緒なだけだよ!!!
あの時、子猫が最初につけていた小さな鈴の音があまりにキレイで、途中からその鈴はなくなったけど、オレは勝手に「すず」と名前をつけて子猫を呼んでいた。
あまりに恥ずかし過ぎて、顔を上げられない。
鈴、どんな顔してる?怖くて見れない。
「んー、、」
鈴が小さく唸るような声が聞こえた。
だよな、ひいてるよな、ヤバイよなー。
なんでこんな変なやつナンパしたのかと思ってるよな
あー、なんなら呆れてそのまま立ち去って欲しい。
オレはいたたまれなくなり、立ちあがろうとした瞬間。
「そだよ」
という鈴の声がした。
「バレたかー」
「は?」
ゆっくりと顔を上げると鈴が真顔でこっちを見ている。
「そ。私、あの時の猫」
「いやいやいやいや」
あまりに鈴があっさりと言うもんだから、オレの方がつっこむ形になってしまった。
「ないだろ。そんなベタな展開!」
自分で言っといて、自ら完全否定のオレ。
「だって、、そうなんだもん。いつも可愛がってくれたよね?おやつもくれたよね?」
鈴は、少し不服そうにオレを見る。
「じゃっ、、、」
オレは体が宙に浮くような変な感覚を味わいながら、鈴を上から下まで眺めた。
「どんな猫か、、言ってみ?」
鈴は、四つん這いみたいなポーズをして、右手を招き猫のようにくいっと曲げて見せた。
そして、いたずらっ子のような顔でニヤッと笑いながら
「まーっしろのネコだよー!にゃお!」
と言った。
「っ、、?!」
オレは思わず息を呑んでしまった。
確かに、真っ白な猫だった。
途中、少しずつ汚れてきたけど、なんの模様もない真っ白な猫だった。
「信じたかにゃん?」
鈴は、また左手でオレの膝をトントントンとつついてみせた。
信じていいやつ、、?
オレが小学校の低学年くらいまでなら、すんなり信じただろう。昔はアニメの影響もあってその辺に妖怪とかも隠れてるって信じてたし。
だけど、やっぱり歳を重ねるごとにフィクション、ノンフィクションの区別はつくようになってきて現実では起きるわけがない事も分かってる。
ましてや、猫が人間の姿をして現れるとか。
そんなこと、起きるわけがないだろ?
「だって、ほら。鈴って名前。朝陽がつけてくれたんでしょ?」
鈴はもう一度、鈴を鳴らすような仕草をしてみせた。
「信じてよ。いいじゃん。深く考えない!」
「いや、でも、、」
「ま。不思議なことってあるってことだよ。じゃあね、また会おうねっ」
鈴は、早口でそう言うと素早く立ち上がって背を向けた。
「バイバイ!」
振り向かず、そう言った鈴はまたそのまま小走りで去って消えてしまった。
いつの間にか日は沈み、辺りは薄暗くなっていた。
石段を照らす街灯が、取り残されたオレの影を長く伸ばしていた。